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4. それは恋ではなく
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王宮では盛大な夜会が開かれていた。
秋の収穫を祝う催しであり、ヴィジリオを含むサアラム一行も参列している。しかし彼らに近寄る者はいなかった。貴族たちも彼らを遠巻きして、ヒソヒソと囁き合っている。
酷く居心地が悪いが、ヴィジリオはこの場から離れるわけにはいかなかった。
あれからアンジェリカとは一度も会えていない。何度も謝罪の為にと面会を申し込んだが、忙しいとすげなく断られた。終いには「貴方と会う理由が無い」という言伝を最後に、申し次ぎすら受けて貰えなくなった。
夜会ならば、彼女に会える。ヴィジリオの顔を見れば、きっといつものように笑ってくれるはずだ。
ヴィジリオはこの期に及んでも、アンジェリカにさえ会えば何とかなると思っていた。
「アンジェリカ王女、並びにスティーヴ・ガーディナー侯爵令息、ご入場!」
高らかな声と共に、長身の青年にエスコートされたアンジェリカが現れた。
「まあ、今日のアンジェリカ王女の美しいこと!」
「新しい婚約者は、やはりガーディナー侯爵令息だったか」
「宰相のご子息だけあって優秀な方らしいわ。お似合いの二人ね」
そんな声が否が応でも耳に入る。
馬鹿な。アンジェリカはずっと自分を慕ってきたのだ。あんな男とお似合いのわけはない。
彼女だって、嫌々婚約したに決まっている。
しかしヴィジリオの目に映ったのは、アンジェリカが青年に手を預け、柔らかい微笑みを向ける姿。
……急に、胸が焼け付くように熱くなった。ひどく息が苦しい。
「ヴィジリオ殿下。この度はシェバト女王陛下とのご婚約、まことにおめでとうございます」
「あ、アンジェリカ。俺は……」
ぜぇぜぇと繰り返す浅い息を抑え、何とか言葉を絞り出そうとして。ヴィジリオは突然気付いた。アンジェリカの冷たい眼差しに。
こんな目を向けられた事はなかった。
いつだってキラキラした瞳と赤く染めた頬で、見つめてくれていたのに。
「私の我儘で殿下をお引止めしましたこと、本当に申し訳なく思っております。もうお会いする事も無いでしょうが、殿下の末永い幸せをお祈り申しあげますわ」
「あ……」
引き留めようと伸ばした手が、空を切った。
心配するように腕を添えるスティーヴと見つめ合うアンジェリカ。そこには誰も立ち入れない空気がある。
ヴィジリオはようやく苦しさの正体に気付いた。
これは、嫉妬だ。
愛する者が、他の誰かを愛し、その身体を預ける。自分の想いが届かず、ただじりじりと炎が胸を焦がしていく焦燥。
こんな。こんな辛い思いを、自分はずっとアンジェリカへ与えていたのだ。
「う……くっぅ……」
ぽろぽろと涙が零れ落ちる。
大好きだった彼女の笑顔。あの笑顔が見られなくなったのは、いつからだったろうか。
……自分がアンジェリカを苦しめたから。あの笑顔を奪ったのは自分だった。
床に落ちた後悔の涙は誰にも顧みられることなく、染みこんで消えていった。
◇ ◇ ◇
「ハミルトン伯爵家は賠償金を支払えず、爵位を返上致しました。令嬢は娼館送りになったそうです」
王太女の執務室で、アンジェリカはスティーヴからの報告を受けていた。
婚約が決まってすぐに女王から与えられた仕事。それは、ヴィジリオに近寄った令嬢とその実家の処分だった。
まともな貴族令嬢であれば、王太女の婚約者に近づこうなど思わないだろう。あるいは親が止めるはずだ。
つまり裏がある。それを突き止めろ、との密命。
二人は王家の影を使い、裏取りを行った。
調査を進めるうちに浮かび上がったのは、アンジェリカの廃嫡を狙う者たちの存在。
全ての糸を引いていたのは、王家に連なるファリントン公爵家。股と頭の緩い令嬢を選び、ヴィジリオや側近たちにけしかけていたのだ。恐らく自らの血筋を女王にするため、アンジェリカの評判を落とそうと目論んだのだろう。
アンジェリカとスティーヴは、ファリントン家に協力した貴族を表から、あるいは裏から一個一個潰していったのである。
「ファリントン公爵家はどうしようかしらね。流石に大物過ぎてすぐには潰せないわ」
