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第二章 試験編
76. 車内談義(2)
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「先日弟子をとらない主義だと言っていたが、それにも関わらずアニエスを弟子にしたのは、やはり彼女の才を見込んでのことか?」
「ああ、それもあるんだが……」
一瞬、どうしようか迷った。話すべきか、話さないべきか。
アニエスはいずれ王家に嫁ぐ身だ。ラングラン家の皆々には、彼女の過去を知っておいてもらうべきかもしれない。
「とても放っておける状況じゃなかったんだ」
アニエスはハラデュール王国のとある村の生まれだ。両親は小さい店を営む商人であったらしい。
ある日、近所の家で火事が起こった。人の良い母親は、火中に取り残された老婆を助けようと飛び込んだ。妻の身を案じた夫もその後を追う。そして二人とも、戻ることはなかった。
アニエスは両親以外に身寄りがなく、孤児院へ預けられた。その頃には既に精霊使いの能力が発現していたらしい。目に見えないものと会話する彼女を他の子供たちは気味悪がった。孤児たちの世話をしていた修道女たちもアニエスの話を信じず、気を引くために嘘をついていると決めつけたそうだ。
だがある時、転機が訪れる。
ハラデュールの下級貴族が寄付のために修道院へ訪れた。アニエスの話を伝え聞いた貴族が、彼女は精霊使いではないか?と院長に話したそうだ。当然のことだが、貴族であれば高等教育を受けている。そのため精霊使いのことも精霊士のことも、ある程度知識があったのだ。
孤児院の院長に連れて来られた彼女を見て、精霊の愛し子であることはすぐに分かった。彼女を囲むように沢山の精霊が飛んでいたから。
だが、それよりも気になったのはアニエスの状態だった。会話にもほとんど返事をしないため、最初は喋れないのかと思ったほどだ。目は死んだ魚のように虚ろだった。
私はすぐに彼女を引き取ることに決めた。喋ろうとしない彼女を見て、幼い頃の自分を思い出したせいかもしれない。
もしあの貴族の助言がなければ、今でも彼女はその状態だったろう。アニエスの自己評価の低さは、ひとえにこの幼少期が原因だ。幼い頃に、彼女を肯定してくれる者が誰もいなかったのだから。
ついでにマティアス王子のせいもあるけど。思春期という傷つきやすい時期に、アニエスを見下して否定しまくったからな、あの野郎。
「精霊使いの能力は3~5歳には発現する。精霊を知らない者から迫害を受けることは、珍しくないんだ」
「ハラデュールではあまり精霊が信仰されていないのか?」
「いや、王都やその近くでは盛んだよ。アニエスがいたのは田舎だったからな。そこまでは広まっていなかったんだろう」
「無知である故か……」
ジェラルドが険しい顔で呻く。
「精霊使いはどこの国にもいる。ラングラルにだって、同じような子供がいるかもしれない」
「将来有望な精霊士になるかもしれない人材が、潰されかねないということか。国民全体に啓蒙を行き渡らせる必要があるな。だが末端まで浸透させるのには時間がかかる。どうしたものか……」
彼は時折ぶつぶつと呟きながら長考に入った。
邪魔をしないでおこう。
仕事には、いつだって真摯に当たろうとする男だ。
色々話しているうちに知ったのだが、ジェラルドは精霊についても結構な知識を持っていた。私の後ろ盾になると決めてから、本を取り寄せて勉強したらしい。あれだけの激務の最中に、だ。睡眠時間を削って学習したのだろう。
自らを省みず職務に当たる姿は禁欲的ですらある。こういう所は本当に尊敬できるんだけどな。
馬車が止まり、護衛騎士が「殿下、そろそろ休憩なさっては」と声をかけてきた。
外へ出てうーんと伸びをする。
ずっと座っていたから背筋が凝っていたようだ。風が心地良い。
「はー。すっきりする」
「長時間閉じこめられた状態だったからな。息が詰まるだろう」
「楽で良いけどね、馬車は。こないだの遠乗りは気持ち良かったけど、あまり長い時間馬に乗るのもキツいからなあ」
「……シャンタル」
「何だい?」
「俺の上に乗っても構わないぞ」
すっっごく爽やかな笑顔でゲスいことを言われた。
