まぼろしの恋

ちづ

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1章 神様の上面を破壊する

3、露草

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 幻神げんしんを粗末に扱うわけにもいかず、かといって明里あかりが贄の儀式を受け入れるはずもなく、千冬ちふゆの幻はそのまま社に留め置かれるようになった。

 村長や長者ちょうじゃは村の繁栄のためにと明里の輿入れを強引に勧めようとしたが、一連の二人の挙動を重くみた宮司がとりなした。無理強いして明里が千冬の後を追ったら元も子もないと説得し、少しばかりの猶予が与えられた。

 しかし、それもつかの間のこと。贄に選ばれた時点で明里の運命は決まったようなものだ。巫女が世話役に選ばれ、ただの村娘から神の伴侶として明里の立場は変わってしまった。

 家に帰るのは許されたが、他の男が寄り付かないよう、村から逃げ出さないよう村の年役は目を光らせていた。明里にはそんな気力も湧いてこない。千冬の死をようやく受け入れたのに、今村の中を動き回る千冬の影の存在。有難い神霊よりも恐ろしいあやかしと言われたほうがまだ納得できた。

 幸い世話役の巫女は宮司同様に明里に寄り添ってくれたので、自室で落ち込むばかりの明里を村人の目を盗んでは外に連れ出してくれた。思い詰めた明里が突飛な行動をしないか心配だったのだろうが、対面上の労りでも、あの千冬の幻よりは信じることができた。

 明里には勝手に食事が運ばれてくるようになった。前よりずっと豪華になり、村の誰より新鮮な品が届けられた。まるで供物のように。それがうすら寒くてたまらなくなった。巫女に相談し、時折自分で山菜を摘んでくるのだけが、わずかな気分転換だった。

 夏の夕暮れ時、皆が農作業を終える時分だけが明里がうろつける時間。村人の好奇な目からも逃れられる黄昏時。社が管理する山の中、籠に露草を積めて、息をつく。薬草にも山菜にもなる露草の花が明里は好きだった。朝に小さな青い花が咲き、昼には萎むイチニチ草。夕暮れには花弁を見ることすら叶わない。そんなことすらできなくなってしまった。

 供物を与えられ、人の目を忍ぶ。神の贄。作り変えられていくのが怖くて、明里は懐の中の首から下げた麻袋を握りしめる。中に入っているのは──千冬の遺灰。本来死者の身体の一部を身につけるなんてご法度だったが、憐れに思った住職が、密かに寄越してくれたもの。遺骨でも遺髪でもないけれど、明里はそれに縋った。

(千冬……)

 明里はあの痛ましい亡骸を歯を食いしばって思い出す。あのときの悲しみを、酷さを思い描く。どんなに胸が痛くてもあの遺体こそが、まぎれもなく本物で、あれこそが千冬に血が通った最期の姿。傷一つない今の千冬こそが異常なのだと自分に刻み込む。それだけが本当の千冬に対する誠実さだと頑なに信じながら。


***


「これは土に混じった水が悪いな。上流で山崩れでもあったか。汚泥のせいで作物がよくできんのだろう。なに、しばらくすればもとに戻るはずだ。心配ない」
「は、はい。ありがとうございます」

 畑仕事をしていた村人が畏まって頭を下げる。千冬の姿の幻は、にっこりと微笑んだ。社に引きこもりきりはつまらんと、せっかく人の形を得たのだからと幻神は外に出たがった。明里とは今はまだ会わないよう一応制約していたが、実際に制止できる立場の者はいない。日中も気ままに村の中をうろつき、しまいには村の畑にいって農作業を手伝う始末。

 初めは恐れ多いと慄いていた村人も徐々にその堂々とはした態度に気圧される。
 なにしろ千冬そのものなのだ。
 よく笑う青年だった。年長者に生意気な口をきくのがたまに疵であったがその分若者衆には人望が熱く、又働き者であった。

