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第二話 異端の神父
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レンドーサがフィンが住む教会にやってきて三日が経った。
フィンが一応というように「教会にいて特に辛いとかないですか?」と尋ねてきたが、べつに問題はないと答えた。
吸血鬼は聖水や十字架に弱いとか、太陽の陽射しに弱いとか、そんなの人間が作った伝承だ、と。
そんなことは悪魔祓いのフィンがよくわかっていることではないかと言えば「そうなんですけどね。さすがに毎日いたら多少不調とか出るのかなって」と笑って返された。
生憎、レンドーサには十字架も賛美歌も効かない。
むしろ、この教会に来てから妙に身体が楽だ。
フィンに会うまであんなに餓え渇いて、貧血状態になるほど辛かった身体の不調がいくらかマシになっている。
喉の渇きが消えたわけではないが、そもそもレンドーサは極度の偏食で生まれてこの方、美味しい血というものを味わったことがないからかほかの吸血鬼ほど喉の渇きを感じなくなってしまったらしい。
ともかくフィンはレンドーサを普通の旅人のように教会において、普通に接した。
最初はいつ寝首を掻かれるかと不安もあったが、拍子抜けするほどなにもない。
そもそもレンドーサを退治する気なら最初に出会ったときにやっているだろう。
まったく、おかしな男だ。
「つか、ほんとここって娯楽ねえのな」
「だから暇だって言ったんですよ」
教会に滞在して三日目の昼、リビングのソファに座ったまま退屈そうにぼやいたレンドーサに、向かいのソファに腰掛け本を読んでいたフィンが事も無げに答えた。
「朝のミサと掃除とか、毎日のお務め以外は基本やることがないんですよね。
食料とかは住民からの寄付でどうにかなりますし、まあ、退屈なんですよ」
強いて言えば悪魔祓いの仕事のほうで多少お金は手に入りますけど。
そう言いながらフィンは髪をいじる。
その仕草はこの三日だけで何度も目にしたものなので、どうやらくせらしい。
「なので、話し相手が欲しかったんですよ」
「…だからって悪魔祓いの神父が悪魔を話し相手にすんなよ」
「はは、やだなあ。
普通の人間だったらなおさら、私なんかの話し相手になんかなってくれませんよ」
「…そーか?」
レンドーサはあからさまに「嘘くせえ」という心境でつぶやいた。
フィンの容姿は際立って整っている。
実際、フィン目当てにミサに通う女性の多いこと多いこと。
フィンが望めば話し相手になってくれる女性なんて、山ほどいるんじゃないのかと思うが。
「って、あれ、そういや神父って、…恋愛禁止なんだっけ?」
「ええ。
結婚とかもダメですし、そもそも性欲を持つこと自体、穢らわしいという認識ですからね。
そういう戒律ですし」
「へえ?