「これだけお仲間が潰されたのだから、暫くは大人しくするでしょう。後は徐々に力を削いでいくしかないかと。公爵の主な収入源はアゼルフェ国との交易ですから、そちらに手を回しましょう。クリスティアナ王女のご助力を頂きたく」
「妹に伝えておくわ。……本当に、今回の件は貴方には助けられたわね」
「これが俺の仕事ですから」
スティーヴは非常に優秀だった。その生真面目な気性から堅物文官などと言われているらしいが、存外柔軟だ。目的を果たすためには裏の手を使う事も辞さない。
流石は母が選んだことはある、とアンジェリカは感心していた。
「以前にも話したけれど……私は貴方を愛せるかどうかは分からない。本当に、この婚約を続けても良いの?」
婚約を結ぶ際、アンジェリカは正直に自分の気持ちを話した。
恋がどれだけ自らを愚かにしてきたか。そして女王となるために、二度と愛や恋に溺れるつもりはないのだと。
「構いませんよ。自分は朴念仁なもので、色恋というものがよく分からないのです。だから今まで婚約者も作らなかった。しかし婚約者と定められた以上、貴方の治世の為に誠心誠意尽くすつもりです。そこだけは、信頼して頂きたい」
「信頼はしているわ。これまでの仕事で、スティーヴの事はよく分かったもの。貴方がそれで良いのならば、私も貴方がいいわ」
「光栄です」とスティーヴが微笑む。
「貴方、そんな顔もできるのね」
「俺だっていつも仏頂面ではないですよ」
常に表情を崩さない婚約者の拗ねたような顔に、アンジェリカは吹き出した。
ヴィジリオはシェバト女王に嫁いだものの、後宮の隅に追いやられているらしい。
女王の側室は美男ばかり。しかも様々な能力に秀でた者たちばかりと聞く。
容姿しか取り柄の無いヴィジリオが、女王の寵を得られるはずもないのだ。
何故あんな男に囚われていたのか……。今となってはよく分からない。
ヴィジリオに感じていたようなときめきをスティーブに対して感じたことはない。
しかし彼ならば背中を預けられる。共に歩んでいける。それだけは確かだと思う。
だから、これは恋じゃない。
そもそも二度と恋なんてするつもりはないのだ。
そう自分に言い聞かせながらも、アンジェリカの胸を甘い予感を含んだ風が吹き抜けていった。
秋の収穫を祝う催しであり、ヴィジリオを含むサアラム一行も参列している。しかし彼らに近寄る者はいなかった。貴族たちも彼らを遠巻きして、ヒソヒソと囁き合っている。
酷く居心地が悪いが、ヴィジリオはこの場から離れるわけにはいかなかった。
あれからアンジェリカとは一度も会えていない。何度も謝罪の為にと面会を申し込んだが、忙しいとすげなく断られた。終いには「貴方と会う理由が無い」という言伝を最後に、申し次ぎすら受けて貰えなくなった。
夜会ならば、彼女に会える。ヴィジリオの顔を見れば、きっといつものように笑ってくれるはずだ。
ヴィジリオはこの期に及んでも、アンジェリカにさえ会えば何とかなると思っていた。
「アンジェリカ王女、並びにスティーヴ・ガーディナー侯爵令息、ご入場!」
高らかな声と共に、長身の青年にエスコートされたアンジェリカが現れた。
「まあ、今日のアンジェリカ王女の美しいこと!」
「新しい婚約者は、やはりガーディナー侯爵令息だったか」
「宰相のご子息だけあって優秀な方らしいわ。お似合いの二人ね」
そんな声が否が応でも耳に入る。
馬鹿な。アンジェリカはずっと自分を慕ってきたのだ。あんな男とお似合いのわけはない。
彼女だって、嫌々婚約したに決まっている。
しかしヴィジリオの目に映ったのは、アンジェリカが青年に手を預け、柔らかい微笑みを向ける姿。
……急に、胸が焼け付くように熱くなった。ひどく息が苦しい。
「ヴィジリオ殿下。この度はシェバト女王陛下とのご婚約、まことにおめでとうございます」
「あ、アンジェリカ。俺は……」
ぜぇぜぇと繰り返す浅い息を抑え、何とか言葉を絞り出そうとして。ヴィジリオは突然気付いた。アンジェリカの冷たい眼差しに。
こんな目を向けられた事はなかった。
いつだってキラキラした瞳と赤く染めた頬で、見つめてくれていたのに。
