【完結保証】超能力者学園の転入生は生徒会長を溺愛する

兔世夜美(トヨヤミ)

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第五章 皮一重の喜劇

第三話 共犯者の企み事

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「村崎っ!!」
 NOA男子寮、309号室。
 大声で部屋に飛び込んできた同室の友人に、リビングで雑誌を読んでいた村崎志津樹は顔を上げて、何事だという顔をした。
「お前、なにしてんだよ!」
「は? なにが?」
 ものすごい剣幕で問いつめる高尾というルームメイトに、志津樹はついていけずに怪訝な顔をした。
「聴いたぞ!
 お前が三年の岩永って男の先輩に告白したって!」
「…………」
 高尾の言葉を聞いて、志津樹は無表情でポケットからスマートフォンを取りだした。
 その待ち受け画面をじっと見る。
「おい、人の話聴いてんのか?」
 志津樹の行動をいぶかしんだ高尾が尋ねたのと同時に、志津樹はスマートフォンの画面を閉じて、机の上に置く。
「噂流れるの早くない?
 俺、もう丸一日経ったのかと思って日付確認したよ」
 のんびりとした口調で、しかし確かに驚いた様子で志津樹は言った。
 高尾はそれに脱力して、呟く。
「そうだよな。お前そーゆーヤツだ…」
「どうも。
 で? 早くない?
 告白したの今日の放課後だよ?」
「俺からしたら転入した当日に先輩に告白するお前が“早い”よ」
 高尾は頭を抱えて床に座り込んでから、呻いてまた立ち上がる。
「人の多い場所で告白しただろ。
 加えてあの先輩は有名人らしいし」
「…あー、そういやたくさんいた」
「だったら人気のない場所まで踏みとどまれ」
 志津樹は頭を掻いて、「うーん」と呟く。
「…兄さんが見ようと思えば見れる場所じゃないと、意味ないと思ったんだよ」
「…は?」
 高尾には意味不明なことを言って、志津樹は悩んだ。
「確かにあの人のこと好きだよ。
 だから告白したんだし。
 だから余計わかんない」
「…お前の言ってることがわかんねー」
 兄から何度も聞いた“嵐”の話。
 あまりに賛美するから、志津樹の中でも美化されていた。
 賛辞の半分は兄の欲目だとわかっていたが、それでも兄の人格を信頼している。
 あの兄がここまで惚れ込む時点で、さぞ立派な人なんだろうと思った。
 一言も兄から聴いていない。
“嵐”と別れたこと。記憶を失っているということ。
 だから、出会って信じられなかった。
 兄は、あんなに愛していた相手を、記憶を失ったからと捨てるような人だったろうか。
 一年しか経っていないのに、その相手への愛情を完全に捨てきれる人だったろうか。
 岩永が自分の好みのタイプで、“好きになってみたい”と思ったことは否定しない。
 だが、半分は、岩永の言い分を嘘だと確かめたかった。
 人の多い放課後の中庭。
 兄がもし目撃すれば、止めに入ると思った。
 でも、兄は来なかったし、今も自分の部屋に来ない。
 問いつめもしない。
 高尾が知っているなら、噂だって聞いているはずだ。
 兄だけの異変なら、自分の思う兄と現実の兄は違ったというだけだ。
 しかし、岩永の方もわけがわからない。
 抱きしめただけで、泣きそうな顔をする。
 兄を覚えていないなら、いくら好きじゃない相手であってもあそこまで怯えない。
 精々戸惑うくらいで、ましてあっちは先輩で、「からかうな」と笑う余裕くらいあるはずだ。
 男として自尊心があるなら、尚更余裕を持って振る舞うはずだ。
 あの反応は、「恋人がいて、恋人を裏切ってしまった」ような反応じゃなかったか?
 でも記憶がない?
 それが本当なら、余計おかしい。
 なんで、あの人は兄を好きなんだ?
 兄を恨むことなく、なんであんな綺麗に「好き」だなんて言える。
「…ほんっとわかんない」
「俺もわかんねーよ。お前が」
「真面目に聴いてよ。
 俺の問題でつまづいてる場合じゃないんだから」
 志津樹はソファの背もたれに寄りかかって、天井を仰いだ。
「…あ、そうだ。
 お前がなんか“吾妻二号”って呼ばれてたんだよ」
 高尾がふと思い出した風に言った。
「なにそれ」
「今年四月に転校してきた三年の“吾妻”って人が、出会ったばっかの生徒会長に告白して、バトルったんだって」
「…それもまたわっかんない」
 なんで告白したあと戦うんだ?と志津樹は首をひねる。
「………ちょっと待って。
“吾妻”? 吾妻なに?」
「下の名前はわかんない。けど、今年の転校生で三年生だから、可能性はある」
「……」
 高尾の言葉に、志津樹はまた天井を仰いだ。
 お互いしばらく黙る。沈黙が落ちる。
 志津樹がふと呟いた。
「…はやく会いたいな」
「な」
 二人で顔を見合わせて、言葉にした。待ち遠しいように。
「一体いつNOAに来るんだろう。…藍澤さん」



