それは、恋ではなく

藍田ひびき

文字の大きさ
4 / 5

4. それは恋ではなく

しおりを挟む
 王宮では盛大な夜会が開かれていた。
 秋の収穫を祝う催しであり、ヴィジリオを含むサアラム一行も参列している。しかし彼らに近寄る者はいなかった。貴族たちも彼らを遠巻きして、ヒソヒソと囁き合っている。

 酷く居心地が悪いが、ヴィジリオはこの場から離れるわけにはいかなかった。
 
 あれからアンジェリカとは一度も会えていない。何度も謝罪の為にと面会を申し込んだが、忙しいとすげなく断られた。終いには「貴方と会う理由が無い」という言伝を最後に、申し次ぎすら受けて貰えなくなった。
 
 夜会ならば、彼女に会える。ヴィジリオの顔を見れば、きっといつものように笑ってくれるはずだ。
 ヴィジリオはこの期に及んでも、アンジェリカにさえ会えば何とかなると思っていた。
 
 
「アンジェリカ王女、並びにスティーヴ・ガーディナー侯爵令息、ご入場!」

 高らかな声と共に、長身の青年にエスコートされたアンジェリカが現れた。

「まあ、今日のアンジェリカ王女の美しいこと!」
「新しい婚約者は、やはりガーディナー侯爵令息だったか」
「宰相のご子息だけあって優秀な方らしいわ。お似合いの二人ね」

 そんな声が否が応でも耳に入る。
 馬鹿な。アンジェリカはずっと自分を慕ってきたのだ。あんな男とお似合いのわけはない。
 彼女だって、嫌々婚約したに決まっている。
 
 しかしヴィジリオの目に映ったのは、アンジェリカが青年に手を預け、柔らかい微笑みを向ける姿。
 ……急に、胸が焼け付くように熱くなった。ひどく息が苦しい。
 
「ヴィジリオ殿下。この度はシェバト女王陛下とのご婚約、まことにおめでとうございます」
「あ、アンジェリカ。俺は……」

 ぜぇぜぇと繰り返す浅い息を抑え、何とか言葉を絞り出そうとして。ヴィジリオは突然気付いた。アンジェリカの冷たい眼差しに。

 こんな目を向けられた事はなかった。
 いつだってキラキラした瞳と赤く染めた頬で、見つめてくれていたのに。

「私の我儘で殿下をお引止めしましたこと、本当に申し訳なく思っております。もうお会いする事も無いでしょうが、殿下の末永い幸せをお祈り申しあげますわ」
「あ……」

 引き留めようと伸ばした手が、空を切った。

 心配するように腕を添えるスティーヴと見つめ合うアンジェリカ。そこには誰も立ち入れない空気がある。
 ヴィジリオはようやく苦しさの正体に気付いた。

 これは、嫉妬だ。

 愛する者が、他の誰かを愛し、その身体を預ける。自分の想いが届かず、ただじりじりと炎が胸を焦がしていく焦燥。
 こんな。こんな辛い思いを、自分はずっとアンジェリカへ与えていたのだ。
 
「う……くっぅ……」

 ぽろぽろと涙が零れ落ちる。
 大好きだった彼女の笑顔。あの笑顔が見られなくなったのは、いつからだったろうか。
 ……自分がアンジェリカを苦しめたから。あの笑顔を奪ったのは自分だった。

 床に落ちた後悔の涙は誰にも顧みられることなく、染みこんで消えていった。

 
  ◇ ◇ ◇

 
「ハミルトン伯爵家は賠償金を支払えず、爵位を返上致しました。令嬢は娼館送りになったそうです」

 王太女の執務室で、アンジェリカはスティーヴからの報告を受けていた。
 婚約が決まってすぐに女王から与えられた仕事。それは、ヴィジリオに近寄った令嬢とその実家の処分だった。
 
