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冥婚
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「だ、誰……?」
恵菜は締まった喉から声を絞り出し、そう言うのが精一杯だった。目の前の男は静かに微笑んだ。変わった風貌をしており、その浮世離れした美しさが余計にそれを際立たせた。艶やかな濡羽色の髪を首元あたりでゆるく結え、まとっている服もすべて闇よりも深い漆黒だった。艶のある上質そうな黒い生地の上に、また黒の外套を着込んでいる。外套の裏地には唐草模様のような繊細な柄が銀の刺繍で入れられている。装飾は最低限しかない瀟洒なデザインだが、品格があり只者でないことは明白だった。
「余は冥界の王。ヨミと呼ぶがいい。」
「め、冥界?」
「死後の世界のことだ。死後の沙汰を下したり、魂の転生を司るのが余の役目。冥界の全ての魂は余の手中にある」
臓腑にじわりと溶けていくような深みのある低音で、ヨミと名乗った男は滔々と語った。冥界の王だなんて突拍子もない嘘みたいな話で、普段の恵菜なら相手にもしないというのに、男がまとう雰囲気は生者のものと明らかに違っていた。霊感のない恵菜でも分かる、生きとし生けるものなら本能的に分かるのだ、この男が人でも幽霊でもない、言うなれば"神様"だとかいう尊いものなんだと。
ヨミは恵菜の手から封筒と札をそっと取り上げ、彼女をまじまじと眺めた。血のように赤い瞳が恵菜を射抜く。
「もう一度聞くが、婚姻を受け入れたということでよいな。」
「えっ?や、あの……ど、どういうことですか?」
「まさか知らなんだか。この赤包を拾った場合、求婚を受けたことになる。中に入っていた札は余の真名だ」
いまだ理解が及ばず呆然としていると、男はしばらく黙った後丁寧に話を付け加えた。死者と婚姻を交わす方法として冥婚という風習があるらしい。赤封筒に死者の一部や写真などを入れ、拾った人間は問答無用で婚姻を受け入れたことになるようだ。今回中に入っていたのはヨミのまことの名である「真名」の書かれた札だった。
……つまり。これを拾ってしまった恵菜はヨミと結婚する羽目になったということで。
「あの……わ、私それじゃ、あなたと結婚するって……ことですか?」
「物分かりがよいおなごだ。その通りだ、婚姻は結ばれた。不安もあろうが、何、恐れることはない。黄泉の国では全て余の思うがままだ、願いは全て叶えてやろう。気が遠くなるほどの時間をかけて、伴侶であるそなたを愛で可愛いがり……」
「ちょっと確認なんですけど、ウェディングドレスって着れますか?」
恍惚とした表情で流暢に言葉を紡いでいたヨミをぴしゃりと遮り、恵菜は問いかけた。恵菜にとってそれは、結婚相手がこの世のものでないことや、合意でない婚姻をふっかけられたことよりも遥かに重要事項だった。
「ウェ……?何と言った?」
「ウェディングドレスです!小さい頃からの夢で、どうしても結婚式で着たいと思ってて!これだけは本当に外せないんです!」
「……?わ、分からぬ……何だそれは」
外套の裾を掴んでやや食い気味で言い募る恵菜の目は瞳孔が開いていて、その勢いにヨミはやや気圧されていた。あまりの真剣な様子に戸惑ったようで、綺麗なかんばせを曇らせている。だがウェディングドレス以上に大切なことなどこの世にない。いまいち要領を得ないヨミにため息をついて、恵菜はポケットからスマホを取り出した。ウェディングドレスを検索して画像をスクロールしながら見せてやる。
「これです!可愛いでしょう!?」
「……?白い女人の着物か?裾が広がっておる、面妖なかたちの着物だ……。」
ヨミは西洋圏の文化には疎いようで、否定はしないもののドレスはかなり奇異に映るようだった。また、気がかりなことがあるのか目をすがめて考え込んでいる。ポツリと言いにくそうに言葉をこぼした。
「だが、冥界の王と王妃の婚姻たるもの、伝統装束での式が慣例となっていてな……。余とそなた揃って黒の着物なのだ。……そうだ、これではどうだ?そのドレスなるもの、普段着としてなら好きだけ作らせよう」