「……………」
 寮の202号室。
 寝室で頭を抱えていると、扉がノックされた。
 寝室の扉をノックしたのが、流河だとわかるので、岩永は了承の返事をする。
「平気…?」
 流河が気遣った顔で部屋に入ってくる。後ろ手で静かに扉を閉めてから。
「…それは、もうばれとんねんな…」
 寝台に座ったまま、岩永は呟いた。
 自分が気落ちしている理由を、流河は知っているのだろう。
 まだ、志津樹に疑問をぶつけられたその日の夜なのに。
 しかし、流河は情報通だ。
「…いや、ね。
 実はさ、抱きしめられたとこをばっちり目撃しちゃったんだ。
 校舎の上からだったから、止めに入れなくてごめんね?」
 流河の気まずそうな言葉に、岩永は驚きでよっぽど噴くかと思った。
 なにも飲んでなかったから噴かなかったが。
「見たん!?」
「ご、ごめん。まさかあんなことになると思わなくて」
「流河が噂……なわけないわな。ごめん」
 自分と一緒でいろんなことに驚いている風な流河の顔を見て、岩永は言葉を途中で撤回した。
 悪い、と表情と声で心底語る岩永に、流河はふと柔らかく微笑んだ。
「大丈夫だよ。わかってる」
「…おおきに」
「…まあ、噂の広まりは早かったけどね。しょうがないんじゃない?
 時間帯が時間帯だったから」
「せやな…」
 流河も岩永も吃驚したことだが、既に生徒達の間で「岩永が二年の転校生(男)に告白された」という噂が流行中だ。
 あの時の時間帯が、まだ生徒が多く校舎に残っている時間だったせいだろう。
 窓の外を見ている生徒も多かっただろうし、コートでゲームをしている生徒も多かった。
「…そ、それにそんな大反響じゃなかったし!」
 沈んだ空気に流河は焦ってそう言う。岩永は首を傾げた。
「あのね、本人にすっごく悪いんだけど、“二番煎じ”扱いであんまみんな驚かなかったみたい」
「…二番煎じ?」
「ほら、前科者がいるじゃん。
 転入前日に生徒会長にプロポーズしてバトルったのが」
 腕を組んで苦笑した流河の言葉に、岩永はすごく納得した。
 思わず「あ、あー…」と長く伸ばした声が漏れる。
「吾妻クンの二番煎じみたいな感じなんだよみんな。吾妻クンの方がインパクト強かったからさ。
 だから、そんな騒がれないと思う」
「……吾妻に感謝?」
「しなくていいよ。あの時、彼はそんなつもりなかったんだし」
「それもそやな」
 頷いて、岩永はふう、とため息を吐く。
 少し、先ほどよりは落ち着いて。
「よかった。少しは整理できた?」
「ん? ああ、ありがと」
 流河がポケットに入れていた缶ジュースを手渡したので、岩永は両方の意味で礼を述べる。
 プルタブを開けて喉に流し込んだ。
「ただ、これで村崎に変なこと言うヤツがおるんやないか不安」
「変な?」
「…俺と付き合っとったやんか? …確か。
 それをみんな知っとるし。村崎、変なこと言われへんかな…」
「…大丈夫だよ」
 缶をぎゅっと握って、不安げな顔をする岩永に、流河は笑いかけた。
「せやかて」
「大丈夫。確かに、そんな無神経なヤツがいないとは言い切らないよ。
 でも信用して欲しいな。
 キミの周りには俺や白倉クンたち、仲間いっぱいいるじゃん。
 みんながそういう連中ほっとくかい?」
 寝台に座った岩永の前にしゃがみ込み、安心して、と明るく笑う。
 岩永はその笑顔に、堪らなくホッとした。
「…そやな」
「ね? だいじょーぶ」
「うん」
 にっこり微笑みかけて、流河は内心思う。
 心配するのは、あくまで村崎への迷惑で、それによって村崎がどう思うか、という展望はないんだな、と。
「…ねえ」
「ん?」
「つかぬこと聞くけどさ」



