【完結保証】超能力者学園の転入生は生徒会長を溺愛する

兔世夜美(トヨヤミ)

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第十章 Butterfly Effect

第十五話 真っ逆さまの楽園

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 強く手を握る感触。
 その温かさに最初に気付いた。
 ぼんやりと瞼を開けて、既視感を感じた。
 自分の手を祈るように握りしめ、額をこすりつけている吾妻の姿。
 ああ、まるであの日みたい。
 自分たちが恋人になった日。
 時間を超えて戻ってきた自分を、泣きそうな顔で見つめた彼を、鮮明に思い出せる。
「吾妻…」
 小さな声で名前を呼ぶ。
 吾妻は弾かれたように顔を上げ、目を開けた白倉を見て、瞳を大きく見開き、潤ませた。
「……白倉…っ」
 黒い瞳から大粒の涙が零れた。
 手を痛いほど握られた。
 すぐに、ぎゅっときつく抱きしめられる。
 骨が軋むほどに抱くたくましい腕は震えていた。
「……ごめん。
 また、不安にさせた」
「………っ」
 吾妻はなにも言葉にならないらしい。
 自分を抱きしめたまま身体を震わせ、泣いている。
「ごめん。
 …大丈夫だから」
 優しく話しかけて、吾妻の背中を撫でる。
 それでもなにも声に出来ずに、彼は泣いていた。
 肩口に顔を埋め、震える手で抱いて、ずっとずっと離さなかった。
「……白倉。白倉………」
 かすれた声で何度も名前を紡ぐ。
「…白倉」
「…うん、ここにいるよ」
「………白倉」
 きっと自分が目を開けるまで、怖かったはずだ。
 泣きたいほどに、恐ろしかったはずだ。
 リバウンドの恐怖。なにが起こるかすらわからない。
 白倉自身、本当は怖い。
 でも、後悔はしていない。
 本当に怖いのは、自分自身になにが起こるかよりも、岩永のこと。
 彼が本当に死んでしまわないか、それが。
 でもそんなこと、吾妻にも誰にも言えない。
「………白倉」
「うん」
「…置いていかないで。
 白倉。
 …僕、ほんとに、なにするかわからないよ」
「…うん」
 震えた声で、だからここにいろ、と願う吾妻が愛おしくて、優しく抱きしめる。
「ここにおるよ」
「………うん」
 震えの止まらない大きな背中を抱きしめる。
 癖の強い黒髪を撫でて、口づけた。
「…………なあ、吾妻。
 ごめんな」
「………………うん」
 吾妻は顔を上げない。
 白倉の身体にしがみついたままだ。

(言えないなあ…)

 もしかしたらだけど、わかってしまった気がする。

『…そのために、命賭けて、なにもかも捨ててくれる、たった一人の仲間。
 …理解してくれる人は、僕には岩永しかいない』

 あの吾妻と岩永の目的。
 世界をまたいできたその理由。
 彼らはきっと。
「まあ、大体それであっているんだけどさ」
 しかし不意に響いた軽妙な声に、白倉は目を瞠った。
 視線を動かすと、壁際に座っていた流河がにこにこ笑って手を振った。
「……あれ、いつからいた?」
「いやまあずっといたけど」
 流河は立ち上がるとのんびりと答えた。
 吾妻がやっと顔を上げて、白倉の目線を追って彼の方を向く。
 そして首を傾げた。
「白倉。
 誰に向かって話してるの?」
「………え?」
 吾妻の顔を見て、白倉は戸惑う。
 吾妻の顔は不審げだ。
「……ここ、俺と吾妻二人きり?」
「当たり前だよ。
 見ればわかるでしょ」
 吾妻はこの殺風景な部屋には二人しかおらんやろうが、と怪訝な様子だ。
「…なんか、変なもの見えるの?」
「あ、いやいや……気のせい」
「そう…?」
 心配そうにしながらも、吾妻は納得してみせる。
 涙の滲んだ目尻を拭い、もう一度白倉の身体を抱きしめた。
 白倉は内心困惑している。
 だって、今もそこに流河がいるわけだし。
 しかし吾妻には姿は見えない?
「なんでそんなに不思議そうなの?
 俺は精神体で、長いこと人と話してないって言ったじゃない。
 吾妻くんの目には見えなくて当然」
 声もはっきり聞こえるし。
 そこまで考えてはっとした。
 息をのんで、吾妻にまた不審がられたが気にならない。
 そうだ。彼は違う世界の流河だ。
 精神体故か世界をまたいでしまったのは夢じゃなかった。
「俺もびっくりしたよ。
 まさかこっちに連れてこられちゃうと思わなかった」
 ああ、そうだ。
 戻る寸前、反射的に彼の手を掴んでしまったんだ。
 そのせいか。
「まあ精神体だから世界の壁も越えられたんだろうね。
 でも、多分俺は君にしか見えないし、話せないと思うよ。
 幽霊みたいなものだしさ」
「…………」
 どうしよう。
 話したら吾妻がおかしく思うし、でも訊きたい。
 なんで流河には、身体がないんだ?
 まさか。
「君がなにを訊きたいかなんとなくわかるけど、答えられないよ。
 これは、俺と彼だけの問題だから」
「……………」
 彼?
 ああ、言いたい。口にして尋ねたい。
 でも、流河は切なげな顔で笑う。
 そんな顔されたら、困ってしまう。