「いや、無理無理無理、無理ですそれ」
「……うん?」
恵菜はばっさりとその言葉を切り捨てた。長い夫婦生活、互いに我慢することもあるだろう。恵菜だって歩み寄るつもりだ、その気概はある。だけれど、誰だって譲れないものがあるのだ。それが恵菜にとってはウェディングドレスだった。ここだけは何とか死守したかった。
「式でウェディングドレスを着るためにこの27年生きてきたようなもんなんです、マッチングアプリ152連敗しても腐らずにやってきたのはこれのためなんです!」
「まっちん……?分からぬ、そなたの言うことは難しい」
「神様との離婚なんて無理かもしれませんけど、もう、じゃあ私、ウェディングドレス着れないなら泣いて暮らしますから!あなたと一言も口を聞かずいたたまれない夫婦生活を送ることにします!」
いや、ほとんど当たり屋みたいな手法で婚姻を迫ったのだ、このくらいのわがままを聞いてくれたっていいだろう、こちとら一生を捧げるのだ。そんな想いをぶつけるように主張すると、ヨミは意外なことに動揺した様子だった。切れ長の目がいっぱいに見開かれ、赤い瞳が揺れる。しばらく視線を落として考え込んだあと、こちらの要求を飲むと言った。受け入れられたことに恵菜が驚いていると、彼は落ち着かない様子で言い募った。
「頼むからそのようなことを言うでない。一生を泣いて暮らすなど、余と口もきかぬまま過ごすなど……耐えられぬ」
彼は形の良い眉をひそめ、悲痛な表情でそう呟いた。長いまつ毛が白い頬に影を落とす。あんまりにも辛そうな顔をするものだから、恵菜もひどく罪悪感に駆られてしまった。何を言えばいいか分からず視線をさまよわせつつも、おずおずと切り出す。
「わ、分かりました、もう言いませんから。そんなに落ち込まないでくださいよ」
分かりにくいが安堵した表情を見せたヨミに、何だか胸の内側の、柔らかい場所がくすぐられる。一生結婚なんてできないと自暴自棄になっていたせいか、特に恐怖も疑いもなく、なかば勢いに任せてしまったが、この冥界の王と名乗る男との婚姻に、恵菜は少し胸が高鳴っていた。
恵菜は締まった喉から声を絞り出し、そう言うのが精一杯だった。目の前の男は静かに微笑んだ。変わった風貌をしており、その浮世離れした美しさが余計にそれを際立たせた。艶やかな濡羽色の髪を首元あたりでゆるく結え、まとっている服もすべて闇よりも深い漆黒だった。艶のある上質そうな黒い生地の上に、また黒の外套を着込んでいる。外套の裏地には唐草模様のような繊細な柄が銀の刺繍で入れられている。装飾は最低限しかない瀟洒なデザインだが、品格があり只者でないことは明白だった。
「余は冥界の王。ヨミと呼ぶがいい。」
「め、冥界?」
「死後の世界のことだ。死後の沙汰を下したり、魂の転生を司るのが余の役目。冥界の全ての魂は余の手中にある」
臓腑にじわりと溶けていくような深みのある低音で、ヨミと名乗った男は滔々と語った。冥界の王だなんて突拍子もない嘘みたいな話で、普段の恵菜なら相手にもしないというのに、男がまとう雰囲気は生者のものと明らかに違っていた。霊感のない恵菜でも分かる、生きとし生けるものなら本能的に分かるのだ、この男が人でも幽霊でもない、言うなれば"神様"だとかいう尊いものなんだと。
ヨミは恵菜の手から封筒と札をそっと取り上げ、彼女をまじまじと眺めた。血のように赤い瞳が恵菜を射抜く。
「もう一度聞くが、婚姻を受け入れたということでよいな。」
「えっ?や、あの……ど、どういうことですか?」
「まさか知らなんだか。この赤包を拾った場合、求婚を受けたことになる。中に入っていた札は余の真名だ」
いまだ理解が及ばず呆然としていると、男はしばらく黙った後丁寧に話を付け加えた。死者と婚姻を交わす方法として冥婚という風習があるらしい。赤封筒に死者の一部や写真などを入れ、拾った人間は問答無用で婚姻を受け入れたことになるようだ。今回中に入っていたのはヨミのまことの名である「真名」の書かれた札だった。
……つまり。これを拾ってしまった恵菜はヨミと結婚する羽目になったということで。
