【完結保証】超能力者学園の転入生は生徒会長を溺愛する

兔世夜美(トヨヤミ)

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第六章 DEAR

第三話 カンパネラ Episode1:これからずっと

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「制限時間頭になかったわー」
 一応『お化け屋敷』らしいあのアトラクションを後にして、広い園内を見て回る。
 夕は余程クリアしたかったのか、制限時間についてぶつぶつと言っていた。
「まあまあ、とりあえずなんか飲まへん?」
 白倉が、遊歩道のあちこちに出ている飲食店を示した。
 空の強い日差しに目を細めながら、岩永は「ジュースだけやと足りひん気もする」と言う。
「だけど、まだお昼には早いね。小腹は空いてるけど」
 吾妻の言葉に、岩永も頷く。
「ほな、アイスは? そこにありますやん」
 明里が近場にあったアイスの露店を指さした。
 クレープもあるみたいだし、と。
「クレープ。いいな。そんくらいがちょうどいい」
「ほな頼みましょ」
 ぱっと顔を輝かせた夕に、明里も嬉しそうに笑う。
「俺はアイスでいいかな」
「うん」
 白倉が呟くと、隣に立った吾妻が頷いた。
 白倉は「?」と首を傾げる。
「今のなに?」
「なにがいい? 買って来てあげるよ」
 にっこりと優しく微笑まれ、白倉は頬を赤くする。
「え、でも」
「こういうことは彼氏がするもの」
 にこにこ嬉しそうに言い切られ、白倉は口元を押さえて俯く。
「前から夢だったから、好きな子とデートで自分がアイスとか買ってきて~っていうの」
「もういいから買ってこい!」
「はい」
 ひたすら上機嫌に語る吾妻の背中を叩いて、白倉は背中を向けた。
 恥ずかしいヤツめ、と思う。
「嵐は?」
「自分で買うから」
 村崎は買うのか訊いただけだったが、岩永に先読みされて断られ、若干面白くない。
「………お前、オレンジ好きやったな」
「え、いや、ええってかまへんからー!!」
 正直むかっとしたので、返事を待たずに店に向かったら、背後であわてふためいた岩永の声。
 なんとなく振り返ると、泣きそうな顔でぶんぶんと首を左右に振っている。
 嫌がっているというか、真剣に恥ずかしがっている。
 村崎は小さくため息を吐くと、足を返して岩永の傍に戻った。
 岩永がホッとする。
「わかった。自分で買って来ぃ」
「…うん」
「儂の分も」
「ええっ!?」
 安堵しながら、少し寂しく思ったのも一瞬で、村崎の台詞に驚愕する。
「…なに頼むん?」
「クレープとアイス」
「持てへんもん」
 非常に困惑した顔で、泣きそうな口調で言われて、村崎は岩永の頭を撫でた。
 岩永がきょとんとする。
「ほな、一緒に買い行くか?」
 優しく笑って訊くと、岩永は見るからに安心して、微笑んだ。
「うん」
「わかった」
 その二人の様子を見ていた夕は、傍の明里にこっそり囁く。
「あれ、最初から『一緒に行く?』って誘ったら嵐断ったよな?」
「ですね」
「…静流さん、わざと?」
「いえ、ほんまに吾妻先輩みたいな彼女に飲み物買ってくる彼氏をやりたかったんやけど、岩永先輩があれなんで妥協しただけちゃいますん?」
 明里の淡々とした意見に、夕は反論もなく頷く。
「難儀だな…」
 夕はため息を吐いて呟いた。
「難儀なのはどっちですか」
「は?」
「相変わらず人のことばっかで」
 見ると、明里はむすっとして、俯いている。
「俺のことさっさと誘わんかったことやって、結局白倉先輩や岩永先輩が心配やったからちゃいますん?
