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きっちりカタはつけるから 1

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 夜のとばりが街を包む。
 
 社長室から見える夜景は白く無機質な光が多い。周りを囲むビルの窓から漏れる蛍光灯の明かりがそれだ。
 その間を縫って東京タワーが今日も赤く光を放っている。
 
 街の明るさで星の瞬きこそ見えないけれど、それこそ向かいのビルの窓の明かりは点々と星を散りばめたようだし、高速道路を走る車のテールランプの光の帯は、地上の天野川のように、右へ左へと蛇行している。

 同じ場所から眺める景色は日々変化している。
 それは会社も私たちも同じだ。

「君から頼まれていた件、処理しておいた」
「ありがとうございます。突然の懲戒処分に社内は大騒ぎです」
「だろうな」

 社内に張り出された一枚の紙。
 そこには、池入ひなのと増田鏡花の懲戒処分が記されていた。

 感のいい人間ならば、例のSNSの内容がデマだったと気づくだろう。
 唯ちゃんの名誉も僅かながら挽回されると言うものだ。

 けれど、彼女の受けた傷は一生癒えることはない。 

 私はそっと彼を見上げる。
 十センチのヒールを履いていても、彼の唇にすら届かない。

 相変わらず綺麗な顔だ。
 そして、低く甘い声。

 星野 周一郎。

「それから、もうひとつ頼まれていた件だが、年齢的にもいいヤツがいる。話をしたら、ぜひ会いたいと乗り気だった。今度会わせよう」
「そうですか、良かった」
「俺は君を社内調査員として雇ったはずだが、結婚相談所まで始めたのか?」

 彼には珍しく、クスっと笑う。

「あなたは社員が気持ちよく働ける環境作りのために、私を雇われました。今回の件に関しても、その意思から外れてはいないと考えます」
「確かにそうだが」

 周一郎さんは窓に寄りかかり、その長い足と腕を組んだ。視線は外に向けている。
 
 何を考えているのかな。
 その横顔で愛の言葉をささやかれたら、落ちない女性はいないはず。

 「君の言う通り今回のデマを放っておいたら、いじめを助長していただろう。市田常務からも礼を言われたぞ。優秀な秘書が会社を辞めなくて良かったと」

 それに――。
 せっかく縁あって満天堂に入社してくれた社員に、嫌な思いをさせるのは社長としても不本意だ。気持ちよく働いて欲しい。と周一郎さんはつけ加えた。

「あっ、流れ星」

 思わず私は指をさした。
 不夜城東京で見られるなんて奇跡だと思う。

「吉事の前触れか?」

 一瞬、周一郎さんは子供のような顔をした。
 私はこの無防備な彼の顔が好きだ。

「君の働きはいつも見事だ。そして君は俺の美しい右腕」

 目を見開き彼を凝視しながら、私は思わずぷぷっと吹き出してしまった。

 彼の元でこの仕事を始めて、三年。
 その前は満天堂カンパニーの子会社のひとつで社長秘書をしていた。

 当時の仕事ぶりが評価されたこと、そして秘書としてあまり人前に出ることが無く、社員に顔を知られていないこと。などを考慮して私は社内調査員に抜擢されたらしい。

 慣れない仕事で始めの頃はミスも多かった。けれど周一郎さんは私を叱ることは無かった。
 ただ、『次、頑張ればいい』とだけ言った。

 当時から、褒めてもらったことは一度もない。

「どうしたんですか?ガラにもなく私を誉めるなんて」

 
 深い溜息が彼の薄い唇から洩れる。

「腹の探り合いはもうやめないか。俺は君が好きで、君は俺を……」
「待って」

 彼の形のいい唇に私の人差し指を押し当てる。

「私たちは、つかず離れずの関係が最良。でしたよね」

 それは数年前に彼に言われた言葉。
 その時、その言葉に私は傷ついた。

 私たちはお互いを必要としていなかった。
 必要としていたのは、私だけだった。

 心が砕け散った瞬間だった。
 それは音もなく砕け、私から言葉を奪った。

 世界から音が消え、時間が止まり、私はただその場に立ち尽くした。

 そんな私を彼は『すまない』の一言だけで置き去りにした。

 ひどい男。

 大嫌いで大嫌いで忘れられない男。

 

 周一郎さんは五つ年上だったし、大人の男性だった。
 
 その時、私はまだ女になりきれていなかった――。ううん。そうじゃなくて一人背伸びをしていた。

 いつも私の先を歩む周一郎さんに、私は焦っていた。
 このままじゃ置いて行かれる、嫌われるって。
 
 追いつけるはずないのに、なのに追いつきたいと思った。

 いっぱい無理をした。自分が自分じゃなかった気がする。

 彼はそんな私を、うっとおしいと思っただろう。

 重く面倒な女だと思ったかもしれない。

 私から目を背けることで、彼は自由を得たはずだ。

 ……なのに、私は彼の元へ呼び戻された。



 大嫌いで大好きな周一郎さん。私にもプライドがあります。

「私はまだそれでいいと思っています」

 着かず離れずの関係。

「俺が何故お前を側に置いているか、考えたことがあるか?」

 周一郎さんは仕事の時は私を『君』と言い、プライベートの話になると『お前』と言う。
 けれどその境界線はどこか曖昧で彼の気分次第なのかな、と思うのだけど、それがどこかくすぐったくって好きだ。

 「あっ、又流れ星。思い出しました。今日はしし座流星群が見られるって朝のワイドショーで言ってました」
 
 私は彼のといから逃げるように窓に駆け寄ると、思わず窓に手をついてはしゃいだ。
 次から次へと星が流れて行く。
 
 今夜はきっと特別な夜だ。流れ星の中に身を置いているみたいだ。

 背中にそっとあたたかい温もりを感じる。
 そしてゆっくりと全身が包まれていく。
 スーツ越しでも周一郎さんの引き締まった胸板を感じることができる。

 ドクンドクンと不規則に跳ねる胸の鼓動は、彼への正直な想い。

 背中から強い腕に抱かれるのが、私は好きだった。
 守られている安心感と温もり。
 もしかして、あなたはそんなことまで覚えているのですか?
 
 懐かしい感覚が胸からあふれるように、一気によみがえる。

 ぼうっと彼に抱かれながら、私は私を回顧していた。

 あの時、彼に突き放された時、傷ついたと同時に気づいたことがある。

 宇宙の営みに比べらた、私たちに与えられた時間はほんの一瞬。あの流れ星のようにすぐに燃え尽きてしまう。
 儚いから美しく、儚いから精いっぱい輝こうとする。

 私は彼の隣でそうありたいと思って今日まで生きて来た。
 自分で光を放つ星になる。
 
 周一郎さん、私強くなったんです。

「周一郎さん、私まだ……」
「俺を必要としていない。だろ」

 彼はゆっくり私から離れると、背を向けたのだった。




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