6 / 23
冥婚
しおりを挟む
「だ、誰……?」
恵菜は締まった喉から声を絞り出し、そう言うのが精一杯だった。目の前の男は静かに微笑んだ。変わった風貌をしており、その浮世離れした美しさが余計にそれを際立たせた。艶やかな濡羽色の髪を首元あたりでゆるく結え、まとっている服もすべて闇よりも深い漆黒だった。艶のある上質そうな黒い生地の上に、また黒の外套を着込んでいる。外套の裏地には唐草模様のような繊細な柄が銀の刺繍で入れられている。装飾は最低限しかない瀟洒なデザインだが、品格があり只者でないことは明白だった。
「余は冥界の王。ヨミと呼ぶがいい。」
「め、冥界?」
「死後の世界のことだ。死後の沙汰を下したり、魂の転生を司るのが余の役目。冥界の全ての魂は余の手中にある」
臓腑にじわりと溶けていくような深みのある低音で、ヨミと名乗った男は滔々と語った。冥界の王だなんて突拍子もない嘘みたいな話で、普段の恵菜なら相手にもしないというのに、男がまとう雰囲気は生者のものと明らかに違っていた。霊感のない恵菜でも分かる、生きとし生けるものなら本能的に分かるのだ、この男が人でも幽霊でもない、言うなれば"神様"だとかいう尊いものなんだと。
ヨミは恵菜の手から封筒と札をそっと取り上げ、彼女をまじまじと眺めた。血のように赤い瞳が恵菜を射抜く。
「もう一度聞くが、婚姻を受け入れたということでよいな。」
「えっ?や、あの……ど、どういうことですか?」
「まさか知らなんだか。この赤包を拾った場合、求婚を受けたことになる。中に入っていた札は余の真名だ」
いまだ理解が及ばず呆然としていると、男はしばらく黙った後丁寧に話を付け加えた。死者と婚姻を交わす方法として冥婚という風習があるらしい。赤封筒に死者の一部や写真などを入れ、拾った人間は問答無用で婚姻を受け入れたことになるようだ。今回中に入っていたのはヨミのまことの名である「真名」の書かれた札だった。
……つまり。これを拾ってしまった恵菜はヨミと結婚する羽目になったということで。
「あの……わ、私それじゃ、あなたと結婚するって……ことですか?」
「物分かりがよいおなごだ。その通りだ、婚姻は結ばれた。不安もあろうが、何、恐れることはない。黄泉の国では全て余の思うがままだ、願いは全て叶えてやろう。気が遠くなるほどの時間をかけて、伴侶であるそなたを愛で可愛いがり……」
「ちょっと確認なんですけど、ウェディングドレスって着れますか?」
恍惚とした表情で流暢に言葉を紡いでいたヨミをぴしゃりと遮り、恵菜は問いかけた。恵菜にとってそれは、結婚相手がこの世のものでないことや、合意でない婚姻をふっかけられたことよりも遥かに重要事項だった。
「ウェ……?何と言った?」
「ウェディングドレスです!小さい頃からの夢で、どうしても結婚式で着たいと思ってて!これだけは本当に外せないんです!」
「……?わ、分からぬ……何だそれは」
外套の裾を掴んでやや食い気味で言い募る恵菜の目は瞳孔が開いていて、その勢いにヨミはやや気圧されていた。あまりの真剣な様子に戸惑ったようで、綺麗なかんばせを曇らせている。だがウェディングドレス以上に大切なことなどこの世にない。いまいち要領を得ないヨミにため息をついて、恵菜はポケットからスマホを取り出した。ウェディングドレスを検索して画像をスクロールしながら見せてやる。
「これです!可愛いでしょう!?」
「……?白い女人の着物か?裾が広がっておる、面妖なかたちの着物だ……。」
ヨミは西洋圏の文化には疎いようで、否定はしないもののドレスはかなり奇異に映るようだった。また、気がかりなことがあるのか目をすがめて考え込んでいる。ポツリと言いにくそうに言葉をこぼした。
「だが、冥界の王と王妃の婚姻たるもの、伝統装束での式が慣例となっていてな……。余とそなた揃って黒の着物なのだ。……そうだ、これではどうだ?そのドレスなるもの、普段着としてなら好きだけ作らせよう」
「いや、無理無理無理、無理ですそれ」
「……うん?」
恵菜はばっさりとその言葉を切り捨てた。長い夫婦生活、互いに我慢することもあるだろう。恵菜だって歩み寄るつもりだ、その気概はある。だけれど、誰だって譲れないものがあるのだ。それが恵菜にとってはウェディングドレスだった。ここだけは何とか死守したかった。
