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ライブ・イン・ストリート②

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「えー、俺が路上で使っている愛機はHAMOXという国産ヴィンテージギターのマイナーメーカーが作った物ですが、これは年代的にYAMAKIが製造している時代のギターで…」

 この男、バンドのラストライブでも珍宝の包皮が剥けた話からスタートしていたが、基本的に長いMCからライブを始める癖がある。
 その日の気分によってはライブからスタートすることも無くはないのだが、その割合はちょうど3:7でMC優勢である。
 サッカーのボール支配率だと70%もあれば圧倒的にボールを持ち続けていると断言出来るぐらいなので、それだけ歌から入る時に当たるのは珍しい。

 因みに今日の伊織のMCは国産ヴィンテージのアコースティックギターについてである。
 作られてから半世紀近くも経つヴィンテージギターは、乾いた良い音が鳴る。
 これを伊織は、食べ物で言うところの腐りかけが旨い理論に例えて説明をし、人気があって評価の高い代表的なメーカーを幾つか紹介した。
 MCの内容は猥談が8割を超えるほどなので、伊織にしてはあまりにもまともな内容のMCであった。

 つまらなそうにしている元同級生達と、うんうんと頷きながら聞いて感心した様子の女の子。
 そしてギターには個体差があることと、国産ヴィンテージは学生が気軽に手に入れられる安くても鳴るギターであるのだと、最後に注意を入れてMCを締めた。
 10分以上も話して、ようやく伊織は改めてギターのネックを握った。

「それでは新曲です。聴いて下さい。パイプ」

 伊織は曲名を口にすると、ギターの弦を爪弾いた。
 アルペジオの穏やかな前奏は良質なフォークソングのそれで、少ないながらも見る者の期待を煽る。
 そして伊織は穏やかな声で歌い始めた。

「君の身に悲しい事件が起きたことは知っているよ
 それ以来君は男性不信で 体を震わせていることも

 その頃の僕はまだ目を合わせることすら出来なかった
 遠目から君を可愛い思う それだけの存在だった」

 Aメロはアルペジオで、あくまでも穏やかな演奏。そこに空気を含ませた伊織のウィスパーボイスが溶け合う。
 不穏な言葉から始まったが、好きな女の子を思う小さな男の子の恋を歌ったラブソングを想起させる。

「月日が流れて君は 綺麗な美少女になった
 心の傷が癒えない君に 思いを乗せたこの歌を届けるよ」

 Bメロはピックを使ってシャランと優しくコードを響かせる。
 伊織の声もウィスパーの中にある芯がやや太くなり、この後に続くサビへの盛り上がりと期待を抱かせる。
 可愛い女の子から綺麗な美少女に変わった君。けれども心の傷は幼い時のまま残っている。そんな君に僕はどんな言葉を伝えるのか。
 ジャジャジャジャとダウンピッキングで演奏で大きく盛り上げて、期待を煽るだけ煽って、曲はサビへと移った。

「もしも君が望むなら 僕はチンコを切れる チンコを切れる
 君の心に触れるなら 僕はチンコを切れる チンコを切れる
 チンコを切れるんだ」

 最低だった。クソだった。

 君が男性不振ならば、男性器を無くしちゃえばワンチャンスいけるんじゃないかという安易過ぎる発想。
 好きな女の子にチンコを連呼するという愚策中の愚策。
 どうしてそんな歌を作ろうと考えたんだと。小学校低学年の男の子でも、もう少しまともな歌詞が書けるぞと。いや、寧ろ中高生になってようやく思い付く下劣さか。
 パイプからパイプカットを連想させている時点で、小学生のやり口ではないだろう。

 こんなの、少なくとも路上ライブでやる曲ではない。
 どう考えたって通報案件である。

「ブフォ」

「プ…ククッ」

 ある意味で予想通りの展開に、思わず吹き出す元同級生達。
 もしも牛乳を口に含んで笑うのを我慢するテレビの企画をやっていたならば、完全にアウト判定を受けているだろう。

 そしてもう一人の見物人である女の子はと言うと…。
 物凄く感動したような表情を浮かべて鼻を啜っていた。

 え?これ…泣いてるの?一体どこに涙を流す要素が?

 人の好みは千差万別とよく言われるので、何がその人に琴線に触れるかはわからないものだろう。
 兎にも角にも、その女の子にとっては伊織の下劣な歌が極上で至高のラブソングに感じられた訳だ。
 だって好きな女性と結ばれる為に自らのシンボルを切るとまで言える男の歌なんて、なかなか見ないもの。聴かないもの。
 方向性がゴミ過ぎるだけで、間違いなく純愛ではあるもの。だって一度切っちゃたら、絶対に取り返しがつかないし。

 そして伊織はパイプを歌い終えた。
 爆笑する元同級生達。
 ハンケチで涙を拭きながら、強く拍手をする女の子。

 駆け付ける警察官。

 伊織はギターを下げたままギグバッグを背負って、ペデストリアンデッキを疾走する。
 伊織が路上ライブに音楽機材を持ち出さないのは、ド下ネタをやって毎回通報されるので、すぐに逃げられるようにする為であった。
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