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6. 終わりにしましょう
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「ナタリア!」
怒気を孕んだ、聞き慣れた声にゆっくりと振り向く。久しぶりにリオンと再会した私の心は驚くほどに凪いでいた。結婚していた頃は、彼の言葉にあれほど一喜一憂していたというのに。
「ヘイワード伯爵、ごきげんよう」
「何度も手紙を出したというのに無視しやがって。お前のせいで事業が大赤字だ。すぐ戻ってこい」
「お断りしますわ。貴方とは既に離縁しております」
「俺は認めていない。お前が勝手に出しただけだ」
「貴方がご自分で署名なさったのでしょう?」
「このっ……いいから言うことをきけ!」
リオンが私の手をつかんで引っ張ろうとする。バランスを崩しそうになった私の体を、後ろから温かい手が抱き止めた。
「俺のパートナーに乱暴をするのはやめて頂こう」
「アーネスト様………」
演技だと分かっていても、背中に伝わる温かさと逞しい手に胸がときめく。顔を赤らめる私を見て、リオンが顔を歪ませた。
「お前……アーネスト・ウォルシュだったか。こんなロクでもない女に侍るのは止めた方がいいぞ。それとも公爵家に金でも掴まされたか?」
「彼女は俺にとって大切な女性だ。愚弄するな」
「ナタリアは俺の妻だ」
「元、だろう。いい加減、彼女へ付きまとうのは止めたまえ」
「こいつは横恋慕の挙句、俺とグレンダの仲を引き裂いた傲慢な女だ。今になって俺から勝手に離れるなど、道理が通らないだろう!」
「……君は、いつまで被害者のつもりなんだ?」
アーネスト様の顔には、心底軽蔑するような表情が浮かんでいる。
「確かに君がグレンダ嬢と引き離されたのは気の毒だ。しかし本当に添い遂げたいのなら嫡子であることを捨て、彼女と結婚する道もあっただろう。だが結局、君はナタリアと結婚することを選んだ。しかも10年もの間、散々リーヴィス公爵家からの利を享受していた。例え愛せなくとも夫として誠実な態度で接するべきだったのに、彼女を傷つけ続けた。君はもはやナタリアにとって加害者だ」
「う、煩い煩い!この女は俺の人生を滅茶苦茶にしたんだ。だから俺にどんな扱いをされても、文句を言えない筈だ!」
ひどく歪んだ顔でリオンが叫ぶ。
……なんて醜い顔だろう。彼の精神を表しているかのようだ。
リオンをここまで歪ませてしまったのは、私の罪。だからこそ、この雁字搦めの糸を私が切り離さなくてはならない。
「私はこの10年、貴方に尽くしたわ。どんな酷い言葉も受け止めて、貴方のために、ヘイワード伯爵家のために働いた。それでもまだ足りないと言うの?」
「ああ、足りないね。お前は一生、奴隷のようにはいつくばって俺へ尽くすべきだ」
「……話にならないな。これ以上の会話は無意味だ。行こう、ナタリア」
「ええ」
「待て、ナタリア!お前は俺を愛しているはずだ。そうやってまた、俺の気を引こうとしているだけだろう?」
アーネスト様に肩を抱かれ、去ろうとする私へリオンが追い縋る。
泣き出しそうなその顔に、ほんの少し胸が痛んだ。
私の中にこんな感情が残っていたなんて驚きだわ。
いいえ。これはきっと、愛ではなく情の残滓。
「貴方への愛は、とっくに消え失せていたのよ。それを認めたくなくて、私は貴方へ執着していたのだと思うわ。もう……終わりにしましょう」
「嘘だろう……ナタリア……」
確かに若い頃の私は愚かで傲慢だったと思う。だけどこの10年、どれだけ誠意を尽くしても貴方は応えてくれなかった。
自分は愛どころか誠意すら返さないくせに、愛し続けてもらおうというのも、また傲慢だわ。
「もうお会いすることもないでしょう。さようなら、ヘイワード伯爵」
名を呼び続けるリオンへ、私は背を向けた。
数年後、私はアーネスト様と再婚した。何度か求婚を断ったけれどアーネスト様は諦めなかった。こんな評判最悪の出戻り女より、良い令嬢はいくらでもいるだろうに。
最終的に「この縁を逃したら、アーネストは一生結婚できないに違いない!」と辺境伯夫妻に懇願され、求婚を受け入れた。私はエリック様の養育があるので辺境領に留まっているが、彼の成人後は夫と共に王都へ戻る予定だ。
ヘイワード伯爵家は隠居していた元伯爵が戻って事業の立て直しを図り、何とか破綻を免れたらしい。私からもお父様へこれ以上追い打ちを掛けないように頼んだ。義両親には良くしてもらったし、領民に罪は無いもの。
リオンからはあれからも何度か手紙が届いたが、私が再婚した後は送ってこなくなった。
女遊びも鳴りを潜めているらしい。再婚の話も聞かない。いまだに元妻を想って嘆いている、あるいは妻と恋人の両方に逃げられたショックで不能になったなどと密やかに噂されている。
