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第十章 Butterfly Effect
第十四話 インソムニア
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街の一角のファーストフードから出てきた岩永の後ろを、遅れて村崎がついていく。
おなかが満たされてご機嫌になったのか、あるいはやっと「デートっぽいこと」が出来てご満悦なのかわからないが、岩永は楽しそうだ。
そういえば、こんなに無邪気に笑っている姿は見たことがないな、と村崎はなんとなく思った。
自分には笑うし、優しいが、やはりどことなく影がある。
自分の知っている岩永とは、やはり違う。
「静流。
なんで離れてんの?」
鼻歌を歌い出しそうなくらい上機嫌な様子で、岩永は振り返って村崎を手招く。
村崎は当惑した。
「離れる…て、離れてへんと思うが?」
夏休みで、いつもより街中は賑わっている。
なんせ、この街で暮らす人間の半分以上がNOA関係者だ。
一週間後に控えた夏休みのメインイベント、チーム対抗トーナメント本戦が終わるまでは、この賑わいが連日続くだろう。
そんな中を、本当に「離れて」歩いていたらすぐにはぐれる。
村崎は岩永の一歩後ろをついていっている。
離れた、と評する距離ではないと思う。
「離れとるやん。
一歩も」
しかし、岩永はその「一歩」が許せないらしい。
さっきまで柔らかかった視線をきつくして、睨んできた。
「こっちの俺が相手なら、ぴったり隣に並んで間もほとんどあけへんやろ」
「……まあ」
それは否定出来ないからしない。
素直に認めた村崎に、岩永は更にむすっとする。
「むちゃくちゃ言うなお前。
お前をどう愛しく思えっちゅうんや?」
彼のしてきたことを思えば、この態度すら充分甘いはずだ。
岩永は足を止めて、村崎に向き直る。
「俺は岩永嵐やもん」
他に理由があるか、と言いたげな台詞に、村崎は若干呆れた。
そのまま岩永を追い越す。
「アホやな、お前。
嵐やからって、誰でもええわけあるか」
「え?
静流ってそういうもんやないの?」
「………」
心底驚いた声を背中で聞いて、村崎はため息が漏れた。
そういうもの、ってなんだ。
「まあ、確かに儂の好みのストライクは嵐やが」
眉間に皺を寄せ、岩永を振り返って、呆れの濃い口調で言う。
「お前みたいなのは、その例やない」
「……なんやそれ」
岩永が納得いかないという風に、ふくれた。
「間違っても友人を傷付けられへんのが嵐なんでな。
流河や御園を攻撃した時点で、お前は儂の中では、嵐やない」
「……その割に、最近まで甘かったけどな」
岩永はあまり動じた様子なく、にやりと微笑む。
「俺のこと殴れもせぇへんし」
「今なら殴れるが、嵐に跳ね返るからいややな」
「……………」
村崎の返答が期待に添えなかったようで、岩永の眉が寄る。
「あのときも、ぶっちゃけ、跳ね返るのがいややから踏みとどまったようなもんや」
「それは虚勢」
岩永は鋭く、「あのときはまだ違う」と指摘してくる。
あの日、神社でのことだ。
「あのときはまだ、俺になにか期待しとったもん」
「まあ、…それでもええが」
事実、あのときはまだ、彼は岩永だから、と信じていた部分もあった。
だが、それは今はもうない。
「二度はあらへん」
彼はもう、岩永とは徹底的に違うのだと、別人なのだと、情などないのだと、諦めてしまった。
もう、彼を信じる気はない。
「お前から儂に触れることは、二度と許さん」
「…………一応デートやのに」
相手に言う台詞か、と岩永は閉口した。
自分が蒔いた種だろうに。
村崎はそう思う。
「まあ、別にええけど」
岩永は案外あっさり納得して、村崎の隣に並ぶ。
そして、前に視線を戻した村崎の一瞬の隙をついて、頬にくちづけてきた。
村崎が咄嗟に手を振るうが、軽やかに避ける。
舌を出して笑っていた。
「勝手にするし。
言ったらなんやけど、静流は俺には敵わん」
岩永はさっきのふくれっ面はどこへやら、嬉しそうに笑んでいる。
村崎が混迷しながら見下ろすと、少しだけ複雑そうな顔をした。
うまく、突き放せない自分がいる。
あのときから、本当は、あの言葉を聞いたときから。
彼が、死にたがるような素振りを見せた時から。
『俺を、殺せた?』
あんな不穏なことを。
すがるような顔で尋ねた。
本気で望んでいるように。
わからない。
彼の目的が。
「静流。
公園行こう」
岩永は屈託なく笑って手招いた。
おそらく、自分が突き放せない理由を察しているだろうに、なにも言わない。
自分が拒絶出来ないようにする演技だろうか?
