椿落ちる頃

寒星

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第三章 策は交錯し、思惑は錯綜する

19-3 春夏秋冬の友

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 「____や、すまない。君は意に留めてもいなかろうがとんだ無礼をしたよ。
 友人として今回のことは嬉しく思っているのは紛れも無い真実だ。
 しかし同時に、この僕にとっちゃ生まれてからずっと手を引いてくれた親が、兄が、取られたような心地になってしまうことを許してくれ」
「それは誰かに許されたり、許されぬとされるものでもないでしょう。誰が許さぬとて、構うことはありません」
「君は本当に気持ちのいい人だな。まったく、僕の心の狭さが際立つってもんだ」
「あまり煽てないでください」白綺はやや口を尖らせた。「その……今でこそ少しは落ち着きを持って……持てたような気でいますが、とてもお聞かせできないような振る舞いを、私も色々……」

 冬染は自分を狭量と言うが、冬染の抱く感情は友情や信頼、親愛のそれである。対して白綺が抱いているのは欲が根差したそれだ。

 特に太宰府へ発つ前など、当時恋仲でもない春絶に「ほかの誰かと契らないでくれ」とまで宣ったのだ。

 何を思い、どんな権利があってそれを望むのだと、太宰府へ発った後は勿論、今日だってしばしば当時を思い返しては頭を掻きむしって悶絶することがあるのだ。そんな身の上で、気持ちのいい人だなどと言われても、白綺は後ろめたさに苛まれるだけだ。

「そんなに猛アタックしたのかい」
「そ、それほどでは! ない……ないと……えっと……いかんせん私も、その、あまりこういう、経験が無__いえ、乏しくて! 無くはないのです、無くはないのですが!」
「初恋が春絶とか、なんというか、その、経験がないわりに趣味が渋いな」
「春絶殿は渋くありませんが!?」

 正確な年数は知れないが、少なくとも真神に就任して以来百余年。とすれば春絶の年齢は単純計算でも百歳を超える。神となる前の神使の頃、さらにそれより前の獣だった頃も相応の年数があっただろうから、おおよそ二百歳になるかどうかと言ったところ。
 そのうえ多くの時間を瞑想に費やしている。成程見ようによっては、春絶の暮らしぶりは隠居老人のようなものだろう。白綺からすれば断固認めがたい評価であるが。

「あー面白い。面白い話を聞かせてもらった礼に、僕から婿殿にひとつ教えてあげようか。確かに春絶は渋くはない、どころかあいつは、なかなかに腹黒いし、寂しがりやなんだ」
「腹黒いという点については異論がありますが」白綺はそわそわと身じろいだ。「寂しがりや、ですか?」
「そうさ」
「そんな子供のような……いえ、寂しいという感情は誰しも持つでしょうけれども、春絶殿に限って」

 にわかに信じがたいと言う白綺に、冬染はその反応こそ待っていたと言わんばかりににやりとした。そうして縁側に胡坐をかいて座り直すと、ふいに声を潜めて続けた。

「なにも僕だって贔屓目や冗談で言っている訳じゃないぜ。白綺殿、君も知っているだろ? 春絶が時々手にしている花のこと」
「椿の花、ですか?」
「そう。あいつが手の中に生み出す椿の花は、夢境の力を具現化させたものだが、それでも数あるものの中から、わざわざその形を選ぶのには意味がある。あいつは椿の花が好きなんだよ」

 知らず、白綺は冬染の声をよく聞こうと顔を寄せていた。
 好き。
 春絶が椿の花を扱っている姿はたびたび目にしたことがある。何処からともなく手の内に咲かせるそれがただの花でないことは察していたが、言われてみれば、神としての権能で作り出すのなら、形は自由だ。
 それでも椿の花を形をつくるのは、そこには春絶の趣向がある。
 春絶が飛鳥の山々を愛し、その自然を心地よく感じていることは普段の振る舞いからもわかることだが、とりわけ好きな花があるとは初耳だ。

「僕がこの僕として目覚めて、まだガキの頃の話だ。春日大社での鍛錬に飽き飽きしてよく逃げ出したもんさ。小鹿がまず覚えることといえば、この角の扱い方なんだが……」

 冬染は自分の頭から生えた角を軽く小突いた。「僕ら春日の鹿の角は、ただぶつけあう獣の武器ってだけじゃあない。こいつは音叉のようなものでね、同じ感情を持った相手が近くにいると、その感情や思考が伝わってくるんだ。そのおかげで、寝ても覚めても僕の頭にはどこの誰とも知らんやつの下らん妄想や、企み事なんかが雪崩れ込んできて、小さい頃から片頭痛に悩まされたもんさ」

 獣ながら人の都に暮らす春日の鹿は平安の御代よりその全てが神の使いであり、その全てが世の太平を願うもの。角がもつ”共感”の作用によって連帯し、世を見守る。

 世の平らかなるための連帯。春日に生まれた鹿は幼い頃より春日大社で神や人との歴史を学ぶものだ。

 だが幼い小鹿がぎゅうぎゅうに詰まった部屋は、生来好奇心が強く、いわば黙っていても他人の感情や思考にみずから共感しにいってしまう冬染には地獄だった。制御の仕方もまだ心得ていないのでは、自分の頭の中で何十もの声が響き、あべこべなことを言うのが恐ろしいだけだった。

 そうして教師の目を盗んで大社を逃げ出し、とにかく声の少ない方へと走れば、自然と飛鳥の山中へたどり着くのだ。
 奇しくも当時、飛鳥の山は”裁きたがり”の根城であり、誰もがあらぬ疑いを持たれるようにとひっそり暮らしていた。それに心を持たぬまっさらな獣は冬染の頭を騒がせなかった。ごく単純な欲求はむしろ、単調な鈴の音のようだった。

 静かな方へ静かな方へ、とさらに足を進めれば、最後には必ず黒い人影がいた。

「あいつからは何も響いてこなかった。というより、当時の僕はあいつと共感するような感情を持っていなかった。
 だが、それから数年して、ある冬の日に突然それが起きた。はじめてあいつと共感したのさ」

 まだ完璧でないにせよ、角の扱いを心得てきた冬染はすくすくと成長し、人の世を自分の足で渡り歩くようになった。彼にとっては春日大社で膝を折り、机に向かって学ぶよりも、実地でまなぶほうが性に合った。
 それでもまだ春絶と並べば親と子のような差があった。
 その日も大社から抜け出し、最近学び始めた三味線や琴で気晴らしした後、白く雪の積もった飛鳥の山へ分け入った。
 春絶は珍しく、麓からほど近い山中にいた。辛うじて道らしき山道の端に座り、ただぼんやりと降る雪を眺めていた。

 春絶が腰を下ろす道端には、古びて苔むした地蔵と、なにか埋めたような歪な土の盛り上がりに、縦長の歪な岩があった。それがなんらかの墓であることは明らかだった。山中に人が埋められるのは、折によってよくあることだ。

 春絶はただそこへ座っていて、もはや目に見えるところまで近づいた冬染には気づいていないようだった。
 物思いに耽っているのか、それとも目を薄く開いたまま寝ているのか____すこし驚かしてやろうと冬染はわざわざ迂回して、春絶の背後からわっと声をかけた。

 すると、春絶ははじめてそのとき振り返り。
 そして言った。冬染の顔を見て。

、と。あいつはそう僕を呼んだよ」
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