 熱心に声をかける幻に、だんだん村人も強情をはることができない。村の中はほとんどが顔見知りの大きな家族のようなものだ。だから、いなくなった若い青年が帰ってきたようだと絆されるのも早かった。

「カミサマがお疲れさん。というか本当にカミサマなのか?」

 土で汚れた千冬の幻に手ぬぐいを渡しながら、同じ年頃の男が声をかけた。長いうしろ髪を一つにまとめ、千冬同様に日焼けしている。千冬亡きにあと若者の中心となっている男だった。

「そうだ。敬ってくれていいぞ」
「その不遜な態度、千冬のまますぎて混乱するな」

 苦笑する男に、幻はその顔をじっと凝視した。

「お前のこと、分かるぞ。俺と懇意にしていたのだな。確か名前は──」

 水底のような眼に男が映る。記憶が結ばれる。

「せいじ、だ」

 にっこりと笑う千冬の顔に、男──清治せいじは言葉を詰まらせた。あの日、村の洪水に巻き込まれた際、千冬は清治の隣りにいた。一番に危険な橋の支柱を支えを買ってでて案の定足を滑らせた。任せとけ、と濁りなく笑ったあの表情が、千冬との最期。あと一瞬、気がつくのが早ければ、手を伸ばせていたはずなのに。

「──あかり!」

 清治が幻惑に惑う。そして、その幻惑を破ったのもその幻の声だった。我に返ると眼の前にいたはずの千冬の幻は走り出していた。土手に竹籠を持った明里を見つけたらしい。明里が夕暮れに巫女とひそかに外出しているのも公然の秘密だ。驚きはしなかったが、遠目でも分かるほど明里はぎくりと強張った。

「何を持つ? ああ、山菜、いや薬草か? よくできている。こちらは汚染を免れたのだな」
「‥‥‥
「畑の土は汚泥にさらされてしまったが、この村の水はいい水質だ。山間の木々に浄化された地下水がよく流れ込んでくる。俺も居心地いい」

 うつむき、頑なに目を合わせない明里。幻は気にせず明里が持った竹籠の中から露草を一房手に取る。

「‥‥なにを、」
「──だが」

 その瞬間、露草の青い花がその場一面に咲き乱れた。朝にしか咲かないはずの花。昼には萎んでしまう小さな花が、夏の黄昏時に一斉に咲く。異様な光景に明里や巫女、清治すら息を呑む。

「お前が俺の伴侶となれば、この村に洪水や山崩れが起きる心配もない。露草のような雑草など一年中容易く咲くだろう」

 そうして、明里から奪った一房をその場に投げ捨てた。

「いつになれば、おまえは俺と来てくれる? 天界では手づからこんな雑草、探さなくていい」 

 明るい口調で、絶望的に千冬ではないことを言う。千冬は明里が好きな花を大事にしてくれた。明け方、一緒に花が咲くところを見てくれた。

「まして、洪水に巻き込まれた亡骸で川や土壌を穢す心配もない」

 パンッと乾いた音が響いた。巫女は今度は止める気も起きずにただ見ていた。明里はしっかりと目を合わせて幻を怒りを込めて睨みつける。ようやく目があった幻は、困惑しながらもわずかに微笑んだ。

「‥‥っ」

 そのまま一声も発さず走り去る。慌てて巫女が頭を下げ、明里の後を追う。残された千冬の幻と清治は無言の間に包まれた。

「‥‥また殴られた。実はこれで二度目なのだが、明里は人を殴るのが好きなのか? どう思う、清治」
「‥‥いや~‥考え方の相違としか、というか今のはカミサマが悪いというか‥‥」

 頭を抱えた清治に、くるりと幻は振り向いた。

「千冬と、」
「?」
「千冬と呼んでくれ。そのほうが明里も馴染む」

 無垢な笑顔を見て清治はまた、言葉に詰まった。
 黄昏時は終わり、夏の夜が来る。
 一面の露草だけが美しく咲き続けていた。
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