でも、本気に見えた。
岩永の隣に並んで、その横顔を見下ろす。
楽しげに笑う顔。
でも、やはり、自分がずっと傍で見てきた岩永とは違う。
気づきたくないことに気づいて、ぎくりとした。
慌てて前を向く。
これ以上、彼を拒絶出来ない理由を見つけたくないのに。
「静流?」
めざとく岩永が自分を呼んで、顔をのぞき込む。
「なん?
その、うろたえた顔」
自分の表情については疑問なのか、岩永は不思議そうだ。
「…なんでもない」
「嘘や。
俺と一緒なんにそんな顔して」
「お前と一緒やからな」
この話題を切り上げたくて、突き放す。
しかし、岩永は本格的に気になってしまったらしく、食い下がらない。
「嘘。
ポーカーフェイス、うまいんやないの?」
「どっからその根拠」
「あいつ避け続けた一年間、かなりうまかったけど」
息を飲んだ。
まさか、そんな前から見ていたと思わなかった。
「立派なストーカーやな…」
「強盗でもええねんけどな。
それに近いことはやっとるし」
「ほな、強盗傷害や」
「うん」
岩永は全く臆さない。
開き直っている。
まあ、彼の精神が歪んでいるのは承知なのだが、ああいう無邪気な笑顔を見せられると、真っ当な人間のように錯覚する。
ああいう弱いところを見ると、錯覚する。
「…嘘。
なんかある」
「…お前に言うと思うか?」
「…」
はぐらかすのをやめ、真っ向からそう返すと、岩永は目を瞠った。
そして、苦笑する。
「あー、それはちょお…」
「思わへん、やろう。
そこまで図々しかったら、さすがに呆れるわ」
村崎は「この話は終いや」と一方的に宣言し、歩き出す。
岩永が慌てて追ってきた。
「…やけど、あいつにはなんもしてへん」
岩永が背中で言う。
「吾妻はホテルで寝とるやろうし、そもそも跳ね返るし」
“彼”絡みだと思ったのだろう。
正解だが、怒られた子どものような声を、意外に思った。
「………殺す気だけは、なかった」
その言葉に、村崎は足を止める。
街の歩道だ。
さっきまで歩いていた通りよりは若干、人通りが少ない。
道を歩く人々は、自分たちに興味も示さずに通り過ぎる。
「……そうやな。
心中未遂したんは、あいつのほうや」
村崎は岩永に向き直る。
村崎の口から零れた硬い声に、岩永が少し臆した。
「やけど、お前に原因がないとは思わん」
「………」
「約束やぞ」
伏し目がちな岩永の顔を睨み、強い口調で言う。
話すという約束だ。
もう充分付き合ったのだから。
岩永はずっと村崎の顔を見ないでいたが、不意に顔を上げて、村崎の手を強引に掴んだ。
瞬間、以前も感じためまいに襲われる。
気づくと、以前岩永と来た公園にいた。
彼が移動させたのだろう。
岩永はそっと手を離し、唾を飲み込んだ。
「静流に嫌われるんは、…ショックなんやけど」
「それだけのことをしてきたお前の自業自得や」
「…」
岩永は一度、右手に見える湖の輝く水面を見やって、意を決したように村崎の方を向く。
「記憶が戻った、て」
「…」
一瞬、村崎は理解が出来なかった。
なにも言えずに固まる。
「あいつ。
失った記憶の一部を取り戻した、て言うてた。
…覚えない?
