セーニョまで戻れ

寒星

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02:アッチェレランド:だんだん速く

17−2 クワイエット・プリーズ

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「トラブルというのは?」
「……なんと言うのかな」
 始めてミランが言い淀んだ。二人は示し合わせたように一度ルームミラーごしにお互いを見た。「ドミトリは本当にあなたを気に入っていた。それは事実だ。だがそれ以上に、彼は手段を選ばないところがある」
 前方で信号が赤になる。交差点は夕暮れを背に帰路に着くもの、あるいはこれから出かけてゆくめかし込んだ格好の人々が綺麗にすれ違っている。スクランブルの歩車分離式信号は待ち時間が長い。
「だから、つまり」
 ミランはさらに言葉を探したらしいが、結局口を閉ざした。わざわざ手を使って口を覆ってまで。「いや、俺が口を出すことじゃなかった。憶測を言った後で悪いが、ドミトリのことだ、知りたければ本人に聞いてくれ」
「なら一ついいか」
「何?」
「お前は手段を選ぶか?」
 車はまだ動かない。二人乗りの小型バイクが無理矢理信号待ちをしている車の脇をすり抜けていく。短くクラクションを鳴らす車もいた。
 そのバイクが後部座席の窓の横を過ぎようとした瞬間、ケヴィンはシートベルトを外して助手席へ身を乗り出した。そしてそのままドアを勢いよく開ける。
「失礼!」
 驚いて二人乗りのうち後ろの男が携帯を落としたが、今更止まるわけにもいかない。バイクはそのままよろよろとさらに狭い歩道と車道の間を進んでいった。
「何してる?」
 ミランが不審そうに言ったが、ケヴィンは答えずにギアをパーキングに入れると、車を降りた。
 助手席側の車体の下に携帯が落ちている。画面いっぱいにアスファルトを拡大し、細やかなヒビに入り込んだ砂利までくっきりと写っている。ポートレートモード。フラッシュなし。自動調整。倍率はゼロ。
 ケヴィンが携帯を拾い上げると、バイクから降りて来たのであろう先ほどの二人乗りの一人がやってきた。フルフェイスのヘルメットをしているがレンズを上げている目元で分かる。非常に若い男だ。運転手は交差点の最前線にバイクを停めているが、背中に動揺が滲んで見える。
「道路交通法違反だ」
 ケヴィンはそう言いながら携帯を差し出した。そして男の手が携帯に触れる前にそれを遠ざける。「名前は?」
「えっ?」
「名前」
「なんで教えなきゃいけない?」
「俺には言いたくないか? 言っておくがエイレーの警察は俺より仕事熱心だぞ、仕事自体が少ないからな。ちゃちな違反にだって面倒な手続きのフルコースを出してくれる」
 そこだけ露出した目に嫌悪感が浮かんだ。「ギミー」吐き捨てるように男が言い、ケヴィンの手から携帯を奪い返した。
「ギミー」
 ケヴィンは繰り返した。空になった手を振る。「バイクの運転手は彼女か? スタイルがいいな」
「死ね!」
「お前よりは先に死ぬさ。だから長生きしてくれよギミー、携帯のGPSは切ってたか? SNSは実名でやっていないか? ミラン・アーキテクトの写真移りを気にする前に、どうして画面が待ち受けに戻っているか考えたか?」
 男は携帯を見た。待ち受け画面に映る長い髪の女性とのツーショット。閉じられたカメラ機能。
「メーテラに伝えてくれ。いいバイクだ、だがそろそろマフラーの煤を落とすべきだ」
 ケヴィンは男の肩を叩いて運転席に戻った。信号が青に変わったのを視界の端に捉えたからだ。最前線のバイクは運転手がこちらを見たが、そばの自動車に押されるようにそのまま直進した。
 ケヴィンは手早くシートベルトをつけ、ギアをドライブに戻して発進した。左折で列を離れる時、やや待たせた後続車に一度手で詫びる。後続の中型トラックは短く一度ハザードライトを点滅させた。
「パパラッチ?」ミランが口を開いた。
「の、雛だ」
「個人的には、写真ぐらいなら構わないが」
「なら今度お前の寝室のドアに“入場無料”と“撮影自由”の看板でも出しておけ。お前が言ってるのはそういうことだ」
「相場が気になる、それとどういう取引市場があるのか」
「調べてやろうか」
