BUT TWO

寒星

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01 意外なオファー(Unexpected Offer)

05-01 アイスブレイク(With sleep me?)

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 エクラ・サミットが三日後に迫ってようやくアレクシスのスケジュールは白紙になった。もっと早く調整期間に入るべきだとラニウスは考えていたが、アレクシス本人がいつものペースが崩れる方が調子が狂うと言った。なか二日という極めて短い完全オフが妥協点だ。

 そして貴重な二日間の一日目、アレクシスは出かけると言い出した。

「何故?」

 ニューヨークにある高層マンション最上階で、ラニウスはこの仕事に就いてからもう何度目かになるかも分からない純粋な疑問を呈した。質問するにしても何かしらの予想をして疑問を呈するのが常だが、アレクシスの思想に関しては何もかもが参考にならない。

「生活必需品は全て揃っている。身体のメンテナンスは昨日済ませた。すべきことは静養と集中。これだけだ」
「ワンちゃんのくせに散歩嫌いだよな、お前って」

 アレクシスはどういうわけかこの呼び方をいたく気に入っている。ラニウス・ルーラーを犬呼ばわりする人間が__それは常に国家の犬としてだが__これまでにいなかったわけではないが、こうまでしつこく同じ人間が犬呼ばわりしているのは初めてのことだ。
 過去ラニウスを犬と呼んだものたちはみな、今では監獄に犬のように繋がれている。

「モチベーションの維持に必要と言うことであれば考慮するが、何処へ?」
「百貨店と美術館とあとリストに入れといたカフェ。買い物と、SNS用のストックを作っておく」
「化粧品や服を買うことは、果たして本当に今すべきことか?」
「黙ってリード持ってきな」

 アレクシスは携帯をいじりながらオーバーサイズのジャケットを羽織った。ヴィンテージものらしい。黒い生地の表面には摩擦による光沢がついていて、それは明らかに人為的かつ位置を狙いすましてつけられたものだ。
 この手の人間はフィジカルよりもメンタルの方が問題だ。寝不足はベッドに縛り付けてやれば治るが、一度不機嫌になると長い。
 ラニウスはリビングのダッシュボードにある車の鍵を握り、仕方なく玄関へ向かった。

 アレクシスが指定した百貨店というは、親子連れや一般人がウインドウショッピングで冷やかして回るようなデパートではなく、明らかに客を店側が選ぶタイプの店だった。
 ニューヨークの一等地に立つ老舗ホテルも兼ねたビル一棟。ドアマンはにこやかな笑顔とは裏腹にその門を固く閉ざしており、彼らの目には通行人と客が明確に区別されている。
 実際、アレクシスがまだ車から降りもしないうちに彼らは目の前の通りに寄せられた車を見るなり、迷いない足取りで後部座席のドアのそばに立った。

「いらっしゃいませ、お手荷物お持ちします」
「お車をお預かりいたします」

 同じように運転席に回り込んだドアマンがラニウスに微笑みかけ、運転を代わる。
 固く閉ざされた豪奢な回転扉の向こうは数階吹き抜けになっており、内部には想像より多くの客がいた。老若男女様々だが、少なくとも彼らは平日の昼間だというのにせかせかしたところがない。

 ラニウスはタイタニック号のダンスホールを思い出した。巨大な螺旋階段と円形のホール、優雅な男女、流れる音楽。

「本日は何をお探しで?」

 恭しく尋ねる店員にアレクシスがああ、とふと思いついたようにラニウスを顎で指した。

「彼にスーツを見繕ってやってくれないか、派手じゃなくていいが動きやすくて品のあるものを」

 店員はさっとお辞儀するなり、また二、三人のスタッフに指示を出し、波紋が広がるように人が一斉に動き出した。
 指定された仕立て屋のある階へ階段で向かう道すがら、ラニウスはもはや驚きもせずただ「聞いてないな」と言った。