 村崎先輩の弟のこともあったし」
「……なんだ? 嫉妬してんの?」
 ぶつぶつ不平を漏らすと、夕は真顔でそう訊いてきた。
「はあ!? なんでそうなんの?」
「いや、そう聞こえて」
 しれっとしている夕に、明里は余計苛立った。
「自意識過剰ちゃいますか!」
「ちがうって。お前がかわいいから」
 苛立ちのままに怒鳴ってやろうと思ったが、夕が本気の声でそんなこと言うものだから、頭が真っ白になった。
「白倉や嵐も心配だったけど。
 ほんとにすぐ誘わんかった理由は、シミュレートの中でお前がいっつもむちゃくちゃかわいいもんだから、妄想とはいえ俺の心臓が持たなくてな。
 やから、できるだけ破壊力のない方法を探したんだけど、お前なにしてもかわいいし」
「………もうええです。その口閉じてください」
 言い訳ならばすぐに頭を叩いて黙らせる。
 が、夕の声音や澄んだ瞳から、紛れもなく本当だとわかって、明里はとても恥ずかしい。
 毎日、この人はあの害のなさそうな顔でそんなこと考えてたのか。
「…むっつりすけべ」
「俺、することしたいてはっきり言うからむっつりではないな?」
「ほなただの助平!」
 指さして怒鳴ったら、夕はにっこりと、太陽みたいに綺麗に微笑む。
「お前に関しては、上等」
 あっさり喜んで肯定され、明里はその場にしゃがみ込んだ。
 顔を膝に押しつけて隠した。
 だって、恥ずかしすぎるこの人。
「白倉、はい、バニラ」
 コーンのバニラアイスを両手に持って、吾妻が戻ってきた。
 まだ顔が赤い白倉は、手で仰いで熱を冷ましていたが、吾妻を見上げて余計に赤くなる。
「ありがとう…」
 遠慮がちに手を伸ばしたら、その手に吾妻が、アイスを強引に握らせた。
 そのうえ、指まで絡めてきた。
「うぇあっ!」
 悲鳴を上げたが、吾妻はにこにこと笑って動じない。
 手を振り払えない。手の中にはアイスがあるからだ。
 こいつ、人質のつもりか。
「白倉の手は、本当に綺麗だね~」
「うあ、…溶けるからっ」
「うん。
 そしたら舐めてあげるよ」
 白倉は耳まで赤くして、首を左右に振る。
「…なに? 朝はあんな大胆…」
「わ――――!」
 吾妻は若干九生じゃないか疑わしくなったが、白倉が絶叫したため、びっくりした。
 ひどく真っ赤な顔やパニックしたような表情から、あれは白倉本人らしいとわかる。
「恥ずかしい?」
「…俺が、主導権握っとる時はいいの~……!」
 半泣きで白状する白倉に、吾妻の口元が緩く笑んだ。
 なるほど、確かに、女になった時もひどく混乱していた。
 吾妻が主導権を握っていたからだ。
「大体、夢ってなに?
 お前、デートくらい何度も…」
 していたんじゃないのか。いかにもモテる顔をして。
「その否定はしないけど、『好きな人』とデート、ははじめて」
 吾妻は言葉を句切って、強調して言う。
「言ったでしょ?
 あの日っから、白倉だけを、想ってた…」
 瞳を真っ直ぐに見つめられ、熱く囁かれて、白倉の全身が熱くなる。
「その瞳を、声を、表情を思い返して、何度も、」
「あ」
 吾妻はアイスを持っている白倉の手をなぞって、持ち上げる。
「瞼の奥で、繰り返した。
 この手に触れられる奇跡を夢見て、なにも惜しまなかった」
 アイスを持った白倉の指先を、舌先で舐め取る。
 白倉は真っ赤な顔で吾妻を凝視して、動けない。
 いやらしく微笑んで見せても、アイスがある以上、振り払えないのだ。
「…だけど、白倉と過ごす毎日は、どの瞬間も、奇跡だよ」
 手を解放して、にっこり微笑んで告げる。
「どの時間も、かけがえない。
 一瞬たりとも、忘れないよ」
 潤んだ翡翠の瞳が、自分だけを見てる。
 逸らさない。それが、至福だ。
「……」
 やがて白倉は、ぽつりと呟いた。
「俺だって、お前のこと、忘れるか…」
「白倉」
 口元に手をやって、少しだけ視線を逸らす。
「僕を見て」
「あっ…」
 逸らされた視線が気にくわなくて、吾妻は白倉の頬を撫でた。
 自分の方を向かせる。
「僕だけ、見て」
 優しく両手で頬を包んで、吐息で囁く。
 白倉は泣きそうなくらい瞳を潤ませ、恥じらいながら頷いた。
「…俺も見てたいもん」