 まともな貴族令嬢であれば、王太女の婚約者に近づこうなど思わないだろう。あるいは親が止めるはずだ。
 つまり裏がある。それを突き止めろ、との密命。

 二人は王家の影を使い、裏取りを行った。
 調査を進めるうちに浮かび上がったのは、アンジェリカの廃嫡を狙う者たちの存在。

 全ての糸を引いていたのは、王家に連なるファリントン公爵家。股と頭の緩い令嬢を選び、ヴィジリオや側近たちにけしかけていたのだ。恐らく自らの血筋を女王にするため、アンジェリカの評判を落とそうと目論んだのだろう。
 
 アンジェリカとスティーヴは、ファリントン家に協力した貴族を表から、あるいは裏から一個一個潰していったのである。
 
「ファリントン公爵家はどうしようかしらね。流石に大物過ぎてすぐには潰せないわ」
「これだけが潰されたのだから、暫くは大人しくするでしょう。後は徐々に力を削いでいくしかないかと。公爵の主な収入源はアゼルフェ国との交易ですから、そちらに手を回しましょう。クリスティアナ王女のご助力を頂きたく」
「妹に伝えておくわ。……本当に、今回の件は貴方には助けられたわね」
「これが俺の仕事ですから」

 スティーヴは非常に優秀だった。その生真面目な気性から堅物文官などと言われているらしいが、存外柔軟だ。目的を果たすためには裏の手を使う事も辞さない。
 流石は母が選んだことはある、とアンジェリカは感心していた。

「以前にも話したけれど……私は貴方を愛せるかどうかは分からない。本当に、この婚約を続けても良いの?」
 
 婚約を結ぶ際、アンジェリカは正直に自分の気持ちを話した。
 恋がどれだけ自らを愚かにしてきたか。そして女王となるために、二度と愛や恋に溺れるつもりはないのだと。

「構いませんよ。自分は朴念仁なもので、色恋というものがよく分からないのです。だから今まで婚約者も作らなかった。しかし婚約者と定められた以上、貴方の治世の為に誠心誠意尽くすつもりです。そこだけは、信頼して頂きたい」
「信頼はしているわ。これまでの仕事で、スティーヴの事はよく分かったもの。貴方がそれで良いのならば、私も貴方がいいわ」
 
「光栄です」とスティーヴが微笑む。

「貴方、そんな顔もできるのね」
「俺だっていつも仏頂面ではないですよ」

 常に表情を崩さない婚約者の拗ねたような顔に、アンジェリカは吹き出した。
 
 ヴィジリオはシェバト女王に嫁いだものの、後宮の隅に追いやられているらしい。
 女王の側室は美男ばかり。しかも様々な能力に秀でた者たちばかりと聞く。
 容姿しか取り柄の無いヴィジリオが、女王の寵を得られるはずもないのだ。

 何故あんな男に囚われていたのか……。今となってはよく分からない。

 ヴィジリオに感じていたようなときめきをスティーブに対して感じたことはない。
 しかし彼ならば背中を預けられる。共に歩んでいける。それだけは確かだと思う。

 だから、これは恋じゃない。
 そもそも二度と恋なんてするつもりはないのだ。
 そう自分に言い聞かせながらも、アンジェリカの胸を甘い予感を含んだ風が吹き抜けていった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

婚約破棄までにしたい10のこと

みねバイヤーン
恋愛
デイジーは聞いてしまった。婚約者のルークがピンク髪の女の子に言い聞かせている。 「フィービー、もう少しだけ待ってくれ。次の夜会でデイジーに婚約破棄を伝えるから。そうすれば、次はフィービーが正式な婚約者だ。私の真実の愛は君だけだ」 「ルーク、分かった。アタシ、ルークを信じて待ってる」 屋敷に戻ったデイジーは紙に綴った。 『婚約破棄までにしたい10のこと』