「馬鹿言え、今言ったろ」
「情報共有の遅さは致命的な欠点だ」
「病院に来たわけでも無いのに吠えるな。唇にヒアルロンでもぶち込んでやろうか?」
「スーツならもう持ってる」
「安物のな」アレクシスが階段の手すりを思わせぶりな指付きで撫でた。「普段ならまだ目を瞑ってやるが、エクラサミットでそんなもん着てたら警備員に何回捕まえられても足りない。お前も含めて俺の衣装だ、粗悪品を着る気はない」
「……飾りはつけてくれるなよ」
「銀のカフスに睡眠薬仕込みのタイピン? それと腕時計型の小型爆弾とか?」
「ドラマの見過ぎだ」
「FBIにそういうのはないのか?」
「少なくとも腕時計型の小型爆弾なんて、外し忘れて朝起きたら手首が吹っ飛んでる危険性の方が高いだろう」
「確かに」

 アレクシスがふいにラニウスの顔に向かって手を伸ばした。ラニウスは身を捻ってかわす。「なんだ?」さらに追いかけてくる手をラニウスが押し除ける。「なんなんだ」

「お前がサングラス外したところを見たことがない」
「そうか。それで? 何故俺を殴ろうとする」
「サングラスを外して顔を見せろ」
「断る」
「なんだ、ハムスターみたいな目でもしてるのか? その時は気持ちよく笑ってやる」
「階段から投げ落とされたくなければ今すぐやめろ」
「ああ、今度の休みは法廷にお散歩か? 裁判長にサングラスを外せって言われたら断れないよな」

 三階にある仕立て屋はウインドウショッピングが許されない密室だった。入り口は両手開きの大扉で閉ざされ、招いた客しか立ち入れないことを暗に示している。
 その扉が今まさに内側へ向かって開く瞬間、アレクシスの指先がサングラスのブリッジへ触れた。

 だが同時に、ラニウスの手がアレクシスの腕を捉えてもいた。

「”好奇心は猫をも殺す”と言うだろ」

 ラニウスは無造作に掴んだアレクシスの手首を離し、そしてその手のひらをわざとらしいほど丁重に取って下ろしてやった。「飼い犬に嚙まれたくなきゃお行儀良くすることだ、子猫ちゃん」

 アレクシスが手を振り払う。ラニウスは動じなかった。どころかさらに挑発するように両手を広げ、自分が如何に無害で従順であるかを示して見せた。ドアが開く。

「ようこそお客様、どうぞこちらへ」そんな二人の攻防を知らない店員が丁重に促す。グルマン調の柔らかいフレグランスが漂う。
「まずは採寸を。フィッティングルームへご案内します」さらに一歩歩み出たブロンドの女性店員が如才なくラニウスへ微笑みかける。

 ラニウスは唯一表情を表現できる口元で微笑み返し、店員の案内に従った。
 まるで国立図書館のような高い壁には一部の隙も無く棚が並び、知恵と書物の代わりにそれらには色とりどりの布地が整然と仕舞われている。おおまかに二列、幅を空けて点在する作業机では今まさにテーラーたちが布地に鋏やペンを走らせ、首に巻いたメジャーの端を当てている。

「あいつマジでムカつく」
「はい?」
「ン?」

 アレクシスの呟きに遅れて反応した店員に対し、アレクシスは首を傾げて見せた。それだけで将来有望なテーラーは思わず目をそらして狼狽えた。その予想通りの反応はまさに、飼い主に照れろと命令された犬のようだ。アレクシスは一つ息をついて溜飲を下げた。

「そういえば此処って、犬用の首輪は取り扱ってなかったか」
「はい、ございますが……」テーラーは気を取り戻しつつ、言い辛そうに「サンプルをお持ちしましょう。犬種などはお分かりですか?」
「さっきの奴」
「はい____はい?」
「さっきフィッティングルームに入って行ったスキンヘッド」

 テーラーが完全に固まった。アレクシスがすぐに笑い出す。「冗談だよ、悪かった。揶揄ったんだ!」まるで無邪気な子供のように言われては周囲はどぎまぎするばかりだ。

「まあ、でもサンプルは見せてくれ。大型犬用のをね」

 今にも四つん這いになって飼い犬に志願しそうな周囲のスタッフを無視して、アレクシスはフィッティングルームのある待合室へさっさと歩みを進めた。
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