じゃ、あんた童貞なわけ?」
「いいえ?」
思いつきでからかってやろうと言ったらあっさり否定されて面食らう。
「ああ、誤解を招く言い方でしたね。
神父になってからはまったくそういうことはないですよ。
ただ、私は昔から神父になろうと思っていたわけではないので、神父になる前だったらそこそこ経験はあります、という話です」
「…ああ、そういう」
なんだ、童貞かよって盛大にからかってやる気だったのに、とちょっと残念に思う。
まあ若いころとか、この見た目じゃそれこそモテただろうし、恋人とかいてもおかしくはない───と考えて、ふと疑問が湧いた。
「待って。
あんたいくつ?」
「40歳です」
「うっそだろ」
「ほんとですよ」
さらっと告げられた年齢にひどく驚いた。
いやいやいやちょっと待て。そりゃ成人してるとは思ってたけどそんな上とは思ってなかったぞ。
そりゃ二十代と言うには大人びているというか、妙な色気があったし、それよりは上なんじゃないかとは思っていたけど。
「…あんた、オレよりよっぽど不老不死の悪魔っぽい見た目してんぞ」
ややあってレンドーサがやっと言えたのはそんな覇気の無い一言だった。
フィンはいかにも年齢不詳な、ミステリアスな雰囲気の美人といった男だ。
また教会の神父でいかにも上品で育ちの良さがあり、俗世から離れて暮らしているからか浮世離れしたような雰囲気もある。
人並みの欲もなにも持ち合わせていないような高潔そうな印象があって、なのに相反するような妖艶な美貌が却って色気を醸し出しているのだろう。
「はは、そうですかねえ。
それ、褒められてます?」
「一応。
これが女でおっぱいでかかったらいいのにってくらいには」
「ああ、きみ、胸の大きな女性が好きなんですね」
と、特に気にした様子もなく口にするときもフィンはポーカーフェイスだ。
だからなのか、さらっと「胸の大きな」とか口にされると妙に落ち着かない気分になる。
確かにひどく整った顔立ちや漂う色香は、人間を堕落させる悪魔のようにうつくしい。
「…あんたは?」
「…はい?」
「好み」
「……さあ。
…もうずいぶん、そういうことと無縁の生活送ってますからねえ」
わからないです、とフィンは答える。その表情もあまり変わらないが、首をかしげる仕草もやけに色香を含んだものだ。
本人は無自覚なのだろうが。
そういう聖職者特有の高潔さや敬虔な雰囲気が余計に欲をかき立てそうな気がする。
なんか男にもモテそうだな、と思った。
「そういえば、飲まないんですか?」
不意にフィンが示したのはテーブルの上に置かれた皿に盛られたクッキーと、カップの中の紅茶だ。
甘い匂いが鼻につくが、いやだとは思わない。
あれ、そういえば、フィンに最初会ったときも、妙に甘い香りがしたような。
でもあれは、こういうお菓子のような甘ったるい匂いではなかった気がする。
「どうかしました?」
「…あ、いや」
つい思案に耽ってしまい、フィンの不思議そうな声で我に返った。
「普通の食物が口に出来ないわけじゃないでしょう?」
「…まあ、多少は」
吸血鬼の主な栄養源は人間の血だ。それがなければ生きてはいけない。
だが、ほかの食物をまったく受け付けないわけではない。
酒とかコーヒーとか、嗜好品は好き嫌いはわかれるものの好きなやつは好きだし、人間が口にする食べ物を食べられないわけでもない。
「お酒は飲めます?」
「…まあ、飲めるけど」
「飲めたとして酔いますか?」
「…いや、酔いはしねえけど。
なに聞きたいの?」
「いえ、味覚は人間とどうちがうのかなとか、嗅覚や聴覚はどうちがうんだろうとか知りたくて」
「そんなん聞いてどーすんだよ」
悪魔祓いの役には立たねえだろ、と怪訝な顔になったレンドーサにフィンは至極まじめな顔で、
「いえ、単純に私が吸血鬼の生態を知りたいだけです」
と答えた。
「はあ?」
「さっき、私は最初から神父になるつもりじゃなかったって言いましたよね。
学者になりたかったんですよ。ほんとは。
悪魔と言っても、いろいろな種類があるでしょう?
きみみたいな吸血鬼とか、種族によって身体の構造とか必要とする栄養素とか形態が異なるわけで、私はそういうのを調べたいんです。
今回、きみに会えたのは幸運でした。
吸血鬼にも偏食というものがあるとわかりましたからね」
いつものように前髪をいじりながら微笑んだフィンに、レンドーサはすぐになにも言えなかった。
純粋に驚かされたからだ。
「…あんた、ほんと変人て言われんだろ」
「あ、わかります?」
「わかるっつの。
悪魔なんて調べてどーすんだ。
あんたらとはちがう異端の存在だぞ」
「そこが疑問なんですよ」
「あ?」
フィンは一口紅茶を飲むと、カップを手に持ったまま真っ直ぐにレンドーサを見つめて続ける。
「なんできみたち悪魔だけ、生物じゃないってべつのカテゴリーに入れちゃうんでしょう。
大雑把に言えば、人間やほかの動物もみんなちがう生き物でしょう?
