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「―――逆に聞くけど、お前は信じているのかよ」
自分でもこんな冷徹な声色が出せるのかと驚愕しながら、気づけば俺は吐き捨てるように言っていた。そして自分よりも下、小柄な友人と目線が合う。薄い表情は此方の心を見透かすようで、それがほんの少し、ほんの少しだけ怖かった。
俺は耐えきれなくなって視線を逸らした。
図体は一人前になったというのに、俺はいつまで経っても小心者だ。
ずけずけと物事を怖気ることなく言える友人が羨ましい。
そうすれば俺も自分の奥にある本音を言えるのに。
……いや、きっと俺よりもずっと賢い友人は俺の心の裡なんて、とっくに理解しているのかもしれない。それでもなお、気づかない振りをしてくれているのかもしれない。
「あんなの普通は信じられないよ」
冷静な声は自然と俺の荒ぶる感情を冷却していく。もしかすると気を遣ってくれたのかもしれない、と思考する余裕が出てくる程度には感情の高ぶりは収まってきた。
「だろ?ありえないって普通に考えて。アイツが異世界に転生しただなんて」
表情を意図的に作って、そう笑い飛ばす。
そう、意図的にだ。
心の底では、俺はそんな馬鹿丸出しな話を信じかけていた。
そりゃ普通は信じられない。まだ俺達だって一端の学生だけど、流石にこの年になれば現実と空想の分別くらいはつけているつもりだ。
なんたって俺等は高校三年生だ。夢見がちな小学生とは違う。
そりゃ小さい頃には剣と魔法のファンタジーに憧れていた時期もあったさ。死んだアイツと一緒になって宝探しや聖剣を求めて近所を探索した事だってある。
児童書のファンタジー小説を読み漁っていた時期だってあった。というか今だってそういうジャンルのゲームや小説は嫌いじゃない。むしろ好きな方だ。
しかし。しかしだ。流石にそれを現実とごっちゃにするほど頭の緩い人間じゃない。
確かにアイツは常日頃から二次元の世界に行きたいだの頭の悪い発言を繰り返していたが俺達はそれを真に受けたりしなかったし、アイツだって真面目に二次元の世界やらゲームの世界やらに行けるとは思ってもいなかっただろう。
死んで別の世界に行くだなんて、有り触れた創作の物語でしかない。
……そのはずなのに、どういう訳か俺は、いや俺達はアイツが異世界に転生してヨロシクやってる、なんていう与太話を真面目に信じつつあるらしい。
―――マジで馬鹿かよ、俺。
自分を賢い方とは思っていなかったが、まさかここまで馬鹿だとは思わなかった。
「なあ、そういえばあの手紙、まだ持ってるか?」
「アレ?持ってるよ。一応ね。物凄く扱いに困ってるけど」
「……捨てちまえよ、あんな気味わるいもの。持ってたってしょうがないだろうが」
「そうだけど、達哉は破いて捨てちゃったからね。一応僕は持っておいた方がいいかなって」
捨てたら何か呪われそうだし、と友人は冗談めいているようでまるで笑えない言葉を吐く。それならビリビリに引き裂いて公園のゴミ箱にぶち込んだ俺はどんなヤバい目に遭うのだろうか。此奴の見かけとは裏腹の腹黒さはよく知っているつもりだが、こんな時にまでそんな事を言うのは止めて欲しい。
まあそれはともかくとして、此奴の言い分は一理ある。
白い封筒に白い便箋。それはまさしく呪いの逸品だった。神社にお祓いにでも持っていったら神主が卒倒しそうな、そんな代物に違いない。
見てくれだけは文房具屋で買えそうな簡素のなものだ。
数百円あれば揃いそうな便箋と封筒。宛先も切手も郵便局の捺印もない真っ白なそれは、一通の手紙だった。その時の事を、思い出す。
