BUT TWO

寒星

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01 意外なオファー(Unexpected Offer)

04-03

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 尾行されているなと気づいたとき、ラニウスは同時に、それが脅威でないことにも気づいていた。

 撮影現場のヴィラを離れ、アレクシスが以前溢していた有名なサンドイッチ店へ向かう道すがらのことだ。おおよそパパラッチか何かだろうと放っておいた。写真を数枚撮られたところでサングラスをかけていれば正面から撮影されてもなんということはない。そもそもラニウス自身は業界人でもない。相手もそんなことにフィルムを無駄にはしないだろう。

「ねえ、お兄さん」

 にぎやかなシエスタの通りにあるサンドイッチ店で注文し、出来上がりをテラス席で待っていると、まるで知り合いのようにするりと細身の男が同じテーブルに着いた。頬の骨格が特徴的な男だった。おざなりなアロハシャツにハーフパンツ、観光客のように見えるが足元は履き続けてくたびれたスニーカー。

「こんな日差しの中でスーツだなんて暑くないの。知り合いが古着屋をやってるんだけどどうだい、いいのが揃ってるよ」
「また今度」
「さっき撮影クルーと話してたよな?」

 通りへ視線を流したラニウスの横顔に男がわずかに身を乗り出した。「アレクシス・バックマンのボディガード? 今まで見たことない顔だ、最近雇われたばかりだろう。なあ、ちょっといい話があるんだ聞いてみないか」

「いい話なら独り占めしておくといい。聞かせたいだけなら猶更結構だ」
「そう言うなって!」

 別のテーブルに移動しようとしたラニウスの前に男が割り込んだ。「なあ、マジでいい話なんだって。アンタがアレクシスの事務所からいくら貰ってるか知らないが……その金が払いきられるまで、あの事務所が残ってるかわからないんだぜ?」

 ラニウスがかすかに首を曲げた。男は俄然得意になったようすで距離を詰め、声を潜めた。

「アレクシスがいま事務所とやりあってるのは知ってるだろ? 価値観が合わねえから独立させろって言い出して、もう二年近くにもなる。HRA*は業界でも超大手の事務所だ、業界とのコネも深い。そこの看板任せられてるってのに、アレクシスは事務所から独立したがってる。なんでだと思う?」
  *HRA=アレクシスの所属事務所

 男はそう問いかけながらも、ラニウスの返事を待たずに続けた。

「事務所が業界のやばい奴らと関係してるって噂だ。実は昔からあったのさ、だが噂が立つたびすぐ消えた。枕営業なんて可愛いもんじゃねえ、テレビ業界、映画配信会社、それからSNSの運営会社____そういうとこに面のいい奴ら送り込んで、献金もしてるって噂だ。しかもたちが悪いことに、向こうも向こうで事務所に頼りまくってる。スキャンダルが出るたびに代役をすぐ寄こさせて、ほしいキャラクターのタレントを育てさせて、不祥事が起きりゃ目立つ奴らを呼びつけて別の話題を作らせる」
「ありがちな話だな」
「そうか? じゃこんなのはどうだ、ある新進気鋭の若手俳優が映画の主役をやることになった。だが映画公開の一カ月前に不倫がバレて急遽降板になったが、映画は予定通りに公開された。主役は誰だったと思う? アレクシスだよ」

 男は舌を覗かせ、乾いた唇をぺろりと舐めた。

「もっと言えばな、この若手俳優の不倫だって当初は大々的にバッシングされたが、結局は和解したんだぜ。不倫相手の女の夫がテレビ業界の大物だったが、そもそも夫婦仲は最悪だったってことが後々分かった。俳優は名前を変えて海外で元気にダンサーやってるよ」
「興味がない」
「まあ、マジで後悔するぜ、あんた……」
「いつか誰もが後悔する」ラニウスは呼ばれた番号が印字されたレシートをもってレジで商品を引き換えた。「だが今は俺の番じゃない。誰の番だと思う?」

 テイクアウトのホットサンドが入った袋はじんわりと温かい。熱心にゴシップを聞き出そうとしていた男は舌打ちをして引き下がっていった。
 そして予定通りに撮影現場のヴィラに戻ると、アレクシスは主賓室のベッドでチェシャ猫のようにニタニタ笑っていた。

「なにか面白いことでもあったか?」ラニウスはテイクアウトの袋をサイドテーブルに置いた。
「通りの向こうからやけにピカピカしたものが近づいてくると思ったらお前の頭だった」
「そうか、よかったな。食事をとれ」
「ハゲてると熱いだろ」
「ハゲてない、剃ってるだけだ」