 それは流河が問題のシーンを目撃するおよそ数十秒前。
 職員室の傍の廊下で、窓の外を見ている吾妻と白倉を見つけた。
「あ、白倉クンに吾妻クンー! 二人揃ってどーしたの?」
 明るく笑いかけた流河に、吾妻だけが視線を寄越して指で窓の外を指す。
「? なにかあるの?」
 流河が首を傾げ、窓の傍に立って外を眺め、岩永の姿を発見したまさにその瞬間だった。
「「「!!?」」」
 驚きは三人分。
 岩永の肩を掴んだ志津樹が、岩永を抱きしめて、突き放された。
 岩永の茫然自失顔がここからでもはっきり見える。
 それから考えても、今のは間違いなく。
「…………告白、された…?」
 流河がおそるおそる、引きつって聞いた。
 白倉と吾妻は窓から視線を逸らさぬまま、
「された、なぁ…」
「されたね…」
 と答えた。
 志津樹が軽く頭を下げて、岩永から離れていく。岩永は見送るでもなくその背中を見遣って、まだ呆然としていた。
「はい、白倉会長」
 流河が手を挙げて、唐突に言った。
「なんだいきなり」
 窓の外から視線を逸らさないままの白倉に、流河は未だ引きつった顔で問う。
「現状把握しましょう。
 あれは二年の転校生だね?」
「そう」
「村崎クンの弟クンだよね?」
「そう」
「…憶測だけど、遊びであんなことする性格じゃないよね?」
「静流がやたら褒めてた弟クンだから、ないな」
「……じゃ、本気ってことだね?
 岩永クンにそういう気持ちがあるってことだね?」
「十中八九」
 聞いている吾妻は、内心よくそんなぽんぽん質問を思いつくなと思う。
 頭の回転は自分も速いが、弁があまり立たない。
 流河は両方長けていそうだ。
「オッケー。状況整理完了。
 吾妻クン、白倉クン」
 流河はぱん、と手を響かないように叩くと、二人を見つめてにっこり微笑んだ。
 どこか魔性という言葉がぴんと来る、艶やかな笑み。
 流河は普段、明るく人懐っこい笑みばかり浮かべているから、そんな顔をされるとその気がなくともドキッとする。
「村崎クンがどんな状態になってても、手出し無用ね。
 俺と優衣クンで全て請け負います。
 岩永クンと弟クンにはノータッチでよろしく」
「……流河?」
 うっかりドキッとしてしまった白倉は、反応が遅れて、歩き出した流河に慌てる。
 流河に眼を惹かれた白倉になにか言いたげにした吾妻も、流河を呼び止めた。
「なにするの?」
 流河は足を止めて肩越しに振り返った。やはり、魔性を秘めたような顔で。
「いい加減、村崎クンが馬鹿でやんなっちゃうの。
 だから、鬼だけど村崎弟は村崎クンのカンフル剤として利用します」
「……え」
「俺は、まだおとなしめな方よ?
 優衣クンとか、もっとやばいからね☆」
 流河は最後にウインクして、いつものように明るく笑う。
 そして固まっている白倉と吾妻を置いて歩いていってしまった。
「………あれ、やっぱり、村崎って岩永のこと…」
 その場に残されて数分後。やっと我に返った吾妻がそう呟いた。
 以前から気になってはいた。
 村崎の岩永への感情。
 嫌っている、疎んじているというよりは、未練を抱えすぎた結果冷たい態度になっているような気がして。
 あと、村崎は未だにあの事件に苦しんでいる様子だった。
 岩永のことを吹っ切っているとは思えない。
「…好き、だろうな」
「だけど…」
 白倉の背中を見つめ、吾妻は言葉を一旦切る。
「…避ける理由が」
 言いかけて、吾妻は口をつぐんだ。
 岩永が記憶を失った。それだけでも充分だ。
 だけど、「今の岩永も、村崎を好きなのに?」という疑問が頭を掠める。
 自分のことを全て忘れた。それだけで充分すぎるのに。
「……だから、」
 白倉は全てわかったように、苦笑した。
「流河や御園は、今の静流が嫌いやねん」



