上方びいどろ

前野羊子

文字の大きさ
25 / 44

25【大坂西町奉行の】

しおりを挟む
 後日、瑠璃は大坂西町奉行の藤岡重蔵の私邸に出向いていた。
 総髪を後ろで男衆の髷のように上の方で一つにまとめて垂らし、羽織袴に二本差しの出で立ちだ。
 大坂町奉行所は一つの奉行所を西と東の奉行で交代で使う。今は東奉行所の当番なので、西町奉行の重蔵は自分の屋敷の一つの座敷に二人の息子の与力と、そのうちの長男の下についている同心を呼んでいた。

 「皆の者、西うちが当番じゃないときにすまぬの」
 「いえ、お役目柄、休みは考えずと思っております」
 百沙衛門は代表して答えると、一同は頷く。

 「して、瑠璃姫よ」
 「お奉行様、瑠璃と呼び捨てでお願いします」
 「うむ、瑠璃よ、火事を未然に防いでくれたことに対して、特別の俸禄の用意があるのでな」
 「ありがたいことですが、まだえびす屋の女将が殺された事件が解決しておりませぬ」
 「それはそれ、これはこれよ。
 だが、瑠璃。お前は頑張りすぎておらぬか?」
 「毎日が充実しておりまして、つい体が動いてしまうのです。好奇心が人一倍多すぎるのかもしれませぬ」
 「ははは、それは確かにそうだろう」
 「「「ははは」」」
 みんなに笑われてばつが悪いのか、すこし項を搔いてしまう。
 「しかし、お奉行様にお預かりしている十手が思いのほか仕事をしてくれまして。感謝いたします」
 「うむ、ほどほどにな。
 お主は羽森様からお預かりしている大事な姫だ。本来はあのような物騒な長屋ではなく、きちんとしたお屋敷を与えてそこに居てほしいのだが」
 「お気遣いありがとうございます。でもあの狭さが落ち着くのです」
 おや、俺が先日言った台詞と同じだ、と百沙衛門は一人だけほっこりしている。

 「さて、捕らえた二人の侍はどうなった」
 重蔵は奉行の顔を取り戻しきりりと話し始める。
 「は、大小曽川おおこそがわ福山下ふくやましたは、奥羽地方にて跡継ぎに恵まれずに取り潰しにあった大名の家臣のそれぞれ嫡男で、他の家臣は江戸にて新しい奉公先を探しているらしいです。あの二人は紀州にて家臣への登用に挑んだのですが、叶わず大坂に流れてきたようです」
 「ふむ。大坂に来ても大名はいないから、仕える先は無いのにのう」
 大坂町奉行も江戸幕府からの派遣で構成されている。
 「はい、紀州も、その手前の岸和田も、農地を整備するような農夫は欲しておりますが、彼らは武士にこだわっていたのです」
 「戦国の世じゃあるまいし、今の武士の仕事は我々のような役人しかないのにな」

 「刀は錆びていても構わぬが算盤の出来る方が今は必要だからな。町人と変らぬかもしれぬ。ここだけの話だが」
 次男の東次郎が皆を代表して吐く言葉に皆で苦笑いする。
 「江戸なら傘貼りの内職をする同心も居るようですが、こちらは雨も少ないですしね」
 同心らも話をする。
 「道頓堀の茶屋には、武士崩れがやってる店もありますよ」
 「仕えたところで碌が少ないなら、そちらの方が生活できるかもしれぬ」
 「分かってても捨てられないのが武士という柵だな」

 「どうした瑠璃?」
 思案顔で黙ってしまった瑠璃に百沙衛門が声をかける。
 「あの二人だけ江戸ではなく紀州に来たのかが気になります。他の者たちと離れて行動していたのには、単に群れたくないということだけならいいのですが」
 「そうだな、本人からと、稽古場で聞いた他の武士の話しか分からぬな」
 「もしかして、もっと何か重大なことを抱えているやもしれませぬな」
 「だからと言って、江戸まで行って奥羽から来た他の武士に事情を聴くのも難しい」

 「……しかしやはりそこは、江戸に出向いて聞くしかないやもしれぬ」
 面倒でもと重蔵は言う。

 「はい」
 「昨日、皆が調べてくれた事柄について、江戸でもお調べしたいと老中に早馬でお伺いを持たせたのだ。その返事の内容によっては、百沙衛門と、悪いが瑠璃も江戸に行ってほしい」
 「「はっ」」
 「江戸で手配する人相書きも瓦版屋に刷り増ししてもらうから、持って行ってくれ」
 「分かりました」

