契約結婚のススメ

文月 蓮

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解けぬ警戒

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 レティシアは温かな魔力が流れ込む感触に、意識を浮上させた。
 目の前には柔和な顔立ちの治癒士が、レティシアに治癒魔法で魔力を分け与えているところだった。
 ここが王城に与えられた研究室のソファの上で、アロイスに抱きかかえられていることを唐突に理解する。
 レティシアは瞬時にアロイスの腕の中から抜け出そうとした。

「あ、あ、あ、アル? 放して?」
「だめだ。しばらくこのままで」

 アロイスは彼女を抱きしめたまま放さない。それどころか、いっそうその腕に力を込めてくる。

「でも、治療の邪魔に……」
「どうかそのままで。ご夫君とは『婚姻の契り』を交わしておられるとのことですから、なるべく触れ合っている方がよいでしょう。魔力の巡りもよくなって、早く回復するはずです」
「あ……」

 先ほどから温かな魔力がじわじわと染み込んできているのは、アロイスのおかげだったのだと理解する。腕の中からアロイスの顔を見上げると、とろけるような優しい笑みが返された。
 その笑みに、レティシアの頬はぱっと赤く染まった。

「あっ、ありがとう」
「どういたしまして」

 レティシアはどんな顔をすればいいのかわからず、目を伏せる。

「さて、治癒魔法で確認しましたが、右肩のほかに怪我はありませんでした。少し貧血気味のようなので、水分を多くとるように。魔力に関してはかなり危険な状態でしたが、ご夫君がいまも補給中かと思いますので、あまり心配はいらないでしょう。いやはや、『婚姻の契り』とはすごいものですね」

 レティシアもあまり『婚姻の契り』については詳しくない。魔力を融通してもらえるのは、レティシアとしては非常に助かるが、アロイスには悪影響がないのか、心配になる。
 あとで忘れずに『婚姻の契り』の効果を調べておかなければと、レティシアは脳裏に刻んだ。

「……ありがとうございます。ご迷惑をおかけしてすみません」
「いいえ、これが仕事ですから。お大事に。なにか不調を感じたらすぐに呼んでください」

 治癒士はにこりとほほ笑んで、足早に研究室を去っていった。

「どうだ? 本当におかしなところはないか?」

 レティシアは若干の魔力不足を感じてはいたが、動けないほどではない。
 アロイスの問いかけに、レティシアはうなずいた。

「うん、大丈夫。もう放しても大丈夫なくらいには、回復したよ?」
「いやだ。治癒士だって触れ合っている方がいいと言っていた」

 まるで拗ねた子供のようなアロイスの態度に、レティシアは苦笑した。
 レティシアのうなじに顔を埋めている彼に、レティシアは彼の手に手を重ねる。

「大丈夫なのに……」
「入ってもいいか?」

 突然声をかけられて、レティシアはびくりと飛び上がる。
 アロイスは鋭い視線を戸口に向けたが、声の主がヴァリエ卿だとわかるとすぐに興味を失い、再びレティシアを強く抱きしめる。
 戸口に立つヴァリエ卿は、呆れた表情を隠そうともしていなかった。

「シャルルを捕らえて戻ってみれば、ずいぶんと楽しそうだな?」
「あの、すみません。アル、放して。ヴァリエ卿がいらっしゃるのに……」
「エヴァならかまわないだろう。これは魔力切れの治療中だ。邪魔するな」

 レティシアを自分の膝の上に座らせたまま、アロイスはしれっと言い放つ。
 ヴァリエ卿は諦めたように嘆息した。

「……もういい。それで、襲われたときの状況は? ベルクールのところでなにか見つかったのか?」
「その前に、シャルルの容体をお聞きしても?」
「さしあたって話ができるほどには治療させた。現在、取り調べ中だ。あなたを襲った他の連中もな……」
「そうですか……」

 レティシアは複雑な気分だった。
 どんな理由で、あれほどの憎悪をぶつけられなければならなかったのか、シャルルに聞きたいことはたくさんある。

「では、私がベルクール研究所で知ったことをお話しいたします」

 レティシアはベルクールから聞いたことを簡潔に伝えた。
 魔法陣についての経緯を聞き終えたヴァリエ卿は、低く唸った。

「……なるほど。魔導士としてのあなたに確認したい。シャルルに盗まれた魔法陣の研究を完成させるだけの能力があったと思うか?」

 レティシアはしばしのあいだ考え、ゆっくりと己の考えを告げる。

「……そうですね。魔導士にはなれずとも、ベルクール所長のもとで学んでいたということですから、魔法使いとしてそれなりの能力はあったはずです。ですが、完成させるだけの能力があったかと言われると……、難しいですね。それに、正確に言えばあの魔法陣は完成していないのです」
「あれほどの威力の魔法を紙切れ一枚で起こしておいてか?」

 ヴァリエ卿はレティシアの発言に瞠目する。
 シャルルが倒れていた場所と、彼の負傷した状況を見れば、使われた魔法がかなりの威力を持っていたことはすぐにわかる。
 それは間近で暴走した魔法を見ていたアロイスとレティシアが一番よく知っていた。
 彼女を抱きしめるアロイスの腕に力がこもる。
 レティシアはあの魔法陣は魔法を放った本人さえも害しかねない代物だったことを思い出し、今更ながら身の毛がよだった。

