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龍の騎士王と狂った賢者
第十八話 大賢者と謀叛の兆(1)
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二年前 初春
賢者省 本庁城五階 大賢者執務室
普段通り、執務室での書類仕事に忙殺されていたマーリンは、来訪を告げる音に顔を上げた。
「入って良いぞ。」
少しの間を置いた後、入ってきたのは当代随一の幻獣学者にして、大賢者が心を許せる数少ない人物。
幻獣学会長、アルベルト・トンプソン・ウェルズ。
「久しぶりだな、アレイ」
旧友の来訪に大賢者は立ち上がり破顔する。
「おぉ、アルか!よく来たな、まぁ茶でもどうだ?ベンも一緒にな」
応接用のソファーに掛けるよう促し、茶の用意をする。普段は魔法を使った給仕をするが、旧友に対しては自ずから淹れるようにしている。
アルベルトとベンジャミンは合わせ鏡のように同じ動作で被っていた帽子を脱ぎ、ソファーに掛け、マーリンが来るのを待った。
五分ほどで茶器と茶請けを持ったマーリンが彼らの対面に座り、簡単に再開の挨拶を交わした後、本題に入る。
「役所嫌いのアルがワシを訪ねてくるなど珍しい。…何があった?」
静かにカップを置いたアルベルトは、隣に控えていたベンジャミンに目配せする。やれやれと言った雰囲気で、目配せを受けた霧蝦蟇は手にしていた直杖の先で床を二回鳴らす。杖で突かれた床から霧のような煙が部屋を包み、外界へ洩れる音を遮断する。
「相変わらず見事な点前じゃが、それほどまでに密な話なのか、ベン、アル?」
「まぁ、そういう事だよアレイスター。アルベルトと私が持ってきた話はそう易々と他の者に聞かせるようなものでは無いな」
「ベンの言う通り。特に敵がすぐ近くに居るこんな所ではな」
アルベルトのその言葉に、全く驚く様子もなく、鷹揚にマーリンは返す。
「敵じゃと?そんなもの、ワシとアルとで多数葬ってきたであろう?」
今更なにを、とマーリンは薄く笑うが、アルベルトとベンジャミンの顔は一様に暗く重い。
そんな旧友らの面持ちにただならぬ物を感じ、マーリンも笑みを消して再度問う。
「どうやら、今までとは訳が違うらしいな。済まぬ、続けてくれ」
アルベルトは伏せていた顔をゆっくりと上げ、その重い口を動かした。
「《円卓》の中に裏切り者が紛れているようなのだ」
大賢者は小さく眉を動かし、しかし冷静に返す言葉を探す。
「確かに昔ほど一枚岩とは言えぬわな。じゃが、そうであるからと言って裏切りとは些か穏やかではないのぉ?」
「一枚岩が必ずしもいいとは言えぬし、今の《円卓》はよく機能している。だがな、私もベンも不確かな事でわざわざアレイの元を訪ねる訳もないことは分かってくれるな?」
比較的若い世代の賢者も参画し、新たな時代の波の到来を予感させる当代の《賢者の円卓》。この五十年ほどで様々な改革が進み、幻獣の保護や調査、国際情勢の均衡を保つ為の保全、大魔術の研鑽と良い方向への力が働いた事は確かであった。十一人の賢者がそれぞれに熱き想いをぶつけ合った結果、一枚岩ではなくなったものの良い流れではある、とマーリンは感じていたのだ。
しかし予てからの友は徒に不安を煽るような性格でないことは重々承知している所である上、こういった助言を持ちかけてくる時には確固たる根拠がある時だと分かっている。
「一体、何を見つけたのじゃ……?」
大賢者マーリンは、いつもの柔らかな笑みを消し去り、重い口調でアルベルトとベンジャミンの知り得た事を聞き出す。
「アレイ。お前さんは我ら霧蝦蟇が人や物の記憶を食すことが出来るのは知っておるよな?」
唐突にベンジャミンが切り出したが、そのような事今さら言われるまでもないと、マーリンは頷き返す。
《霧蝦蟇》。名前の通り、カエルのような容姿をした幻獣の一種で、身体を霧のように変化させる能力がある。
この幻獣の最大の特徴は、霧化する身体と、人や物から抜き取った記憶を食す事で得られる能力を持つことだ。
カーバンクルとさほど変わらぬその体長は約二十センチと小さいが、記憶を抜きとるという性質から危険度、稀少度が高い幻獣に指定されている。