「――――村崎クンが、それに嫉妬するかも、って考えない?」
 真顔で、下から見上げられて問われ、岩永は一瞬、理解の及ばない顔をした。
「……れはないわ」
 そして、理解すると、傷付いた顔をする。
「…ごっつ、嫌われとるもん」
「未練があるかもしれないじゃん」
「あらへん。…報いないん、ようわかっとるもん」
 そうだ。
 自分は、報いがないことをよくわかっている。
 記憶の最初から、村崎は冷たかった。
 そうだ。
 優しくされた記憶も、笑いかけられた記憶もない。
「……なあ」
 泣きそうになりながら流河を呼んだ。
 流河と視線が合う。
「…俺、なんで村崎が好きなんやろ…」
 心細げに言うと、流河は目を瞑った。
「…わかっとる。そうや。わかっとるんや。
 村崎が絶対俺を見ぃひんこと。
 俺が村崎の記憶を思い出さへん限り、絶対俺を見ぃひんってこと。
 どうあっても“今”の俺ではあかんってこと」
「…岩永クン」
「ほな、やのにどうして俺は村崎を好きになったんやろ…」
 不安そうに揺れる岩永の表情を見上げて、流河はため息を吐きたくなった。
 村崎がしっかりしていれば、こんな疑問を岩永が抱く必要もないだろうに。
「意地悪な言い方するけど、理由がわからなかったら、村崎クンを好きではいられない?」
「……」
「キミも、記憶がなければ恋愛は出来ない、と言うかい?」
 流河は微かに呆れている様子だった。
 自分の発した言葉の矛盾に気づいて、岩永は息を吐く。
 流河の言葉を聴いている間、息を止めていたらしい。
「…あかん」
 そう答えると、流河はひどく驚いた。
「…記憶がなくても好きなんやもん。
 理由わからんけど、好きなんやもん。
 …好きやからしゃあないねん」
 言葉を続けると、流河は瞬きして、それから安堵したように笑う。
「…そうやな。
 記憶なくて、理由わからんけど、どうしても俺は村崎が好きやねん。
 わからんからって、じゃあやめるなんて出来ひん」
「うん」
「好きやから、好きなんや」
 はっきりと言葉にする。
 流河は立ち上がると、岩永の頭を優しく撫でた。
「うん。よくできました」
「…おおきに。助かった。あやうく迷走するとこやった」
「いーえ」
 流河は柔らかく微笑んで、小さな声で言う。
「ほんと、キミはえらいよ。
 誰かさんに、見習わせたい」
「…それ、村崎?」
 岩永の問いにも、流河は微笑んだままだ。
「好きなら、好き。
 それだけでいいのに、ね」
「…………」
 流河の呟きが誰に向けられているのか、岩永はわからずに首を傾げた。
 村崎だろうか。
 でも、そんなはずはないか。