それぞれ必要とする食べ物もちがう、姿も違えば身体の構造もちがう。
そんなの当たり前のことです。
なのになぜ、きみたち悪魔だけが異端になるんです?」
至って大真面目に言ったフィンに、レンドーサはさすがにあんぐりと大口を開けたまま固まってしまった。
レンドーサはそれなりに長く生きている。人間から見れば気が遠くなるような歳月を。
にも関わらず、はじめて会った。こんなとんでもないことを言う人間には。
「…………あんた、それは」
いくらなんでもおかしいだろ。神父がなにを大真面目におかしなこと言ってんだ、とかすれた声で言いかけたレンドーサを遮ってフィンは言葉を紡ぐ。
「いやだって、変でしょう。
極端な話、人の生き血を吸う生き物なら蚊とか虫でもいますよね?
人の血肉を喰らうのはほかの獣だって同じでしょ?」
「…いや、悪魔は明らかにほかの生物にはない力があんだろ」
「それは人間が扱う科学となにが違いますか?
動物から見れば我々人間が使うガスも炎も、魔法のように見えるのでは?」
どうにか反論するもフィンはあっさりとそれを否定する。
まるで人間も悪魔と同じだと言わんばかりに。
「人間だって生きるために他の生き物を殺して喰らいますよね?
また生きるためでなく、自分たちの快楽や娯楽のために狩ることだってある。
なんの罪もない獣を殺し、毛皮を剥いだり剥製にして飾ったりしますよね。
それは、きみたち悪魔が人間にすることとどれだけの差がありますか?
寿命だって、人間の寿命は動物の寿命より遥かに長い。
人間から見た悪魔とさして変わらないのでは?」
「………………………」
絶句した。
最早言葉が浮かばなかった。
悪魔の自分をして、信じられないと、あり得ないと思えるようなことをフィンは至極真剣に言ってのけるのだ。
なんだこの男は、と心底思った。
言葉を失って硬直したレンドーサを見て、フィンは形の良い唇にかすかに笑みを浮かべてこう締めくくる。
「人間から見た悪魔と、動物から見た人間は、同じおそろしい怪物に見えているかもしれない。
───人間と悪魔に、大差なんてありませんよ」
それはおおよそ聖職者が──いや、人間が口にしていい、するべきではない言葉だった。
「……………あんたそれ、普通の人間に言ったら変人じゃなく狂人って思われるぞ」
おそらく数分が経ったあと、やっとのことでレンドーサが絞り出した言葉にフィンはにこりと神のように麗しい微笑を浮かべて、
「ええ、もちろん。
私は狂人ですよ」
と悪魔のような台詞を口にした。
その後、レンドーサは教会の外の、積み上げられた木箱の一つに腰掛けてまだ明るい空を見上げていた。
やはり身体が楽だ。貧血というほど、身体が重く辛い、ということもない。
どうしてだろう。フィンに会うまであんなに飢えていたのに。
にしても、フィンはレンドーサの想像以上におかしな人間だった。
あんなことを至極まじめに言うなんて、いったいなにを考えているのか。
いや、そもそもまともな人間は悪魔を話し相手にはしないだろうけど。
そんなことをつらつらと考えていたら教会にやってきた母娘二人と目が合った。
ぱっと見、体格が良く強面のレンドーサを見て母親のほうはかすかに臆したようだったが、幼い娘のほうは好奇心旺盛なのかかまわずレンドーサに近寄ってくる。
「お兄ちゃん、だれ?」
「…あー、旅人、の、居候?」
少女の無邪気な問いかけにレンドーサはちょっと悩んでそう答えた。
ほかにどう答えろと。
「あ、旅人の方なんですか?」
「あー、まあ。
…腹減って行き倒れてたとこを、助けてもらった、つか」
「そうだったんですね」
慌てて駆け寄ってきた母親がレンドーサの返答を聞いてあからさまにほっとする。
「神父さまはおやさしいですから」