 アレクシスはおざなりに受け流し、テイクアウトの袋から取り出した球体のプラスチックパックをボールのように真上に投げ上げてはキャッチした。中のサラダが重力にもてあそばれ、ドレッシングと混ざり合って攪拌されていく。
 そういう食べ方をするためのケースとは言え顰蹙を買いそうなものだ、とラニウスは思った。特に日本人などが見れば刀を抜いてアレクシスの首を取りに来るだろう。

「なんだよ、俺に見惚れて」

 アレクシスは球体のパックを開け、めちゃくちゃに混ざったサラダをフォークで食べ始めた。「うん、まあ味は普通だよな」
 払った金はほとんど容器代だろう。それと娯楽代か。ラニウスはそんなことを考えながら肩にさげたジュラルミンケースから水筒を取り出す。

「何飲んでる? プロテイン?」
「水」
「お前の分は買ってこなかったのか?」
「不要だ。食事は落ち着いた場所でとる」

 アレクシスはサラダを頬に溜めながら室内を見渡した。ヴィンテージな家具に囲まれた憩いの部屋。広いベッドに質素ながら高級感のあるテーブル、まさに大人の隠れ家と言わんばかりの一室だ。
 ラニウスはその視線の動きが言わんとするところを察した。

「仕事中は食事を取らないことにしている。気が緩む」
「俺の部屋で勝手に作って勝手に食ったのは?」
「あれは仕事としての食事だ。同じ調理工程で作られた食事を目の前で俺が食べれば、それに毒が盛られてないことがわかる。安全性と、信頼獲得のための第一歩」
「そこは嘘でも俺のために作ったって言えよ」

 アレクシスはサラダをきれいに食べ終えると、次に、また野菜があふれんばかりに挟まれたホットサンドを手に取った。ローストビーフサンドのはずだが、野菜を増量しすぎて肉が埋もれている。

「俺がしていることのすべてはお前のためだ」

 ラニウスは水筒を鞄に仕舞い、そしてタオルを一枚取り出した。「……随分むせたな、一度出すか」
 アレクシスは眉間にしわを刻み、口元を抑えたままじっとベッドに座っている。ラニウスが差し出したタオルを受け取らず、代わりにラニウスにホットサンドを預けた。
 ホットサンドは根元を強く握りすぎたせいか、飛び出したレタスやパプリカ、ローストビーフが極彩色の花束のようになっている。

「水いるか?」

 ラニウスはテイクアウトの袋からアイスティーを取り出してアレクシスに渡した。

「存外初心なんだな、この業界にいても」
「ハゲに真面目な顔で口説かれた経験なんてどこの業界でもねえよ」
「口説いてない」
「ああ、はいはい、もうここ数週間でお前のやり口はわかってる」

 アレクシスはラニウスの手からホットサンドを取り戻し、はみ出たレタスやローストビーフが崩れないようちまちまと端からかじっていく。

「”これは仕事の一環だ”、”俺は業務としてやってる”、”勘違いするな、俺はお前じゃなく仕事に本気なんだ”____このあたりだろ? お前の決め台詞は」

 ラニウスは妙な顔をしていた。サングラスによって彼の表情や目つきが隠されていたとしても、アレクシスは口元の微妙な動きや、眉に繋がる額のしわなどでそれを察していた。

「本当に決めなきゃならない重大な状況において、言葉が手段になるのは政治家や俳優だけだろう。俺はただの一般人だ」
「へえ?」
「それに、重大な場面なら猶更行動で示すべきだ」
「ふーん」アレクシスは興味を失ったようだ。「じゃあお前、目の前にめちゃくちゃタイプの奴がいて、なんとしてでも抱きたいときどうする」
「礼儀正しく挨拶して隣の席に座る」
「それで?」
「許されるなら手を握って一目惚れしたと伝える」
「つまんねえ男」
「自分で自分を面白い奴だと思っている男よりはマシだ」
「それはそうだな」
「マシな選択肢を選ぶことだ。運命的な出会いや偶然なんてものはこの世にない。必ず誰かの利己的な思惑がある、相手にも、自分にもだ。その中で最もこちらの損害が少なく、最も相手に打撃を与える手立てをとる。その繰り返し」
「誰だ? お前の軍人スイッチ押したのは?」
「失礼。癖だ」
 
 ラニウスは口元を手で撫でた。アレクシスはホットサンドにかぶりつきながらまた猫のように笑った。

「まあなんだ。安心して口説け、お前結構面白いぞ」
「……黙って食え。よく噛んで食べろよ。そろそろ撮影も再開するだろう」
「イエッサー」

 今にも具が零れ落ちそうなサンドをよくもまあ口元を汚さず綺麗に食べるものだ。
 ラニウスは内心感心しながら、階下であがる機材復旧の歓声を聞いていた。 
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