「式でウェディングドレスを着るためにこの27年生きてきたようなもんなんです、マッチングアプリ152連敗しても腐らずにやってきたのはこれのためなんです!」
「まっちん……?分からぬ、そなたの言うことは難しい」
「神様との離婚なんて無理かもしれませんけど、もう、じゃあ私、ウェディングドレス着れないなら泣いて暮らしますから!あなたと一言も口を聞かずいたたまれない夫婦生活を送ることにします!」
いや、ほとんど当たり屋みたいな手法で婚姻を迫ったのだ、このくらいのわがままを聞いてくれたっていいだろう、こちとら一生を捧げるのだ。そんな想いをぶつけるように主張すると、ヨミは意外なことに動揺した様子だった。切れ長の目がいっぱいに見開かれ、赤い瞳が揺れる。しばらく視線を落として考え込んだあと、こちらの要求を飲むと言った。受け入れられたことに恵菜が驚いていると、彼は落ち着かない様子で言い募った。
「頼むからそのようなことを言うでない。一生を泣いて暮らすなど、余と口もきかぬまま過ごすなど……耐えられぬ」
彼は形の良い眉をひそめ、悲痛な表情でそう呟いた。長いまつ毛が白い頬に影を落とす。あんまりにも辛そうな顔をするものだから、恵菜もひどく罪悪感に駆られてしまった。何を言えばいいか分からず視線をさまよわせつつも、おずおずと切り出す。
「わ、分かりました、もう言いませんから。そんなに落ち込まないでくださいよ」
分かりにくいが安堵した表情を見せたヨミに、何だか胸の内側の、柔らかい場所がくすぐられる。一生結婚なんてできないと自暴自棄になっていたせいか、特に恐怖も疑いもなく、なかば勢いに任せてしまったが、この冥界の王と名乗る男との婚姻に、恵菜は少し胸が高鳴っていた。
恵菜は締まった喉から声を絞り出し、そう言うのが精一杯だった。目の前の男は静かに微笑んだ。変わった風貌をしており、その浮世離れした美しさが余計にそれを際立たせた。艶やかな濡羽色の髪を首元あたりでゆるく結え、まとっている服もすべて闇よりも深い漆黒だった。艶のある上質そうな黒い生地の上に、また黒の外套を着込んでいる。外套の裏地には唐草模様のような繊細な柄が銀の刺繍で入れられている。装飾は最低限しかない瀟洒なデザインだが、品格があり只者でないことは明白だった。
「余は冥界の王。ヨミと呼ぶがいい。」
「め、冥界?」
「死後の世界のことだ。死後の沙汰を下したり、魂の転生を司るのが余の役目。冥界の全ての魂は余の手中にある」
臓腑にじわりと溶けていくような深みのある低音で、ヨミと名乗った男は滔々と語った。冥界の王だなんて突拍子もない嘘みたいな話で、普段の恵菜なら相手にもしないというのに、男がまとう雰囲気は生者のものと明らかに違っていた。霊感のない恵菜でも分かる、生きとし生けるものなら本能的に分かるのだ、この男が人でも幽霊でもない、言うなれば"神様"だとかいう尊いものなんだと。
ヨミは恵菜の手から封筒と札をそっと取り上げ、彼女をまじまじと眺めた。血のように赤い瞳が恵菜を射抜く。
「もう一度聞くが、婚姻を受け入れたということでよいな。」
「えっ?や、あの……ど、どういうことですか?」
「まさか知らなんだか。この赤包を拾った場合、求婚を受けたことになる。中に入っていた札は余の真名だ」
いまだ理解が及ばず呆然としていると、男はしばらく黙った後丁寧に話を付け加えた。死者と婚姻を交わす方法として冥婚という風習があるらしい。赤封筒に死者の一部や写真などを入れ、拾った人間は問答無用で婚姻を受け入れたことになるようだ。今回中に入っていたのはヨミのまことの名である「真名」の書かれた札だった。
……つまり。これを拾ってしまった恵菜はヨミと結婚する羽目になったということで。
「あの……わ、私それじゃ、あなたと結婚するって……ことですか?」
「物分かりがよいおなごだ。その通りだ、婚姻は結ばれた。不安もあろうが、何、恐れることはない。黄泉の国では全て余の思うがままだ、願いは全て叶えてやろう。気が遠くなるほどの時間をかけて、伴侶であるそなたを愛で可愛いがり……」
「ちょっと確認なんですけど、ウェディングドレスって着れますか?」
恍惚とした表情で流暢に言葉を紡いでいたヨミをぴしゃりと遮り、恵菜は問いかけた。恵菜にとってそれは、結婚相手がこの世のものでないことや、合意でない婚姻をふっかけられたことよりも遥かに重要事項だった。
「ウェ……?何と言った?」