捨てられた私が今度はあなたを捨てる

nanahi
恋愛
「お前なんか愛していなかった」愛しいあなたは私にそう言い放った──侯爵令嬢エルザは美形の靴職人グレイと恋に落ち全てを投げ打ち結婚した。だがある日突然、グレイは置き手紙を残し消えてしまった。ようやくグレイと会えた時「お前なんか愛していなかった」と彼はエルザに冷たく言い放った。絶望の中、残されたエルザはなんと子どもをみごもっていた。しかも数年後、グレイは男爵令嬢と結託しエルザの大事な子を奪いにやって来た。

【完結】実兄の嘘で悪女にされた気の毒な令嬢は、王子に捨てられました

恋せよ恋
恋愛
「お前が泣いて縋ったから、この婚約を結んでやったんだ」 婚約者である第一王子エイドリアンから放たれたのは、 身に覚えのない侮蔑の言葉だった。 10歳のあの日、彼が私に一目惚れして跪いたはずの婚約。 だが、兄ヘンリーは、隣国の魔性の王女フローレンスに毒され、 妹の私を「嘘つきの悪女」だと切り捨てた。 婚約者も、兄も、居場所も、すべてを奪われた私、ティファニー16歳。 学園中で嘲笑われ、絶望の淵に立たされた私の手を取ったのは、 フローレンス王女の影に隠れていた隣国の孤高な騎士チャールズだった。 「私は知っています。あなたが誰よりも気高く、美しいことを」 彼だけは、私の掌に刻まれた「真実の傷」を見てくれた。 捨てられた侯爵令嬢は、裏切った男たちをどん底へ叩き落とす! 痛快ラブ×復讐劇、ティファニーの逆襲が始まる! 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

愛する事はないと言ってくれ

ひよこ1号
恋愛
とある事情で、侯爵の妻になってしまった伯爵令嬢の私は、白い結婚を目指そうと心に決めた。でも、身分差があるから、相手から言い出してくれないと困るのよね。勝率は五分。だって、彼には「真実の愛」のお相手、子爵令嬢のオリビア様がいるのだから。だからとっとと言えよな! ※誤字脱字ミスが撲滅できません(ご報告感謝です) ※代表作「悪役令嬢?何それ美味しいの?」は秋頃刊行予定です。読んで頂けると嬉しいです。

嘘だったなんてそんな嘘は信じません

ミカン♬
恋愛
婚約者のキリアン様が大好きなディアナ。ある日偶然キリアン様の本音を聞いてしまう。流れは一気に婚約解消に向かっていくのだけど・・・迷うディアナはどうする? ありふれた婚約解消の数日間を切り取った可愛い恋のお話です。 小説家になろう様にも投稿しています。

あなたは愛を誓えますか?

縁 遊
恋愛
婚約者と結婚する未来を疑ったことなんて今まで無かった。 だけど、結婚式当日まで私と会話しようとしない婚約者に神様の前で愛は誓えないと思ってしまったのです。 皆さんはこんな感じでも結婚されているんでしょうか? でも、実は婚約者にも愛を囁けない理由があったのです。 これはすれ違い愛の物語です。

 それが全てです 〜口は災の元〜

一 千之助
恋愛
   主人公のモールドレにはヘンドリクセンという美貌の婚約者がいた。  男女の機微に疎く、誰かれ構わず優しくしてしまう彼に懸想する女性は数しれず。そしてその反動で、モールドレは敵対視する女性らから陰湿なイジメを受けていた。  ヘンドリクセンに相談するも虚しく、彼はモールドレの誤解だと軽く受け流し、彼女の言葉を取り合ってくれない。  ……もう、お前みたいな婚約者、要らんわぁぁーっ!  ブチ切れしたモールドと大慌てするヘンドリクセンが別れ、その後、反省するお話。  ☆自業自得はありますが、ざまあは皆無です。  ☆計算出来ない男と、計算高い女の後日談つき。  ☆最終的に茶番です。ちょいとツンデレ風味あります。  上記をふまえた上で、良いよと言う方は御笑覧ください♪

処理中です...