「私の我儘で殿下をお引止めしましたこと、本当に申し訳なく思っております。もうお会いする事も無いでしょうが、殿下の末永い幸せをお祈り申しあげますわ」
「あ……」
引き留めようと伸ばした手が、空を切った。
心配するように腕を添えるスティーヴと見つめ合うアンジェリカ。そこには誰も立ち入れない空気がある。
ヴィジリオはようやく苦しさの正体に気付いた。
これは、嫉妬だ。
愛する者が、他の誰かを愛し、その身体を預ける。自分の想いが届かず、ただじりじりと炎が胸を焦がしていく焦燥。
こんな。こんな辛い思いを、自分はずっとアンジェリカへ与えていたのだ。
「う……くっぅ……」
ぽろぽろと涙が零れ落ちる。
大好きだった彼女の笑顔。あの笑顔が見られなくなったのは、いつからだったろうか。
……自分がアンジェリカを苦しめたから。あの笑顔を奪ったのは自分だった。
床に落ちた後悔の涙は誰にも顧みられることなく、染みこんで消えていった。
◇ ◇ ◇
「ハミルトン伯爵家は賠償金を支払えず、爵位を返上致しました。令嬢は娼館送りになったそうです」
王太女の執務室で、アンジェリカはスティーヴからの報告を受けていた。
婚約が決まってすぐに女王から与えられた仕事。それは、ヴィジリオに近寄った令嬢とその実家の処分だった。
まともな貴族令嬢であれば、王太女の婚約者に近づこうなど思わないだろう。あるいは親が止めるはずだ。
つまり裏がある。それを突き止めろ、との密命。
二人は王家の影を使い、裏取りを行った。
調査を進めるうちに浮かび上がったのは、アンジェリカの廃嫡を狙う者たちの存在。
全ての糸を引いていたのは、王家に連なるファリントン公爵家。股と頭の緩い令嬢を選び、ヴィジリオや側近たちにけしかけていたのだ。恐らく自らの血筋を女王にするため、アンジェリカの評判を落とそうと目論んだのだろう。
アンジェリカとスティーヴは、ファリントン家に協力した貴族を表から、あるいは裏から一個一個潰していったのである。
「ファリントン公爵家はどうしようかしらね。流石に大物過ぎてすぐには潰せないわ」
「これだけお仲間が潰されたのだから、暫くは大人しくするでしょう。後は徐々に力を削いでいくしかないかと。公爵の主な収入源はアゼルフェ国との交易ですから、そちらに手を回しましょう。クリスティアナ王女のご助力を頂きたく」
「妹に伝えておくわ。……本当に、今回の件は貴方には助けられたわね」
「これが俺の仕事ですから」
スティーヴは非常に優秀だった。その生真面目な気性から堅物文官などと言われているらしいが、存外柔軟だ。目的を果たすためには裏の手を使う事も辞さない。
流石は母が選んだことはある、とアンジェリカは感心していた。
「以前にも話したけれど……私は貴方を愛せるかどうかは分からない。本当に、この婚約を続けても良いの?」
婚約を結ぶ際、アンジェリカは正直に自分の気持ちを話した。
恋がどれだけ自らを愚かにしてきたか。そして女王となるために、二度と愛や恋に溺れるつもりはないのだと。
「構いませんよ。自分は朴念仁なもので、色恋というものがよく分からないのです。だから今まで婚約者も作らなかった。しかし婚約者と定められた以上、貴方の治世の為に誠心誠意尽くすつもりです。そこだけは、信頼して頂きたい」
「信頼はしているわ。これまでの仕事で、スティーヴの事はよく分かったもの。貴方がそれで良いのならば、私も貴方がいいわ」
「光栄です」とスティーヴが微笑む。
「貴方、そんな顔もできるのね」
「俺だっていつも仏頂面ではないですよ」
常に表情を崩さない婚約者の拗ねたような顔に、アンジェリカは吹き出した。
ヴィジリオはシェバト女王に嫁いだものの、後宮の隅に追いやられているらしい。
女王の側室は美男ばかり。しかも様々な能力に秀でた者たちばかりと聞く。
容姿しか取り柄の無いヴィジリオが、女王の寵を得られるはずもないのだ。
何故あんな男に囚われていたのか……。今となってはよく分からない。
ヴィジリオに感じていたようなときめきをスティーブに対して感じたことはない。
しかし彼ならば背中を預けられる。共に歩んでいける。それだけは確かだと思う。
だから、これは恋じゃない。
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