「ウェディングドレスです!小さい頃からの夢で、どうしても結婚式で着たいと思ってて!これだけは本当に外せないんです!」
「……?わ、分からぬ……何だそれは」
外套の裾を掴んでやや食い気味で言い募る恵菜の目は瞳孔が開いていて、その勢いにヨミはやや気圧されていた。あまりの真剣な様子に戸惑ったようで、綺麗なかんばせを曇らせている。だがウェディングドレス以上に大切なことなどこの世にない。いまいち要領を得ないヨミにため息をついて、恵菜はポケットからスマホを取り出した。ウェディングドレスを検索して画像をスクロールしながら見せてやる。
「これです!可愛いでしょう!?」
「……?白い女人の着物か?裾が広がっておる、面妖なかたちの着物だ……。」
ヨミは西洋圏の文化には疎いようで、否定はしないもののドレスはかなり奇異に映るようだった。また、気がかりなことがあるのか目をすがめて考え込んでいる。ポツリと言いにくそうに言葉をこぼした。
「だが、冥界の王と王妃の婚姻たるもの、伝統装束での式が慣例となっていてな……。余とそなた揃って黒の着物なのだ。……そうだ、これではどうだ?そのドレスなるもの、普段着としてなら好きだけ作らせよう」
「いや、無理無理無理、無理ですそれ」
「……うん?」
恵菜はばっさりとその言葉を切り捨てた。長い夫婦生活、互いに我慢することもあるだろう。恵菜だって歩み寄るつもりだ、その気概はある。だけれど、誰だって譲れないものがあるのだ。それが恵菜にとってはウェディングドレスだった。ここだけは何とか死守したかった。
「式でウェディングドレスを着るためにこの27年生きてきたようなもんなんです、マッチングアプリ152連敗しても腐らずにやってきたのはこれのためなんです!」
「まっちん……?分からぬ、そなたの言うことは難しい」
「神様との離婚なんて無理かもしれませんけど、もう、じゃあ私、ウェディングドレス着れないなら泣いて暮らしますから!あなたと一言も口を聞かずいたたまれない夫婦生活を送ることにします!」
いや、ほとんど当たり屋みたいな手法で婚姻を迫ったのだ、このくらいのわがままを聞いてくれたっていいだろう、こちとら一生を捧げるのだ。そんな想いをぶつけるように主張すると、ヨミは意外なことに動揺した様子だった。切れ長の目がいっぱいに見開かれ、赤い瞳が揺れる。しばらく視線を落として考え込んだあと、こちらの要求を飲むと言った。受け入れられたことに恵菜が驚いていると、彼は落ち着かない様子で言い募った。
「頼むからそのようなことを言うでない。一生を泣いて暮らすなど、余と口もきかぬまま過ごすなど……耐えられぬ」
彼は形の良い眉をひそめ、悲痛な表情でそう呟いた。長いまつ毛が白い頬に影を落とす。あんまりにも辛そうな顔をするものだから、恵菜もひどく罪悪感に駆られてしまった。何を言えばいいか分からず視線をさまよわせつつも、おずおずと切り出す。
「わ、分かりました、もう言いませんから。そんなに落ち込まないでくださいよ」
分かりにくいが安堵した表情を見せたヨミに、何だか胸の内側の、柔らかい場所がくすぐられる。一生結婚なんてできないと自暴自棄になっていたせいか、特に恐怖も疑いもなく、なかば勢いに任せてしまったが、この冥界の王と名乗る男との婚姻に、恵菜は少し胸が高鳴っていた。
0
あなたにおすすめの小説
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
憐れな妻は龍の夫から逃れられない
向水白音
恋愛
龍の夫ヤトと人間の妻アズサ。夫婦は新年の儀を行うべく、二人きりで山の中の館にいた。新婚夫婦が寝室で二人きり、何も起きないわけなく……。独占欲つよつよヤンデレ気味な夫が妻を愛でる作品です。そこに愛はあります。ムーンライトノベルズにも掲載しています。
愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
田舎の幼馴染に囲い込まれた
兎角
恋愛
25.10/21 殴り書きの続き更新
都会に飛び出した田舎娘が渋々帰郷した田舎のムチムチ幼馴染に囲い込まれてズブズブになる予定 ※殴り書きなので改行などない状態です…そのうち直します。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる