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たまむし

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【二年前】接近.2

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 肩を組んでバカみたいに笑いながら、二人は宮脇のアパートへ向かう。
 宮脇の自宅は、二階建てアパートのぐらつく外階段を上ってすぐの場所だ。錆の浮いた古い玄関ドアを開けると、小さな三和土に女物の靴と大きなスリッパ。短い廊下の向こうには可愛らしいビーズを繋いだのれんがかかっている。

「ヒュー! 良い感じじゃん」

 のれんを何度も手でかき分けてジャラジャラ音を立て、清高は上機嫌だ。
 畳敷きの居間は、食卓と小さなドレッサー、テレビ台で一杯で、その向こうに二間ある。宮脇はサッと狭い居間を横切って、妹と母の部屋の襖を閉めた。

「宮脇の部屋こっち?」

 清高は勝手に半開きの襖を開けて宮脇の私室に入っている。
 こちらも狭かった。家具はゴチャゴチャに衣服が掛かったハンガーラックと、雑に窓辺に並べられたトレーニング用グッズ、あまり開いた形跡のない勉強道具が積み上がった小さなローテーブルだけで、空いた場所は寝乱れたままの布団が占領している。

「布団で寝て構わんぞ」

 宮脇が言う前に清高は布団に転がっていた。

「わー、他人の二オイする~」

 などと言って枕を抱いて笑っている。

「アホ! やめぇ!」

 宮脇が赤面して枕を取り上げると、

「あ、枕いるって! イイじゃん、くせえとは言ってないって!」

 と寝転がったまま両手を伸ばされた。ムッとして顔めがけて枕を投げつけると、

「あ、やっぱちょっとクセェな」

 と笑い出すので、横っ腹を軽く蹴る。清高は腰を捩ってそれを避け、布団の上で伸びをした。

「じゃ、親切に甘えて寝さしてもらうわ」

「おう」

「……宮脇は? 一緒に寝る?」

 清高はもぞもぞ動いて布団にスペースを作る。

「キッショ! アホ言うとらんと早よ寝ろ」

 宮脇はニヤニヤ笑う顔めがけて毛布を投げつけ、居間の方へと足を向けた。
 清高は他人の枕に悠々と頭を乗せて、半分閉じた目で宮脇を追う。キッチンで冷蔵庫をバタバタと開け閉めした宮脇は、デカイ手に包丁を握っていた。

「料理すんの?」

「おう。帰ってきて晩飯出来とったら嬉しいやろ」

 フラットな声音で答えが返ってくる。普段からやっているのだろう。ジャガイモの皮をむく手つきにはよどみがない。

「今日はお母さんと良子ちゃんはお出かけ?」

「良子”ちゃん”? エラい馴れ馴れしいやないか」

「ああ~、そこ怒りポイントなんだ? じゃあ妹さん。今日はどっか行ってるの?」

「映画や。何や知らんけど、二人とも好きなアイドルがでとるんやて。……しゃべっとらんで、はよ寝ろや」

 清高はクスクス笑って目を閉じる。
 人が台所で立ち働く気配を感じながら眠るのは、なんだか贅沢な気分だった。

 姉が家を出てからは、清高家のキッチンはほぼ使われていなかった。母はすでに亡くなっているし、ほとんど家に帰らない会社人間の父は元々料理をしない。清高も自炊はしたくないから、食事はほとんど外食か惣菜だ。家で食べ物の匂いを嗅ぐことはあまりない。

 タマネギと肉を炒める香ばしい匂いに囲まれながら、清高はフワフワと安らかな気持ちで眠りに落ちた。



 宮脇は手早くカレーの下ごしらえを終えて、炊飯器に米をセットした。一旦いつも通りの量を計り、もしかしたら清高も食べて行くかも知れないと考え直す。
 しかし夕飯時には母と妹も帰ってくる。アイツは他人の家族と食卓を囲むのは嫌だろうか? そう考えながら、開けっぱなしの襖の奥に目をやると、清高はぴくりとも動かず眠っていた。

「まあエエか……余ったら弁当にしたらエエし」

 宮脇は誰にともなく言い訳するように呟き、一合余計に炊くことにした。

 調理器具を洗ってカゴに伏せ、手を洗ってしまうとやることがない。
 何となくテレビの前に座った宮脇は、音量を絞って大して興味もない競馬中継にチャンネルを合わせた。
 バイト先はむさ苦しい男ばかりで、話題の八割が競馬か野球かパチンコだ。話に着いていくために、有名どころの馬の名前くらい覚えてみようと思うものの、意識は自室で眠ったままの清高の方へ向いてしまう。

 ここへ引っ越してきてから、誰かを家に招くのは清高が初めてだった。しかも、自分から招いた。警戒心の強い自分にとっては異例の事態だ。
 清高は気がつくと宮脇の心の内側に住み着いていた。向こうから強引にアプローチされた感じはないのに、いつの間にか好感を抱かされて、構いたくなってしまう。
 半グレに詐欺犯罪のスカウトをされたと言っていたのも納得だ。ほとんどの人間は、欺されたと思う暇もなく欺されるだろう。ツラの良さもあるから、優秀な女衒にもなれそうだ。

 いつの間にかテレビの競馬中継は終了して、夕方のニュースが流れていた。ボンヤリ考え事をしていたので、結局メインレースでどの馬が勝ったのかも分からないままだ。
 西向きの自室の窓からは、強い光が斜めに差し込み始めている。

 宮脇はカーテンを引こうと立ち上がって、布団の縁を踏んで窓の方へと足を向け、夕陽に染まった清高の寝顔に目を奪われた。
 宮脇はあまり人の顔の美醜にこだわりはない方だが、それでも息を呑むほど美しかった。

 同じ男なのにヒゲなど一本も生えなさそうな滑らかな頬が、西日に照らされて柔らかい象牙色に光っている。寝乱れた金の毛先が枕に散って後光のようだ。生え際の髪は茶色い。形のいい細い眉も、薄い瞼を縁取る長い睫毛も茶だ。元々色素が薄いのかもしれない。
 形の良い薄い耳。横を向いているせいで左側しか見えないが、小さなピアスが三つ。投げ出された腕や力の抜けた指にもいくつかアクセサリーがついている。小指には、この間宮脇が返した細い指輪が元通りはまっていた。

 あの店の主、原田竜弥と言ったか。清高とどういう関係なのだろう。あの晩、あの店はもう閉店だったのに、どうして清高はあそこへ向かおうとしていたのだろう。
 店主はカタギだと清高は笑っていたが、宮脇にはどうもそうとは思えなかった。
 原田という男からは、父の元を度々訪れた筋モノと同じ気配がした。
 ああいうヤカラは、正体をはっきり告げたりしない。利用しようとする相手にはすこぶる優しく、思いやりがあるように振る舞うのだ。いくら要領よく対応したとしても、標的にされればいずれ絡め取られる。父もそうだった。
 言い方は悪いが、上手く使えば優秀な駒になりそうな清高を、ああいう男が構っているというのは、嫌な感じだ。

 宮脇はなんとなく布団の縁に膝をつき、清高の髪に手を伸ばす。美しい見た目を裏切るパサついた感触。手入れの悪い指先が髪に引っかかった。傷つけないよう軽く手を握って、指の背でそっと頬に触れる。こっちは見た目の通り滑らかだ。薄い唇の端に指が触れると、口角がキュッと上がった。

 慌てて手を離すと、

「何?」

 切れ長の目が薄く開いて、笑っていた。

「す、すまん! もうそろそろ夕方やから……」

「ああ、ホントだ。ふわぁあ~! よく寝た……」

 清高は布団の上で大きく伸びをして、ヒョイと身を起こす。窓から入る光はもう消えて、空は薄紫に染まっていた。

「お前、知らん人間の家でよう熟睡できるなあ」

「宮脇が誘ったんじゃん。知らない人間じゃないし。サンキュ。ちょっと楽になった」

 起き上がった清高と間近で目があって、宮脇の心臓は大きく跳ねる。
 清高はふと目を伏せた。色の薄い長い睫毛が頬骨の隆起に繊細な影を落とす。薄い唇がわずかに開いて、桃色の舌先が覗く。

