契約結婚のススメ

文月 蓮

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大嫌いな父からの呼び出し

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 そもそもレティシアがヴィラール卿の結婚相手として彼に対峙する破目になったのは、父から呼び出しがきっかけだった。

「いま、なんと?」

 レティシアは低く抑制した声を発し、フードの下から父をにらみつけた。父が発した言葉の意味は理解できたが、信じたくなくてもう一度尋ねる。
 大きな応接机を挟んで深く椅子に腰を下ろした父――オルレーヌ公爵は、悠然とした態度を崩さない。

「私の娘は少々耳が遠いようだ。同じ事をなんども言いたくはないのだがな……」

 公爵は深いため息をつき、椅子から立ち上がると、窓辺に移動した。そして、窓に顔を向けたままもう一度口を開いた。

「結婚しろ。さもなくば、おまえの研究所に対する資金援助を打ち切る……と、言ったのだ」
「公爵ともあろうお方が、国家の予算をわたくしするのですか?」

 レティシアの視界が怒りで真っ赤に染まる。
 それでも長年培った鉄壁の仮面のおかげで、嫌いな父の前で感情をあらわにすることは避けられた。
 そもそもレティシアは目の前の人物を父などと呼びたくなどなかった。
 公爵はレティシアにとって生物学上の父ではあるが、母とのあいだに婚姻関係は存在していない。つまるところ、レティシアの母は愛人・・という存在であった。
 父の公式な妻は有力な侯爵家の令嬢で、ふたりの結婚は典型的な政略結婚であった。
 父と公爵夫人とのあいだに子はなく、レティシアの母とのあいだに生まれた娘――つまりレティシアしかいない。
 どうして父が妻とのあいだに子を作らず、愛人にレティシアを産ませたのか、レティシアにはわからないままだ。
 この国の法律では婚外子が爵位を継ぐことを認めていない。
 母が亡き後もレティシアが公爵家に引き取られることはなく、ずっと全寮制の学校で暮らしてきた。学校を卒業し、研究所に勤め始めてからは一人暮らしだ。
 こうして公爵家の屋敷を訪れたのも、レティシアには初めてのことだ。

「目的のためならば手段は問わぬ」

 冷酷な公爵の宣言に、レティシアはギリリと奥歯を噛みしめた。
 呼び出された瞬間から感じていたいやな予感が、現実のものとなった瞬間だった。
 レティシアが生まれたロワール王国は、魔法大国として周囲に知られている。その中でも、彼女が籍を置くベルクール魔法研究所は、王立研究所に次ぐ規模を誇る研究所であった。そして、ベルクール魔法研究所は国から多くの資金を得て運営されている。
 財務大臣としての地位を持つ父の手にかかれば、補助金を打ち切ることなど容易いだろう。そして父が宣言を実行に移すだけの力を持っていることをレティシアは知っていた。

「そうまでして、私を結婚させたいお相手というのは、いったいどこのどなたですか?」

 レティシアは喚きだしたくなる気持ちをどうにか堪え、公爵の背中を睨みつける。

「ヴィラール侯爵だ」

 レティシアの脳裏には、かつて遠くから見かけた侯爵の姿が思い浮かんだ。
 侯爵位を継承したばかりのヴィラール侯爵は端整な顔立ちをしており、社交界の人気者だ。二十代の半ばで結婚する者が多い中、二十代後半に差し掛かってもいまだ独身で、国王陛下からの覚えもめでたく、結婚相手を探す独身女性たちにとっては垂涎すいぜんの的となっている。
 しかも浮ついた話をほとんど聞かないので、その点も女性たちからの人気が高い理由となっていた。

「あの方であれば相手に困ることはないでしょうに……」

 レティシアは内心で首を傾げる。
 庶子でしかないレティシアと、将来有望なヴィラール侯爵が結婚する利点が見つからない。

「あちらには陛下から話がいっているだろう」

 レティシアの疑問など見透かしたように、公爵が振り向く。
 国王からの声かかりと聞いて、レティシアは目をみはった。
 国王から持ちかけられた話となれば、それはもはや命令に近い。
 レティシアはこの縁談が覆らないことを痛感した。