それっぽいこと、言うてへんかった?」
岩永の言葉がどこか遠くに聞こえる。
嘘だと思えなかった。
『…俺が村崎を想うのは、間違いや』
確かに彼は、そう言っていた。
自分をこれ以上、傷付けたくない、と。
白倉の左手の傷跡だって、よく考えれば、誰かから訊いたはずはないのだ。
誰もが、彼には教えないように、暗黙の了解だったのだから。
だって、お守りに入っていた紙が。
一枚しかなかったはずの紙が、二枚あった。
片方は、隔離されていたときに彼がくれた「だいすき」という言葉。
もう一枚は、初めて見るもの。
「ごめんなさい」
とだけ、あった。
偶然見つけただけだと思っていた。
でも、思い出したというなら、全て納得がいく。
どうして、気づいてやれなかったんだ。
「……………」
岩永は湖の方に歩いていく。
彼のように、欄干に手をついた。
「………俺に復讐したかった、て」
「…え?」
村崎は思わず顔を上げる。
離れた位置で立つ岩永の背中を見つめた。
「あいつ。
俺に復讐する気やった」
「……復讐」
まさか、そこまで思い詰めていたのか?
自分の責任だと。
いや、それなら「復讐」という単語はミスマッチだ。
そこまでの憎悪はないはず。
「去年の五月二十日」
岩永は静かな声で口にして、村崎を振り返る。
「あいつの暴走スイッチを押したのは、静流やのうて、俺」
今度こそ、村崎は呼吸を失った。
「やから、俺が憎い」
すぐに、反応出来なかった。
ずっと、考えていた。
あの暴走は自分のせいじゃないかと。
だから、ずっと逃げ続けた。
本当は誰かに違うと言って欲しかった。
でも、本当にそう言われたら、憎んだらいいのか、どうしたらいいのか、わからなかった。
「………静流は、あいつの傍におってもなんの問題もない」
岩永は不意に泣きそうな顔で笑う。
「……変なの」
欄干に寄りかかったまま、岩永は呟く。
「今度こそ、殴るか、殺そうとするか、…て思ったんやけど」
本当は、憎い。
だからこそ、その憎しみが深すぎて、なにも出来なかったのだと思う。
ショックすぎて。
でも、またそうやって、死にたがるようなことを言うから、混乱する。
「死にたいなら、自分一人で死ねばええやろ」
「ごもっともやな。
でも」
岩永は真っ直ぐ村崎を見つめる。
その碧の瞳が揺らいでいる。
「俺は、静流に殺されたい」
泣いてないか、不意に胸が騒ぐ。
「…おかしい」
村崎の口から、かすれた声が零れた。
「…なんで、そない死にたがる。
なんで、儂を……。
お前の傍に、儂はおらんのか…」
岩永は目を瞠り、それから一度伏せた。
風が吹く。
遠くで、楽しげな声が響いている。
岩永は表情を取り繕うとして、やめた。
諦めたように、疲れたように、ただうつろな顔で、村崎を見上げる。
「おらんよ」
風にかき消されそうな声で言った。
「え?」
「おらん」
岩永は、もう泣くのも喚くのも疲れたように、人形みたいに静かに言う。
「…静流は、おらん」
遠く、ビルの屋上に佇んで、吾妻は髪を揺らした。
あの日を、鮮明に思い出せる。
会いたかった。
会いに行くと約束した。
自分を孤独から救ってくれた、白倉。
でも、NOA壊滅事件が起こって、ニュースで見て、信じられなかった。
死者・行方不明者多数、と報道されたから。
慌てて向かったNOAで出会った一人の男子生徒に尋ねた。
白倉の行方を問う自分に、一瞬、泣きそうに瞳を揺らす。
「…こっちだよ」
不安に駆られたから、彼が目的地を持って歩いていくことにホッとした。
NOAの敷地内に、白倉はいるらしいと思ったから。
でも、彼が向かったのは、森の奥の墓場。
嫌な予感が胸を急かした。
吐き気のような、恐ろしい恐怖だ。
「あれ」
彼が足を止めて、一番奥の大きな石碑を示した。
震える足を叱咤して、石碑の前まで行く。
五月二十日壊滅事件で亡くなった生徒や教師を供養した石碑らしい。
石碑には亡くなった生徒や教師の名前が刻まれている。
「誰も、…遺体の一部すら残らなかったから」
彼が言う。
同時に自分は石碑の前に崩れ落ちた。
見つけたくなかった名前を、見つけてしまった。
石碑には、確かに「白倉誠二」と刻まれていた。
会いに来た。
会いたかった。
でも、もう、白倉はいなかった。
この世のどこにも。
一気に全てを失ったような、絶望。
そんな自分に手をさしのべてくれたのは、岩永だけだった。
「おらん……?」
村崎は反芻してなお、意味がわからなかった。
岩永がなにを言っているのかわからなかった。
「…静流は、亡くなっとる」
だから、岩永が泣きそうな顔でそう告げたとき、なんのリアクションも出来なかった。
「…俺を庇って、俺の前で」
似ていると思ったんだ。
だから、冗談じゃないと思った。
こんな男のどこが、彼に似ているんだと。
死にたがるような言葉。
弱った側面。
あのころの、彼みたいで。
自分が背中を向けて、振り向かなかった頃の、彼みたいで。
いつだって無理に前を向いて、泣きながら笑っていた。
「……やから、静流が殺してくれるなら、俺はそれでもええ」
訊きたくなかった。
これ以上。
「…静流のとこに、行きたかった」
もうこれ以上、訊きたくはなかった。
おなかが満たされてご機嫌になったのか、あるいはやっと「デートっぽいこと」が出来てご満悦なのかわからないが、岩永は楽しそうだ。
そういえば、こんなに無邪気に笑っている姿は見たことがないな、と村崎はなんとなく思った。
自分には笑うし、優しいが、やはりどことなく影がある。
自分の知っている岩永とは、やはり違う。
「静流。
なんで離れてんの?」
鼻歌を歌い出しそうなくらい上機嫌な様子で、岩永は振り返って村崎を手招く。
村崎は当惑した。
「離れる…て、離れてへんと思うが?」
夏休みで、いつもより街中は賑わっている。
なんせ、この街で暮らす人間の半分以上がNOA関係者だ。
一週間後に控えた夏休みのメインイベント、チーム対抗トーナメント本戦が終わるまでは、この賑わいが連日続くだろう。
そんな中を、本当に「離れて」歩いていたらすぐにはぐれる。
村崎は岩永の一歩後ろをついていっている。
離れた、と評する距離ではないと思う。
「離れとるやん。
一歩も」
しかし、岩永はその「一歩」が許せないらしい。
さっきまで柔らかかった視線をきつくして、睨んできた。
「こっちの俺が相手なら、ぴったり隣に並んで間もほとんどあけへんやろ」
「……まあ」
それは否定出来ないからしない。
素直に認めた村崎に、岩永は更にむすっとする。
「むちゃくちゃ言うなお前。
お前をどう愛しく思えっちゅうんや?」
彼のしてきたことを思えば、この態度すら充分甘いはずだ。
岩永は足を止めて、村崎に向き直る。
「俺は岩永嵐やもん」
他に理由があるか、と言いたげな台詞に、村崎は若干呆れた。
そのまま岩永を追い越す。
「アホやな、お前。
嵐やからって、誰でもええわけあるか」
「え?
