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龍の騎士王と狂った賢者
第一話 幻獣学者アイザックとカーバンクルのルベラ
しおりを挟む英国、ロンドン郊外ウェルズ邸
「じゃあそろそろ行こうか、ルベラ?」
外側にフワッと癖のかかった髪の青年は淑女に相対するかのような恭しい仕草で彼女に手を差し伸べる。
深く澄み渡るような優しくも少し高めの声は、長年その青年を悩ませてくれる幾つかある劣等感の一つだ。
彼の名前はアイザック・ヘルマン・ウェルズ。この街にある魔法技術大学校において魔法を使える生物、所謂【幻獣】の研究とその知識を後進育成の為に教え授ける教育者を生業とする、魔法使い兼幻獣学者だ。
少し癖が強く細い髪は赤茶けた色をしており、柔和だがスラッとした鼻筋と彫りの深い顔立ち、母親譲りの瑠璃色の瞳は如何にも英国紳士といった風貌だ。上背も平均よりは少し高く百八十五センチメートルほどあり、その線は少し細身だが、研究職という仕事に就いている割には均整のとれた靭やかな身体付きだ。
濃い茶色のジャケットの下に紺色のポロシャツ。ジャケットの色に合わせたベージュのパンツと、革張りだが歩きやすさを重視したオールドブラウンのトレックシューズは彼の見た目の年齢を二十歳そこそこに見せている。だが実際には五十を少し過ぎた年頃だ。そう、これが彼の二つ目の劣等感、童顔だ。
元来魔法使いとは長命になりやすいのだが、アイザックのそれは周りの魔法使いから見ても異質であった。彼が初めて魔法学校の教鞭を握った際には、聴講している学生よりも若く見えた為に中々授業を聞いてもらえず、当時は毎日のように頭を抱えていた。今では良い思い出の一つにも挙げられるのだが…。研究に没頭し、自分の身形に気を遣わない性格と、装飾品で自身を着飾らない事も若く見られる要因なのだが、彼が教鞭を握ってから三十年余り、一向に気付く気配が無いのは正直な所、無頓着というかなんというか……。
「そろそろ行こうか、じゃないでしょヘルマン!!貴方がいつまでも起きないからこんなお昼もとうに過ぎた時間になったんでしょう?まったくもう…!」
この幼女のように透き通る声の主は何故か彼の事をミドルネームで呼ぶ。他に『アイザック』と言う名の知り合いも居ないのに何故か昔からそうなのだ。
彼女の外見はお世辞にも、人と同じとは言えない可愛らしい姿をしている。
青年の腕を小さな手足で駆け上がる、白くふわふわの体毛に包まれたトビウサギのような彼女がルベラ。先述した魔法を扱える生物【幻獣】、その一種であるカーバンクル族の女の子だ。まるで羽毛のように白く、艶やかな体毛は日の光を受けてキラキラと輝き、毛先に至っては宛ら金剛石のように透き通っている。
桜色の小さな鼻の上には、黒真珠が如く大きく丸い瞳が二つと、その額に輝く〔ルビーのように紅い〕宝石が彼女が擁する二つのチャームポイントの内の一つだ。その二十センチメートルにも満たない小さな身体の上半身を、麻で出来た白のブラウスとワインレッドのチェック柄のベスト、首もとでキチンと蝶々の形に結ばれた蒼いリボンで着飾っている。丸く綺麗なお尻には、自身の身体と同じくらいの長さを誇るフワッフワの尻尾が緩やかなカーブを描いている。これが彼女のお気に入りその二である。
多くの幻獣は人と共に生活することはしないのだが、このルベラというカーバンクルの少女は、先に述べた衣装を身に纏い世話焼き女房の如くアイザックの身の回りの雑事を熟している。
彼女らカーバンクルが額に宿している大きな宝石のような結晶は、通称【魔石】と呼ばれ強い魔力を秘めている。この魔石は幻獣や、魔法や魔力磁場の力を受けて魔獣と化した獣達に必ず存在するのだが、数が多く捉えやすかったカーバンクル族は、心無い魔法使い達によって乱獲され一時期はその個体数を大きく激減させた。中世の頃まではこの魔石を使う事で自身の魔法力を底上げする事が可能だと信じられていたのと、魔石を使った魔法実験が数多く行われていた事が乱獲の原因だった。
勿論、現在ではそうした魔法力の底上げは迷信であると周知されているし、魔法力のトレーニング法は他に確立されたものがある。さらに、わざわざ幻獣から魔石を取らずとも幾つかの宝石や鉱石に魔石と遜色のない魔力を内包した物があると分かったので、それらの石や人に害なす魔獣の魔石を使った実験が行われている。こうした新たな発見と良識ある研究者達の弛まぬ努力によりカーバンクルのみならず他の幻獣たちもその個体数は回復傾向にある。(とはいえ、現在では多くの幻獣達が人から姿を隠すようになってしまい、中々お目にかかれることは無いのだが。)
また、この魔石は大きさと透明度で内包する魔力量が異なり、大きければ大きいほど、透明度が高ければ高いほどより多くの魔力が込められているとされる。
彼女のチャームポイントでもあるこの魔石は〔ルベライト〕。しかも、非常に透明度が高く千カラット(一カラット=○.二g。つまり二百g)以上の大きさを誇るカーバンクル内でも最大、最高位の魔石だ。