 掠れて甘い声が囁く。
 抱きしめたくなったが、アイスが邪魔だ。
「…俺、アイスの好み言わなかったけど、読んだんだろ?」
「あ…。ごめん」
「いいよ。いい」
 ハッとして謝罪する吾妻に、白倉は首を左右に振った。
「お前になら、ずっと読まれててもかまわないから……」
「…白倉…!」
 白倉の可愛らしい告白に、吾妻は頬を染めて感激する。
「白倉、もう一回、言って欲しい…」
「…お前なら、心全部、見てもかまわない…よ?」
 自分を真っ直ぐ見上げて告げる白倉に、たまらなくなって手を伸ばす。
 白倉がさっとアイスを持っている手を避けて、吾妻に抱きついた。
「可愛いね、白倉」
「吾妻になら、何回でも言われたい……」
「言ってあげる。一生」
「…吾妻」
 幸福一杯の顔で抱き合って、数十秒。
 吾妻はふと、白倉を離してアイスを見た。
「ああ、溶けてしまったね」
 バニラの白い液体が、白倉の手を流れている。
「まだ大丈夫だ」
 白倉はにっこり笑って吾妻を安心させた。
「吾妻が、舐めてくれるんだろ…?」
 アイスを持った手を吾妻の方に差し出すと、吾妻は破顔して、頷いた。
「もちろん…」
 白い手を取って、肌に零れたアイスに舌を這わせた。
「…吾妻、くすぐったい」
「そう…?」
「思い出すわ…」
「なにを?」
「ほら、あの日の、吾妻の手とか、やらしかったし…」
「ああ。そのうち、あれ以上してあげる」
「…吾妻」
 などと、バカップル街道まっしぐらに熱々な会話を繰り広げる吾妻と白倉から離れたベンチ。
「どうなのあれ?」
「嫌がっとりましたよね、最初は」
 クレープ片手の夕の言葉に、アイスのスプーンを持った明里は呆れきって同意を求めた。
「いやあ、嫌がってたゆうか恥ずかしがっとっただけやんか。
 段々吾妻以外視界に入らんくなってきたんやろ」
「……」
 半眼になった岩永の台詞に、村崎はなにも言えない。
「…次どないする?」
「別行動にしよーや。
 二人ずつで」
 岩永の問いに、夕は二人を見たまま返事を返す。
「せやなー」
 のんびり同意した岩永に、ハッとしたのは村崎だけ。
 今の言葉、本気だろうか。
 自分と二人きりになってくれるんだろうか。
 岩永は数分後に、村崎の視線に気づいて怪訝な顔をして、
「……………あれ? 俺さっきなんか余計なこと……」
 と自分の言動の本質を理解してなかったことが丸出しの発言をした。
「もう撤回不可やからな?」
 夕に念押しされ、岩永はゆっくり赤くなった。
 まあ、思い切り嫌がられないだけ、いいか、と村崎は妥協した。




 テーマパークはとても広く、東西南北にエリアがわかれている。
 だが、超能力を使用するにはエネルギーが要るし、減れば疲れるし使えない。
 だから、超能力を使用して遊ぶエリアは東と北のエリア。
 南と西のエリアは普通に、全員が同じ遊び方で楽しむアトラクションといった具合だ。
 そして、施設の外観は見るもの全てにリアルさを与えるクオリティ。
 アトラクションの傍ではそれに適した風景が映し出される。
 その辺のシステムを、NOAの生徒である白倉達は在る程度理解できるが、全く知らない人々はただびっくりするだけだろう。
 岩永と村崎は、西のエリアに来ていた。
 リアルな風景を除けば、まるっきり普通の遊園地だ。
「……………」
 しかし、その二人はさっきから無言である。
 二人の間の距離も、恋人としてはちょっと開いている。
 ケンカなどしていない。
 学校では常に岩永の周囲に誰かしらいたし、付き合いだして日も浅い。
 二人きりになかなかならないから、目の当たりにしたことはあまりなかったが、岩永がここまで恥ずかしがるとは知らなかった。
 自分の間近に村崎がいるだけで緊張して、距離を開けてしまうのだ。
  村崎を気にしている証拠に、ちらちらと視線を寄越す。
 険悪というよりは、とても初々しい恋人の初デート、といった風景。
「嵐」
 村崎が呼びかけると、身体を跳ねさせて驚き、ゆっくりと村崎を見た。
 下から伺うように、上目遣いで、正直かわいいが、なんだか小動物を見ている気分だ。
「喉かわかへんか?」
