BUT TWO

寒星

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01 意外なオファー(Unexpected Offer)

04-02

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 ありのままに広々としていた無法地帯に、重低音を響かせて巨大なブルドーザーが分け入っていく。
 土を掘り返し、石を砕き、投棄物すらも粉砕して力ずくでどかし、土地を整地していく。
 まるで工事現場の初期段階に起きるようなそれが、正にいまアレクシスの日常に起きていた。

「水を飲め」
「脂質が多い」
「氷が多い」
「一時間経った。立って屈伸しろ、ストレッチだ」
「寝ろ」
「座って食え」
「水飲んだか?」
「早く寝ろ」
「寝ろと言ってる」
「携帯を寄越せ。没収だ」

 アレクシスは辟易としていた。

「お前は俺のママか?」
「いい母親だったんだな。親に感謝しろ。そして水を飲め」
「水の飲みすぎで死ぬ。水中毒だっけ? お前俺を殺す気だろ」
「今日の飲水量はまだ1リットルにも及んでいない。水中毒で殺すにはもっと大量の水を短時間で摂取させる必要がある」
「致死量把握してんのが怖えよ」

 屋外での撮影だった。炎天下の日差しが差し込むシエスタビーチのヴィラ。リゾート地として通年観光客の絶えない地域ではあるが、サマーシーズンはそれがさらに加速する。
 一戸建ての別荘を囲む広大な庭、そして楕円形のプール、美しいブルーのタイル。玄関わきのポーチには凝った意匠の柵と、裏庭へ続く飛び石と蔦の絡みついたアーチ。
 アレクシスがアンバサダーを務めるブランドの新作発表に合わせて広告用の映像や写真撮影をすることになっているが、近辺の交通整理や厳重な規制線にも関わらず、国内外から集まった野次馬やなにかのイベントと勘違いした観光客が無遠慮に向けるカメラレンズがしきりに太陽光を跳ね返してチカチカと視界を焼く。

「ご苦労なことだ」

 アレクシスは屋内に入り、外から見えない位置にあるラウンジのソファへ座った。ラニウスが水入りのボトルを差し出すと、眉をしかめつつも受け取って小さく傾ける。

「シャワーが浴びたい……」
「このあとプールに入っての撮影だ。我慢しろ」
「先に入ってていいか? いいだろ」
「全体の進行を乱すな」ラニウスは腰と足に巻いていたベルトに装着されたポーチからスプレーを取り出し、上下に振る。「顔をむけろ、水分補給」
「ん」

 アレクシスがぐいっと顔を上に向ける。ラニウスはそこからさらに数センチ上に向けてスプレーを振りかけた。フランス南部の源泉から汲んだ温泉水だ。空中に散布され、そこから重力にひかれて落ちていった細かい水滴がアレクシスの顔にかかる。

「もっと」
「かけすぎると化粧が崩れる」
「じゃ、仰げ」

 ラニウスが肩に提げていたジュラルミンケースからハンディファンを取り出す。「スイッチは自分で押せ」

「お前さあ、もっとあるだろ、鞄。スーツにそれって、麻薬でも入ってんのか?」
「容量、遮熱、安全、耐衝撃、防弾。これが一番いい」
「防弾?」
「喋ってないで休め。プールで溺れる」

 アレクシスがハンディファンの電源を入れ、顎をしゃくった。
 ラニウスが振り返ると、撮影スタッフの一人が恐縮した様子でこちらに歩いてくるところだ。脱いだキャップを胸に抱いた若い男性スタッフはまるで断頭台へ向かう罪人さながらの血の気の無い顔で、ちらちらと二人を、特にサングラスをかけた巨漢の麻薬カルテル幹部を伺っている。

「あっ、あの、す、すみません」
「はい」
「ヒッ」

 背後で噴き出す声にラニウスが振り返った。「いや、なんでもない、なんでも」アレクシスが手を振る。
 スタッフはやおらラニウスに対し怯えた視線を送りながらも、生唾を飲んでついに「機材の故障がありまして」と口火を切った。

「故障とはどういった? こちらで手を貸せるものなら貸すが」
「いえ! いえまさかそんな、大丈夫です。内部に熱がこもってしまって、一旦冷却させてから再起動してます」
「ああ、この暑さだからな。仕方ない」ラニウスはちらりとスタッフの肩越しに機材と人が集められている奥の部屋を見た。「映像制御のパソコンが熱で処理落ちしたんだろう。こればかりは事前に止めようがない」

 スタッフはこくこくと頷き、先ほどよりは流ちょうな口調でつづけた。「で、ですね……一時間ほどの休憩を前倒しで今入れさせていただいて、日が傾く前に残りの撮影を詰めたいと思うんです。日が暮れてしまうと撮れないショットがあるので……後半の休憩時間がやや短くなるんですが、そこは気温の下がり具合と調整しつつで……」
「了解。こちらは体調面で今のところ不安はない。アレクシス、聞こえたな」
「ああ」

 アレクシスはソファから立ち上がった。「と言っても周りがあんな騒ぎじゃ外にも出れんしな、二階で休んでていいか?」

 その申し出は快諾され、アレクシスは上機嫌でコテージの二階にある主賓室へ向かった。そこは大きなキングベッドがひとつと、細々した棚やドレッサーだけが置かれた部屋で、奇しくもニューヨークにあるアレクシスの自宅マンションの寝室とよく似た構図だった。

「木の匂いがする」部屋に入るなりアレクシスはそう言い、そしてベッドに腰掛けた。

 ラニウスは窓にレースカーテンを引き、そして外からは見えない角度でコテージを囲う鉄柵の向こうに集まった野次馬の様子を眺めた。たまたま居合わせた観光客や好奇心で何か出てくるのかと立ち止まっている市民、それから明らかにこの手のことを生業としているようすのパパラッチ。

「まるで犯罪者みたいだろ?」
「そんなことは考えていない」

 アレクシスはベッドに寝転がりながらも携帯で何やら画像編集をしている。おそらくSNS投稿用の画像だろう。他人の顔や情報が映りこんでいないか、競合他社の商品やブランドロゴが入っていないか。そして何より、画像や文面について現在の流行に遅れていないか、あるいは“前衛的”すぎないか。
 編集している画像自体はもうずいぶん前に撮影されたものだ。リアルタイム投稿用とそうでないもの。発信する情報は本人の手を離れた途端いくらでも改竄される。だが時間の流れだけは改竄のしようがない。

「マネージャー、チェック」

 アレクシスが携帯を差し出す。ラニウスは携帯を受け取り、数枚の写真を見た。

「問題ない」
「じゃあ少し寝る」
「食事はどうする。後半の休憩時間が短縮される分、今必要なら手配しておく」
「任せる」
「なら水だけだ」

 背中にクッションをぶつけられながらラニウスは主賓室を出た。そして通路の端端に安全用の監視カメラがあることを確認し、一階へ降りていく。正面玄関から外へ出ようとした際、先ほどのスタッフが「どちらへ? 正面は見物人だらけですよ」と声をかけてきた。

「俺は有名人じゃないからな。四十分ほど戻る。アレクシスは二階の主賓室で休んでいるが、緊急時以外では入らないでくれ」

「部屋に地雷でも仕掛けてあるんですか?」スタッフはすこし勇気を出したようだ。

 ラニウスは口元をニコリと動かした。

「あの部屋だけじゃない」

 そう言いおいてヴィラを後にした。
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