「おまえは頑張り過ぎたのだよ。その功績が国王の耳に入り、手の内に囲いたいと思わせるほどに」
「……っ」

 レティシアは鋭く息を呑んだ。
 大嫌いな父から逃れようと、がむしゃらに研究に打ち込んできた結果、レティシアは厳しい試験を突破し、王国の中でもかなりの魔法の使い手でなければ与えられない『魔導士』の資格を得ている。
 父の影響下から抜け出すために、努力を重ねてきた結果が、父に命じられた政略結婚であるのならば、なんとも皮肉な結果だと笑いたくなる。

「まずは来月に婚約式を行い、それから結婚となる。いいな?」
「……はい」

 研究所に対する援助を盾に取られてしまえば、レティシアは父の命令にうなずくほかない。

「結婚に必要な準備は全てこちらで調える。話は以上だ」

 公爵は鋭い眼光でレティシアを見つめていた。
 彼の視線から逃れるように、レティシアは目を伏せ、呟く。

「……承知しました。ご用があれば研究所のほうにお願いします」
「わかっている」

 レティシアは無言で軽く頭を下げた。
 けれどフードの下のブルーグレーの瞳には、このままでは済まさないという、反骨の強い意思が宿っていた。
 そのまま無言で公爵の執務室を出る。
 すると扉のすぐ脇に、公爵家の執事が気配を感じさせずに立っていたことに気づく。

「……なにか?」

 頭をうしろに撫でつけ、お仕着せに身を包んだ壮年の執事は恭しくレティシアに向かって頭を下げた。

「奥様がお呼びです」

 公爵家における奥様――つまり公爵夫人が、妾の子であるレティシアを呼んでいる。
 嫌な予感しかしなかった。

「……私が奥様にお話するようなことはありませんが」
「お客様にはなくとも、奥様にはご用がおありなのです。よろしいですね?」

 問いかけの形こそ取ってはいるものの、レティシアが執事の言葉に、ひいては公爵夫人に逆らうことなどあり得ないとでも言いたげな態度で、執事は廊下を進み始める。
 レティシアはため息を口の中でかみ殺し、ゆっくりと執事のあとに続いた。
 彼女が案内されたのは、明るい太陽の光が降り注ぐガラス張りのテラスだった。
 あちらこちらに珍しい植物の鉢植えが配置されている。これほどの植物を揃えるには、さぞやお金がかかったことだろう。
 季節は初冬に差し掛かろうとしているが、テラスの中はほんのりと温かい。
 レティシアは改めて公爵家の経済力に舌を巻いた。
 執事が足を止めたのはテラスの真ん中に設えられた白いガーデンテーブルとチェアの前だった。
 そこには豪奢なドレスを身にまとった婦人が座っていた。
――あれが、公爵夫人。
 執事は公爵夫人の前で優美な仕草で頭を下げる。

「お客様をお連れいたしました」
「下がっていいわ」

 公爵夫人は手を振って、執事を下がらせる。
 レティシアはフードの下から彼女の顔をじっとうかがった。
 皺はなく、とても父親と同世代とは思えない。肌はぬけるように白く、とても美しい。ピンク色の爪先は美しく磨かれていて、丁寧に手入れがされている。
 自分の荒れた指先とは大違いだと、レティシアはどこか現実離れした感想を抱いた。

「あなたが、あの下賎な女の娘なのね」

 公爵夫人は無機質な水色の瞳でレティシアを睨んでいた。
 彼女にとって、レティシアは夫の不貞の証である。
 その娘にも良い感情を抱いていないであろうことは想像していたが、ここまであからさまに敵意を見せられるとは思っていなかった。
 できるなら侯爵夫人とは係わり合いになりたくなかった。こうして呼び出されなければ、会うこともなかったはずだ。
 レティシアは深く息を吸って気持ちを落ち着け、高貴な女性に対する礼をとる。そして、感情を極力排した口調で問いかけた。