「…あの、あのひと、そんな有名なの?」
「ええ。この近辺では。
なにせ悪魔祓いも出来る神父さまですし、神父さまに助けていただいた者は大勢おりますもの」
母親はフィンの容姿に惚れて心酔しているというより、純粋に感謝し、尊敬している風だった。
「…ふーん」
「とても素晴らしい方なんですのよ。
この子も神父さまに助けていただいて」
「この子も?」
「ええ、以前───」
母親が敬愛と信頼を宿した瞳で語ろうとしたところで、フィンが教会の中から姿を見せた。
「ああ、いた。
暇なら掃除くらいは……と、こんにちは」
「こんにちは。
神父さま」
箒を手にレンドーサに言いかけ、母娘に気づいて軽く会釈する。
母親に続いて娘も「神父さまこんにちは!」と満面の笑顔で挨拶した。
「この間はありがとうございます。
おかげさまで娘もすっかり元気になって」
「それはよかったです。
またなにかありましたらいつでも来てください」
「はい。ありがとうございます」
母親はフィンをまるで神様を見るかのようなまなざしで見つめていた。
そのあと少し話して、家の畑で取れた野菜をフィンに渡して母娘は帰っていく。
「なんかあったの?」
「…ああ、娘さんが風邪を引いたときにちょっと。
小さな街ですからね。
満足に医者もいなくて、私は神父になる前、学者になりたくて医学も少しかじったことがありましたから」
「ああ」
なるほど。それであんなに感謝してんのか、と納得した。
確かに小さく寂れた街だ。見た感じ、診療所もないようだった。
それに街を支える産業もろくになさそうな、有り体に言って貧しそうな街だ。
医師がいたとして、普通の住民は医師に診せる金もないはず。
そこに多少は医学の心得がある神父がいれば、それは頼りにされるだろう。
「それで、暇してるなら掃除くらいしていただきたいのですが」
「はあ?
なんで」
「なんでって、食事はともかく住居は提供しているんですから掃除くらいいいでしょう?
庭だけはやたら広いので、私だけじゃなかなか終わらなくて」
「めんど…」
億劫そうに言って立ち上がった、ときだ。
ふわ、と鼻腔をくすぐった甘い香りにどくり、と心臓が脈打った。
反射的にフィンの手を掴めば、彼が驚いたように目を瞠る。
「どうしました?」
「……あんた、なんかつけてる?」
「はい?」
「なんか、甘い香りがする…。
香水とか…」
「つけるわけないでしょう?
聖職者が」
「…だよな」
レンドーサ自身、口にしてから「ないわ」と思った。
聖職者がそんなものつけてるわけないだろ。
「あ、まさか聖水の匂いをそう感じたんじゃありませんよね?
きみ」
「そこまでバカじゃねえっつの」
「ならいいですけど。
聖水が効果ないのは知ってますが、いい匂いだと感じるようじゃきみ、悪魔として相当おかしいですからね」
「あんたに言われたくねーよ」
フィンの手を離して素っ気なく言う。
悪魔と人間を同じだというような頭のおかしいやつに言われたくない。
そう込めて告げれば、フィンは軽く瞬きをしたあとくす、と上品に───けれど妙な色香を含ませた微笑を浮かべて、
「ええ。
きみと私は同じですよ」
と、やけに意味深な口調で告げた。
「…え」
「“同じ異端なもの”」
フィンはさっさと教会のほうに足を向けると、一度立ち止まって肩越しにこちらを振り返り、そうささやくように言葉を落とす。
「だから、きみを助けたのかもしれませんね」
そう言って髪をいじりながら笑うと、軽やかな足取りで教会の中に入ってしまう。
それを見送ったまま、しばらくその場に立ち尽くした。
動けなかった。
動けなかったのはその艶やかな微笑に見惚れたからなのか、その妖しい言葉に心を揺さぶられたからのか。
