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29【片付け】
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「え?瑠璃ちゃんホンマに婚約したん?」
「しっ菫之丞はん、何で知ってるん」
ようやく大坂に帰ってきた瑠璃だが、いつでも引き払えるように、とりあえず長屋の荷物を片づけたり掃除をしていた。そこへ菫之丞がやってきたのだった。
「そりゃあ。あんたが婚約したっちゅうてがっかりしたはった岡っ匹が居てね。
お相手はもしかして百様?」
「まあ、そういうことなんやけど」
「え?瑠璃ちゃんってどこの子なん?」
「どこのって?」
「百様と言えばお父上がお奉行様やろ?お江戸の将軍様から言われて来るほどの」
「何で知ってるの?」
苗字変えて同心の格好してるのに。
「そりゃ東次郎様にそっくりやん。うちこう見えても、人を色々見るの得意やねん。仕事柄な。
そんで、百様の方が長男さんやろ?」
「・・・せや。まだ黙っといたってな」
「その、百様と婚約するって普通の町人には無理やん」
「まあ、うちも色々あるさかい」
「その色々が聞きたいわ」
「なんやの。お芝居のねたにするほどの物じゃないえ」
手は休めずに話に付き合う。相変わらず玄関は開けたままの部屋だ。そろそろ暑いから、その方が涼しくていい。
「そんなわけで、しばらく菫之丞はんの簪は無理やねん。江戸にも行かなあかんよってな」
「江戸ぉ?
そんなぁ、うちの売れっ子期間もおしまいや」
売れっ子役者が、この世の終わりのような顔はけっこう迫力がある。
「なに言うてんの」
「だって、瑠璃ちゃんの簪見たくて来るお客さんも多いんやで!」
「おおきに。そう思てね、新しく五つ作ったんや、それ」
座卓に五つの桐箱が並んでる。
「え?開けてみていい?」
「ええで」
「・・・うわあ綺麗」
前から準備をしていた牡丹、そして金魚、風鈴、朝顔、桔梗。
初夏から初秋迄の季節を感じる爽やかで華やかな簪。
「瑠璃ちゃん忙しそうやのに、こんなに作ってくれたんや」
「ほんま大変やったんよ。実家にも行ってたし。
でも、うち作るの好きやさかい。また手が空いたら作るよってな」
「うん」
「こんだけあったらうちが江戸に行っても暫くは何とかなるやろ」
「せやな、秋から向こうは去年作ってもらったものもあるしな」
「よかった」
機嫌治ってくれて。
「祝言はいつなん?」
「まだわからへんねん」
「それにしても、瑠璃ちゃんそれ、もしかして江戸に行く旅支度なんか?」
「うん」
町人の旅と言えば弁当箱みたいなものを二つ紐でつなげて肩に引っ掛けて歩く。
しかし、瑠璃のひざ元には小さいとはいえ、着物が十枚は入りそうな行李が置かれている。
「大きすぎない?それを下げて江戸に行くんやろ?」
「大丈夫、馬で行くんよ」
「馬ぁ?さすがお奉行様の跡取りの嫁は違うわ」
「まだ、嫁じゃないって」
五つの桐の箱を風呂敷に包んで、菫之丞に渡す。
「本当はうちが持って行かなあかんのに、いつも取りに来てくれておおきに」
「ううっ!ここに来るの楽しみやったのに」
「ふふふ。ほな、うちも出かけるさかい、一緒にそこまで行きまひょか」
「うん」