私は絶句しつつ、ジェラルドを睨み付ける。
「お前……本当に王族か?」
「はっはっは」
「はははじゃねえよ」
下品過ぎる。
前言撤回だ、この助平野郎。
「ああ、それもあるんだが……」
一瞬、どうしようか迷った。話すべきか、話さないべきか。
アニエスはいずれ王家に嫁ぐ身だ。ラングラン家の皆々には、彼女の過去を知っておいてもらうべきかもしれない。
「とても放っておける状況じゃなかったんだ」
アニエスはハラデュール王国のとある村の生まれだ。両親は小さい店を営む商人であったらしい。
ある日、近所の家で火事が起こった。人の良い母親は、火中に取り残された老婆を助けようと飛び込んだ。妻の身を案じた夫もその後を追う。そして二人とも、戻ることはなかった。
アニエスは両親以外に身寄りがなく、孤児院へ預けられた。その頃には既に精霊使いの能力が発現していたらしい。目に見えないものと会話する彼女を他の子供たちは気味悪がった。孤児たちの世話をしていた修道女たちもアニエスの話を信じず、気を引くために嘘をついていると決めつけたそうだ。
だがある時、転機が訪れる。
ハラデュールの下級貴族が寄付のために修道院へ訪れた。アニエスの話を伝え聞いた貴族が、彼女は精霊使いではないか?と院長に話したそうだ。当然のことだが、貴族であれば高等教育を受けている。そのため精霊使いのことも精霊士のことも、ある程度知識があったのだ。
孤児院の院長に連れて来られた彼女を見て、精霊の愛し子であることはすぐに分かった。彼女を囲むように沢山の精霊が飛んでいたから。
だが、それよりも気になったのはアニエスの状態だった。会話にもほとんど返事をしないため、最初は喋れないのかと思ったほどだ。目は死んだ魚のように虚ろだった。
私はすぐに彼女を引き取ることに決めた。喋ろうとしない彼女を見て、幼い頃の自分を思い出したせいかもしれない。
もしあの貴族の助言がなければ、今でも彼女はその状態だったろう。アニエスの自己評価の低さは、ひとえにこの幼少期が原因だ。幼い頃に、彼女を肯定してくれる者が誰もいなかったのだから。
ついでにマティアス王子のせいもあるけど。思春期という傷つきやすい時期に、アニエスを見下して否定しまくったからな、あの野郎。
「精霊使いの能力は3~5歳には発現する。精霊を知らない者から迫害を受けることは、珍しくないんだ」
「ハラデュールではあまり精霊が信仰されていないのか?」
「いや、王都やその近くでは盛んだよ。アニエスがいたのは田舎だったからな。そこまでは広まっていなかったんだろう」
「無知である故か……」
ジェラルドが険しい顔で呻く。
「精霊使いはどこの国にもいる。ラングラルにだって、同じような子供がいるかもしれない」
「将来有望な精霊士になるかもしれない人材が、潰されかねないということか。国民全体に啓蒙を行き渡らせる必要があるな。だが末端まで浸透させるのには時間がかかる。どうしたものか……」
彼は時折ぶつぶつと呟きながら長考に入った。
邪魔をしないでおこう。
仕事には、いつだって真摯に当たろうとする男だ。
色々話しているうちに知ったのだが、ジェラルドは精霊についても結構な知識を持っていた。私の後ろ盾になると決めてから、本を取り寄せて勉強したらしい。あれだけの激務の最中に、だ。睡眠時間を削って学習したのだろう。
自らを省みず職務に当たる姿は禁欲的ですらある。こういう所は本当に尊敬できるんだけどな。
馬車が止まり、護衛騎士が「殿下、そろそろ休憩なさっては」と声をかけてきた。
外へ出てうーんと伸びをする。
ずっと座っていたから背筋が凝っていたようだ。風が心地良い。
「はー。すっきりする」
「長時間閉じこめられた状態だったからな。息が詰まるだろう」
「楽で良いけどね、馬車は。こないだの遠乗りは気持ち良かったけど、あまり長い時間馬に乗るのもキツいからなあ」
「……シャンタル」
「何だい?」
「俺の上に乗っても構わないぞ」
すっっごく爽やかな笑顔でゲスいことを言われた。
私は絶句しつつ、ジェラルドを睨み付ける。
「お前……本当に王族か?」
「はっはっは」
「はははじゃねえよ」
下品過ぎる。
前言撤回だ、この助平野郎。
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