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第一章 壊れた日常の始まり
気付く気持ち
しおりを挟む「あんたって子は!」
金切り声で目の前の女は俺の頬を叩いた。
「どうして邪魔ばかりするの。疾風(はやて)は今、大事な時期なのよ?ほんとあんたなんていなければ」
吐き捨てるように言うとその女は部屋から出て行った。出て行く際に、扉に立っている部下に耳打ちする。
部屋が静まり返る。吉田を殴ったことで停学処分になった。少し前にも非常ベルを鳴らして停学処分のところを反省文で見過ごしてもらったが、今回はそうもいかなかった。まぁ、反省文の処置も先ほどの女が、世間体を気にして口出ししたことが発端だが。
父の部下である男は世話係としているが、実際の所は見張り番だ。こちらに興味もなく、文字通りただの見張り番。たまに喋るかと思えば、こちらを馬鹿にするような物言いで見下ろし、必要最低限の世話以外、一切しない。いっちょ前に告げ口だけはするが。その見張り番は女に言いつけられたのだろう、扉に鍵をかけ閉じ込めた。
こうなっては何を言っても無駄だ。まぁ、言ったところで耳を傾けられたことはないが。
ソファに背中を預ける。そのソファの触り心地も柔らかさも十分なはずなのに、どこか居心地が悪かった。いや、この部屋、この家全体が居心地悪いのだ。羨まれてもおかしくない場所なのに、この家が嫌いでたまらなかった。
ーー居心地のいい場所
思い浮かべるのは屋上だ。弘人と一緒に過ごす場所。
最初に見かけたのは、いつものように屋上で外を眺めていた時だった。何気なく見た一つの教室。自分が一度も出席したことのない教室。授業なんてまともに出ていない。
頑張って勉強をしてどれだけ優秀な成績をとっても、兄に比べられ、ないもののように扱われる。せめてもの反抗にと髪を染めたり、授業に出なかったが、彼らには何も影響を与えなかった。何故なら自分は見えない存在だから。
実の母親は小さい頃に死んだ。先ほどこの部屋にいた女は、父親の正妻で、父親に押し付けられた俺を疎ましく思っている。いわゆる愛人の子供が俺だ。自分を見えないように扱い、実の子の兄を愛し、可愛がっている。出来の良い兄は留学し、それを理由にあの女はついて行った。父親はろくに帰ってこない。
学校に行かないこともあったが、遠方に住む祖父が悲しむので学校に行っているフリをした。祖父だけが、俺の面倒を見てくれて可愛がってくれた。小さい頃は、あの女に邪魔だと言われしばしば祖父の元へと預けられた。父親の命令で中高一貫の今の学校へ行けと言われなければずっと祖父の元にいただろう。しぶしぶ家へと戻った。その後、祖父が体調を崩し、入院してからは、会うこともままならななかった。
病に伏せった祖父は、それでも俺を気にかけ、俺を心配した。最後の別れ際、「何かあればいつでも来るんだぞ」と俺に優しく言ったのを覚えている。
そんな祖父を母は煙たがった。さっさと死ねばいいのに、お金がかかる。そのお金で兄の疾風にお金をかけることができるのに、と。女が祖父を煙たがっている理由は他にもある。兄の疾風が留学するため、お金を出して欲しいと祖父に頼んだが、お金を祖父は出さなかった。
祖父を邪魔者扱いするあの女が、母を不幸にした父が、憎い。でも、そんな自分は何もできない。
ーーいつも自分の無力さを感じる
ため息をついて、窓の外を眺めた。薄暗い灰色の雲。今日は天気が悪い。この天気では弘人は屋上にいないだろうなと思った。
弘人のことを思い浮かべる。最初は興味本位だった。
教室でいつもうつらうつらと船を漕いでいる。その姿を屋上から眺めていた。でも、弘人は男っぽさもありながら綺麗な顔立ちをしていて、目を惹かれるような存在だった。
路地裏に連れ込まれる姿を見て後を追わずにはいられなかった。男を追い払うのは簡単だった。でも、その艶めかしい弘人の姿を見て、思わず間違った道に踏み込んでしまった。俺と弘人を買う客、何が違う?お金を払わないってだけで俺の方が質が悪い。あの時、俺が蹴り上げた男と変わらないじゃないか。
今ではあの時した自分の行動を恥じている。何故弘人にあんなことをしてしまったのだろう。その後もなし崩しに身体を重ねた。弘人が受け入れてくれることをいいことに甘えた。
肩があたるかあたらないかの距離で座る弘人。たまに怒ったり、珍しく笑ったり、悩み憂いにふける顔。そんな弘人をどうしたら笑顔にできるのだろうか?といつからか考えるようになっていた。
どうして俺はこんなにも無力なのだろう。お金を持っているのは自分の親で、自分には何もない。
(弘人を苦しめるもの全てを取り払いたい……)
弘人への気持ちがずっと分からなかった。でも、停学処分中、1人で考えるには有り余る時間があった。そして、今更かもしれないが、この気持ちに整理をつけることができた。
ーーあぁ、自分は弘人のことが好きなのだと
この気持ちを伝えてもいいのだろうか?弘人を苦しめたくない、救いたいなどと言っておきながら、他の人間と同じようなことをしている俺に言う資格はあるのだろうか?
停学処分がようやく終わり、弘人がいる屋上へ向かい、扉を開けた。
いつもの場所で弘人が来るのを待つ。弘人が来るのが待ち遠しい反面、停学中に弘人への気持ちに気付いたせいか、どこか恥ずかしさも感じた。
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