契約結婚のススメ

文月 蓮

文字の大きさ
12 / 51

再び出会うために

しおりを挟む
 アロイスの身体は自分でも驚くほど急速に回復した。
 侯爵はアロイスがベッドから出て、普通に食事が取れるほどに回復したことを確認すると、さっさと王都へと帰っていった。
 ベッドから出ることを許されると、アロイスはやはりレティがもうあの場所にいないとは信じられず、グレースに黙って屋敷を抜け出した。
 アロイスの足は通いなれた海岸へと向かっていた。
 けれど、やはりそこにレティの姿はない。
 彼女の家も訪ねてみたが、ポーチに飾られていたはずの植木鉢がなくなっていて、改めてレティがもうここにはいないことを実感する。

「レティ……会いたいよ」

 そんな弱音がぽつりとアロイスの口から零れる。
 追い打ちをかけるように雨が急にぽつぽつと降りだし、アロイスの頬を濡らす。
 見上げた空は雨雲がたちこめていた。
 濡れて風邪を引かぬよう、どこかで雨宿りするのが正しい選択だとアロイスにはわかっていた。
 けれど、レティがいないのに、そんなことを気にしてどうなるのだろうと、投げやりな気持ちが込み上げる。
 強く打ちつける雨に濡れながら屋敷に帰ったアロイスを、悲しげな表情のグレースが出迎えた。

「おかえりなさいませ。坊ちゃま」
「黙って抜け出して……ごめん。無茶をしたのはわかってる。でも、自分の目で確かめたかったんだ」

 あまりに落ち込んだ様子のアロイスを、それ以上責めるのはためらわれたのか、グレースは苦笑した。

「すぐにお湯をお使いください。風邪をひいてしまいますよ」
「……そうだな」

 アロイスは濡れた体を引きずって浴室へ向かった。
 翌朝、アロイスはすっきりとした気分で目覚めた。
 すぐにお風呂で温まったのがよかったのか、グレースはかなり心配していたが、風邪をひいて寝込むようなこともなく、いたって元気だった。
 やはりレティが虚弱体質を治してくれたおかげなのだろう。
 そう思うと、無性に彼女に会いたかった。

「レティ……。もう会えないのか?」

 落ち込むアロイスに、愚かさを気づかせてくれたのはグレースだった。

「いつまでうじうじと悩んでいるのです? その身体をくれたのはレティお嬢様なのでしょう? そんなことで、再会できたときに胸を張ってお礼を言えるのですか? 旦那様に誓った、跡取りとしての義務を果たすという言葉を嘘にするおつもりですか?」

 グレースの言葉に対してなに一つ言い返せない自分が、情けなくて仕方がなかった。
 だが、ここまでくれば逆に何も失うものはない。
 アロイスの中でなにかが吹っ切れた。

――こうして悩んでいても、レティに会えること、きっとない。だったら、やるしかないだろう?

 アロイスのサファイア色の瞳に決意の炎が宿った。

「グレース、気づかせてくれてありがとう。俺は、やるよ」
「はい。坊ちゃま」

 もう一度レティに出会うためには、彼女を探し出し、並んでも見劣りしないだけの実力を身につけなければならない。
 まずは王城に上がれるだけの実力を身につけること。そして出世し、彼女を手に入れるための力を得ること。
 アロイスの目標は定まった。
 それからのアロイスは生まれ変わったように勉学に励んだ。
 家庭教師から出される課題をこなすのは当たり前で、それ以外にも魔法分野については本を読み、自分なりに勉強を進めていく。
 これまで適当に済ませていた剣の鍛錬も怠けることなく打ち込む。
 毎朝、早起きをしてアルザスの街を走るのが日課になった。
 レティがくれた健康な身体は、やればやった分だけきちんと手ごたえが返ってくる。そんな感覚は初めてだった。
 少したるみがちだった身体も、見る間に引き締まり、無駄な肉のない研ぎ澄まされた肉体へと変化した。
 相変わらず魔法を使うことはできなかったが、それを補うようにアロイスは剣の修練に励んだ。
 侯爵が手配してくれた剣の師匠は、王族の指南役も努める人物だった。
 アロイスはもともと怠けがちではあったものの、剣の基本は学んでいたので、あとは動きを身体が覚えるまでひたすら繰り返して訓練するしかない。
 アロイスは師匠の力を借りて、剣の鍛錬に励んだ。
 そうして十四歳の誕生日から半年ほどが過ぎた頃、アロイスは武を認められ、王城に上ることを許された。
 剣の師匠の推薦を受け、王城に上がったアロイスは軍部に配属された。
 任務は忙しく、目が回るような日々が続いた。任務に追われ、レティを探し出すどころではない。
 焦りに目的を見失いそうになるが、そのたびにアロイスは己を戒めた。
 今は探すだけの力が足りないだけだ。
 あれほどの魔法の才を持ったレティならば、いずれ頭角を現すはず。
 そう信じて、アロイスはひたすらに爪を研ぎ、ずっとそのときを待った。
 彼女を探し出せない苛立ちを仕事にぶつけるようにして、がむしゃらに任務に打ち込んでいるうちに、いつしかアロイスは軍の中でも出世頭となっていた。
 そんなある日、父がアロイスの前に現れた。