 拳が壁にめりこむ音がした。
 たまたま運悪く廊下を通った生徒たちがびびる。
 その人物を見て、怯えて離れた。「ほら、村崎は岩永と」「岩永って今日」とか話す声が遠ざかる。
 村崎は重く息を吐いて、握りしめた指を解くと、壁から離す。
 よりにもよって、自分の弟が岩永に告白するなんて。
 あの弟だから、遊びやその場の流れはありえない。
 本気だと、誰より自分がわかる。
 だから、嫌だ。
 心穏やかでいるには、岩永への思いは、根が深すぎて。
「うっわー。壁えぐれとるやん」
 眼前でした声に、村崎はハッとして前を見る。
 優衣がそこに立っていた。
 村崎の視線に、にこりと微笑む。
「なに怒っとるん?」
 流河と優衣は自分への態度が似ているが、流河と決定的に違うのは、優衣の方がより毒舌できついという点だ。
 嫌味を隠さない。
「…知っとるクセによういうわ」
「え? それこそなんで?
 岩永って、自分はもう嫌いなんやろ? なに怒るん?」
 苛々する。怒りが刺激される。拳を握って堪える。
 優衣の言葉は、常に自分に対し直接的で攻撃的で、痛い。
「…あー、そっか。ごめん」
 不意にわざとらしく謝った優衣は、明るく笑った。
「逆やんな?
 大好きな弟クンが、嫌いな男に告白したんが嫌、てことか」
 傷を抉るような台詞に我慢は切れた。
 拳を握った手を、避けようのない距離に立つ優衣の顔面に振るった。
 だが、迫った拳を前に優衣は不敵に笑む。
 その姿は一瞬で消えて、拳は空を切る。
 村崎から百メートル以上離れた向こうの自販機の影から、優衣の姿が飛び出した。
 とん、と床に着地して、優衣は得意げににやにやとしている。
「わかっとるやろ?
 俺の能力はいろんな意味で、自分と相性悪いねん。
 俺の方はええけど」
 村崎は唇を噛んだ。自分が力を使っても、通用しない。
 優衣と自分の能力は、優衣の言うとおり相性が悪い。優衣にとっては勝ちやすく、自分にとっては負けやすい。
 たまに超能力で、どうあっても勝てない能力がある。
 それは、戦い方や使い方、能力的にどうしても相性が悪いからだ。
 自分と優衣の能力は、そういう関係に当たる。
「で? どないするん?
 そいつはやめとけ――――て言う?
 自分と岩永。もうなんの関係もあらへんのに?」
「黙れ」
「嫌やわ。黙らへんよ。
 やって、一度二度忘れられたくらいでそっぽ向いて話もせぇへん。
 あいつが一番きっつい時に逃げ出した。
 最悪の腰抜けの言うこと、誰が聞くかいな」
「――――黙れ!」
 村崎が怒鳴って、手を振るった。
 床から出現した岩が襲いかかる前に、優衣の姿は消えている。
 息も荒く、村崎は傍の壁を叩いた。
「…黙れ」
 その場には、自分しかいない。
 誰にわかる。
 全て、消えてしまった。なにもかも、自分が。
 彼の中で。
 殺されてしまった。彼の中で、彼の中の自分が全て。
 自分への思いも、なにもかも。
 あの日の、自分を好きでいてくれた彼はいないのだ。
 一度二度?
 他人に、なにがわかる。



「…あ」
 岩永が不意に、声を上げた。
 流河が紅茶を煎れている時だ。
 岩永は寝室で、学校で使っている鞄の整理をしていたらしいが、寝室から出てきた彼は青ざめていた。
「お守り見てへん?」
「お守り…って村崎クンに昔もらったヤツだよね?
 ないの? 俺は見てないけど」
「…あらへん。どこにも」
「………」
 岩永は泣きそうな顔で、その場にしゃがみ込んだ。
「どないしよ…村崎が拾ったら、絶対捨てられる……」
「……や、うーん。
 でも、さ。他の人が拾う可能性も高いじゃん?」
 流河はさっきの台詞を繰り返す。
「キミには味方が多いんだから」
 そう言って、笑いながらも、思う。
 もしそれが、村崎を動かすのに利用できるなら、する。
 鬼でもいい。
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