魔石の純度によって位階が別れるカーバンクル族において、ルベラは最高位個体であり、それ故に人との意思疎通で音声としての言葉を使う。低位のカーバンクル他幻獣達、人と大きく関わりを持たないドラゴンなどの、力の強い幻獣達は念話や身振り手振りで意思疎通をとるという事実は、幻獣学会内のみならず魔法界周知の事実である。
ルベラはアイザックの左肩に辿り着き、一頻りポカポカとアイザックの頬を殴り終え、その怒れる心を落ち着けて「ふぅ」と溜息を吐いた。
「それで?まずはどこに向かうの?」
「あぁ、とりあえずは日本に行こうか。」
「日本?あんな極東にアルベルトが居ると言うのヘルマン?」
アルベルト・トンプソン・ウェルズ、アイザックの祖父。現在の魔法幻獣学会の長にして魔法使いの中の魔法使い。数々の功績を残し百年ほど前に現在の地位に就いた後も、数々の発見や論文を魔法界に発表している重鎮だ。
その容姿はアイザックが順当に歳を重ねれば(重ねられれば)まるで生き写しだと言われており、これまたアイザック同様童顔(歳の割には若く見えすぎる)。推定でも百三十を超える齢にも関わらず、白髪混じりの赤毛と、黒の縁眼鏡。それなりの数の皺を顔に刻みつつも精悍な顔付きと、官能的とも言える口髭はショートコンチネンタルに整えられている。その甘いマスクは数多くの魔女達を虜にしてきた。故に男の魔法使いには彼を疎む者も数多く居た。
高価な革張りの椅子に座って事務仕事をするよりも、実地での研究調査が好きな性分故、百八十を少し超えた身長は少しも背が曲がる事無くビシッとしており、だらける所が無いほど筋肉質な身体に鍛えられている。
孫のアイザックと違う点と言えば、それなりにお洒落に気を遣い、派手では無いが質の良い数十の帽子を被り熟し、動きやすいが礼を欠く事が無い程度のフォーマルなジャケットとパンツは見る度に色も柄も違っている所だ。丁寧に蝋で磨かれた編み上げショートブーツは馴染みの靴職人の力作が数多く揃っている。持ち手部分が半球状に盛り上がった直杖タイプのフォーマルステッキはお気に入りの物だけでも十五本はある。アイザックよりも輪を掛けて英国紳士を体現した老紳士だ。
そんな彼が、親友であり旅のパートナーでもあるカエル型幻獣、霧蝦蟇のベンジャミンと突然姿を消したのは今から三ヶ月程前の吹雪の夜だった。
またいつもの持病だろうと軽く考えていたのだが、ひと月経っても何の音沙汰も無く、いよいよ不安になったアイザックとルベラが各所に捜索の願いを出したのが丁度五週間前のこと。それから祖父の書斎を漁り尽くして漸く手掛かりらしき物を発見したのが二週間前で、急いで捜索の準備と学校での引き継ぎ作業を全て終わらせたのが昨日の夜遅く、日を跨ぐ直前のことだった。
「いや、日本に居るかどうかは分からないんだけどね。どうやら教授の知り合いが京都の伏見という所に居るみたいなんだ。その人を訪ねてみようと思ってね?」
「伏見…ねぇ?……確かキツネ型幻獣の調査だったかしら?ヒヤシス=ペディよね、あのイタズラ好きの。アルベルトのライフワークだって言っていつも世界中飛び回ってたわねぇ。」
「あぁ、どうやら伏見にはヒヤシス=ペディの特殊個体が居るみたいでね。もしかしたらその個体が何か知っているかもしれない。教授が姿を消して3ヶ月。手記の暗号を解いてやっと見つけた手掛かりなんだ。とにかく行ってみよう!」
そう言ってアイザックは玄関扉を開け、外に出る。施錠の為振り返る時、玄関口に飾ってある一枚の家族写真が目に入る。
写真には
『在りし日の宝物たち、娘エラと孫アイザック』
と書いてある。
幼き日の自分を微笑ましげに見つめるつば広の白い帽子を被った美しい女性が母のエラ。
初夏の頃、いつものように雲に覆われ薄暗かった日だったが、ふと出来た雲間から一筋の陽光、宛ら天使が昇る梯子のような光が幼いアイザックと、白のつば広帽と、シンプルだが品の良い花柄のワンピースを纏ったエラを包み込んでいる暖かな一枚だ。
「行ってきます、母さん。」
小さな声で今は亡き母に旅立ちを告げ、扉を施錠する。その顔は少しの哀愁と暖かな思い出を噛み締めるかのような頼りな気な笑顔をしている。
「ヘルマン、どうかしたの?」
アイザックの行動を不審に思ったのか、ルベラが首を傾げ心配する。
「……いや、なんでもないよ。行こうかルベラ。」
「えぇ、行きましょ!とっとと見つけてアルベルトのおバカさんをたーっぷり叱ってあげるんだから!」
「はははっ…お手柔らかにね…?」
何一つ告げずに突然姿を消したアルベルトにルベラはその小さい体を目一杯大きくしながら憤りを漏らし、アイザックは困り顔で答えた。そう言えば、と思い出したようにルベラはアイザックに話しかける。
「ねぇヘルマン?貴方いつになったら自分のおじいちゃんの事をおじいちゃんって呼べるようになるのかしら?」
「え?いや、…ハハッ…まぁ、おいおいね?僕も学会に入って長いし、学会長におじいちゃんって言うのも変だろう?」
「教授って呼んでいるのも充分に変よ?観念しておじいちゃんって呼んであげなさい!案外アルベルトの失踪って、ヘルマンが素直じゃないのに拗ねて家出しただけじゃないかしら…」
「さすがにそれはないんじゃ…」
などと、一人と一匹は楽し気に話しながら、祖父の行方を探す旅に出たのであった。
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