 向こうの世界の自分は死んでいた。
 おそらくは白倉も。
 だから彼らは世界をまたいできた。
 死者をよみがえらせるために。
 知れて納得?
 いや、全くだ。
 吐き気がする。知りたくなかった。
 そんな、おぞましい世界。
 彼らの世界にも、自分と岩永が並んでいる光景なんかないのだと思い知って、恐ろしい。
 最近、自分たちは結ばれてはいけないのではないかと、例えるなら世界に禁じられているのではないかと、そんな被害妄想を抱くようになった。
 だって、そばにいられない。
 いつまで経っても、ただ笑って、一緒にいることが、こんなに難しい。
 失いたくない。ただ、そばにいたいのに。
 触れて、話して、その笑顔を一番近くで見ていたい。
 それだけなのに。
「ああ、おかえり。
 村崎くん」
 202号室に戻ると、リビングで流河が出迎えた。
 彼はお茶を飲みながら、テレビを見ている。
「…嵐は?」
「寝室。
 優衣くんも一緒だよ」
「そうか…」
 岩永の所在を確かめて、ほっと息を吐く。
 最近は、そうしないと安心できない。
「どうだった?」
「……………」
 今日のデートのことだろう。
 村崎は重苦しい顔で黙り込む。
「…………………俺たちも大体わかったからさ、彼らの目的なら言わなくていいよ」
 流河はテレビを見たまま、淡々と言った。
 村崎は思わずその横顔を見て、そこに浮かんだ複雑な感情に、なにか言うことをやめる。
 今にも泣き出しそうな、苦しげな横顔。
 自分も、同じ気持ちだ。
「…無理だと思うんだよね。悪いけど。
 ………それは、不可能だと思うよ」
「……………同感や」
「たださ」
 流河はバラエティ番組を静かな表情で見つめたまま、不意に早口になった。
「白倉くんの能力、微妙に可能なんだよ。
 今回みたいに」
「……………」
 村崎は息をのみ、言葉を失う。
 確かにそうだ。
 失敗さえしなければ。
 だから、白倉を狙って、この世界にやってきた?
 流河は重いため息を吐き、片膝を抱えて黙ってしまう。
 張りつめた空気だ。
「それはそうと、昨晩岩永くんがいなくなってた理由知ってる?」
「なにかわかったんか!?」
 村崎は思わず立ち上がり、叫んでいた。
 流河はゆっくりとこちらを向いて、首を左右に振った。
 それに落胆を覚える。
「……覚えてないのか、言えないのかわからないけどね。
 彼は基本冷静が身についてはいるんだけど、キレるとなにするかわかんないとこあるじゃない」
 それは事実だ。
 あのときだって、自分一人で決めて、彼に復讐して、自分の命すらも。
「…そっちの岩永くん、なんか言ってた?」
「……記憶が少し戻っとった、って」
「…え?」
 目を見開いて振り向いた流河に、村崎は苦々しい口調で答える。
「なくした記憶を少し取り戻しとったって。
 確かにそういうそぶりがあった。
 やから、あいつに復讐しようとしたそうや。
 …嵐の暴走のスイッチを押したのが、あいつらやって思い出したから」
「……………………なるほど」
 流河は長い沈黙の後、力無く頷いた。
 片膝を抱えたまま、テレビの方を見たが、頭に入っていないようだ。
 思い出して、ただ胸が苦しくなる。
 あの岩永の語ったことは、なにもかも重い。
 向こうの世界で自分は死んでいる?
 岩永は記憶を取り戻していた?
 彼の記憶を奪ったのが奴ら?
 なにもかも、重すぎる。
 自分はただ、屈託なく微笑む岩永のそばにいられれば、それで幸せなのに。
 寝室の扉が開いて、岩永と優衣が顔を見せた。
 岩永は室内の空気に首を傾げてから、冷蔵庫の前に立って扉を開ける。
 麦茶を取り出してコップに注ぐ。
 冷蔵庫を閉めてからコップに口を付け、少し飲んで、それから眉を寄せた。
「なにこの空気?」
「お前が言うな」
 間髪入れずに冷たく返したのは村崎で、優衣が咎めるように睨む。
「人に心配ばっかかけといて、自覚ないんか」
「村崎」
 やめろ、と言いたげに名前を呼ぶ優衣の声も、村崎には不愉快に感じる。
 なにもかも重い。
 岩永がなにを考えているのかわからない。
 どうして彼は。
「静流が心配なのは、この身体だけやろう?」
 だから、岩永がコップを持ったまま静かに言った台詞がすぐ理解できなかった。
「『俺』のことはどうでもええんやろ。
 そんな心配のされ方嬉しくない」
 村崎は目を見開き、思わず立ち上がる。
 流河と優衣は息をのみ、言葉を失った。
「……もう一回言ってみろ。
 …なんやて?」
「………………」
 ゆっくり近寄ってくる村崎が怒っているのは誰の目にも明らかだが、岩永だけは動じない。
 曇りのない瞳で見上げ、ため息を吐いた。
「…………俺が間違ってる?
 やって、静流が好きなのは、記憶のない俺やろう?
 今の、静流のこと『静流』て呼ぶ俺やないやろ?
 会いたいのは、そばにいたいのは、…違うやろう?」
「………………………」
 岩永の眼前に立ったまま、村崎はなにも言えなかった。
 呼吸すら失った。
 今頃、理解して心臓が痛いほどに鳴り始めた。
「……俺のこと要らないくせに、なんで怒るの?
 …俺が気付かないと思った?
 ずっと、違う誰かを見てたこと」
 目の前で微笑む顔は、迷子のようだ。
 今にも泣き出しそうなのに、笑ってる。
「俺が、…痛みを感じないと思ってた?」
「……………………」
 岩永は不意に冷めた瞳をして、コップを片手に寝室に足を向けた。
 呼び止められなかった。
 ただ、心臓が痛い。
 手足が震える。
 今頃に、気付いた。
 自分が一度も、彼と瞳を合わせて、話していなかったことに。
 あんなにも、会いたかったはずなのに。
 愛しくて会いたくて、仕方がなかった。
 狂おしいほど求めすぎて、記憶のない彼を拒絶した。
 それが間違いだと気付いて、彼を真っ直ぐ見つめて、愛するようになって。
 そうしたら今度は、記憶のある彼を求めることが、今そばにいる彼への裏切りのように感じられて。
 同じ存在なのに。
 同じ人なのに。
「…なあ村崎。
 …岩永、記憶を失った後、いつお前を好きになったと思う?」
 優衣が不意に優しい声でそう話しかけた。
「優衣くん?」
 流河が目を瞠り、優衣の顔を見る。
「…俺、わかったんや。
 多分、お前への気持ちは消えてなかったんやと思う。
 消えたのは記憶だけで、お前への想いは残ってた。
 やから、記憶を失ってからまた一からお前を好きになったんやなくて」
 優衣の声が、耳の奥まで入り込んでくる。
 最後まで聴かずに、理解してしまった。
「………………つまり、あいつがお前の好きな岩永であることに間違いはないんやろうなって。
 記憶のせいでちょっと変わったように感じるだけで。
 …あいつはお前のこと、ずっとずっと、好きなんやと思う」
 きっとずっと繋がっていた。
 出会って、好きになった日からずっと。
 彼が自分に向ける想いはずっと、繋がっていた。
 そんなことに今更に気付く。
 いつも、彼を思い切り傷つけてしまってから、自分は。