アイツが死んでから一週間後の夕方。再開した授業を沈んだ気分で受けて一日を過ごし、学校から自分の部屋に戻った時、ソレを発見した。見覚えのない、封筒だった。
とっ散らかった勉強机、重ねられた参考書の上にポツンと置かれた異物に見覚えはなかった。
『……なんだこりゃ?』
ぼんやりとした頭で、何の気なしに丁寧に糊付けされた封筒の上を乱暴に手で切ってみると、中には無地の白い数枚の便箋が入っていた。
三つ折りの便箋には乱雑で読みづらい文字が書かれていた。読解に多少苦労する、崩れた特徴的な文字には見覚えがあった。間違いなく、アイツの文字だ。けれど、けれど。
―――本当に、なんなのだろうか、これは。
読み進めていけばいくほど、常軌を逸した内容が目に入る。
汚い字を解読しているために目が滑っているというのもあるかもしれないが、あまりにも内容が衝撃的過ぎて、出来の悪い脳みそが内容を理解するのを半ば拒んでいた。
曰く、真っ白い空間で神を自称する謎の存在に会った。
曰く、神の手違いで死んでしまったため、お詫びとして異世界に転生させてくれるらしい。
曰く、特典としてチート能力をいくつか貰った。
曰く―――
まずは愕然とした。
そして気づけば、身体の中に言いようのない激情が奔っていた。
これまで経験したことのない感情が怒りなのだと理解するのには多少の時間を要するほどで、思いっきり叫んでこんな悪辣な悪戯をした下手人をぶん殴りたい衝動に襲われた。
津波のように押し寄せる感情の波を理性の力で制御できたのは俺にしてみれば奇跡だったと言っていい。真っ白だった頭が多少の落ち着きを取り戻して、物事を思考する余裕が生まれる。
そうなると出てくるのは疑問だ。一体誰がこんな悪趣味な事をやったのか。
封筒と便箋を放り投げ、自分の部屋から一階に降りると、お袋がキッチンで夕食の準備をしているところだった。
『お袋、俺が学校に行ってる時、部屋に入った?』
声が震えないように努めて、後ろ姿に声を掛けた。
俺が学校を出るときには親父は既に家を出ていたから、俺の部屋に封筒を置けるのは専業主婦のお袋だけだ。こんなくだらない事をする人間じゃないってことは重々理解していたが、それでも俺は聞かずにはいれなかった。
『別にアンタの部屋には入ってないけど、って、大丈夫!?顔真っ青よ!?』
その時の俺の顔は余程酷かったらしい。お袋は火のついたコンロを放置して、お玉を持ったまま慌てて俺の処まで
駆け寄ってきた。
『あ、ああ。大丈夫、でもないけど。とにかく、俺の部屋には入ってないんだよな?』
『え、ええ。……本当に大丈夫?』
念押しして聞くも、お袋の答えは変わらない。俺はお袋を信じる事にした。
『帰ってきた時は分からなかったけど、熱でもあるんじゃない?』
『悪い、大丈夫。俺飯が出来るまで学校の課題片づけてるから』
気遣うお袋を適当に誤魔化し、駆け足で部屋に戻る。
……やっぱりあれはお袋が仕掛けたものではない。俺を慮る表情は真摯で、大根役者のお袋が出来るようなものではない。
でもお袋でないとしたら一体誰が……。
もしかするとあれは疲れ切った精神が見せた出来の悪い幻じゃないかと思ったが、放り投げられてフローリングの床に散らばった紙は確かに存在していて、おそるおそる捲っても文面は変わらない。頬を抓ったが痛かった。間違いなく現実だった。
体内にたまった空気を全て吐き出すように深呼吸を繰り返した俺が次に取ろうとした行動は、とりあえず此奴とコンタクトを取ることだった。腐れ縁の三人組の中では一番落ち着きがあるし、頭もキレる。そしてほんの僅かに疑う気持ちもあった。
此奴と俺の家との距離は近い。お袋とだって顔見知りだ。借りたものを返しにきたとでも言えば、俺がいないときに部屋の中に上がり込むことだってできるだろう。