静流ってそういうもんやないの?」
「………」
心底驚いた声を背中で聞いて、村崎はため息が漏れた。
そういうもの、ってなんだ。
「まあ、確かに儂の好みのストライクは嵐やが」
眉間に皺を寄せ、岩永を振り返って、呆れの濃い口調で言う。
「お前みたいなのは、その例やない」
「……なんやそれ」
岩永が納得いかないという風に、ふくれた。
「間違っても友人を傷付けられへんのが嵐なんでな。
流河や御園を攻撃した時点で、お前は儂の中では、嵐やない」
「……その割に、最近まで甘かったけどな」
岩永はあまり動じた様子なく、にやりと微笑む。
「俺のこと殴れもせぇへんし」
「今なら殴れるが、嵐に跳ね返るからいややな」
「……………」
村崎の返答が期待に添えなかったようで、岩永の眉が寄る。
「あのときも、ぶっちゃけ、跳ね返るのがいややから踏みとどまったようなもんや」
「それは虚勢」
岩永は鋭く、「あのときはまだ違う」と指摘してくる。
あの日、神社でのことだ。
「あのときはまだ、俺になにか期待しとったもん」
「まあ、…それでもええが」
事実、あのときはまだ、彼は岩永だから、と信じていた部分もあった。
だが、それは今はもうない。
「二度はあらへん」
彼はもう、岩永とは徹底的に違うのだと、別人なのだと、情などないのだと、諦めてしまった。
もう、彼を信じる気はない。
「お前から儂に触れることは、二度と許さん」
「…………一応デートやのに」
相手に言う台詞か、と岩永は閉口した。
自分が蒔いた種だろうに。
村崎はそう思う。
「まあ、別にええけど」
岩永は案外あっさり納得して、村崎の隣に並ぶ。
そして、前に視線を戻した村崎の一瞬の隙をついて、頬にくちづけてきた。
村崎が咄嗟に手を振るうが、軽やかに避ける。
舌を出して笑っていた。
「勝手にするし。
言ったらなんやけど、静流は俺には敵わん」
岩永はさっきのふくれっ面はどこへやら、嬉しそうに笑んでいる。
村崎が混迷しながら見下ろすと、少しだけ複雑そうな顔をした。
うまく、突き放せない自分がいる。
あのときから、本当は、あの言葉を聞いたときから。
彼が、死にたがるような素振りを見せた時から。
『俺を、殺せた?』
あんな不穏なことを。
すがるような顔で尋ねた。
本気で望んでいるように。
わからない。
彼の目的が。
「静流。
公園行こう」
岩永は屈託なく笑って手招いた。
おそらく、自分が突き放せない理由を察しているだろうに、なにも言わない。
自分が拒絶出来ないようにする演技だろうか?
でも、本気に見えた。
岩永の隣に並んで、その横顔を見下ろす。
楽しげに笑う顔。
でも、やはり、自分がずっと傍で見てきた岩永とは違う。
気づきたくないことに気づいて、ぎくりとした。
慌てて前を向く。
これ以上、彼を拒絶出来ない理由を見つけたくないのに。
「静流?」
めざとく岩永が自分を呼んで、顔をのぞき込む。
「なん?