フィンが一応というように「教会にいて特に辛いとかないですか?」と尋ねてきたが、べつに問題はないと答えた。
吸血鬼は聖水や十字架に弱いとか、太陽の陽射しに弱いとか、そんなの人間が作った伝承だ、と。
そんなことは悪魔祓いのフィンがよくわかっていることではないかと言えば「そうなんですけどね。さすがに毎日いたら多少不調とか出るのかなって」と笑って返された。
生憎、レンドーサには十字架も賛美歌も効かない。
むしろ、この教会に来てから妙に身体が楽だ。
フィンに会うまであんなに餓え渇いて、貧血状態になるほど辛かった身体の不調がいくらかマシになっている。
喉の渇きが消えたわけではないが、そもそもレンドーサは極度の偏食で生まれてこの方、美味しい血というものを味わったことがないからかほかの吸血鬼ほど喉の渇きを感じなくなってしまったらしい。
ともかくフィンはレンドーサを普通の旅人のように教会において、普通に接した。
最初はいつ寝首を掻かれるかと不安もあったが、拍子抜けするほどなにもない。
そもそもレンドーサを退治する気なら最初に出会ったときにやっているだろう。
まったく、おかしな男だ。
「つか、ほんとここって娯楽ねえのな」
「だから暇だって言ったんですよ」
教会に滞在して三日目の昼、リビングのソファに座ったまま退屈そうにぼやいたレンドーサに、向かいのソファに腰掛け本を読んでいたフィンが事も無げに答えた。
「朝のミサと掃除とか、毎日のお務め以外は基本やることがないんですよね。
食料とかは住民からの寄付でどうにかなりますし、まあ、退屈なんですよ」
強いて言えば悪魔祓いの仕事のほうで多少お金は手に入りますけど。
そう言いながらフィンは髪をいじる。
その仕草はこの三日だけで何度も目にしたものなので、どうやらくせらしい。
「なので、話し相手が欲しかったんですよ」
「…だからって悪魔祓いの神父が悪魔を話し相手にすんなよ」
「はは、やだなあ。
普通の人間だったらなおさら、私なんかの話し相手になんかなってくれませんよ」
「…そーか?」
レンドーサはあからさまに「嘘くせえ」という心境でつぶやいた。
フィンの容姿は際立って整っている。
実際、フィン目当てにミサに通う女性の多いこと多いこと。
フィンが望めば話し相手になってくれる女性なんて、山ほどいるんじゃないのかと思うが。
「って、あれ、そういや神父って、…恋愛禁止なんだっけ?」
「ええ。
結婚とかもダメですし、そもそも性欲を持つこと自体、穢らわしいという認識ですからね。
そういう戒律ですし」
「へえ?
じゃ、あんた童貞なわけ?」
「いいえ?」
思いつきでからかってやろうと言ったらあっさり否定されて面食らう。
「ああ、誤解を招く言い方でしたね。
神父になってからはまったくそういうことはないですよ。
ただ、私は昔から神父になろうと思っていたわけではないので、神父になる前だったらそこそこ経験はあります、という話です」
「…ああ、そういう」
なんだ、童貞かよって盛大にからかってやる気だったのに、とちょっと残念に思う。
まあ若いころとか、この見た目じゃそれこそモテただろうし、恋人とかいてもおかしくはない───と考えて、ふと疑問が湧いた。
「待って。
あんたいくつ?」
「40歳です」
「うっそだろ」
「ほんとですよ」
さらっと告げられた年齢にひどく驚いた。
いやいやいやちょっと待て。そりゃ成人してるとは思ってたけどそんな上とは思ってなかったぞ。
そりゃ二十代と言うには大人びているというか、妙な色気があったし、それよりは上なんじゃないかとは思っていたけど。
「…あんた、オレよりよっぽど不老不死の悪魔っぽい見た目してんぞ」
ややあってレンドーサがやっと言えたのはそんな覇気の無い一言だった。