『……いや、それも無理だ』
少し考えて論理が破綻している事に気付く。俺の部屋に上がり込むことが出来るだろうが、俺が見つけるタイミングで部屋に手紙を置くことは不可能だ。
少なくとも朝家を出る時にはこんなモノはなかった。という事はリミットはそれ以降の時間から俺がこの部屋は入るまでだ。それを考えるとかなり現実的ではない。
登下校もクラスも一緒だから隙を見て、というのも無
明確なアリバイがあるし、大体こんな意味のない事をやる奴じゃない。確かに少しばかり捻くれているところはあるが、根は悪いヤツじゃない。家族の次くらいには長い時間を一緒に過ごしてきたから、それぐらいの信頼はある。
面白半分に設定した間抜けな着信音が鳴ったのは、僅かに震える手で携帯電話を学ランのポケットから引っ張りだしたのとほぼ同時だった。液晶画面に表示されているのは、つい今電話しようと思っていた名前だった。
『あのさ』
前置きも何もなく、いきなりスピーカーから聞こえてきたのは良く知る友人のもので。普段あまり聞くことがない、困惑が混ぜられた声色が印象に残る。
『なんか気味の悪い手紙があるんだけど、もしかして達哉のところに似たようなモノ来てない?』
電話口ではラチがあかない。勢いよく家を出ようとした俺の背後からお袋の声が聞こえたが、聞く事は放棄した。碌も返事もせず、学ランのまま外に飛び出す。
集合場所は近くの公園。昔から遊ぶ時は大体この場所に集まるのがルールだった。
手に便箋を握りしめたまま、徒歩五分程度の道のりを体力の消耗も考えず、走って走破する。自転車を使うという選択肢が頭から抜け落ちている事から俺は相当にテンパっていた。
ぜえぜえと息を荒くして公園に到着する。
砂場とブランコとベンチだけが申し訳程度に設置された広さだけはやたらと広い公園。
端っこに置いてある塗料が剥げかかったベンチに座り、俯くようにして息を整えていると、地面に影が映る。顔を上げると、同じく制服姿の友人の姿があった。
無言で、どこか強張った表情で一つの便箋を差し出された。俺が持っていたものとそれぞれ交換すると、多少の中身の差異はあれど、殆ど同じ内容だった。
端から端までどこまでも電波で。これを大真面目で書いたのであればまともな精神構造じゃないだろう、と推測できる内容。
『僕が家を出る時には父さんはもう出てたよ。勿論、家を出る時には鍵も閉めた。家に着いた時も父さんはまだ帰っ
てきてなくて、鍵もちゃんと閉まってた。……単なる悪戯ってだけで此処までする?』
程度の低い悪戯をするのに態々不法侵入までするのか、此奴も混乱に陥っている様子だったが、論理的な疑問を呈していた。
確かにその通りだ。物盗りならまだしも下手人はそもそも何を考えてこんな事をしたのか。、こんな事をして一体なんの意味があるのか。
いや、俺達の感情を逆なでするという意味では大きな効果があったが、平凡な学生である俺達に強い恨みを持つ奴がいるっていうのは考えにくいし、そんな心あたりもない。
やはりお袋が嘘をついて俺の部屋にあの手紙を置いた。そして友人と口裏を合わせて俺を騙している―――。
……一体、何のために?
態々アイツの筆跡まで真似てこんな侮辱まがいの手紙を出して、なにがあるんだ?
意味がない。そんな事をしてお袋達になんの利点がある?
或いは。
或いは、これは本当にアイツが書いたものなのか。
いやいや待て、死んだ奴がどうやって手紙を出すんだ。生前書いたものだってならどのみちお袋が絡んでいることになる。その時の俺はぐるぐると考えが浮かんでは消え、半ばパニックに陥っていた。
そもそも、アイツの母親が持ってたんなら分かるがなんで俺のお袋が持ってるんだ?