その、うろたえた顔」
自分の表情については疑問なのか、岩永は不思議そうだ。
「…なんでもない」
「嘘や。
俺と一緒なんにそんな顔して」
「お前と一緒やからな」
この話題を切り上げたくて、突き放す。
しかし、岩永は本格的に気になってしまったらしく、食い下がらない。
「嘘。
ポーカーフェイス、うまいんやないの?」
「どっからその根拠」
「あいつ避け続けた一年間、かなりうまかったけど」
息を飲んだ。
まさか、そんな前から見ていたと思わなかった。
「立派なストーカーやな…」
「強盗でもええねんけどな。
それに近いことはやっとるし」
「ほな、強盗傷害や」
「うん」
岩永は全く臆さない。
開き直っている。
まあ、彼の精神が歪んでいるのは承知なのだが、ああいう無邪気な笑顔を見せられると、真っ当な人間のように錯覚する。
ああいう弱いところを見ると、錯覚する。
「…嘘。
なんかある」
「…お前に言うと思うか?」
「…」
はぐらかすのをやめ、真っ向からそう返すと、岩永は目を瞠った。
そして、苦笑する。
「あー、それはちょお…」
「思わへん、やろう。
そこまで図々しかったら、さすがに呆れるわ」
村崎は「この話は終いや」と一方的に宣言し、歩き出す。
岩永が慌てて追ってきた。
「…やけど、あいつにはなんもしてへん」
岩永が背中で言う。
「吾妻はホテルで寝とるやろうし、そもそも跳ね返るし」
“彼”絡みだと思ったのだろう。
正解だが、怒られた子どものような声を、意外に思った。
「………殺す気だけは、なかった」
その言葉に、村崎は足を止める。
街の歩道だ。
さっきまで歩いていた通りよりは若干、人通りが少ない。
道を歩く人々は、自分たちに興味も示さずに通り過ぎる。
「……そうやな。
心中未遂したんは、あいつのほうや」
村崎は岩永に向き直る。
村崎の口から零れた硬い声に、岩永が少し臆した。
「やけど、お前に原因がないとは思わん」
「………」
「約束やぞ」
伏し目がちな岩永の顔を睨み、強い口調で言う。
話すという約束だ。
もう充分付き合ったのだから。
岩永はずっと村崎の顔を見ないでいたが、不意に顔を上げて、村崎の手を強引に掴んだ。
瞬間、以前も感じためまいに襲われる。
気づくと、以前岩永と来た公園にいた。
彼が移動させたのだろう。
岩永はそっと手を離し、唾を飲み込んだ。
「静流に嫌われるんは、…ショックなんやけど」
「それだけのことをしてきたお前の自業自得や」
「…」
岩永は一度、右手に見える湖の輝く水面を見やって、意を決したように村崎の方を向く。
「記憶が戻った、て」
「…」
一瞬、村崎は理解が出来なかった。
なにも言えずに固まる。
「あいつ。
失った記憶の一部を取り戻した、て言うてた。
…覚えない?
それっぽいこと、言うてへんかった?」
岩永の言葉がどこか遠くに聞こえる。
嘘だと思えなかった。
『…俺が村崎を想うのは、間違いや』
確かに彼は、そう言っていた。
自分をこれ以上、傷付けたくない、と。
白倉の左手の傷跡だって、よく考えれば、誰かから訊いたはずはないのだ。
誰もが、彼には教えないように、暗黙の了解だったのだから。
だって、お守りに入っていた紙が。
一枚しかなかったはずの紙が、二枚あった。
片方は、隔離されていたときに彼がくれた「だいすき」という言葉。
もう一枚は、初めて見るもの。
「ごめんなさい」
とだけ、あった。
偶然見つけただけだと思っていた。
でも、思い出したというなら、全て納得がいく。
どうして、気づいてやれなかったんだ。
「……………」
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「………俺に復讐したかった、て」
「…え?」
村崎は思わず顔を上げる。
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「あいつ。
俺に復讐する気やった」
「……復讐」
まさか、そこまで思い詰めていたのか?