 藤岡重蔵の私邸を出て、百沙衛門の屋敷に二人で戻る。
 侍の格好なぞいつもの長屋で出来るわけはなく、もちろんこのお屋敷を借りて着替えたのだ。

 やはり、ちゃんとしたお屋敷を構えた方がいいのか。いつも百沙衛門やお染に甘えて着替えたり風呂を借りたりするのも、実のところ気が引ける。

 「なあ、瑠璃。着替えたら話があるんだ」
 「?分かりました」

 百沙衛門が居間で冷たい茶が入った切子の茶碗を透かして眺めていると、
 「百様、お待たせしました」
 声がして、すっかり女子の装いになった瑠璃が入ってきた。
 今日は何時になく押しの強いお染に負けたのだと、真っ赤に染め抜かれた花柄の元禄袖を着て、緑色の美しい帯を締めてもらっている。

 その姿を眩しく思いながら、百沙衛門が手招きをして、下座に敷いている座布団に座らせる。百沙衛門も今は着流しでなく、父の屋敷から帰って一度着替えはしているが袴姿だ。
 「どうしたん?あ、その切子の茶碗」
 「ああ、天満で買ったお前のと揃いのだな」
 「うちもいつも大事に使わせてもらってるんよ」
 「そうだな、よしの屋にも持ってきてたな」
 「ふふ、きれいやな。そうやって陽に透かして見るのがうちも楽しいんや」
 「俺もついやってしまうよ。確かに奇麗だな瑠璃って」
 「そうやな」

 百沙衛門は向かいに座った娘に近づいて、切子を持ってない方の手を、向かいに座った瑠璃の手に重ねてくる。
 「こっちの瑠璃も奇麗なんだけど」
 「へ?」
 「初めて会った時から、そう思ってた」

 「初めてって、初めて会うたときは、うちはお小姓の格好でしたえ?」
 「そうだ。それも可愛かったよなぁ」
 「いややわ、何を冗談言うてますの。
  そ、そうや、改まって話って何でしたん?」
 「冗談ではないよ。この瑠璃姫が奇麗だって俺が思っているって話だよ」
 「お、おおきに」

 「ねえ、瑠璃」
 「へえ」
 「先日嵐山で、許嫁と縁を切ってきたんだろう?」
 「はい、どうしてそれを?」
 「お染に聞いたんだけど。それに父上も羽森様から聞いたそうだ」
 「うっ」

 「羽森の瑠璃姫には、俺は・・・藤岡百沙衛門は釣り合わないのだろうか?」
 「そ、そんなことはおへんよ」
 「じゃあ、どうか、俺と夫婦になってほしい」

 「!」
 「御免、あせって順番を間違えた」
 「順番?」
 「瑠璃が好きなんだよ。初めて会った時から」
 そうして、茶碗を傍らに置いて、瑠璃の両手を両手で握りしめに行く。
 
 「も、百沙衛門様」
 「ねえ、瑠璃姫様はどうなの?」

 「うちは、この通りじゃじゃ馬で、料理も出来やしまへんえ」
 「知ってるよ」
 「そんな女が、藤岡様に嫁ぐなんて無理や」
 「そうじゃない、瑠璃は俺の事を、どう思うんだ?」
 「そ、それは・・・
 うちも・・・お慕いしております」
 百沙衛門の視線に耐え切れず下をみると、握られた手が見えて結局焦ってしまう。
 「本当か!」
 「せやなければ、お染はんがいるとはいえ、独身の百様のお屋敷に来ることはありまへんよ」
 観念してしまった。
 「やった!」
 がばっ!
 「も、百様ちょっと」
 「すまん、もう我慢できなくて」
 「もー、嫁ぐんは無理や言うてるのに」
 思わず抱き着いてきた百沙衛門の温かさを感じて、
 ゆっくりと落ち着きを取り戻す瑠璃だった。

 「うちの嫁は家事なんて出来なくてもいいのだ。お染が居るからな」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

カモフラ婚~CEOは溺愛したくてたまらない!~

伊吹美香
恋愛
ウエディングプランナーとして働く菱崎由華 結婚式当日に花嫁に逃げられた建築会社CEOの月城蒼空 幼馴染の二人が偶然再会し、花嫁に逃げられた蒼空のメンツのために、カモフラージュ婚をしてしまう二人。 割り切った結婚かと思いきや、小さいころからずっと由華のことを想っていた蒼空が、このチャンスを逃すはずがない。 思いっきり溺愛する蒼空に、由華は翻弄されまくりでパニック。 二人の結婚生活は一体どうなる?

罪悪と愛情

暦海
恋愛
 地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。  だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――

処理中です...