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30日目
川嶋あい(すでに知名度はありますが、夢に向かっていた時期について)
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本日、30回目を迎えました。1ヶ月続きました。
すでにご存じの方も多いと思いますが、今日は川嶋あいさんの高校時代の夢に向かっていた時期について書きたいと思います。
「今、夢があるけど、追いかけ続ける自信がない」
「目標はあるのに、達成するまでのモチベーションを維持できない」
そんな悩みのある人は参考になると思います。
川嶋あいさんといえば卒業ソングの定番「旅立ちの日に・・・」が大ヒットしましたね。
歌手になりたいという夢を叶えるために高校1年生の頃から路上ライブを始めて、3つの大きな目標に向かって歌い続けたようです。
1つめの目標は「とにかく路上ライブを1000回やろう」ということです。
2つめの目標は「渋谷公会堂でワンマンライブをやる」ということです。
3つめの目標は「CDを5000枚売る」ということです。
川嶋あいさんは歌との出会いは3歳の時でした。人見知りする性格を改善させようと母が音楽教室に連れていったそうです。その時は演歌を歌っていたようです。歌の楽しさよりもやさしくておもしろい先生に会いたくて通っていたそうです。
5歳を過ぎるころ、地元・福岡のコンクールにも出場するようになりました。でも、恥ずかしくて振り付けはできるのに歌の方は最後のフレーズだけ声を出す感じだったようです。それでも母には褒められていたようで、「母の期待にこたえたい」と小学校低学年の頃から「私は歌手になる」という夢をもったようです。
中学生になる頃には数々のコンクールでグランプリを受賞するようになり、地元では有名になり、中2の時「演歌歌手」としてデビュー。
しかし、売れなかったようです。演歌で売れるようになるには度肝を抜くようなずば抜けた歌唱力がない限りは厳しそうですよね。
そこでJ-POPで再スタートしようと、上京して、堀越学校の芸能コースへ入学。
川嶋あいさんは中学校の頃から「歌手になるためには何をすればよいのか」考え、演歌はもちろんJ-popも作詞作曲していたようです。
しかし、なかなか活躍できなくて1年も経たないうちに事務所から「もうバックアップできない」と見放されてしまったようです。
高校1年生で夢をもって一人で上京してきたのに、見放されたらそれはもう、つらいですよね。まして、女の子ですからね。
実際、川嶋さんもまわりはみんなオシャレで可愛いのに、「自分はなんでこんなに田舎者なんだろう」って劣等感をもっていたようです。
それで毎日、泣き続けていたようです。
そんなある日、路上で歌っている人をみてなんだか勇気づけられて、「よし、自分もやってみよう」と決めたようです。
「歌手になるには路上で歌うしかない」と思ったようです。
始めて路上で歌ったのが高校1年生の2月の頃。四ツ谷駅の橋の上で、勇気を振り絞ってカラオケで1曲だけ歌ったが、誰も立ち止まってくれなかった。その後、数回、四ツ谷駅で歌ったが何も変わらなかった。そこで上記の1つめの目標を立てた。やるだけやって駄目だったら諦めようと思っていたようです。
高校2年の頃から、渋谷に場所を移して、高校に通いながら放課後や土日に路上で歌っていたそうです。
渋谷で路上ライブを始めて1カ月後ぐらいに大学生の男子3人から「手伝いたい」と声をかけられたようです。その人たちがその後、私のデビューのために事務所を立ち上げてくれたようです。その人たちが、キーボードの弾き語りでオリジナル曲を歌った方がいいとか、いろいろアドバイスをしてくれたようです。
バックアップしてくれる人たちと出会い「渋谷公会堂でワンマンライブをやる」という2つめの目標をたてました。
弾き語りをするようになり、オリジナルのCD曲を作り、「CDを5000枚売る」という3つめの目標もたてました。
この3つの目標に向かってひたすら川嶋さんは歌い続けたようです。
あるとき、路上で歌っていた「明日への扉」という曲を聴いたテレビの人気番組のプロデューサーから主題歌として使いたいと申し出を受けたようです。
しかし「川嶋あい」としてデビューすると路上ライブが続けられなくなると考え、「I Wish」というユニットでデビュー。「明日への扉は」は90万枚の大ヒットを記録したが、自分が「I Wish」であると明かさないまま路上ライブをつづけたようです。
もう、この頃は川嶋さんの歌がすでに多くの人の心を魅了していたのですね。
路上ライブを始めて1年になる頃には立ち止まって歌をじっくり聴いてくれる人がどんどん増え、「CDを5000枚売る」という目標を達成したようです。
また、渋谷公会堂でワンマンライブをするという目標を立ててから、館長に直接交渉するために何度も通い続けたようです。
最初は相手にしてもらえなかったが、何度も交渉を続け、川嶋さんの熱意に打たれた館長が、こっそり路上ライブを見に来てくれて、その後も交渉を続け、ついに前代未聞のメジャーデビュー前の高校生シンガーの渋谷公会堂ワンマンライブの許可が出たようです。
路上ライブを始めて約1年半後、チケットは手売りだったが、1923人もの観客を集めて、高校3年の夏の渋谷公会堂のワンマンライブは大成功に終わったようです。
3つとも高すぎる目標でしたが、「時間がかかってもやり続ければたどりつける」のかなって気持ちはあったようです。
その後、メジャーデビューを果たしたものの、路上ライブを続け、始めてから約3年で19歳の時に1000回達成。
川嶋あいさんのように目標を立てて、その目標に向かって頑張っていたから、自分をサポートしてくれる3人の大学生に出会い、さらに目標に向かって頑張ることができたのかもしれません。