フィンはいかにも年齢不詳な、ミステリアスな雰囲気の美人といった男だ。
また教会の神父でいかにも上品で育ちの良さがあり、俗世から離れて暮らしているからか浮世離れしたような雰囲気もある。
人並みの欲もなにも持ち合わせていないような高潔そうな印象があって、なのに相反するような妖艶な美貌が却って色気を醸し出しているのだろう。
「はは、そうですかねえ。
それ、褒められてます?」
「一応。
これが女でおっぱいでかかったらいいのにってくらいには」
「ああ、きみ、胸の大きな女性が好きなんですね」
と、特に気にした様子もなく口にするときもフィンはポーカーフェイスだ。
だからなのか、さらっと「胸の大きな」とか口にされると妙に落ち着かない気分になる。
確かにひどく整った顔立ちや漂う色香は、人間を堕落させる悪魔のようにうつくしい。
「…あんたは?」
「…はい?」
「好み」
「……さあ。
…もうずいぶん、そういうことと無縁の生活送ってますからねえ」
わからないです、とフィンは答える。その表情もあまり変わらないが、首をかしげる仕草もやけに色香を含んだものだ。
本人は無自覚なのだろうが。
そういう聖職者特有の高潔さや敬虔な雰囲気が余計に欲をかき立てそうな気がする。
なんか男にもモテそうだな、と思った。
「そういえば、飲まないんですか?」
不意にフィンが示したのはテーブルの上に置かれた皿に盛られたクッキーと、カップの中の紅茶だ。
甘い匂いが鼻につくが、いやだとは思わない。
あれ、そういえば、フィンに最初会ったときも、妙に甘い香りがしたような。
でもあれは、こういうお菓子のような甘ったるい匂いではなかった気がする。
「どうかしました?」
「…あ、いや」
つい思案に耽ってしまい、フィンの不思議そうな声で我に返った。
「普通の食物が口に出来ないわけじゃないでしょう?」
「…まあ、多少は」
吸血鬼の主な栄養源は人間の血だ。それがなければ生きてはいけない。
だが、ほかの食物をまったく受け付けないわけではない。
酒とかコーヒーとか、嗜好品は好き嫌いはわかれるものの好きなやつは好きだし、人間が口にする食べ物を食べられないわけでもない。
「お酒は飲めます?」
「…まあ、飲めるけど」
「飲めたとして酔いますか?」
「…いや、酔いはしねえけど。
なに聞きたいの?」
「いえ、味覚は人間とどうちがうのかなとか、嗅覚や聴覚はどうちがうんだろうとか知りたくて」
「そんなん聞いてどーすんだよ」
悪魔祓いの役には立たねえだろ、と怪訝な顔になったレンドーサにフィンは至極まじめな顔で、
「いえ、単純に私が吸血鬼の生態を知りたいだけです」
と答えた。
「はあ?」
「さっき、私は最初から神父になるつもりじゃなかったって言いましたよね。
学者になりたかったんですよ。ほんとは。
悪魔と言っても、いろいろな種類があるでしょう?
きみみたいな吸血鬼とか、種族によって身体の構造とか必要とする栄養素とか形態が異なるわけで、私はそういうのを調べたいんです。
今回、きみに会えたのは幸運でした。
吸血鬼にも偏食というものがあるとわかりましたからね」
いつものように前髪をいじりながら微笑んだフィンに、レンドーサはすぐになにも言えなかった。
純粋に驚かされたからだ。
「…あんた、ほんと変人て言われんだろ」
「あ、わかります?」
「わかるっつの。
悪魔なんて調べてどーすんだ。
あんたらとはちがう異端の存在だぞ」
「そこが疑問なんですよ」
「あ?」
フィンは一口紅茶を飲むと、カップを手に持ったまま真っ直ぐにレンドーサを見つめて続ける。
「なんできみたち悪魔だけ、生物じゃないってべつのカテゴリーに入れちゃうんでしょう。
大雑把に言えば、人間やほかの動物もみんなちがう生き物でしょう?