記憶を抜きとると言っても、度忘れ程度の能力なのだが、魔法使いにとってこれ程恐ろしいものは無い。魔法使いとは、知識を蓄え、熟成させ、研鑽を重ねる生き物だ。強く賢しい魔法使いになる過程で、記憶を抜かれるなどとてもでは無いが許容できるものでは無い。
稀少度に関していえば、アルベルトのパートナーであるベンジャミン以外その存在の発見報告が無いのだ。
これは一重に彼らがその存在に出会った記憶を抜き取るからだと、ベンジャミンが話している。
ベンジャミンによれば、世界中ありとあらゆる場所に仲間は隠れ住んでおり、人間や魔法使いから記憶を抜き取り知識を溜めることに喜びを感じる知的好奇心の塊であるのだそうだ。それ故、ベンジャミンのように服で着飾り、人のように生活しているとも。
記憶を食べることにより、人の趣味趣向も僅かに取り込んでおり、その影響ではないかとアルベルトは話していた。
「まさか、記憶を食ったのか?」
「そのまさかだよ、アレイ。今回のフィールドワークでな、幻獣の密猟者を捕らえたのだ。すぐに自死しおったがな」
満足そうに答えるベンのあとをアルベルトが引き継ぎ、さらなる説明を重ねる。
「人間、たとえ死んだとしても直ぐに記憶が消え去るわけではないらしくてな。ベンに食わせて見たのだ。そうしたらな…」
と、そこでアルベルトはベンジャミンに目配せを送る。
ベンジャミンは直杖を掲げ霧を集める。細かな水の粒が集まり、スクリーンのようになると、今度は彼の目が光を帯び、映写機のように映像を霧に向けて映し出す。
「薬と洗脳魔法で酷く混濁しておったみたいでな、声が不鮮明なのが痛いが、映像はしっかりと残っていた」
ベンジャミンが映し出した映像には、暗所を薄く照らす月明かりが差し込んでいる。
あたりの暗さと逆光で分かりづらくはあるが、自害した密猟者の対面に一人の人間と、大きな獣、人間の方に座る小さな影が映っているようだ。
影は見たところ男のようで、シルクハットの様な高帽子と、あたりの闇よりも濃い黒のコートを着ているように見える。その手にはアルベルトやベンジャミンが好んで持つような直杖を手にしている。
男のそばに控えた獣は、オオカミをそのまま大きくしたかのようなフォルムをしているが、その頭にニ本の禍々しい角を持ち、たてがみのように長い体毛が陽炎のように揺れている。
男の左肩の小さな影は、カーバンクルやフォグロッグのように手のひら大の大きさだがら尻尾どころか前腕も無いように見える。
「アレイ、ここだ。」
と、アルベルトが指し示すのは男が直杖を持つ手とは反対、左手の小指の付け根であった。
そこには月明かりを鈍く照らし返す指輪が嵌められており、よく見ると…
「これは、賢者の指輪か…」
《賢者の円卓》に選ばれた賢者は、それぞれが指輪を授与される。
古く旧約聖書に示された『知恵の実』を象ったその指輪は、代々の賢者しか嵌める資格を有しておらず、後進に席を譲った賢者も死して納棺されるその時まで嵌めてはならない。と言うよりも、呪いが掛かっており、賢者である時分にしか嵌めることが出来ない作りになっている。
「なるほど、これは確かに由々しき事態じゃな。……して、こやつの目的は分かっておるのか…?」
映像は紳士服の男が何らかの指示を降したあと、闇に解けるように消えて終わった。
目から映写していたベンジャミンは、マーリンの顔を見上げて、自信なさげに話し出す。
「力を求めている事だけは分かるのだがな…。正直、幻獣を捕らえるだけではさしたる力にならん。このように禍々しい輩に力を貸す幻獣は大した力も持ち合わせておらんでな」
「賢者となって尚も力を求める、か。己の研鑽とはとてもでは無いが言い難いのう」
大賢者は顎に手を当て沈痛な面持ちで言葉を漏らす。
それだけでは無いかもしれない、とアルベルトは自身の考えを告げた。
「力を集めているのが、この賢者を筆頭にした結社のような組織という可能性もある。不可解な幻獣の消失や《龍脈》の乱れが世界中で起きているようなのだ」
一度そこで口を閉ざし、告げるかどうか逡巡する古き幻獣学者。
覚悟を決め、彼が口にした言葉を聞き、マーリンの顔に初めて緊張の汗が走った。
「内部からの突き上げなんて小規模の物では無いかもしれん。事が大きくなれば、世界が転覆する。その可能性は充分にあるぞ」
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