レッド・タイズ

GAリアンデル

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善意の悪意/6

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「お前の得物は鉄パイプなんかじゃないだろ。今の躊躇の無い殺意────間違い無くお前は『異常』だ。だろ、殺人者?」
 その殺意こそがお前が殺人者である証拠だと、そう言わんばかりに梁人が告げた。

 今回の事件、〈善意の悪意〉による連続猟奇殺人は確かにここ・・で行われていた。
 それは梁人にも、ましてアリスにも初めから分かっている事だった。

 彼らは探偵では無い。
 彼らは刑事では無い。
 彼らが動き出す時、犯人は既に分かっているのだ。 

 草臥れた死神と悪意を喰らう少女。
 彼らは悪意持つ者にとっての葬儀人である。

「な、なに言ってやがる……俺が、殺人者?」
 松井が狼狽え始めると同時、完全に目を覚ましたアリスが静かに前へと出た。
 
 月明かりに照らされる湖面の様な静寂と共に、儚げな銀の妖精を思わせる神秘性を纏った少女は静かに語り出す。

「〈善意の悪意〉とは私が勝手に名付けた名前だが、そうした事例は過去にもある。というより造り出す・・・・事が出来る」
 始まったか、と梁人は額の血を拭う。
 少女の言葉に松井は吠えた。
「いきなり何の話をしてやがる! 俺は、俺は何も間違った事はしてねぇ!」
 松井の動揺が激しさを増す。正当化では無く、まるで自分を否定されない様に。
 
「ああそうだろう。お前は何も間違った事はしていない。何せお前にはソレを間違いだと認識する事は出来ない。例え教えられたとしても」
 松井が梁人を見て叫んだ。
「このガキを黙らせろ!」
 静かにけれど冷徹に梁人は告げる。
「悪いがそれは出来ない。そういう決まりだ」
 噛み合わない会話に、松井は自分がどう言う状況に置かれているのかすら把握出来ず、ただ梁人の言葉を反復した。
「き、決まり……?」
 後ずさる松井が怯えた表情でアリスを見つめる。
 追い詰められた獲物の様に、死を突きつけられた罪人の様に。
 逃れ得ない、己が運命を悟った様に。
 アリスが歩を進め、松井は小さく悲鳴を上げる。
 目の前にいる者がただの少女では無い事を認識し、その顔には『恐怖』が浮かびあがっていた。
「ひぃ……!」
 既にアリスは松井の前まで来ていた。
「アイヒマン実験という人間の心理状況を分析する実験がある。方法はともかく実験の趣旨はどんな人間でも、ある環境下にあれば残虐行為を行うか否かを確認する為の研究だ。人は環境に左右されず、善なる心は善のままなのか、あるいはどんな善性であれ悪性は宿るのか。そんな実験だ。答えを言ってしまえば……結果はやはり、一定の環境下にある人間は冷酷で残虐な行為を行う事が出来るのだと証明されるものだった」
 アリスのいつもの関係あるのか無いのか分からない無駄話だ、と梁人は静かにその様子を見守る。
 恐怖に顔を歪め、鼻水を垂れ流す松井に到底その話が聞こえているとは思えなかった。
「ひ、ひぃ……」
 しかしそれでもアリスは続けた。
「人間は恐怖に抗えない。恐怖とは一種の抑止力だ。故に人は恐怖に怯えるのではなく、恐怖に従う。見えざる力の一つであり、世界にはそれが蔓延している。それを理解した時、自由意思などかくも儚く脆く幻想なのだと私はつくづく思ったよ」
「な、なな何の話をしてるんだ……!」
「そうは思わないか〈善意の悪意〉?」
「あ、あわ、うああァァァァ!!!」
 アリスに追い詰められ、松井はとうとうゲートの内側へと逃げ込んだ。そこが逃げ場の無い、松井にとっての断頭台だとも知らずに。
 それを追って梁人とアリスは真っ暗い内側に身体を潜らせる。
 本来はこの内側は〈ペイルライダーズ〉のアジトだったが、今は─────。
「既に全員殺し終えていたか」
 静かに呟いて、梁人は使われていないトラックの荷台に置かれた山の様な死体、替えのタイヤの内側に詰められた人骨を認識する。
 そして塔の様に積み上げられた人骨入りのタイヤの前、そこに松井はいた。
 連続猟奇殺人犯として、悪意持つ者として。
 松井は叫んだ。
「お、俺はただ、街のゴミ拾いをしていただけだ! 警察に何か言われる筋合いなんて無い! ここを使っていたのだって、元々俺はここの作業員だったんだし少しくらい使ったっていいだろうが!」
 その心中にある悪意を見抜いてアリスは仕上げにかかった。
 アリスの齎す『恐怖』に松井は再び震えた。
「ふふ、ゴミ拾いは結構。だが何故、拾ったゴミを近隣住民の家に配ったりしたんだ?」
 その意図を問われ、松井は先刻までの怯え様とは打って変わって吠える様に答えた。
「そんなの決まってるだろうが!」
 その後に続く言葉に僕は勿論、無論アリスでさえも呆気に取られる事となった。
 松井の行動理念。
 その意思のあるところが何に基づいたものなのか。
 意味不明な行動の理由を彼自身が告げる。