「それとな、菫之丞はん。
うちが婚約したことは、ご近所さんにはまだ内緒にしててな」こそっ
「わかってる」
こんな、貧乏長屋に一人で住んでいる娘が同心(ほんとは与力)と結婚なんて誰でもびっくりするわ。
「それにしても、おりょんさんが亡くなったとはいえ、えびす屋がつぶれるなんてね」
どうして閉店するのかは、町の人にはまだ知らされていない。
歩きながら、菫之丞が今難波で話題になっている話を始める。
「そうやな。大店が一つ無くなったらあの通りが寂しなりますなぁ」
入り婿の旦那さんは呉服屋をやる気なんてサラサラなさそうだったけどね。
土蔵にあれほど危ないものを詰め込んで、もしも入口に付けられた火があそこまで回ったらどうなることやら、考えただけでも寒気がする。これから夏だと言うのに。
菫之丞と茶屋で分かれて、うどん屋〈こすけ〉に入る。
「いらっしゃい。まあ、瑠璃姐さん」
「姐さんはやめてや、お千代ちゃん」
にゃあ
「おや、シマオきてたんか?」
にゃあ
足元のトラ猫を抱き上げる。
「そろそろ、毛ぇ梳いてやらなな。〈こすけ〉で煮干し貰えんようになるよ。こんなに毛ぇ落としてたら」
「あら、ほんとや」
「うち、外の床几で食べるわ。おいでシマオ、綺麗にしたげよな」
うどん屋の外にある毛氈をひいた床几に座り、膝に手拭いを広げてその上にトラ猫を乗せ、上げた前髪に刺さってた櫛を取って猫の毛を梳いていく。
シマオは気持ちいいのかゴロゴロ言っている。
膝の手拭いには猫の毛がいっぱい落ちてきた。
「瑠璃、饂飩出来たって。悪いな、シマオは俺が続きをするよ」
「百様おおきに。じゃあシマオ、ご主人様と交代な」
にゃあ
「はい、櫛」
「ああ。シマオ、じっとしろよ」
にゃーん
「あ、こら!」
饂飩屋の卓では、岡っ引きの七兵衛が番茶を飲んでいた。
「シマオも分かってんだね」
「何が?」
「瑠璃ちゃんの膝の方が柔らかくて居心地がいいって」
「えー?肥えてるってこと?」
「違うよ。シマオも雄だからさ」
「そうなの?そんなの関係あるん?」
「関係ある」
「しっ菫之丞はん、何で知ってるん」
ようやく大坂に帰ってきた瑠璃だが、いつでも引き払えるように、とりあえず長屋の荷物を片づけたり掃除をしていた。そこへ菫之丞がやってきたのだった。
「そりゃあ。あんたが婚約したっちゅうてがっかりしたはった岡っ匹が居てね。
お相手はもしかして百様?」
「まあ、そういうことなんやけど」
「え?瑠璃ちゃんってどこの子なん?」
「どこのって?」
「百様と言えばお父上がお奉行様やろ?お江戸の将軍様から言われて来るほどの」
「何で知ってるの?」
苗字変えて同心の格好してるのに。
「そりゃ東次郎様にそっくりやん。うちこう見えても、人を色々見るの得意やねん。仕事柄な。
そんで、百様の方が長男さんやろ?」
「・・・せや。まだ黙っといたってな」
「その、百様と婚約するって普通の町人には無理やん」
「まあ、うちも色々あるさかい」
「その色々が聞きたいわ」
「なんやの。お芝居のねたにするほどの物じゃないえ」
手は休めずに話に付き合う。相変わらず玄関は開けたままの部屋だ。そろそろ暑いから、その方が涼しくていい。
「そんなわけで、しばらく菫之丞はんの簪は無理やねん。江戸にも行かなあかんよってな」
「江戸ぉ?