それぞれ必要とする食べ物もちがう、姿も違えば身体の構造もちがう。
そんなの当たり前のことです。
なのになぜ、きみたち悪魔だけが異端になるんです?」
至って大真面目に言ったフィンに、レンドーサはさすがにあんぐりと大口を開けたまま固まってしまった。
レンドーサはそれなりに長く生きている。人間から見れば気が遠くなるような歳月を。
にも関わらず、はじめて会った。こんなとんでもないことを言う人間には。
「…………あんた、それは」
いくらなんでもおかしいだろ。神父がなにを大真面目におかしなこと言ってんだ、とかすれた声で言いかけたレンドーサを遮ってフィンは言葉を紡ぐ。
「いやだって、変でしょう。
極端な話、人の生き血を吸う生き物なら蚊とか虫でもいますよね?
人の血肉を喰らうのはほかの獣だって同じでしょ?」
「…いや、悪魔は明らかにほかの生物にはない力があんだろ」
「それは人間が扱う科学となにが違いますか?
動物から見れば我々人間が使うガスも炎も、魔法のように見えるのでは?」
どうにか反論するもフィンはあっさりとそれを否定する。
まるで人間も悪魔と同じだと言わんばかりに。
「人間だって生きるために他の生き物を殺して喰らいますよね?
また生きるためでなく、自分たちの快楽や娯楽のために狩ることだってある。
なんの罪もない獣を殺し、毛皮を剥いだり剥製にして飾ったりしますよね。
それは、きみたち悪魔が人間にすることとどれだけの差がありますか?
寿命だって、人間の寿命は動物の寿命より遥かに長い。
人間から見た悪魔とさして変わらないのでは?」
「………………………」
絶句した。
最早言葉が浮かばなかった。
悪魔の自分をして、信じられないと、あり得ないと思えるようなことをフィンは至極真剣に言ってのけるのだ。
なんだこの男は、と心底思った。
言葉を失って硬直したレンドーサを見て、フィンは形の良い唇にかすかに笑みを浮かべてこう締めくくる。
「人間から見た悪魔と、動物から見た人間は、同じおそろしい怪物に見えているかもしれない。
───人間と悪魔に、大差なんてありませんよ」
それはおおよそ聖職者が──いや、人間が口にしていい、するべきではない言葉だった。
「……………あんたそれ、普通の人間に言ったら変人じゃなく狂人って思われるぞ」
おそらく数分が経ったあと、やっとのことでレンドーサが絞り出した言葉にフィンはにこりと神のように麗しい微笑を浮かべて、
「ええ、もちろん。
私は狂人ですよ」
と悪魔のような台詞を口にした。
その後、レンドーサは教会の外の、積み上げられた木箱の一つに腰掛けてまだ明るい空を見上げていた。
やはり身体が楽だ。貧血というほど、身体が重く辛い、ということもない。
どうしてだろう。フィンに会うまであんなに飢えていたのに。
にしても、フィンはレンドーサの想像以上におかしな人間だった。
あんなことを至極まじめに言うなんて、いったいなにを考えているのか。
いや、そもそもまともな人間は悪魔を話し相手にはしないだろうけど。
そんなことをつらつらと考えていたら教会にやってきた母娘二人と目が合った。
ぱっと見、体格が良く強面のレンドーサを見て母親のほうはかすかに臆したようだったが、幼い娘のほうは好奇心旺盛なのかかまわずレンドーサに近寄ってくる。
「お兄ちゃん、だれ?」
「…あー、旅人、の、居候?」
少女の無邪気な問いかけにレンドーサはちょっと悩んでそう答えた。
ほかにどう答えろと。
「あ、旅人の方なんですか?」
「あー、まあ。
…腹減って行き倒れてたとこを、助けてもらった、つか」
「そうだったんですね」
慌てて駆け寄ってきた母親がレンドーサの返答を聞いてあからさまにほっとする。
「神父さまはおやさしいですから」
「…あの、あのひと、そんな有名なの?」
「ええ。この近辺では。
なにせ悪魔祓いも出来る神父さまですし、神父さまに助けていただいた者は大勢おりますもの」
母親はフィンの容姿に惚れて心酔しているというより、純粋に感謝し、尊敬している風だった。
「…ふーん」
「とても素晴らしい方なんですのよ。
この子も神父さまに助けていただいて」
「この子も?」
「ええ、以前───」
母親が敬愛と信頼を宿した瞳で語ろうとしたところで、フィンが教会の中から姿を見せた。
「ああ、いた。
暇なら掃除くらいは……と、こんにちは」
「こんにちは。
神父さま」
箒を手にレンドーサに言いかけ、母娘に気づいて軽く会釈する。