「公爵夫人が、私になんのご用でしょう?」

 挑発に乗らなかったレティシアに、公爵夫人は一瞬、目を吊り上げた。が、すぐにニヤリと笑みを浮かべる。

「あのひとから縁談について聞いたのかしら?」
「……はい」

 レティシアは肯定だけを返した。

「ヴィラール侯爵が望んでの縁談ではないことは、知っている?」

 満足そうな彼女の表情に、レティシアの胸に不快感が込み上げる。

「存じませんでした。が、政略結婚とは、えてしてそういうものでは?」

 結婚に夢を持っていないレティシアにとって、政略結婚だと知ったところで、特別衝撃を受けることでもない。

「……そうね。私とミカエルも政略結婚だったのだもの。今更ね」

 レティシアの耳には、彼女の声にわずかな悲しみが混ざっているように聞こえた。
 レティシアは公爵夫人がルーベル侯爵家からオルレーヌ公爵家に嫁いだことを思い出す。彼女とて、公爵に次ぐ侯爵家の生まれだ。家のために、自分の意にそぐわなくとも両親の決めた結婚に従ったのだろう。
 貴族とはそういうものだ。
 けれど正式に公爵の子と認められていないレティシアは、父の言いなりになるつもりなどなった。
 研究所を盾に取られてしまったがために、父の命令に従うしかなくなっただけで、本来ならば公爵家とはなんの関係もなく生きていけるはずだった。

「立場をわきまえているのならば、いいわ。ヴィラール侯爵には想い人がいるの。だから、決してあなたが彼から愛されることはない」
「……そうですか」

 そもそもこの縁談はレティシアにとって自分の仕事を守るためのものでしかない。ヴィラール侯爵に対する甘い期待など、もとより微塵もない。
 それに、遠目に見かけただけで、話したこともない人から愛されなくともかまわなかった。
 レティシアには公爵夫人がどのような意図で、このような話を持ち出してきたのだとうと、内心で首を傾げる。
 こんなくだらない話に付き合うくらいならば、さっさと仕事に戻りたいというのが、レティシアの本音だった。

「お話はそれだけですか?」

 レティシアが落ち着いた口調で確認すると、公爵夫人の様子が急変する。その美しい顔にそぐわない、醜悪な表情でつぶやく。

「ああ、なんて陰気くさい女なの! あの女の娘が幸せになるなんて許されない。私が苦しんだ分、いいえ、それ以上に苦しむべきよ」

 彼女の言葉に、レティシアは強烈な憎悪を感じた。
 レティシアの母が亡くなってから、すでに十年以上が過ぎている。この様子では公爵と夫人の関係はうまくいっていないのかもしれない。この女性は未だに母のことを恨んでいるのは間違いない。
 誰かに強い恋情を抱いたことのないレティシアには、理解し難かった。

「おまえなど誰も愛さない」

 呪いのような言葉を吐く公爵夫人の目は、爛々と光っていて、とても正気とは思えない。
 彼女の剣幕に気圧され、レティシアは思わず後ずさる。

「奥様、少し休みましょう」

 いつの間にか現れた執事が、興奮する公爵夫人を宥める。

「ああ、クレマン! 気分が悪いわ!」

 怒鳴り散らす彼女の目に、もはやレティシアの姿は映っていなかった。

「存じておりますとも。あちらに」

 執事が公爵夫人を支えながらテラスを出ていく。
 あとに残されたレティシアはぶるりと身震いした。
 あれほどの憎悪を間近に感じたのは初めてだった。正気とは思えない彼女の言葉を真に受けるつもりはなかったが、それでも彼女の言葉はレティシアの痛いところをついていた。

「そうね。私など誰も愛さない……」

 公爵と結婚できないことを嘆いていた母は、あっさりとレティシアを置き去りにして命を手放した。全寮制の学校で母の訃報を受け取ったときには、すでに葬儀が行なわれており、レティシアにはできることはなにもなかった。
 そんなときでさえ父はレティシアに会いに来ることも、呼び寄せられることもなかった。
 ただ、『勉学に励むように』という伝言を受け取っただけ。
 そうしてレティシアは悟ったのだ。

――私は父に愛されていない。

 父に愛して欲しいという期待はそのときに捨てた。
 それからは生きていく手段を見つけるのに精一杯で、唯一得意と思えた魔法の習熟に明け暮れた。
 魔導士の資格を得て学校を卒業し、研究所に職を得たときも、父からはなんの連絡もなかった。
 数年ぶりに父から呼び出され、なんの話だろうかとわずかな希望を胸に公爵邸へと来てみれば、なんのことはない政略結婚を命じられた。
 胸の奥にわずかに残っていた希望のかけらさえ打ち砕かれ、レティシアは乾いた笑みを浮かべるしかなかった。
 実の父や母にさえ愛されなかった自分を、結婚相手が愛してくれるなどと、期待できるはずもない。

「そんなこと、改めて言われなくてもわかってる……」

 レティシアの呟きは、誰もいないテラスにぽつんと零れた。
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