 何か一つきっかけがあれば、とんでもない方に転がっていってしまいそうな予感がして、宮脇はゴクリと唾を飲み込んだ。

「あのさ、」



「ただいま~!」

 清高が何か言葉を口に出す前に、玄関の方から賑やかな声がして、二人の間の微妙な緊張は破られた。

「映画すっごい良かった~! おみやげ買ってきたから……あれ? お客さん?」

 ビーズの珠暖簾を潜って少女が顔を出す。

「良子、先に手を洗って……あら、珍し。大志たいしのお友達? なにアンタ、お友達来てるのに布団も出しっぱなしで、だらしない!」

 後から今に入ってきたのは、カールさせた髪を首元でくくった中年の女性だった。宮脇の母だろう。

「勝手にお邪魔してすみません。ミヤワキクンと親しくさせてもらってる清高と言います」

 清高が如才なく言って愛想笑いで会釈すると、女二人は驚いたようにポカンと口を開けて固まった。

「あらまあ……」

「え、おにーちゃんの友達……?」

「ジロジロ見るなや。失礼やろ」

 宮脇が間に割って入ると、二人は慌てたように動き出す。

「あらあら、ごめんなさいねえ! 大志が友達連れてくるの初めてやからビックリして……。ドーナツ買って来たんやけど、お友達も一緒に食べる?」

 母親がどこにでもあるチェーン店のロゴが入った箱を掲げると、宮脇は鬱陶しそうに首を振った。

「いらん、いらん。もう帰るし」

「ウソ、ハロウィンの限定のヤツ買ったのに? じゃあアタシがおにーちゃんのも食べちゃお!」

「いや、ワシは食うがな!」

 宮脇は良子と言い合いを始める。

「帰った方が良いなら帰るけど、オレもドーナツ食いたい」

 清高は笑いながら兄妹の間に割り込んだ。

「お前は遠慮っちゅーモンないんかい!」

「ないねえ。良子ちゃんとおかーさんどれ選ぶ? オレこれ」

 さっさとホワイトチョコレートでお化け風にデコレーションされたドーナツを選ぶ清高に、良子はちょっと目を瞠ってから頬を染めた。

「オイ……」

 妹の表情に気付いて顔を強ばらせている宮脇に、母親がヤカンを押しつける。

「大志、お茶入れて。おかーさんはどれにしようかな。大志はどれがいい?」

「余ったヤツでエエ。キヨ、おまえ晩飯は?」

 ヤカンを火にかけるついでに、鍋も温め始めた宮脇が聞く。清高は囓りかけていたドーナツから一旦口を離して首を傾げた。

「んー、帰りにどっかで食って帰るつもりだけど」

「ほなワシが作ったカレーで良かったら、ついでに食うて行けや」

 なるべくさりげなく言ったつもりだったが、宮脇は内心妙に緊張していた。清高は驚いたように目を瞬かせ、

「いいのかな? 迷惑じゃない?」

 と呟く。

「いいわよ。大志はカレーだけは作るの上手いから安心して。ねえ良子?」

「う、うん! 食べていって下さい。多分美味しいから」

 沸騰したヤカンがピーピー鳴く。

「多分て何やねん。何飲む? インスタントのコーヒーか紅茶、ほうじ茶もあるけど」

「お母さん、コーヒー。クリープいれてな」

「アタシ紅茶! クリープいれてな」

「はいはい知ってる知ってる。キヨに聞いとるんや」

「なんでもいーよ。宮脇と一緒で良い」

「じゃあほうじ茶だ」

「マジで!? ドーナツにほうじ茶!? 意外過ぎだろ!」

「だよね!? ほらー、おにーちゃん変だって」

「うるさい。ほな何にすんねん! はよ決めろや」

「いや、良いよ、ほうじ茶で」

 清高はへにゃりと眉を下げて笑っている。宮脇は憮然としつつも全員分のお茶を用意した。ついでに煮たった鍋にカレールーを放り込み、火を止めておく。
 部屋の中はドーナツの甘い香りとコーヒー、紅茶、カレーの匂いで混沌とした。