「重ねて魔力を流しただけで、暴走するような魔法など危なくて使えません。制御のできない道具など、兵器としては失格ですから……。シャルルは私たちを死への道連れにするつもりで使ったのでしょう」
「なるほど……。あんなものがいくつもあってはたまらない。あの魔法陣の存在については、口を封じるべきだろうな。研究所からの流出経路を調査して回収しなければ……」
「あの魔法陣を無かったことにしようとしても、無駄だぞ?」

 アロイスは今後の対応について考え込んでいるヴァリエ卿の言葉を遮った。

「なぜだ?」

 ヴァリエ卿はレティシアを抱えたままのアロイスに、鋭い視線を送る。

「あの魔法陣が危険なのはわかるが、やがて誰かが思いつくものだ。広まるのが、遅いか早いかという違いだけで、一度世に放たれた革新的な考えを抑えこむことなど、できはしない」
「はい、私もそう思います」

 レティシアはアロイスの言葉にうなずいた。

「一度あの魔法陣の便利さに気づいてしまえば、皆が使いだすでしょう。魔法陣を作り上げるのはともかく、発動させるだけの魔力があればいいのですから。魔法使いではなくとも魔法が使えるとなれば、一気に広まってもおかしくはありません」
「……どうやら私の手には余るようだ。陛下に相談しよう」

 ヴァリエ卿は扉に向かって歩きかけ、ふと足を止めた。

「おおよその状況は理解した。今日のところはふたりとも帰って休むといい。あまり顔色がよくない」
「そうさせてもらおう」
「シャルルの犯行が陛下を狙ったものの延長なのか、それともレティシア夫人個人を狙ったものなのか、まだ背景がつかめていない。油断するなよ」
「わかっている」
「ああ、それがいい。レティシア夫人もきちんと休んでくれ。これからもあなたの力が必要なのだから」

 アロイスは厳しい表情でヴァリエ卿に向かってうなずき、レティシアを抱いたまま、立ち上がる。

「うちに帰ろう」
「……はい」

 どこか思いつめたようなアロイスの表情に、レティシアは黙って彼の首のうしろに手を回した。

   ◇◇◇◇

 侯爵邸に帰宅したレティシアは、すぐさまメイドたちの手によって世話を焼かれ、ベッドに放り込まれた。
 あまりに彼女たちの手際がよかったのは、アロイスから連絡が届いていたからだろう。
 グレースとニナには、けがなどしないようにと、さんざん注意された。
 心配をかけて申し訳ないと思う反面、心配してくれることが嬉しく、どうしても頬が緩んでしまう。
 消化の良い食事を済ませ、身体も拭いてもらったので、あとは眠るだけだ。
 温かなベッドに横たわっていると、ひたひたと眠気が押し寄せる。
 続き部屋の扉が薄く開く音がした。

「レティ……、寝てしまったのか?」
「アル……?」

 暗くなった室内に、アロイスの声が響いた。
 アロイスはレティシアの横たわるベッドに近づくと、掛布をめくってするりと隣に滑り込んできた。
 ほのかな石鹸の香りと、わずかに濡れた彼の髪の感触に、レティシアは彼がお風呂を済ませてきたのだと気づく。
 アロイスはそっと彼女を抱き寄せた。

「レティ……、話がある」
「なあに?」

 レティシアは眠気に襲われつつも、どうにか答える。

「今日、君を見つけたとき、約束を守れなかったと思った」
「約束?」
「ああ、あなたを守ると、二度と危険な目に会わせないと言ったのに……」
「でも、アルは私を助けてくれたよ?」

 先ほどまでレティシアが感じていた眠気は、どこかへ吹き飛んでいた。

「……あのときは。だが、結果的にシャルルが暴走させた魔法から守ってくれたのは、あなただ。私はあなたに守られてばかりで、不甲斐無い。自分でもこんなに情けない男だったとは思わなかった」
「ううん……、助けてくれたよ。アルが来てくれるちょっと前、私はたぶん死ぬだろうなって思っていたから。最後に一目でいいから、会いたいなあって思っていたら、アルが来てくれた。そうしたら、死んでもいいと思っていたのに、もう死ぬ気がしなかったの。アルがいれば大丈夫だって」
「……うん」
「だから、アルは約束をちゃんと守ってくれたんだよ」
「そうだろうか。私はレティに助けてもらってばかりで、なにも返せていないような気がする。レティは私にいろんなものをくれるが、私の愛は求めるばかりで、奪う愛だという気がする」
「奪う愛のどこがいけないの?」

 レティシアはアロイスがなにを悩んでいるのか、よくわからず首を傾げた。

「だがそれでは、あなたになにも返せない」
「私は別になにも返してもらおうとは思ってないよ。ただ、助けたいと思った。ただの自己満足なの。それでは与える理由にならない?」
「……レティ、あなたという人は……」

 アロイスは声を詰まらせたかと思うと、彼女を抱きしめる腕に力を込めた。

「アル、ちょっと、苦しいってば」

 アロイスは少しだけ腕の力を緩めてくれた。

「また同じようなことがあれば、きっとあなたは私の前に出て、私を守ろうとするのだろうな?」
「……そうだね。アルの背中を守るって決めたからね」
「それでは、背中ではなく前だろう?」

 アロイスはあきれた顔をしている。

「どうやらあなたは、ちょっと目を離すと簡単に死にかける。言ってもわからないなら、身体に教え込むしかないようだ」

 蠱惑的な笑みを浮かべるアロイスに、レティシアの顔がひきつった。
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