 さっきから、一応二人きりでいくつかアトラクションを楽しんだし、時間はそこそこ経過している。
 今日は暑い。
「…うん」
 村崎に向き直って、頷いた岩永に、口元が緩む。
 岩永が自分の方を向いて、返事をしてくれる。
 それだけで、こんなに嬉しいのだと、実感する。
 我ながら、あんなにも距離を置いて、彼を見ずに一年も過ごせたなんて、ありえない気がする。
 目をふさいでいた。視界を塞いだのは、ただ思いこんだ絶望だ。
 もう、彼は自分の好きな岩永ではない。岩永はもういないんだと、思いこんで、彼の人格をねじ曲げたから。
 もう、そんなことは出来ない。
 岩永が苦しむのは嫌だ。それに、今はもう、自分は知っている。
 例え、何度記憶を失っても、なにをなくしても、彼は絶対に変わらないのだと。
 岩永は、なにひとつ変わらず自分の好きなままだと、知っているから。
 ぽん、と頭を撫でると、びっくりしたのか露骨に緊張した。
 以前よりかなり恥ずかしがりなのは、まあしかたない。
 よく考えたら、他人とのこういった付き合いに免疫が全くないわけだし。
 以前の岩永も、付き合うのは自分が初めてだったようだが、知識があるとないでは全く違う。
 そう考えれば悪くない。
「ほな行くか?」
「うん」
 丁度、少し歩いたところに飲食店や売店がある。
「ちょお待っとけ」
「え」
 手で制して、売店の前で岩永を止める。
 売店のレジに向かい、ジュースを二つ頼むと、すぐに彼の元に戻った。
「これでよかったか………………」
 訊かなかったが、長い付き合いで彼の好みは知っている。
 再び付き合う前に少し同じチームとして経験した時間からも、好みは把握した。
 だから大丈夫なはずだが、村崎の声は途切れた。
 岩永は固まっていた。
 耳まで真っ赤だ。
「嵐?」
 まさかジュースを買ってきただけで赤くなるのか?なんで?と思う。
「…どないした?」
 両手が塞がっているから、手を伸ばせない。
 しかたなく、顔を近づけると、バネ仕掛けの人形のように動いて数歩逃げた。
「…」
「あ…」
 村崎が微かに悲しげな顔をしたのがわかったのか、足を止めて、一言漏らす。
「…ごめん」
 自分から村崎に近寄って、村崎の服を伸ばした右手の指先で軽く掴む。
「…なんか、びっくり、して」
「…恥ずかしかったんか?」
 安心しながら、そう訊いた。
 岩永は微かに頷く。
「…普通に、当たり前のように、俺の分、訊かずに、好みちゃんとわかって買うてきてくれたんが」
「……うん」
「…こ、」
 一言言って、とても恥ずかしいのかかあっと赤くなった。
「…恋人みたいで、はずかしい」
「恋人なんやけどな」
「そんなんわかっとるもん自覚があるようでないだけやもんなれてへんもん!」
 他意なくつっこんだら、岩永は村崎を見上げて、ひっくり返った声で早口で反論した。
 村崎とばっちり視線があった瞳は潤んでいて、泣きそうだ。
 もちろん、悲しみとかではない意味で。
 村崎はしばらく見つめたあと、視線を僅かに逸らして、長いため息を吐いた。
 岩永が怯える。
「…村崎?」
 不快なことをしてしまっただろうかと不安がる岩永に、ジュースのカップを片方渡してから、頭を撫でる。
「…大丈夫や。別に不愉快とかそういうんやない」
「…そうなん?」
 まだ若干不安そうに、村崎を見上げる瞳を見返す。
「…ただ、お前がなあ……」
「…うん」
「ちょお純粋培養にもほどがあらへんか…。まあ経緯が経緯やからしゃあないとしても、真剣にためらうわ」
「……?」
 村崎は真剣に悩んでいる風なのだが、岩永にはさっぱり要領を得ない。
 首を傾げた。
 村崎は正直、キスくらいまでは近い内にしたいと思っていたが、岩永があまりに純粋すぎて、手を出すのは非常にためらう。
 良心が咎める。
 一年以上前の記憶がないのだから、しかたないとしても。
 本当に、今まで離れていたことを悔やむ。
 学校に復帰したばかりの頃の彼はどうだったのか。
 白倉達にどんな風に話しかけていたのか。
 それを知っていればせめて、と思う。
「まあ、ええわ。
 とりあえず、喉乾いたやろ」
「…うん」
 いろいろ説明を端折ったが、彼はあまり追求せず、頷いてストローをくわえた。
