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善意の悪意/エピローグ
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地球環境を憂う猟奇殺人鬼〈善意の悪意〉を捕らえ帰宅した後、玄関に着くなりアリスは倒れる様に眠った。
元々は大人の身体だったとは言え、今は子どもの身体、それに合わせた脳を搭載している彼女は実際の子どもの様によく眠る。
特に補助脳を使用した後は殆ど昏倒する様に眠りについてしまう程に。
すぅ、すぅと寝息を立てるアリスを梁人はソファへと運び、自身も部屋の隅に腰を降ろすと、静かに瞑目した。
────異常な精神が起こす殺人事件をあといったい幾つ解決すれば、僕は死ねる?
あの日失ったモノを思い起こして、窓の外、差し込む月明かりに目を眇め、再び瞑目し、ゆっくりと沈み込む様に梁人は眠りについた。
+++
次に目が覚めた時、アリスは既にいつもの様に机の定位置で煎餅を食べながら朝のニュースに視線を定めていた。
『本日未明、星籠市の工事現場跡で一連の連続殺人事件の犯人と思われる男が逮捕されました。警察は男の身元など調査したのち改めて発表を行うとの事です。……安心するのはまだ早いという事でしょうか。引き続き夜間の外出は控える様にして戸締りなど用心してお過ごし下さい。続いてのニュースはXXX動物園でパンダの赤ちゃんが────』
ぷつん、とテレビが途絶える。
アリスがその手にリモコンを持っていた。
しばらくぱたぱたと足を揺らしていた彼女だったが、珈琲を持った梁人が机に着くなり、じっ、とその動作を見守る。
その視線を煩わしく思った梁人が不機嫌そうな顔を作って視線を返す。
「……なんだ?」
面倒臭そうに言って梁人はアリスの答えを待つ。
しばらくして。
「地球環境とやらはそんなに悪いのか?」
ふと、アリスの溢した問いを聞きながら梁人は珈琲を啜って逡巡する。
(ただの雑談か)
一々こんな雑談に応じてやるほど梁人はアリスに対して友情も信頼も、ましてや恋愛の感情も無い。
アリスもそれを分かってか、返答などされないものと理解している様子だったが、梁人は結局彼女の話に返事をする事にした。
手にしたマグカップを置いて、視線はカップの内に落としたまま口を開いた。
「まず地球温暖化くらいは聞いた事があるだろ。温室効果ガス自体は元々地球にあるモノだったが産業革命以降必要以上に排出される様になった事で浮上した問題だ」
「そうなるとどうなる?」
「僕は専門家じゃない。それでも想像がつくのは南極の氷が溶ける……とかだろ」
「南極か。あの寒いだけの氷の大陸が無くなるのか、想像つかないな」
などと、興味なさげにアリスは言ってその後に続けた。聞きたかったのはそういう答えでは無かったのだろう。
アリスは煎餅の一枚を手に取ると水平に持ち上げた。
「それもまた恐怖の一つか。生存圏が無くなる事への恐怖。人はみな、生まれた場所があり、帰る場所を作る。そして土地と人との縁で己を形作る。だが、そのどちらかでも欠ければ────……」
ばりっ、と煎餅を半分に割ってアリスは片方を頬張る。そしてもう片方を梁人へと差し出した。
「…………」
土地と人。
どちらかでも欠ければ人は、人で無くなるとでも言いたいのか。
ならば彼女がかつて起こした〈レッドクイーン暴動〉は一体なんだったのか。
梁人には前者はともかく、後者は今はもう無い。それに今更それを嘆く様な心も無い。
だが、アリスは────?
一瞬そんな考えが浮かんだ事に梁人は苦笑した。
そしてその考えを飲み下す様に梁人は珈琲を啜る。
割られた煎餅の意味など、アリスの考えている事など梁人には分からない、理解する気もない。
「……で、この煎餅はなんだ。お前が手にしたモノを僕が食べるとでも?」
「今、割って見せただろう。その煎餅の片方が土地、片方は人だとしよう。これはそのどちらかさ」
「だからなんだ?」
「キミはどっちだったら受け取ってくれる?」
「…………」
そんなものどちらでも良いと思う梁人だったが、再び逡巡して…………
「どっちも受け取らない」
「そうか。でもキミが食べないなら、この煎餅は私も食べない。それはつまり無為に捨てられるのと同義だ。もしこの先、私が人で無くなるとしたらキミはその時どうする? これはそういう問いなんだよ」
梁人が苦虫を噛み潰した様な顔を浮かべる。
地球環境やら恐怖やらと話題を出してきて、挙句の果てにアリスは結局そこに落ち着いた。
ふと視線を上げればアリスはにやにやと「どうする?」と梁人の目の前で煎餅をぱたぱたと動かした。
「くそったれ」
言った僕の口にアリスが「あーん」と言いながら煎餅を咥えさせた。
この受け取ったモノがアリスにとってどちらなのか、梁人には分からない。
梁人は彼女の事を理解しない。
理解し、受け入れられてしまうが故に理解を手放した。
それが境界線ならば、梁人は境界線の上に立つ者だろう。
橋の上に立つ人は、今日も橋の上にいた。
元々は大人の身体だったとは言え、今は子どもの身体、それに合わせた脳を搭載している彼女は実際の子どもの様によく眠る。
特に補助脳を使用した後は殆ど昏倒する様に眠りについてしまう程に。
すぅ、すぅと寝息を立てるアリスを梁人はソファへと運び、自身も部屋の隅に腰を降ろすと、静かに瞑目した。
────異常な精神が起こす殺人事件をあといったい幾つ解決すれば、僕は死ねる?