いつの日か、彼の心にも平穏が訪れることを祈っている。私にそんなことを願う資格は無いのかもしれないけれど。
怒気を孕んだ、聞き慣れた声にゆっくりと振り向く。久しぶりにリオンと再会した私の心は驚くほどに凪いでいた。結婚していた頃は、彼の言葉にあれほど一喜一憂していたというのに。
「ヘイワード伯爵、ごきげんよう」
「何度も手紙を出したというのに無視しやがって。お前のせいで事業が大赤字だ。すぐ戻ってこい」
「お断りしますわ。貴方とは既に離縁しております」
「俺は認めていない。お前が勝手に出しただけだ」
「貴方がご自分で署名なさったのでしょう?」
「このっ……いいから言うことをきけ!」
リオンが私の手をつかんで引っ張ろうとする。バランスを崩しそうになった私の体を、後ろから温かい手が抱き止めた。
「俺のパートナーに乱暴をするのはやめて頂こう」
「アーネスト様………」
演技だと分かっていても、背中に伝わる温かさと逞しい手に胸がときめく。顔を赤らめる私を見て、リオンが顔を歪ませた。
「お前……アーネスト・ウォルシュだったか。こんなロクでもない女に侍るのは止めた方がいいぞ。それとも公爵家に金でも掴まされたか?」
「彼女は俺にとって大切な女性だ。愚弄するな」
「ナタリアは俺の妻だ」
「元、だろう。いい加減、彼女へ付きまとうのは止めたまえ」
「こいつは横恋慕の挙句、俺とグレンダの仲を引き裂いた傲慢な女だ。今になって俺から勝手に離れるなど、道理が通らないだろう!」
「……君は、いつまで被害者のつもりなんだ?」
アーネスト様の顔には、心底軽蔑するような表情が浮かんでいる。
「確かに君がグレンダ嬢と引き離されたのは気の毒だ。しかし本当に添い遂げたいのなら嫡子であることを捨て、彼女と結婚する道もあっただろう。だが結局、君はナタリアと結婚することを選んだ。しかも10年もの間、散々リーヴィス公爵家からの利を享受していた。例え愛せなくとも夫として誠実な態度で接するべきだったのに、彼女を傷つけ続けた。君はもはやナタリアにとって加害者だ」
「う、煩い煩い!この女は俺の人生を滅茶苦茶にしたんだ。だから俺にどんな扱いをされても、文句を言えない筈だ!」
ひどく歪んだ顔でリオンが叫ぶ。
……なんて醜い顔だろう。彼の精神を表しているかのようだ。
リオンをここまで歪ませてしまったのは、私の罪。だからこそ、この雁字搦めの糸を私が切り離さなくてはならない。
「私はこの10年、貴方に尽くしたわ。どんな酷い言葉も受け止めて、貴方のために、ヘイワード伯爵家のために働いた。それでもまだ足りないと言うの?」
「ああ、足りないね。お前は一生、奴隷のようにはいつくばって俺へ尽くすべきだ」
「……話にならないな。これ以上の会話は無意味だ。行こう、ナタリア」
「ええ」
「待て、ナタリア!お前は俺を愛しているはずだ。そうやってまた、俺の気を引こうとしているだけだろう?」
アーネスト様に肩を抱かれ、去ろうとする私へリオンが追い縋る。
泣き出しそうなその顔に、ほんの少し胸が痛んだ。
私の中にこんな感情が残っていたなんて驚きだわ。
いいえ。これはきっと、愛ではなく情の残滓。
「貴方への愛は、とっくに消え失せていたのよ。それを認めたくなくて、私は貴方へ執着していたのだと思うわ。もう……終わりにしましょう」
「嘘だろう……ナタリア……」
確かに若い頃の私は愚かで傲慢だったと思う。だけどこの10年、どれだけ誠意を尽くしても貴方は応えてくれなかった。
自分は愛どころか誠意すら返さないくせに、愛し続けてもらおうというのも、また傲慢だわ。
「もうお会いすることもないでしょう。さようなら、ヘイワード伯爵」
名を呼び続けるリオンへ、私は背を向けた。
数年後、私はアーネスト様と再婚した。何度か求婚を断ったけれどアーネスト様は諦めなかった。こんな評判最悪の出戻り女より、良い令嬢はいくらでもいるだろうに。
最終的に「この縁を逃したら、アーネストは一生結婚できないに違いない!」と辺境伯夫妻に懇願され、求婚を受け入れた。私はエリック様の養育があるので辺境領に留まっているが、彼の成人後は夫と共に王都へ戻る予定だ。
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リオンからはあれからも何度か手紙が届いたが、私が再婚した後は送ってこなくなった。
女遊びも鳴りを潜めているらしい。再婚の話も聞かない。いまだに元妻を想って嘆いている、あるいは妻と恋人の両方に逃げられたショックで不能になったなどと密やかに噂されている。
いつの日か、彼の心にも平穏が訪れることを祈っている。私にそんなことを願う資格は無いのかもしれないけれど。
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