母親に続いて娘も「神父さまこんにちは!」と満面の笑顔で挨拶した。
「この間はありがとうございます。
おかげさまで娘もすっかり元気になって」
「それはよかったです。
またなにかありましたらいつでも来てください」
「はい。ありがとうございます」
母親はフィンをまるで神様を見るかのようなまなざしで見つめていた。
そのあと少し話して、家の畑で取れた野菜をフィンに渡して母娘は帰っていく。
「なんかあったの?」
「…ああ、娘さんが風邪を引いたときにちょっと。
小さな街ですからね。
満足に医者もいなくて、私は神父になる前、学者になりたくて医学も少しかじったことがありましたから」
「ああ」
なるほど。それであんなに感謝してんのか、と納得した。
確かに小さく寂れた街だ。見た感じ、診療所もないようだった。
それに街を支える産業もろくになさそうな、有り体に言って貧しそうな街だ。
医師がいたとして、普通の住民は医師に診せる金もないはず。
そこに多少は医学の心得がある神父がいれば、それは頼りにされるだろう。
「それで、暇してるなら掃除くらいしていただきたいのですが」
「はあ?
なんで」
「なんでって、食事はともかく住居は提供しているんですから掃除くらいいいでしょう?
庭だけはやたら広いので、私だけじゃなかなか終わらなくて」
「めんど…」
億劫そうに言って立ち上がった、ときだ。
ふわ、と鼻腔をくすぐった甘い香りにどくり、と心臓が脈打った。
反射的にフィンの手を掴めば、彼が驚いたように目を瞠る。
「どうしました?」
「……あんた、なんかつけてる?」
「はい?」
「なんか、甘い香りがする…。
香水とか…」
「つけるわけないでしょう?
聖職者が」
「…だよな」
レンドーサ自身、口にしてから「ないわ」と思った。
聖職者がそんなものつけてるわけないだろ。
「あ、まさか聖水の匂いをそう感じたんじゃありませんよね?
きみ」
「そこまでバカじゃねえっつの」
「ならいいですけど。
聖水が効果ないのは知ってますが、いい匂いだと感じるようじゃきみ、悪魔として相当おかしいですからね」
「あんたに言われたくねーよ」
フィンの手を離して素っ気なく言う。
悪魔と人間を同じだというような頭のおかしいやつに言われたくない。
そう込めて告げれば、フィンは軽く瞬きをしたあとくす、と上品に───けれど妙な色香を含ませた微笑を浮かべて、
「ええ。
きみと私は同じですよ」
と、やけに意味深な口調で告げた。
「…え」
「“同じ異端なもの”」
フィンはさっさと教会のほうに足を向けると、一度立ち止まって肩越しにこちらを振り返り、そうささやくように言葉を落とす。
「だから、きみを助けたのかもしれませんね」
そう言って髪をいじりながら笑うと、軽やかな足取りで教会の中に入ってしまう。
それを見送ったまま、しばらくその場に立ち尽くした。
動けなかった。
動けなかったのはその艶やかな微笑に見惚れたからなのか、その妖しい言葉に心を揺さぶられたからのか。
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街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、
ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。
だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。
再会は望まない。
今はただ、この子との生活を守りたい。
これは、番から逃げたオメガが、
選び直すまでの物語。
*不定期連載です。
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※現在同時掲載中の「捨てられΩ、癒しの異能で獣人将軍に囲われてます!?」の元ネタです。出しちゃった!
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どこからでもかかってこいや!
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カイタ、エブリスタにも掲載しています。
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