あの日失ったモノを思い起こして、窓の外、差し込む月明かりに目を眇め、再び瞑目し、ゆっくりと沈み込む様に梁人は眠りについた。
+++
次に目が覚めた時、アリスは既にいつもの様に机の定位置で煎餅を食べながら朝のニュースに視線を定めていた。
『本日未明、星籠市の工事現場跡で一連の連続殺人事件の犯人と思われる男が逮捕されました。警察は男の身元など調査したのち改めて発表を行うとの事です。……安心するのはまだ早いという事でしょうか。引き続き夜間の外出は控える様にして戸締りなど用心してお過ごし下さい。続いてのニュースはXXX動物園でパンダの赤ちゃんが────』
ぷつん、とテレビが途絶える。
アリスがその手にリモコンを持っていた。
しばらくぱたぱたと足を揺らしていた彼女だったが、珈琲を持った梁人が机に着くなり、じっ、とその動作を見守る。
その視線を煩わしく思った梁人が不機嫌そうな顔を作って視線を返す。
「……なんだ?」
面倒臭そうに言って梁人はアリスの答えを待つ。
しばらくして。
「地球環境とやらはそんなに悪いのか?」
ふと、アリスの溢した問いを聞きながら梁人は珈琲を啜って逡巡する。
(ただの雑談か)
一々こんな雑談に応じてやるほど梁人はアリスに対して友情も信頼も、ましてや恋愛の感情も無い。
アリスもそれを分かってか、返答などされないものと理解している様子だったが、梁人は結局彼女の話に返事をする事にした。
手にしたマグカップを置いて、視線はカップの内に落としたまま口を開いた。
「まず地球温暖化くらいは聞いた事があるだろ。温室効果ガス自体は元々地球にあるモノだったが産業革命以降必要以上に排出される様になった事で浮上した問題だ」
「そうなるとどうなる?」
「僕は専門家じゃない。それでも想像がつくのは南極の氷が溶ける……とかだろ」
「南極か。あの寒いだけの氷の大陸が無くなるのか、想像つかないな」
などと、興味なさげにアリスは言ってその後に続けた。聞きたかったのはそういう答えでは無かったのだろう。
アリスは煎餅の一枚を手に取ると水平に持ち上げた。
「それもまた恐怖の一つか。生存圏が無くなる事への恐怖。人はみな、生まれた場所があり、帰る場所を作る。そして土地と人との縁で己を形作る。だが、そのどちらかでも欠ければ────……」
ばりっ、と煎餅を半分に割ってアリスは片方を頬張る。そしてもう片方を梁人へと差し出した。
「…………」
土地と人。
どちらかでも欠ければ人は、人で無くなるとでも言いたいのか。
ならば彼女がかつて起こした〈レッドクイーン暴動〉は一体なんだったのか。
梁人には前者はともかく、後者は今はもう無い。それに今更それを嘆く様な心も無い。
だが、アリスは────?
一瞬そんな考えが浮かんだ事に梁人は苦笑した。
そしてその考えを飲み下す様に梁人は珈琲を啜る。
割られた煎餅の意味など、アリスの考えている事など梁人には分からない、理解する気もない。
「……で、この煎餅はなんだ。お前が手にしたモノを僕が食べるとでも?」
「今、割って見せただろう。その煎餅の片方が土地、片方は人だとしよう。これはそのどちらかさ」
「だからなんだ?」
「キミはどっちだったら受け取ってくれる?」
「…………」
そんなものどちらでも良いと思う梁人だったが、再び逡巡して…………
「どっちも受け取らない」
「そうか。でもキミが食べないなら、この煎餅は私も食べない。それはつまり無為に捨てられるのと同義だ。もしこの先、私が人で無くなるとしたらキミはその時どうする? これはそういう問いなんだよ」
梁人が苦虫を噛み潰した様な顔を浮かべる。
地球環境やら恐怖やらと話題を出してきて、挙句の果てにアリスは結局そこに落ち着いた。
ふと視線を上げればアリスはにやにやと「どうする?」と梁人の目の前で煎餅をぱたぱたと動かした。
「くそったれ」
言った僕の口にアリスが「あーん」と言いながら煎餅を咥えさせた。
この受け取ったモノがアリスにとってどちらなのか、梁人には分からない。
梁人は彼女の事を理解しない。
理解し、受け入れられてしまうが故に理解を手放した。
それが境界線ならば、梁人は境界線の上に立つ者だろう。
橋の上に立つ人は、今日も橋の上にいた。
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