 夜の午前二時。
 寝室を出ると、リビングのソファに村崎の姿があった。
 毛布を掛けて眠る顔を見て、ひっそりと笑う。
 そっと頬に触れて、離した。
「……」
 なにか言いたくて、言えなくて、切ない気持ちで微笑んで、背を向けた。



 夜も更けた街を歩く。
 街はこんな夜でも明るい。
 月が空に見えた。
 真夏だから、蒸し暑い。
「よかったんか?」
 不意に真横で声がしてそちらを向いた。
 黒髪の眼鏡の男がいつの間にか隣にいて、心配そうな顔をする。
「巻き込んだのは誰やと思うてんの?」
「……すまん」
 ぽつりと零れた謝罪に岩永は小さく笑って、「別にいい」と返す。
「そもそも悪いのは自分やないし」
「まあそうやけど、ほんま堪忍な」
「もうええ」
 平謝り状態の彼に吹き出して、肩を揺らす。
「……別にいい。
 ……未来を見れたのは、少しおもしろかった」
「…村崎があんなんでも?」
「……あんなんでも、俺の好きな男やし」
 岩永はため息混じりに言って微笑む。
「…よかったんか?
 なんも言わずに出てきて。
 …めっちゃ心配すると思うけど」
「……せやかてしんどいんやもん。
 過去の存在ってむっちゃめんどい」
「…まあなあ」
「俺がなに言ったって、静流には届かないと思うし」
 そう語る岩永の横顔はやはり寂しそうで、迷子のようだ。
「………ふふ」
 不意に岩永は瞳を細め、楽しげに笑った。
「……どないしたん?」
「…ううん。
 …なんでもない。
 …行こうか」
「……ああ」
 深夜の街を歩く二人の男。
 しかし、なにも知らない、道を行き交う人々の目には、ただ一人の青年が夜遊びをしている風にしか見えない。

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