「お兄ちゃん、晩ご飯作ってくれるのは良いけど、カレーはもうちょっと後の方が良かったよ」

 良子がドーナツを食べながらぶー垂れる。

「べつにエエやろ。味は変わらん」

「窓開けとこか」

 母親が立って窓を開けに行く。ついでに狭いベランダに出て洗濯物を取り込んでいるようだ。

「家族仲良いんだね」

 清高がほうじ茶の入ったカップを両手で包んで笑うと、良子は頬を染めつつ

「そんな事ないです」

 と俯いた。

「オイお前。良子の方向くな」

 宮脇は妹と清高の間に割って入って凄む。

「何、嫉妬?」

「あぁん?」

 良子は清高にメンチを切る兄を押しのけ、

「おにーちゃんは過保護すぎ。あっ、そのリング……」

 と清高の左小指にはまったシルバーリングを指さした。

「あ、コレ? 昔もらったヤツでさ、今のオレにはちょっともう似合わないんだけど、何となく無いと落ち着かないからつけてんの」

 清高は小指からリングを外し、良子の手につけてやる。清高の小指サイズのリングは、良子の中指にはめても少し緩いくらいだった。

「これ、前にお兄ちゃんが持って帰ってきちゃったヤツだよね。可愛いなあ。こういうシンプルでオシャレなの、あんまり女の子向けの安いお店になくて……」

 うっとりした顔でリングのはまった自分の指を眺め回す。

「マジ? じゃあ今度一緒に見に行く?」

「ホントですか!?」

 良子は色めきたって、両手で頬を押さえて飛び上がった。

「待て! 待て待て待て! それは許さん!」

 再び宮脇が鬼の形相で間に割り込んでくる。清高は思わず吹き出した。

「オレ年下は対象外だってば。心配なら宮脇も一緒に来ればいーじゃん」

「ちゃうわボケ! あの店に良子連れて行くんは誰が一緒でも許さんわい!」

「ああ……竜弥さんとこは高いから無理でしょ。ショッピングモールの中のもっと安いとこだよ。女の子同士だと入りにくいメンズ向けとかあるし」

 そう言われた宮脇は、何度も妹と清高の顔を見比べて、それでも首を横に振った。

「それでも、なんかアカン。許しがたい」

「ヒャハハ! なんでよ!? 過保護~!」

「ですよね!? お兄ちゃん過保護なの! 一人で外出るなとか言うし!」

 兄に向かって唇を尖らせる良子の横顔を見て、清高は少し黙り込んだ。
 この子が被害に遭ったから、宮脇は自分を殴りに来たのだ。あの事件は解決済みとは言え、清高が良からぬ輩の怨みを買っていることは事実だ。

「あ~……そうね、確かに、今オレと外でツルむのはあんま良くないかも」

 ポツリと言った清高に良子がいぶかしむような目を向けた。宮脇は難しい顔をしてこっちを見ている。

「よし、じゃあオレとおにーちゃんの二人で買いに行こうか!」

 清高は二人の心配を打ち消すように、ニッと笑って両手を景気よく打ち合わせた。

「なんでそうなる!?」

「いーじゃん、宮脇は妹になんかあげたいんでしょ?」

「いや……は? なんで知っとんねん」

「店でカワイ目の小物おいてるショーケースずっと見てたじゃん」

 宮脇は清高の抜け目の無さに舌を巻く。確かに竜弥の店に呼び出された時、宮脇は妹に似合いそうな小物を目で探していた。その目線に気付いて今まで覚えている敏さには恐れ入る。

「ウソ、おにいちゃん、ホントに誕生日プレゼントにアクセサリーくれるつもりだったんだ?」

 良子は感激した様子で両手を組み合わせている。

「まあ……その……」

「じゃあアタシ楽しみに待ってる! お兄ちゃんのセンスはちょっと……信用できないけど、お友達さんが一緒なら素敵なの選んでくれそうだし!」

 妹の期待に満ちた笑顔に引っ込みがつかなくなって、宮脇は

「まあ楽しみにしとってくれや……」

 と歯切れ悪く言ってしまい、おもしろがるようにニヤニヤ笑いながらドーナツを頬ばる清高を、怨みを込めてじっとり睨んだ。
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