 村崎も喉はかわいていたので、自分の分のジュースに口を付けた。
「村崎ってお茶好きなんかと思ってた」
「ああ、基本はな」
 村崎が飲んでいるのが、自分と同じ果実ジュースだと気づいて、意外そうに言われた。
「…? 知っとったんか?」
 ふと疑問に感じた。
 岩永には記憶がないし、自分はずっと避けていた。
 ここ数日間だけを頼りにするには、心許ないデータのはずだ。
「…あ、あー…」
 問われて、岩永は視線を彷徨わせた。
 しまった、という風に。
「別に、怒らへんから」
「……うん」
 なにを案じているのかわかったので、安心させようと優しく言うと、ホッとしたような一言。
「…たまに会ったり、見かけたりした時。
 まあ大抵は見かけただけのことが多いけど、持っとったペットボトルとか、お茶ばっかやったなぁ、と思て」
「…………」
「村崎?」
 無言の村崎に、やはり不安になって、名前を呼ぶ。
 村崎は言葉を失っていたが、微笑んで相づちを打つ。
「そうか」
「…うん」
 村崎の優しい声音に、怒ってはいないと理解したが、得心がいかなくて疑問を抱く。
 今の間はなんだろう。
「…いや、お前に、そない、我慢させとったんやな、と、…後悔した」
「え」
 岩永なら、「見かけた」時点で、普通声をかける。
 傍に近寄って、名前を呼ぶ。
 彼は「会った」ではなく、「見かけた」だけと言った。
 つまり、姿を見たけれど、声をかけなかった。かけられなかった、ということだ。
 自分は、声をかけられるまで気づかない。
 気づけばその場を離れるからだ。
 そして、声をかけられれば、無視するか拒絶だった。
 知らなかった。
 いつも、図太く声をかけてきたのだと、懲りずにいたのだと、以前まで思っていた。
 あの日以降、それは誤りで、声をかけることに相当勇気が必要だったし、躊躇いもしただろうと思い直した。
 それが甘かった。
 自分の知らない場所で、彼は何度、自分を見つけて、その度悩んだんだろう。
 声をかけようか。でも、きっと返事はしてもらえない。でも声をかけようか。
 悩んで、半分は、足が竦んでただ見送って。
 ずっと、愚かに気づかずにいた。
「悪かった」
 心の底から謝った。
 岩永が困惑する。
「…なんで、謝るん」
「…気がすまんから、やろうな」
 謝ったところで、取り返せるものではないし、付き合わせることは迷惑だ。
 それでも、言いたかった。
「お前の一番辛い時に、傍にいてやらんかった。
 それどころか、余計に傷付けて追いつめてた。
 …悪かった」
「…もう、ええ、のに」
 岩永の言葉は減速して、俯いた。
「…誤解せんでな?
 村崎の気持ちがいらへんとかやのうて、…俺、あの日だけで全部救われたから」
 柔らかい声音で告げられても、村崎はすぐ理解できなかった。
 岩永が優しく微笑む。
「今のままでええって、言うてくれた。
 今の俺を見てくれた。
 …あの日だけで、充分全部、救われた」
「そんな…」
「ことあんねん」
 否定しようとして、逆に肯定された。
 ただ、岩永を見つめる。
 彼は、はにかんで続けた。
「そんで、今、こうして、一緒におってくれる。
 約束をくれる。
 …それで、俺は幸せ」
 今で、充分幸せだと、心底思った笑顔を向けられた。
 無理をしているのではなく、卑屈になっているわけでもなく、本心で。
 心臓を掴まれた気がした。
 尚更、悔やまれた。
 それほど、自分のことを想ってくれているなら、余計、自分は傍にいるべきだった。
 手を伸ばして、抱きしめる。
 それしか出来ない。
 岩永は、それでいいんだと言うだろう。
 本当は、それでいいんだろう。
 傍にいたいから、いる。それだけで。
 それでも、惜しかった。
 傍にいなかった一年が、とても惜しまれた。
「嵐」
 それでも、今、言える言葉なんて、そんな沢山知らないから。
 これからずっと、こう言うだろう。
「…好きや」
 心の底から、なにも偽らず、ただ彼のために。
 笑って欲しいと、それだけこめて。
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