その傲慢に、さよならを

藍田ひびき

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1. 離縁してください

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「リオン。離縁してください」
「……またか。ナタリア、俺は忙しいんだ。お前の下らない虚言に付き合っている暇はない」

 夫は執務机に向かったまま私の顔も見ずに答えた。執事がちらりと私へ視線を向けたが、素知らぬふりをして目を伏せる。
 私はつかつかと歩み寄り、手にした離縁届を夫へ突き付けた。

「嘘ではございません。すでに私の署名はしてありますわ」
「今度は何だ。先日朝帰りしたことか?それとも夜会の件でまだ拗ねているのか」
「そんなこと、どうでもいいです」

 ようやく顔を上げたリオンと視線が合う。その瞳は驚きで見開かれている。
 
「もう、疲れたのです。貴方を愛することも。……貴方の妻でいることにも」


 ◇ ◇ ◇


 私はずっと、世界は自分を中心に回っていると思っていた。

「可愛いナタリア。お前はどこの令嬢よりも美人だよ」

 両親はいつもそう言って私を溺愛した。今はそれが親の欲目だったと分かるけれど、幼い私は親の言う通り、自分が世界一美しく気高い令嬢だと信じていた。
 リーヴィス公爵家の娘である私に、同年代の令嬢たちは媚びへつらう。それも私の勘違いを増長させた。私は皆をひれ伏させるほどに、素晴らしい人間であるという思い込みを。

 そんな私は、初めて恋をした。
 相手は同級生のリオン・ヘイワード伯爵令息だ。銀の髪にエメラルドグリーンの瞳、すらっとした長身。令息たちの中でもとびきり美しいリオンに憧れる令嬢は多かった。
 彼に一目惚れした私は「リオン様と婚約したい!」と父へ頼み込んだ。私に甘い父はすぐにヘイワード伯爵へ打診。あっという間に婚約が纏まった。

 それを聞いた私が大喜びしたのは言うまでもない。いずれリオンの妻になる日々を夢見て、甘い夢想に浸った。
 公女であり、かつ誰よりも美しい私を娶るのだ。彼も幸せだと思っているに違いない。きっと恋愛小説のようにリオンは私を溺愛し、毎夜愛を囁いてくれるのだと信じていた。
 全く知らなかったのだ。リオンには密かに将来を約束した恋人がいたなんて。

 婚約している間のリオンは優しかった。
 その瞳に熱が宿っていなかったとしても。舞い上がっていた私は、彼も私を愛してくれていると無邪気に信じていた。


「最初に言っておく。俺に何も期待するな」

 今から初夜を迎えようという時に向けられた言葉。
 何を言われたか理解できず呆然とする私を憎々しげに睨みつけながら、リオンは別れた恋人のことを話した。

 相手はグレンダ・エアリー子爵令嬢。リオンとは貴族学院へ入る前から愛し合う仲だったらしい。正式に婚約していなかった理由は、彼女を守るため。
 グレンダは以前、リオンへ思いを寄せる令嬢からひどい嫌がらせを受けた。相手が高位のご令嬢であったため抗議することもできなかったらしい。だから成人するまで婚約を正式に発表しなかったのだ。

 リオンは当初、私との婚約を突っぱねた。だが公爵家からの縁談に飛びついたヘイワード伯爵は強引に婚約を押し進めた。後から知ったことだが、父はかなりの権益をヘイワード伯爵家へ約束していたらしい。今まで優しいふりをしていたのは、伯爵から「絶対にナタリア嬢を逃がすな」と命令されていたからだった。

「私、全然知りませんでした。婚約する前に言って頂ければ……」
「公爵家から持ち込まれた縁談に伯爵家が逆らえると思うか?しかもお前は彼女の家にまで圧力を掛けたそうじゃないか」

 リオンに恋人がいることを知った父は、エアリー子爵家にも圧力を掛けた。彼女は後妻として隣国の貴族へ嫁がされたそうだ。

「それは父が勝手にやったことです。私はただ、貴方を愛しただけで」
「お前が周囲からどう言われているか知っているか?『高慢ちきな我が儘公女』だ。他人の人生を思い通りに動かして、さぞや満足だろうな」

 ショックのあまり、しばらく言葉が出なかった。私に媚びてきた令嬢や令息たちが裏でそんなことを言っていたなんて。皆から敬意を受けていると思っていた私はとんだ道化だった。

「夫としての義務は果たす。伯爵夫人として、お前には正当な待遇を約束しよう。だがそれ以上のことは期待するな」

 現実をなかなか受け止められない私に、リオンが追い打ちを掛けた。夢見ていた甘い結婚生活が粉々になって砕け落ちる。
 
 その後の初夜は酷いものだった。職務をこなすかのように淡々と、雑に扱われ。終わってすぐにリオンは寝室から出ていった。

 砕かれたプライドと身体の痛み。何よりも愛する人にぶつけられた心無い言葉……。
 身体も心も傷付けられ、私は朝まで泣き続けた。
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