「おまえに爵位を譲るときが来たようだ」

 それは父がアロイスの努力を認めた瞬間だった。

「引退するには早すぎるでしょう」
「陛下がおまえを近衛に取り立てたいと仰せだ」
「陛下が?」

 アロイスは驚きを隠せない。力を手に入れるために無我夢中で頑張ってきたが、それが王の目に留まるほどとは思ってもみなかった。
 王は才能あるものを集めるのが好きだという噂だ。
 だとすればレティほどの魔法の才を持った人物を王が見逃すはずがない。王の近くにいることになる近衛という地位は、アロイスにとっても好都合だった。

「お前に爵位を譲ってのんびり過ごすのもいい機会だと思ってな」
「ですが……」

 才気溢れる父が、田舎でのんびり過ごせるとは思えないが、その侯爵という地位が持つ権力は魅力的だった。くれるというのならば、もらえばいい。
 アロイスは爵位を継ぐことを決めた。

「次の王城での夜会に参加しろ。いいものが見つかるはずだ。それが私からの祝いだ」
「夜会……ですか」

 アロイスはあまり夜会が好きではなかった。
 独身で、近衛になることが決まっているアロイスは、なかなか条件のいい結婚相手だ。多くの女性に結婚相手として値踏みされることになるのは、目に見えている。
 それにどうやら自分の顔はそれなりに整っているらしく、ちょっとした火遊びという名の情事に誘われることも多い。
 レティしか見えていない自分にとっては、そんな誘いも鬱陶うっとうしいだけだ。
 けれど父が祝いというからには、それだけですむはずがない。しぶしぶ参加した夜会で、アロイスはレティの姿を十年ぶりに視界に捉えた。
 息がまともに出来ず、彼女をただ見つめることしかできない。

――すごく綺麗に……なった。

 髪の色は少し濃くなったようだが、彼女の顔は面影に残るものとほとんど変わりはない。
 すっきりと通った鼻梁、零れそうなほど大きな目、小さなばら色の唇に目が吸い寄せられる。
 瑠璃色のローブをまとっているということは、魔導士として認められたのだろう。
 彼女の才能の片鱗を知るものとしては、納得の結果だ。
 十年以上前に感じていた、触れたい、ずっとそばにいたいという淡い気持ちではなく、
もっと強烈な情欲が、アロイスを襲った。

――レティは私のものだ。

 彼女に注がれる周囲の男性の視線に気づいたアロイスの胸に、苛立ちが込み上げる。
 アロイスは一直線にレティの元に向かった。
 だが、そんな彼の前に立ちふさがる者がいる。
 適齢期の娘を連れた貴族が、入れ替わり立ち代りアロイスに叙爵の祝いを述べにやって来るのだ。
 ヴィラール侯爵となったアロイスに、それらの挨拶を断ることなどできるはずもなく、苛立ちを押し殺して、表面上は和やかに挨拶を交わす。

「ヴィラール侯爵、継承おめでとうございます」
「ありがとうございます。ゲラン伯爵」
「これは娘のディアヌです」

 いかにも初めて社交界に加わったばかりという風情の年若い女性が、頬を赤く染め、父親の影から顔を出して、挨拶をしてくる。

「はじめまして。ヴィラール侯爵」
「はじめまして。ディアヌ嬢」

 アロイスはそっけなく挨拶を返す。

「ディアヌは夜会に参加するのは初めてで慣れておりませぬ。見たところお相手がいない様子。一曲、娘の相手を務めてはいただけませんか?」
「残念ながら先約がありまして……」
「それは残念です」

