愛人を作ってもいいと言ったその口で夫は私に愛を乞う

初瀬 叶

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第70話

「おかえりなさいませ」

その日レニー様が屋敷に戻って来たのは、真夜中のことだった。

「寝ていなかったのか?」

私の顔を見たレニー様は驚いたように言った。

「そろそろ休もうかと思っていました。長旅お疲れ様でした」

「ああ……本当に疲れた」

レニー様の顔には無精髭があり、どことなくやつれて見えた。
レニー様は執事に鞄を預けながら上着を脱ぐ。

「殿下はご無事で?」
私はその上着を預かりながら、尋ねた。

「聞いたのか。……無事だ。向こうの護衛に付いてきた騎士たちは随分と痛手を負ったが」

「亡くなった者も?」

レニー様は少し顔を険しくして頷いた。

「大きな怪我を負った者は辺境伯に頼んできた。軽傷の者は王都に。まぁ……元々護衛に付いてきた人数も少なくてな。正直、殿下を亡きものにしようとしている奴らは少なくないと感じる」

「巻き込まれなければ良いですが……」

「流石に、我が国にまで刺客を送ってこないと思うがな。そんな事をすれば友好条約は無効となる」

そこで執事が声をかけてきた。

「旦那様、お食事はいかがいたしましょう」

「腹は減ってる。だが、夜中に申し訳ないな」

「いえいえ。直ぐに用意させます」

執事は急いで厨房へと向かった。

「じゃあ着替えてくる。デボラ、君はもう休んでいい」

そうは言われても『はいそうですか。おやすみなさい』というのは気が引ける。
隣国の話も気になった私は、結局レニー様の食事に付き合うことにした。


「今日のパンは少し焦げてないか?」

私の焼いたレーズン入りのパンを手に取ったレニー様はそれをまじまじと見ていた。

「……嫌なら食べなくていいです」

私の言葉にレニー様は視線を私に向けた。

「もしかして……君が作ってくれたのか?」

「前にお約束したので……。でも今回は全部自分でやってみようとしたら、失敗しました。捨てるのも勿体ないし……でも嫌なら食べなくても──」

私は立ち上がり、それを奪おうと手を伸ばしたが、テーブルが思いの外広く、全く持って手が届かなかった。私の手が空を切る。

「お、おい!何するんだ」

「食べなくていいと言ってるんです!」

「嫌だ!」

そう言ったレニー様はムキになったように、パンをパクリと大きな口で齧った。

「あ!」

レニー様はモシャモシャとパンを咀嚼する。

「美味しいよ。少し焦げてるけど」

「だから無理に食べなくても……!」

「せっかく君が僕の為に作ってくれたのにか?食べるに決まってるだろう」

レニー様は残りのパンの入った籠を抱え込むようにして、また一つパンを齧る。

「ちょ……っ、そんなにパンばかり食べたら他の食事が入らなくなりますよ!」

「僕はお腹が空いてるんだ!全部食べる!」

その後もレニー様はムキになって、焼け焦げたパンも含め、全ての食事をその腹に納めた。

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