本日は川嶋あいさんの夢に向かっていた時期について紹介しました。
すでにご存じの方も多いと思いますが、今日は川嶋あいさんの高校時代の夢に向かっていた時期について書きたいと思います。
「今、夢があるけど、追いかけ続ける自信がない」
「目標はあるのに、達成するまでのモチベーションを維持できない」
そんな悩みのある人は参考になると思います。
川嶋あいさんといえば卒業ソングの定番「旅立ちの日に・・・」が大ヒットしましたね。
歌手になりたいという夢を叶えるために高校1年生の頃から路上ライブを始めて、3つの大きな目標に向かって歌い続けたようです。
1つめの目標は「とにかく路上ライブを1000回やろう」ということです。
2つめの目標は「渋谷公会堂でワンマンライブをやる」ということです。
3つめの目標は「CDを5000枚売る」ということです。
川嶋あいさんは歌との出会いは3歳の時でした。人見知りする性格を改善させようと母が音楽教室に連れていったそうです。その時は演歌を歌っていたようです。歌の楽しさよりもやさしくておもしろい先生に会いたくて通っていたそうです。
5歳を過ぎるころ、地元・福岡のコンクールにも出場するようになりました。でも、恥ずかしくて振り付けはできるのに歌の方は最後のフレーズだけ声を出す感じだったようです。それでも母には褒められていたようで、「母の期待にこたえたい」と小学校低学年の頃から「私は歌手になる」という夢をもったようです。
中学生になる頃には数々のコンクールでグランプリを受賞するようになり、地元では有名になり、中2の時「演歌歌手」としてデビュー。
しかし、売れなかったようです。演歌で売れるようになるには度肝を抜くようなずば抜けた歌唱力がない限りは厳しそうですよね。
そこでJ-POPで再スタートしようと、上京して、堀越学校の芸能コースへ入学。
川嶋あいさんは中学校の頃から「歌手になるためには何をすればよいのか」考え、演歌はもちろんJ-popも作詞作曲していたようです。
しかし、なかなか活躍できなくて1年も経たないうちに事務所から「もうバックアップできない」と見放されてしまったようです。
高校1年生で夢をもって一人で上京してきたのに、見放されたらそれはもう、つらいですよね。まして、女の子ですからね。
実際、川嶋さんもまわりはみんなオシャレで可愛いのに、「自分はなんでこんなに田舎者なんだろう」って劣等感をもっていたようです。
それで毎日、泣き続けていたようです。
そんなある日、路上で歌っている人をみてなんだか勇気づけられて、「よし、自分もやってみよう」と決めたようです。
「歌手になるには路上で歌うしかない」と思ったようです。
始めて路上で歌ったのが高校1年生の2月の頃。四ツ谷駅の橋の上で、勇気を振り絞ってカラオケで1曲だけ歌ったが、誰も立ち止まってくれなかった。その後、数回、四ツ谷駅で歌ったが何も変わらなかった。そこで上記の1つめの目標を立てた。やるだけやって駄目だったら諦めようと思っていたようです。
高校2年の頃から、渋谷に場所を移して、高校に通いながら放課後や土日に路上で歌っていたそうです。
渋谷で路上ライブを始めて1カ月後ぐらいに大学生の男子3人から「手伝いたい」と声をかけられたようです。その人たちがその後、私のデビューのために事務所を立ち上げてくれたようです。その人たちが、キーボードの弾き語りでオリジナル曲を歌った方がいいとか、いろいろアドバイスをしてくれたようです。
バックアップしてくれる人たちと出会い「渋谷公会堂でワンマンライブをやる」という2つめの目標をたてました。
弾き語りをするようになり、オリジナルのCD曲を作り、「CDを5000枚売る」という3つめの目標もたてました。
この3つの目標に向かってひたすら川嶋さんは歌い続けたようです。
あるとき、路上で歌っていた「明日への扉」という曲を聴いたテレビの人気番組のプロデューサーから主題歌として使いたいと申し出を受けたようです。
しかし「川嶋あい」としてデビューすると路上ライブが続けられなくなると考え、「I Wish」というユニットでデビュー。「明日への扉は」は90万枚の大ヒットを記録したが、自分が「I Wish」であると明かさないまま路上ライブをつづけたようです。
もう、この頃は川嶋さんの歌がすでに多くの人の心を魅了していたのですね。
路上ライブを始めて1年になる頃には立ち止まって歌をじっくり聴いてくれる人がどんどん増え、「CDを5000枚売る」という目標を達成したようです。
また、渋谷公会堂でワンマンライブをするという目標を立ててから、館長に直接交渉するために何度も通い続けたようです。
最初は相手にしてもらえなかったが、何度も交渉を続け、川嶋さんの熱意に打たれた館長が、こっそり路上ライブを見に来てくれて、その後も交渉を続け、ついに前代未聞のメジャーデビュー前の高校生シンガーの渋谷公会堂ワンマンライブの許可が出たようです。
路上ライブを始めて約1年半後、チケットは手売りだったが、1923人もの観客を集めて、高校3年の夏の渋谷公会堂のワンマンライブは大成功に終わったようです。
3つとも高すぎる目標でしたが、「時間がかかってもやり続ければたどりつける」のかなって気持ちはあったようです。
その後、メジャーデビューを果たしたものの、路上ライブを続け、始めてから約3年で19歳の時に1000回達成。
川嶋あいさんのように目標を立てて、その目標に向かって頑張っていたから、自分をサポートしてくれる3人の大学生に出会い、さらに目標に向かって頑張ることができたのかもしれません。
本日は川嶋あいさんの夢に向かっていた時期について紹介しました。
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