自分の責任だと。
いや、それなら「復讐」という単語はミスマッチだ。
そこまでの憎悪はないはず。
「去年の五月二十日」
岩永は静かな声で口にして、村崎を振り返る。
「あいつの暴走スイッチを押したのは、静流やのうて、俺」
今度こそ、村崎は呼吸を失った。
「やから、俺が憎い」
すぐに、反応出来なかった。
ずっと、考えていた。
あの暴走は自分のせいじゃないかと。
だから、ずっと逃げ続けた。
本当は誰かに違うと言って欲しかった。
でも、本当にそう言われたら、憎んだらいいのか、どうしたらいいのか、わからなかった。
「………静流は、あいつの傍におってもなんの問題もない」
岩永は不意に泣きそうな顔で笑う。
「……変なの」
欄干に寄りかかったまま、岩永は呟く。
「今度こそ、殴るか、殺そうとするか、…て思ったんやけど」
本当は、憎い。
だからこそ、その憎しみが深すぎて、なにも出来なかったのだと思う。
ショックすぎて。
でも、またそうやって、死にたがるようなことを言うから、混乱する。
「死にたいなら、自分一人で死ねばええやろ」
「ごもっともやな。
でも」
岩永は真っ直ぐ村崎を見つめる。
その碧の瞳が揺らいでいる。
「俺は、静流に殺されたい」
泣いてないか、不意に胸が騒ぐ。
「…おかしい」
村崎の口から、かすれた声が零れた。
「…なんで、そない死にたがる。
なんで、儂を……。
お前の傍に、儂はおらんのか…」
岩永は目を瞠り、それから一度伏せた。
風が吹く。
遠くで、楽しげな声が響いている。
岩永は表情を取り繕うとして、やめた。
諦めたように、疲れたように、ただうつろな顔で、村崎を見上げる。
「おらんよ」
風にかき消されそうな声で言った。
「え?」
「おらん」
岩永は、もう泣くのも喚くのも疲れたように、人形みたいに静かに言う。
「…静流は、おらん」
遠く、ビルの屋上に佇んで、吾妻は髪を揺らした。
あの日を、鮮明に思い出せる。
会いたかった。
会いに行くと約束した。
自分を孤独から救ってくれた、白倉。
でも、NOA壊滅事件が起こって、ニュースで見て、信じられなかった。
死者・行方不明者多数、と報道されたから。
慌てて向かったNOAで出会った一人の男子生徒に尋ねた。
白倉の行方を問う自分に、一瞬、泣きそうに瞳を揺らす。
「…こっちだよ」
不安に駆られたから、彼が目的地を持って歩いていくことにホッとした。
NOAの敷地内に、白倉はいるらしいと思ったから。
でも、彼が向かったのは、森の奥の墓場。
嫌な予感が胸を急かした。
吐き気のような、恐ろしい恐怖だ。
「あれ」
彼が足を止めて、一番奥の大きな石碑を示した。
震える足を叱咤して、石碑の前まで行く。
五月二十日壊滅事件で亡くなった生徒や教師を供養した石碑らしい。
石碑には亡くなった生徒や教師の名前が刻まれている。
「誰も、…遺体の一部すら残らなかったから」
彼が言う。
同時に自分は石碑の前に崩れ落ちた。
見つけたくなかった名前を、見つけてしまった。
石碑には、確かに「白倉誠二」と刻まれていた。
会いに来た。
会いたかった。
でも、もう、白倉はいなかった。
この世のどこにも。
一気に全てを失ったような、絶望。
そんな自分に手をさしのべてくれたのは、岩永だけだった。
「おらん……?」
村崎は反芻してなお、意味がわからなかった。
岩永がなにを言っているのかわからなかった。
「…静流は、亡くなっとる」
だから、岩永が泣きそうな顔でそう告げたとき、なんのリアクションも出来なかった。
「…俺を庇って、俺の前で」
似ていると思ったんだ。
だから、冗談じゃないと思った。
こんな男のどこが、彼に似ているんだと。
死にたがるような言葉。
弱った側面。
あのころの、彼みたいで。
自分が背中を向けて、振り向かなかった頃の、彼みたいで。
いつだって無理に前を向いて、泣きながら笑っていた。
「……やから、静流が殺してくれるなら、俺はそれでもええ」
訊きたくなかった。
これ以上。
「…静流のとこに、行きたかった」
もうこれ以上、訊きたくはなかった。
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なんとか、名前決めてます。
***
お名前使用してもいいよ💕っていう
心優しい方、教えて下さい🥺
悪役には使わないようにします、たぶん。
ちょっとオネェだったり、
アレ…だったりする程度です😁
すでに、使用オッケーしてくださった心優しい
皆様ありがとうございます😘
読んでくださる方や応援してくださる全てに
めっちゃ感謝を込めて💕
ありがとうございます💞
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