「あの……わ、私それじゃ、あなたと結婚するって……ことですか?」
「物分かりがよいおなごだ。その通りだ、婚姻は結ばれた。不安もあろうが、何、恐れることはない。黄泉の国では全て余の思うがままだ、願いは全て叶えてやろう。気が遠くなるほどの時間をかけて、伴侶であるそなたを愛で可愛いがり……」
「ちょっと確認なんですけど、ウェディングドレスって着れますか?」
恍惚とした表情で流暢に言葉を紡いでいたヨミをぴしゃりと遮り、恵菜は問いかけた。恵菜にとってそれは、結婚相手がこの世のものでないことや、合意でない婚姻をふっかけられたことよりも遥かに重要事項だった。
「ウェ……?何と言った?」
「ウェディングドレスです!小さい頃からの夢で、どうしても結婚式で着たいと思ってて!これだけは本当に外せないんです!」
「……?わ、分からぬ……何だそれは」
外套の裾を掴んでやや食い気味で言い募る恵菜の目は瞳孔が開いていて、その勢いにヨミはやや気圧されていた。あまりの真剣な様子に戸惑ったようで、綺麗なかんばせを曇らせている。だがウェディングドレス以上に大切なことなどこの世にない。いまいち要領を得ないヨミにため息をついて、恵菜はポケットからスマホを取り出した。ウェディングドレスを検索して画像をスクロールしながら見せてやる。
「これです!可愛いでしょう!?」
「……?白い女人の着物か?裾が広がっておる、面妖なかたちの着物だ……。」
ヨミは西洋圏の文化には疎いようで、否定はしないもののドレスはかなり奇異に映るようだった。また、気がかりなことがあるのか目をすがめて考え込んでいる。ポツリと言いにくそうに言葉をこぼした。
「だが、冥界の王と王妃の婚姻たるもの、伝統装束での式が慣例となっていてな……。余とそなた揃って黒の着物なのだ。……そうだ、これではどうだ?そのドレスなるもの、普段着としてなら好きだけ作らせよう」
「いや、無理無理無理、無理ですそれ」
「……うん?」
恵菜はばっさりとその言葉を切り捨てた。長い夫婦生活、互いに我慢することもあるだろう。恵菜だって歩み寄るつもりだ、その気概はある。だけれど、誰だって譲れないものがあるのだ。それが恵菜にとってはウェディングドレスだった。ここだけは何とか死守したかった。
「式でウェディングドレスを着るためにこの27年生きてきたようなもんなんです、マッチングアプリ152連敗しても腐らずにやってきたのはこれのためなんです!」
「まっちん……?分からぬ、そなたの言うことは難しい」
「神様との離婚なんて無理かもしれませんけど、もう、じゃあ私、ウェディングドレス着れないなら泣いて暮らしますから!あなたと一言も口を聞かずいたたまれない夫婦生活を送ることにします!」
いや、ほとんど当たり屋みたいな手法で婚姻を迫ったのだ、このくらいのわがままを聞いてくれたっていいだろう、こちとら一生を捧げるのだ。そんな想いをぶつけるように主張すると、ヨミは意外なことに動揺した様子だった。切れ長の目がいっぱいに見開かれ、赤い瞳が揺れる。しばらく視線を落として考え込んだあと、こちらの要求を飲むと言った。受け入れられたことに恵菜が驚いていると、彼は落ち着かない様子で言い募った。
「頼むからそのようなことを言うでない。一生を泣いて暮らすなど、余と口もきかぬまま過ごすなど……耐えられぬ」
彼は形の良い眉をひそめ、悲痛な表情でそう呟いた。長いまつ毛が白い頬に影を落とす。あんまりにも辛そうな顔をするものだから、恵菜もひどく罪悪感に駆られてしまった。何を言えばいいか分からず視線をさまよわせつつも、おずおずと切り出す。
「わ、分かりました、もう言いませんから。そんなに落ち込まないでくださいよ」
分かりにくいが安堵した表情を見せたヨミに、何だか胸の内側の、柔らかい場所がくすぐられる。一生結婚なんてできないと自暴自棄になっていたせいか、特に恐怖も疑いもなく、なかば勢いに任せてしまったが、この冥界の王と名乗る男との婚姻に、恵菜は少し胸が高鳴っていた。
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