「地球のために決まってる!」

 予想外の答えだった。
 が、その後も坊主頭は続ける。
「街のみんなが地球に優しければ俺はこんな事をしなくて済んだんだ。だって、みんながやらないなら、俺がやるしかないだろ……!? 俺はたった一人でゴミ拾いをする気持ちをみんなにも分かって欲しかっただけなんだ……! 今日だってここにゴミが沢山あるから!」
 ゴミ拾い、とは松井の認識内の話しであり、側から見れば単なる猟奇殺人に他ならない。
 人を殺し、解体し、体の一部を近隣住民の家に配る。
 その行動理念も伴うとその異常性は更に際立つ。
 〈善意の悪意〉、アリスがそう呼んだものの正体は地球環境を憂う猟奇殺人鬼だった。 
 そして正体さえ、悪意の基底さえ分かってしまえばもう梁人にする事は無かった。
 基底が定まった瞬間、それが引鉄トリガーとなる。
「アリス」
 静かに告げて、梁人が退がる。
 反対にアリスは前進した。
「もういいかい……? そろそろ我慢が効かなくなっていてね……!」
 銀の妖精の口が三日月の様に吊り上がる。妖精は悪魔に変貌し、瞑目していた赤い瞳が開かれ、闇の中に浮かぶ赤い双眸が、狂気そのものというべき禍々しい空気を纏う。

「補助脳〈レッド・タイズ〉起動────」

 呟いたアリスの瞳がその薄い紅を真紅へと強めた。
 それは警察上層部がアリスを復活・・させるにあたり科した制約の一つ、本人と分離させた〈異能〉を宿す部分。
 本来の彼女の頭脳にして異能の名称である。
 制約のためにアリスは童女の姿で復活させられた。
 そして、彼女の〈異能〉とは、最初に語った通り悪意を喰らう事。
 それはつまり他者の感情を取り込む事を指す。
 〈心理課〉の目的は事態の根本的な解決、それと────猟奇殺人鬼の行動パターンの蒐集。
「さぁて……いただきます」
「ヒィぃ嫌だァァァァ────!!!」
 アリスが告げた直後、松井は凄絶な悲鳴を反響させ、直後糸の切れた操り人形の様にくずおれ、動かなくなった。
 少女の『恐怖』に呑まれ、悪意ごと死んだのだ。
 どんな悪意でさえも呑み込み、死へと至る『恐怖』。
 それこそが、彼女が悪意を喰らうと呼ばれる所以である。

「終わったな」

 梁人は呟いて、空を見上げれば、そこには月が。秋の終わり際、冴えた空気の中、夜空に開かれた瞳の様に見下ろしていた。
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