 ケヴィンは自分の携帯を軽く掲げて、画面をタップした。シャッター音が鳴る。
 撮影された写真を確認もせずケヴィンは携帯を助手席に投げた。携帯を握った瞬間に見えた全く同じ名前からの不在着信バナーについては忘れることにした。
「お前がどうなろうと俺の知ったことじゃないが、お前が単純な気まぐれが、この国の定職率を一パーセントでも下げる恐れがあることは忘れるな。明確なルールもなしにサービスでいいなんてほざくのは、お前が不老不死になってからにしろ」
「あなたは、俺の容姿が好ましいと思ってるのか?」
「俺は俺の仕事を愛してるだけだ」
「なら、あなたはどうしてISCに?」
 始めてスピードメーターが上下した。整備された、平坦な道だった。大きな石を踏んだわけでもない。
 間も無くテレビ局が手配したホテルに着く。食事は部屋まで運ぶサービスがある。クリーニングもランドリーもある。ミランを部屋に押し込めばケヴィンの仕事は終わる。
「ISCの愉快なパーティから俺を選んだのはお前だろ。俺の経歴書は見たんじゃないのか?」
「見たが、経歴書にあったのはISC入社後の経歴だ。体力テストの成績と健康診断の結果、性格評価、それだけだ」
「それ以外に必要なことがあるか?」
「必要はない。ただ個人的に知りたい」
「そうか。なら断る」
「仕事ではないから?」
「そうだ」
「ニケに俺を連れて行ったのは?」
 車はホテルの駐車場へ入った。流石にエイレーでも名のある老舗ホテルで、駐車場に立つ警備員にも皆貫禄があった。そして肩幅に反して物腰は柔和だ。ケヴィンが差し出したカードを確認すると、その場で運転を代わると言った。
「降りろ」ケヴィンはミランに言った。「部屋に入って、風呂で体を洗ったら存分に寝ろ。明日は午後からだ。ルームサービスは全て室内の電話で出来る。俺は隣の部屋にいる」
 ミランも警備員にドアを開けられて車を降りた。少ない荷物もあっという間に出迎えのスタッフに引き継がれる。
 広いエントランスにはそれなりに人がいたが、誰もが自分にしか興味がなかった。目元に傷のある男が入ってきても、その手に銃器や血みどろのハンカチでも握っていない限り見向きもしない。分厚い赤茶色の絨毯の表面には埃ひとつなく、天井から細く垂れ下がるシャンデリアは併設されたカフェテリアにあるピアノを指している。
 フロントマンが流暢に必要最低限の説明と確認を行った。
「何かご要望がございましたら、客室のお電話よりお呼びください。夕食は十八時以降、ご指定のお時間にお持ちいたします。今晩は外出のご予定などございますか?」
 ない、とケヴィンが言いかけた時、ミランが突然口を開いた。
「この後オペラハウスへ行く予定が。夕食の提供は何時まで?」
「本日二十四時までとなっております。それ以降ですと、フルコースではなく軽食での適時ご提供となります」
「では二十二時に」
「かしこまりました」
「隣の部屋の分も私の部屋に運んでいただくことは?」
「承りました。その際、一部のメニューの盛り付けを一つのお皿で提供することのみ、ご了承ください」
「ありがとう」
「その言葉こそ私どもの喜びでございます」
 フロントマンが鍵を差し出す。エレベーターは既に呼びつけてあった。荷物とも呼べない荷物を運ぼうとする気遣いを辞退し、ミランとケヴィンはエレベーターに乗った。
「俺の残業代は誰が払うんだ?」
「これはあなたの仕事の範疇だ」ミランはドアの境目を見つめていた。「だが無理にとは言わない。あなたがもうこれ以上は働きたくないと言うなら、俺が野次馬に踏み潰されるのを寝ながら待っているといい」
「この時間が職務にあたらないとなれば、俺はタダ働きだ」
「その時は俺が払う」
 エレベーターが開いた。まっすぐに伸びる廊下には等間隔に硝子細工に覆われた照明が吊り上げられている。子供の絵本の挿絵になりそうな美しく穏やかな廊下。両側の壁に交互に並んだドアとドアの間隔は広い。それはこの階の部屋の広さを暗に示している。
「エイレー嫌いが治りそうなんだ。将来の円滑な活動の為になる、だから付き合ってくれ」
 そう言い残し、ミランは部屋へ入っていった。ケヴィンは聞こえるように低く息を吐き、それに続いた。いずれにせよ客室内の検査は必要だ。
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