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第一部

ルチアの観察日記1

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 しばらく経つと、霞がかっていた視界も見えるようになってきて、周りの状況がわかってくる。
 真っ赤なうろこに、力強く大きな身体をしているのが父親だろうか。
 かつて私は人として生きていたような記憶がうっすらとある。
 その前世のものらしき記憶が、その姿はいかにも西洋の伝説やファンタジーの世界に出てくるドラゴンそのものだと告げていた。
 母親の身体は父親よりも一回り小さく、水色の鱗をしていた。ほっそりとしていて、時折羽ばたく翼は水の膜が張ったように透き通っていて、とてもきれいだ。
 それに比べると父親の翼は少し黒色がかっていて、いかにも強そうに見える。
 かっこいい。
 昔読んだ本の中に出てきたドラゴンは、やはりこんな姿をしていた気がする。
 どう考えても、ここはやはりニホンではないらしい。
 かつて私が人として生きていた世界はニホンというところだった。
 あまりにも違いすぎる世界に、戸惑いは少しあるけれど、人として生きていたときの記憶は扉を一枚隔てたような向こう側にあって、あまりはっきりとはしていない。
 そんなことよりも、目の前の父や母の姿のほうがよほど気になっていた。
 とがった耳の形が父親と母親で違うように見えるので、ドラゴンの中でも種の違いがあるのかもしれない。
 けれど、その問いを口にしても飛び出すのは「ピギャー」という少々情けない泣き声だけだ。
「あらどうしたの、ルチア?」
 母が私の叫び声に、心配を声に滲ませて近づいてくる。
 ぺろりと頭や首筋を舐められる。
 ふと見下ろした私の鱗は真っ白だった。
 両親のどちらにも似ていない鱗の色に少しがっかりする。
 母親に身体を舐めてもらっていると、次第に気持ちも落ち着いてきて、うとうとと眠気に襲われる。
 ああ、まだ周りの状況を観察していたいのに……。
 赤ん坊ゆえに眠くなるのはしかたがないのかも知れない。
 私は大きなあくびをひとつして、目をつぶった。





 次に目が覚めたときには、私のおなかは空腹でグウグウと鳴っていた。

「ぴぎゃ、ピギャー」

 不快感に声を上げると、すぐに母親がすべるように優雅な動作で近づいてきた。

「ああ、おなかがすいたのね」

 そういって母親が差し出してきたのは、タマゴの殻だった。
 殻、ですか?
 赤ちゃんといえばミルクだと思い込んでいた私は、母がタマゴの殻を目の前に差し出してきた意味を図りかねていた。

「キュ?」

 首をかしげて、母親を見上げる。

「たくさん食べてね」

 母はタマゴの殻を少し割って口にくわえると、私の口元に押し付けてくる。
 え、食べるの? タマゴの殻だよ? じゃりじゃりするよね。食べ物じゃないと思うよ。
 口を開けようとしない私に業を煮やしたのか、母親は無理やり舌で私の口をこじ開けて、その破片を押し込んだ。
 うわ~ん(泣)
 ん? 意外と、おいしい?
 舌の上に乗せられた欠片は、甘く、シャリシャリとしていてりんごのような食感がする。
 私は夢中になってタマゴの殻をむさぼった。
 ぱりぱりと音がして口の中で殻が割れる音も面白い。
 やっぱりドラゴンになったので、味覚も変わってしまったのかもしれない。
 殻をすべて食べ終えると、おなかはいっぱいになった。
 白い鱗に覆われた小さなおなかが、ぽっこりとふくれている。
 いわゆる幼児体型というやつだろう。

「けぷっ」

 小さなげっぷがでて、また眠くなってくる。
 ああ、眠い……。
 私は再び眠りに引き込まれていった。
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