 初めて社交界にでた娘のダンスの相手を務めれば、気があると思われても仕方がない。
 さりげない風を装ってはいるが、ゲラン伯爵はアロイスを娘の結婚相手候補として考えているようだ。
 アロイスは架空の先約を口実に断る。
 それに、アロイスの心は十年以上前からたった一人に定まっている。

「すみません。約束がありますので、これで……」
「おお、お引止めして申し訳ない」

 アロイスはゲラン伯爵を振り切ってレティの元に向かう。
 レティは再会した自分にどんな顔をするのだろう。喜んでくれるだろうかと想像をめぐらせて、アロイスは彼女に近づいた。
 心臓の音がうるさいほど高鳴っていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる

マチバリ
恋愛
 貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。  数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。 書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。

【完結】新皇帝の後宮に献上された姫は、皇帝の寵愛を望まない

ユユ
恋愛
周辺諸国19国を統べるエテルネル帝国の皇帝が崩御し、若い皇子が即位した2年前から従属国が次々と姫や公女、もしくは美女を献上している。 既に帝国の令嬢数人と従属国から18人が後宮で住んでいる。 未だ献上していなかったプロプル王国では、王女である私が仕方なく献上されることになった。 後宮の余った人気のない部屋に押し込まれ、選択を迫られた。 欲の無い王女と、女達の醜い争いに辟易した新皇帝の噛み合わない新生活が始まった。 * 作り話です * そんなに長くしない予定です

勘違い妻は騎士隊長に愛される。

更紗
恋愛
政略結婚後、退屈な毎日を送っていたレオノーラの前に現れた、旦那様の元カノ。 ああ なるほど、身分違いの恋で引き裂かれたから別れてくれと。よっしゃそんなら離婚して人生軌道修正いたしましょう!とばかりに勢い込んで旦那様に離縁を勧めてみたところ―― あれ?何か怒ってる? 私が一体何をした…っ!?なお話。 有り難い事に書籍化の運びとなりました。これもひとえに読んで下さった方々のお蔭です。本当に有難うございます。 ※本編完結後、脇役キャラの外伝を連載しています。本編自体は終わっているので、その都度完結表示になっております。ご了承下さい。

カモフラ婚~CEOは溺愛したくてたまらない!~

伊吹美香
恋愛
ウエディングプランナーとして働く菱崎由華 結婚式当日に花嫁に逃げられた建築会社CEOの月城蒼空 幼馴染の二人が偶然再会し、花嫁に逃げられた蒼空のメンツのために、カモフラージュ婚をしてしまう二人。 割り切った結婚かと思いきや、小さいころからずっと由華のことを想っていた蒼空が、このチャンスを逃すはずがない。 思いっきり溺愛する蒼空に、由華は翻弄されまくりでパニック。 二人の結婚生活は一体どうなる?

片想いの相手と二人、深夜、狭い部屋。何も起きないはずはなく

おりの まるる
恋愛
ユディットは片想いしている室長が、再婚すると言う噂を聞いて、情緒不安定な日々を過ごしていた。 そんなある日、怖い噂話が尽きない古い教会を改装して使っている書庫で、仕事を終えるとすっかり夜になっていた。 夕方からの大雨で研究棟へ帰れなくなり、途方に暮れていた。 そんな彼女を室長が迎えに来てくれたのだが、トラブルに見舞われ、二人っきりで夜を過ごすことになる。 全4話です。

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

愛しい人、あなたは王女様と幸せになってください

無憂
恋愛
クロエの婚約者は銀の髪の美貌の騎士リュシアン。彼はレティシア王女とは幼馴染で、今は護衛騎士だ。二人は愛し合い、クロエは二人を引き裂くお邪魔虫だと噂されている。王女のそばを離れないリュシアンとは、ここ数年、ろくな会話もない。愛されない日々に疲れたクロエは、婚約を破棄することを決意し、リュシアンに通告したのだが――

十年越しの幼馴染は今や冷徹な国王でした

柴田はつみ
恋愛
侯爵令嬢エラナは、父親の命令で突然、10歳年上の国王アレンと結婚することに。 幼馴染みだったものの、年の差と疎遠だった期間のせいですっかり他人行儀な二人の新婚生活は、どこかギクシャクしていました。エラナは国王の冷たい態度に心を閉ざし、離婚を決意します。 そんなある日、国王と聖女マリアが親密に話している姿を頻繁に目撃したエラナは、二人の関係を不審に思い始めます。 護衛騎士レオナルドの協力を得て真相を突き止めることにしますが、逆に国王からはレオナルドとの仲を疑われてしまい、事態は思わぬ方向に進んでいきます。

処理中です...