そんなぁ、うちの売れっ子期間もおしまいや」
売れっ子役者が、この世の終わりのような顔はけっこう迫力がある。
「なに言うてんの」
「だって、瑠璃ちゃんの簪見たくて来るお客さんも多いんやで!」
「おおきに。そう思てね、新しく五つ作ったんや、それ」
座卓に五つの桐箱が並んでる。
「え?開けてみていい?」
「ええで」
「・・・うわあ綺麗」
前から準備をしていた牡丹、そして金魚、風鈴、朝顔、桔梗。
初夏から初秋迄の季節を感じる爽やかで華やかな簪。
「瑠璃ちゃん忙しそうやのに、こんなに作ってくれたんや」
「ほんま大変やったんよ。実家にも行ってたし。
でも、うち作るの好きやさかい。また手が空いたら作るよってな」
「うん」
「こんだけあったらうちが江戸に行っても暫くは何とかなるやろ」
「せやな、秋から向こうは去年作ってもらったものもあるしな」
「よかった」
機嫌治ってくれて。
「祝言はいつなん?」
「まだわからへんねん」
「それにしても、瑠璃ちゃんそれ、もしかして江戸に行く旅支度なんか?」
「うん」
町人の旅と言えば弁当箱みたいなものを二つ紐でつなげて肩に引っ掛けて歩く。
しかし、瑠璃のひざ元には小さいとはいえ、着物が十枚は入りそうな行李が置かれている。
「大きすぎない?それを下げて江戸に行くんやろ?」
「大丈夫、馬で行くんよ」
「馬ぁ?さすがお奉行様の跡取りの嫁は違うわ」
「まだ、嫁じゃないって」
五つの桐の箱を風呂敷に包んで、菫之丞に渡す。
「本当はうちが持って行かなあかんのに、いつも取りに来てくれておおきに」
「ううっ!ここに来るの楽しみやったのに」
「ふふふ。ほな、うちも出かけるさかい、一緒にそこまで行きまひょか」
「うん」
「それとな、菫之丞はん。
うちが婚約したことは、ご近所さんにはまだ内緒にしててな」こそっ
「わかってる」
こんな、貧乏長屋に一人で住んでいる娘が同心(ほんとは与力)と結婚なんて誰でもびっくりするわ。
「それにしても、おりょんさんが亡くなったとはいえ、えびす屋がつぶれるなんてね」
どうして閉店するのかは、町の人にはまだ知らされていない。
歩きながら、菫之丞が今難波で話題になっている話を始める。
「そうやな。大店が一つ無くなったらあの通りが寂しなりますなぁ」
入り婿の旦那さんは呉服屋をやる気なんてサラサラなさそうだったけどね。
土蔵にあれほど危ないものを詰め込んで、もしも入口に付けられた火があそこまで回ったらどうなることやら、考えただけでも寒気がする。これから夏だと言うのに。
菫之丞と茶屋で分かれて、うどん屋〈こすけ〉に入る。
「いらっしゃい。まあ、瑠璃姐さん」
「姐さんはやめてや、お千代ちゃん」
にゃあ
「おや、シマオきてたんか?」
にゃあ
足元のトラ猫を抱き上げる。
「そろそろ、毛ぇ梳いてやらなな。〈こすけ〉で煮干し貰えんようになるよ。こんなに毛ぇ落としてたら」
「あら、ほんとや」
「うち、外の床几で食べるわ。おいでシマオ、綺麗にしたげよな」
うどん屋の外にある毛氈をひいた床几に座り、膝に手拭いを広げてその上にトラ猫を乗せ、上げた前髪に刺さってた櫛を取って猫の毛を梳いていく。
シマオは気持ちいいのかゴロゴロ言っている。
膝の手拭いには猫の毛がいっぱい落ちてきた。
「瑠璃、饂飩出来たって。悪いな、シマオは俺が続きをするよ」
「百様おおきに。じゃあシマオ、ご主人様と交代な」
にゃあ
「はい、櫛」
「ああ。シマオ、じっとしろよ」
にゃーん
「あ、こら!」
饂飩屋の卓では、岡っ引きの七兵衛が番茶を飲んでいた。
「シマオも分かってんだね」
「何が?」
「瑠璃ちゃんの膝の方が柔らかくて居心地がいいって」
「えー?肥えてるってこと?」
「違うよ。シマオも雄だからさ」
「そうなの?そんなの関係あるん?」
「関係ある」
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