あえてお袋に手渡した?直接俺で良いはずだ。態々お袋に渡す意味はない。
もし仮にお袋が手紙を預かっていたとして、何で俺の部屋に仕込む必要がある。
皺が寄った手紙にもう一度目を通す。
……これがもしも、中学生あたりが書いたのであれば許された。若しくは創作の一環だっていうなら理解できる。中二病というか、そういった幻想に思いを馳せる頃は大抵のヤツにあると思う。なんだったら俺にだってそういうモノに覚えがある。
授業に集中しないで妄想に耽ったり、ノートの切れ端に意味のないカッコいい必殺技を書いたり。男子学生なら多くが体験したことだろう。
でもそれは、いつかは卒業するものだ。
これがもしも、創作の一環ではなく、高校三年生になる男子生徒が大真面目に書いたものであるなら、そいつはちょっとヤバい奴だと言わざるを得ない。
『どうする?いや、どうすればいいんだ?』
ほとほと困った俺は友人に助け船を求めた。だが友人も困ったように眉根を寄せて、
『どうするって、言われても……』
これまた困った声色だった。気持ちはよく分かる。なんて言えばいいのか、俺にも分からない。むしろこんな事に対してビシッと解決策が出る方がどうかしてる。
『……チッ、悪戯だろこんなモン。誰が仕掛けたか知らねえけど、酷え嫌がらせだよ』
便箋と封筒をまとめて破り、ベンチ脇の屑籠入れに投げ入れる。不細工な放物線を描いて、紙屑はビニールの中に納まった。
あの手紙はもう視界に入れたくなかった。持ちたくもなかった。
―――例え、あの手紙が本物だとしてもだ。
口では強がっていても、俺はあの内容を心のどこかで本物だって認めていた。
確たる証拠なんてない。
なんでだろうな。でも、見えるんだ。あいつが暢気に燥いでいる姿が。紙の手紙なんて年賀状くらいしか縁がないけど、この手紙からは確かな躍動感と息遣いが聞こえたんだ。
乱雑した文字の中身は箇条書きに近い簡素なものなのに、その情景がありありと浮かぶ。
何度も書き直して、消しゴムのカス塗れの中から便箋を引っ張り出して渾身の出来だ、と満足気に頷く表情が見えるんだ。この手紙からは普段机になんか向かわないアイツがウキウキとしたためた、そんな場面まで射影されてくる。
―――でも例え本物だったとしても、俺はこれを認めたくないんだ。
だってそうだろ。
アイツがファンタジーな異世界とやらで楽しくやってるってなら、ここにいる俺等はなんて思えばいいんだ?
葬式の時、泣いた俺達やお前の両親が馬鹿みたいじゃねえか。
自分でもこんな冷徹な声色が出せるのかと驚愕しながら、気づけば俺は吐き捨てるように言っていた。そして自分よりも下、小柄な友人と目線が合う。薄い表情は此方の心を見透かすようで、それがほんの少し、ほんの少しだけ怖かった。
俺は耐えきれなくなって視線を逸らした。
図体は一人前になったというのに、俺はいつまで経っても小心者だ。
ずけずけと物事を怖気ることなく言える友人が羨ましい。
そうすれば俺も自分の奥にある本音を言えるのに。
……いや、きっと俺よりもずっと賢い友人は俺の心の裡なんて、とっくに理解しているのかもしれない。それでもなお、気づかない振りをしてくれているのかもしれない。
「あんなの普通は信じられないよ」
冷静な声は自然と俺の荒ぶる感情を冷却していく。もしかすると気を遣ってくれたのかもしれない、と思考する余裕が出てくる程度には感情の高ぶりは収まってきた。
「だろ?ありえないって普通に考えて。アイツが異世界に転生しただなんて」
表情を意図的に作って、そう笑い飛ばす。
そう、意図的にだ。
心の底では、俺はそんな馬鹿丸出しな話を信じかけていた。
そりゃ普通は信じられない。まだ俺達だって一端の学生だけど、流石にこの年になれば現実と空想の分別くらいはつけているつもりだ。
なんたって俺等は高校三年生だ。夢見がちな小学生とは違う。
そりゃ小さい頃には剣と魔法のファンタジーに憧れていた時期もあったさ。死んだアイツと一緒になって宝探しや聖剣を求めて近所を探索した事だってある。
児童書のファンタジー小説を読み漁っていた時期だってあった。というか今だってそういうジャンルのゲームや小説は嫌いじゃない。むしろ好きな方だ。
しかし。しかしだ。流石にそれを現実とごっちゃにするほど頭の緩い人間じゃない。
確かにアイツは常日頃から二次元の世界に行きたいだの頭の悪い発言を繰り返していたが俺達はそれを真に受けたりしなかったし、アイツだって真面目に二次元の世界やらゲームの世界やらに行けるとは思ってもいなかっただろう。
死んで別の世界に行くだなんて、有り触れた創作の物語でしかない。
……そのはずなのに、どういう訳か俺は、いや俺達はアイツが異世界に転生してヨロシクやってる、なんていう与太話を真面目に信じつつあるらしい。
―――マジで馬鹿かよ、俺。
自分を賢い方とは思っていなかったが、まさかここまで馬鹿だとは思わなかった。
「なあ、そういえばあの手紙、まだ持ってるか?」
「アレ?持ってるよ。一応ね。物凄く扱いに困ってるけど」
「……捨てちまえよ、あんな気味わるいもの。持ってたってしょうがないだろうが」
「そうだけど、達哉は破いて捨てちゃったからね。一応僕は持っておいた方がいいかなって」
捨てたら何か呪われそうだし、と友人は冗談めいているようでまるで笑えない言葉を吐く。それならビリビリに引き裂いて公園のゴミ箱にぶち込んだ俺はどんなヤバい目に遭うのだろうか。此奴の見かけとは裏腹の腹黒さはよく知っているつもりだが、こんな時にまでそんな事を言うのは止めて欲しい。
まあそれはともかくとして、此奴の言い分は一理ある。
白い封筒に白い便箋。それはまさしく呪いの逸品だった。神社にお祓いにでも持っていったら神主が卒倒しそうな、そんな代物に違いない。
見てくれだけは文房具屋で買えそうな簡素のなものだ。
数百円あれば揃いそうな便箋と封筒。宛先も切手も郵便局の捺印もない真っ白なそれは、一通の手紙だった。その時の事を、思い出す。
アイツが死んでから一週間後の夕方。再開した授業を沈んだ気分で受けて一日を過ごし、学校から自分の部屋に戻った時、ソレを発見した。見覚えのない、封筒だった。
とっ散らかった勉強机、重ねられた参考書の上にポツンと置かれた異物に見覚えはなかった。
『……なんだこりゃ?』
ぼんやりとした頭で、何の気なしに丁寧に糊付けされた封筒の上を乱暴に手で切ってみると、中には無地の白い数枚の便箋が入っていた。
三つ折りの便箋には乱雑で読みづらい文字が書かれていた。読解に多少苦労する、崩れた特徴的な文字には見覚えがあった。間違いなく、アイツの文字だ。けれど、けれど。
―――本当に、なんなのだろうか、これは。
読み進めていけばいくほど、常軌を逸した内容が目に入る。
汚い字を解読しているために目が滑っているというのもあるかもしれないが、あまりにも内容が衝撃的過ぎて、出来の悪い脳みそが内容を理解するのを半ば拒んでいた。
曰く、真っ白い空間で神を自称する謎の存在に会った。
曰く、神の手違いで死んでしまったため、お詫びとして異世界に転生させてくれるらしい。
曰く、特典としてチート能力をいくつか貰った。
曰く―――
まずは愕然とした。
そして気づけば、身体の中に言いようのない激情が奔っていた。
これまで経験したことのない感情が怒りなのだと理解するのには多少の時間を要するほどで、思いっきり叫んでこんな悪辣な悪戯をした下手人をぶん殴りたい衝動に襲われた。
津波のように押し寄せる感情の波を理性の力で制御できたのは俺にしてみれば奇跡だったと言っていい。真っ白だった頭が多少の落ち着きを取り戻して、物事を思考する余裕が生まれる。
そうなると出てくるのは疑問だ。一体誰がこんな悪趣味な事をやったのか。
封筒と便箋を放り投げ、自分の部屋から一階に降りると、お袋がキッチンで夕食の準備をしているところだった。
『お袋、俺が学校に行ってる時、部屋に入った?』
声が震えないように努めて、後ろ姿に声を掛けた。
俺が学校を出るときには親父は既に家を出ていたから、俺の部屋に封筒を置けるのは専業主婦のお袋だけだ。こんなくだらない事をする人間じゃないってことは重々理解していたが、それでも俺は聞かずにはいれなかった。
『別にアンタの部屋には入ってないけど、って、大丈夫!?顔真っ青よ!?』
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駆け寄ってきた。
『あ、ああ。大丈夫、でもないけど。とにかく、俺の部屋には入ってないんだよな?』
『え、ええ。……本当に大丈夫?』
念押しして聞くも、お袋の答えは変わらない。俺はお袋を信じる事にした。
『帰ってきた時は分からなかったけど、熱でもあるんじゃない?』
『悪い、大丈夫。俺飯が出来るまで学校の課題片づけてるから』
気遣うお袋を適当に誤魔化し、駆け足で部屋に戻る。
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でもお袋でないとしたら一体誰が……。
もしかするとあれは疲れ切った精神が見せた出来の悪い幻じゃないかと思ったが、放り投げられてフローリングの床に散らばった紙は確かに存在していて、おそるおそる捲っても文面は変わらない。頬を抓ったが痛かった。間違いなく現実だった。
体内にたまった空気を全て吐き出すように深呼吸を繰り返した俺が次に取ろうとした行動は、とりあえず此奴とコンタクトを取ることだった。腐れ縁の三人組の中では一番落ち着きがあるし、頭もキレる。そしてほんの僅かに疑う気持ちもあった。
此奴と俺の家との距離は近い。お袋とだって顔見知りだ。借りたものを返しにきたとでも言えば、俺がいないときに部屋の中に上がり込むことだってできるだろう。
『……いや、それも無理だ』
少し考えて論理が破綻している事に気付く。俺の部屋に上がり込むことが出来るだろうが、俺が見つけるタイミングで部屋に手紙を置くことは不可能だ。
少なくとも朝家を出る時にはこんなモノはなかった。という事はリミットはそれ以降の時間から俺がこの部屋は入るまでだ。それを考えるとかなり現実的ではない。
登下校もクラスも一緒だから隙を見て、というのも無
明確なアリバイがあるし、大体こんな意味のない事をやる奴じゃない。確かに少しばかり捻くれているところはあるが、根は悪いヤツじゃない。家族の次くらいには長い時間を一緒に過ごしてきたから、それぐらいの信頼はある。
面白半分に設定した間抜けな着信音が鳴ったのは、僅かに震える手で携帯電話を学ランのポケットから引っ張りだしたのとほぼ同時だった。液晶画面に表示されているのは、つい今電話しようと思っていた名前だった。
『あのさ』
前置きも何もなく、いきなりスピーカーから聞こえてきたのは良く知る友人のもので。普段あまり聞くことがない、困惑が混ぜられた声色が印象に残る。
『なんか気味の悪い手紙があるんだけど、もしかして達哉のところに似たようなモノ来てない?』
電話口ではラチがあかない。勢いよく家を出ようとした俺の背後からお袋の声が聞こえたが、聞く事は放棄した。碌も返事もせず、学ランのまま外に飛び出す。
集合場所は近くの公園。昔から遊ぶ時は大体この場所に集まるのがルールだった。
手に便箋を握りしめたまま、徒歩五分程度の道のりを体力の消耗も考えず、走って走破する。自転車を使うという選択肢が頭から抜け落ちている事から俺は相当にテンパっていた。
ぜえぜえと息を荒くして公園に到着する。
砂場とブランコとベンチだけが申し訳程度に設置された広さだけはやたらと広い公園。
端っこに置いてある塗料が剥げかかったベンチに座り、俯くようにして息を整えていると、地面に影が映る。顔を上げると、同じく制服姿の友人の姿があった。
無言で、どこか強張った表情で一つの便箋を差し出された。俺が持っていたものとそれぞれ交換すると、多少の中身の差異はあれど、殆ど同じ内容だった。
端から端までどこまでも電波で。これを大真面目で書いたのであればまともな精神構造じゃないだろう、と推測できる内容。
『僕が家を出る時には父さんはもう出てたよ。勿論、家を出る時には鍵も閉めた。家に着いた時も父さんはまだ帰っ
てきてなくて、鍵もちゃんと閉まってた。……単なる悪戯ってだけで此処までする?』
程度の低い悪戯をするのに態々不法侵入までするのか、此奴も混乱に陥っている様子だったが、論理的な疑問を呈していた。
確かにその通りだ。物盗りならまだしも下手人はそもそも何を考えてこんな事をしたのか。、こんな事をして一体なんの意味があるのか。
いや、俺達の感情を逆なでするという意味では大きな効果があったが、平凡な学生である俺達に強い恨みを持つ奴がいるっていうのは考えにくいし、そんな心あたりもない。
やはりお袋が嘘をついて俺の部屋にあの手紙を置いた。そして友人と口裏を合わせて俺を騙している―――。
……一体、何のために?
態々アイツの筆跡まで真似てこんな侮辱まがいの手紙を出して、なにがあるんだ?
意味がない。そんな事をしてお袋達になんの利点がある?
或いは。
或いは、これは本当にアイツが書いたものなのか。
いやいや待て、死んだ奴がどうやって手紙を出すんだ。生前書いたものだってならどのみちお袋が絡んでいることになる。その時の俺はぐるぐると考えが浮かんでは消え、半ばパニックに陥っていた。
そもそも、アイツの母親が持ってたんなら分かるがなんで俺のお袋が持ってるんだ?
あえてお袋に手渡した?直接俺で良いはずだ。態々お袋に渡す意味はない。
もし仮にお袋が手紙を預かっていたとして、何で俺の部屋に仕込む必要がある。
皺が寄った手紙にもう一度目を通す。
……これがもしも、中学生あたりが書いたのであれば許された。若しくは創作の一環だっていうなら理解できる。中二病というか、そういった幻想に思いを馳せる頃は大抵のヤツにあると思う。なんだったら俺にだってそういうモノに覚えがある。
授業に集中しないで妄想に耽ったり、ノートの切れ端に意味のないカッコいい必殺技を書いたり。男子学生なら多くが体験したことだろう。
でもそれは、いつかは卒業するものだ。
これがもしも、創作の一環ではなく、高校三年生になる男子生徒が大真面目に書いたものであるなら、そいつはちょっとヤバい奴だと言わざるを得ない。
『どうする?いや、どうすればいいんだ?』
ほとほと困った俺は友人に助け船を求めた。だが友人も困ったように眉根を寄せて、
『どうするって、言われても……』
これまた困った声色だった。気持ちはよく分かる。なんて言えばいいのか、俺にも分からない。むしろこんな事に対してビシッと解決策が出る方がどうかしてる。
『……チッ、悪戯だろこんなモン。誰が仕掛けたか知らねえけど、酷え嫌がらせだよ』
便箋と封筒をまとめて破り、ベンチ脇の屑籠入れに投げ入れる。不細工な放物線を描いて、紙屑はビニールの中に納まった。
あの手紙はもう視界に入れたくなかった。持ちたくもなかった。
―――例え、あの手紙が本物だとしてもだ。
口では強がっていても、俺はあの内容を心のどこかで本物だって認めていた。
確たる証拠なんてない。
なんでだろうな。でも、見えるんだ。あいつが暢気に燥いでいる姿が。紙の手紙なんて年賀状くらいしか縁がないけど、この手紙からは確かな躍動感と息遣いが聞こえたんだ。
乱雑した文字の中身は箇条書きに近い簡素なものなのに、その情景がありありと浮かぶ。
何度も書き直して、消しゴムのカス塗れの中から便箋を引っ張り出して渾身の出来だ、と満足気に頷く表情が見えるんだ。この手紙からは普段机になんか向かわないアイツがウキウキとしたためた、そんな場面まで射影されてくる。
―――でも例え本物だったとしても、俺はこれを認めたくないんだ。
だってそうだろ。
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――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
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