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彼女の名前は瀬路原野弦
ゴルフが始まる(禁じる)
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ナイススイング正隆、なる名前の奇怪な呪術師に導かれて到着したのは、カラマ商店街からゴルフカートで約五分の距離にある、同大寺公園だった。
ゴルフ場ではないが、芝生の生えた広い敷地が特徴で、休日になればボール遊びや犬を連れた家族がよく訪れる公園である。
時刻は午後三時半。やや日は傾いているが、まだ明るい。しかして、少子高齢化の波を受けているこの土地において、今はこの公園を楽しむ人影はなかった。
肺助はナイススイング正隆のゴルフカートの後部座席から降りると、空になったタピオカミルクティーのカップを置いた。
「さあ、記念すべきわたし達のワンホール目を楽しもう!」
ジャケットを脱ぎ捨てたナイススイング正隆なる呪術師は、仕立てのいいシャツとベストという出で立ちに変わる。そして、ゴルフバッグの中から一本のゴルフクラブ、長距離を飛ばすための〈ドライバー〉を抜き放った。拳大の合金の塊が備わったそれが、一メートルと少しの棒の先端についている。
対して、合儀肺助はすでに、左手に独鈷杵を握り、右手は人差し指と中指を立てて刀印の形をとり、臨兵闘者皆陣烈在前、と口早に唱えて縦横に格子を書くように刀印を切った。
「ナイススイング正隆のゴルフを禁じる」
「ひどくないかね!」ナイススイング正隆は思わず叫んだ。
「ここは公園だ! そんなところでゴルフボールをぶっ飛ばすのは危ないだろ!」
すでに、肺助は戦闘態勢に入っていた。すなわち、禁歌流の『呪殺』の様相である。
――本来、呪術における呪殺とは、卜占で定めた日時と場所で、ひたすらに呪文を唱え儀式を行い、時に舞いを踊るものだが、呪禁においては、たった一言で済む。
『命を禁ずる』
しかして、健康体の人間どころかある程度深刻な怪我人病人相手でもこの呪禁の効果は一秒も持たない。つまり、一瞬動きを止めることはあっても、人を殺すことはできないのだ。呪術の中でも力の弱い禁歌において、呪殺とは困難である。
では、どうすればいいか。答えは単純である。
(命が禁じられるまで、相手を滅茶苦茶に痛めつける!)
すなわち、家長の強権という呪いにも時間が必要で、突然の婚姻が成立するのにも偽の写真や結婚指輪が必要なのと同じく、絶命もまた、同じく『準備』すればよいのである。
「やめろ! ゴルフは紳士のスポーツだ!」
「なにが紳士だ!」
独鈷杵とは、(特に合儀家で扱うそれは)拳で握れる程度の長さの柄の両端から、剣に似た突起の生えた法具である。あくまでも煩悩を砕く、邪悪なものを退けるなどという、象徴的道具であるのだが、このとき合儀肺助がそれをふるうということは別の意味を持つ。
即ち、鈍器である。ぎょう、と宙を裂いて独鈷杵がナイススイング正隆に迫る。
「やめろ! それはそういう道具じゃないだろう!」
危なくそれを躱してナイススイング正隆は叫んだ。そして、ゴルフクラブを振りあげ、ついに肺助を殴りつける構えを取ろうとした。しかし。
「足を禁じる!」
肺助は両足で地面を突っ張った状態で、ナイススイング正隆は備えもなく、不安定な姿勢だった。その言葉に、あっさりと正隆は地面に伏せた。
「芝でも食ってろ」
肺助は早々にドライバーを握るその手を踏みつけ、正隆の脳天目掛け、独鈷所を振り下ろす。
「ファアアアアアアア!」
しかし、突然、気でも触れたかのような大声で正隆が叫ぶ。すると。
ひょん、と風を切ってゴルフボールが肺助の頭をかすめた。間一髪、肺助は違和感を覚えて頭を下げていた。それがなければ、今頃頭蓋をゴルフボールで打ち抜かれ、脳漿をぶちまけていたに違いない。
「こいつ!」
「あ、残念池ポチャだ」
ふと、ナイススイング正隆の指す方向に導かれて肺助は視線を落とす。足元に、いつの間にかタピオカミルクティーがこぼれていた。それにうっかり足を乗せていた肺助は、そのままずるりと足を滑らせて転倒した。
その隙に、正隆は次のように唱えた。
「オン・ゴルフ・ギャーテイ・ソワカ」
「オン・ドラコン・ギャーテイ・ソワカ」
「オン・パーオン・ギャーテイ・ソワカ」
「完全オリジナルの真言?」
それは、肺助も知らない真言。そして、手印……否、ゴルフクラブを両手できちんと握り、片膝をついた姿勢。直後、素早く立ち上がった正隆は、転倒したままの肺助の頭へ猛然とゴルフクラブを振るう。
「こいつ!」
『池ポチャ』に転んだままだった肺助は、おのれの背筋や両足の全身運動で踊るように体を持ち上げてゴルフクラブを避ける。ひょう、と頭の後ろでクラブが唸った。
(接近戦は不利か)
肺助は慌てて距離を空けようとする。しかし、それを許す正隆ではない。
「ファアアアアアアア!」
「しまっ……」
肺助は身を屈める。だが、ゴルフボールは来ない。
(ブラフ!)
「さあ、第一ホール、最初のショット!」
動きが止まった肺助へ、ナイススイング正隆はドライバーを振り上げる。いつの間にか彼の足元にはゴルフボールが設置されている。それを打ち抜き肺助に『当てる』つもりだ。
「ゴルフを……」
肺助は再び、ゴルフを禁じようと呪禁を口にしたが、対してふと、正隆は人差し指を口に添え、次のように囁いた。
「ショットの時は、『お静かに』」
「!」
途端、肺助は言葉どころか、体の自由を失い硬直した。
――ゴルフとは、高度なメンタルスポーツともいわれる。プレイヤーがゴルフクラブを振り上げ、ボールを打つ瞬間、観客は静かにその瞬間を見守るのが通例である。
(まさか、あの完全オリジナルの真言と手印が原因か?)
対して、ナイススイング正隆はゴルフボールへ目掛け、クラブを振って体を大きく引き絞る。その軌道はまさに三日月。北辰を指すようにアイアンは天上に至る。
肺助は、もう固唾を飲んでスイングに至るナイススイング正隆を見つめることしかできなかった。
『この土地も、周囲の人たちも、全部おれが守る。それだけだ』
(何が、守るだ! こんなふざけた口ひげ呪術師相手に、おれは手も足も出ないじゃないか……)
肺助はもう、呼吸すらできなかった。男子プロゴルファーの放つゴルフボールの初速は時速三百キロメートルを超える。また、その表面は様々な球技で用いられるそれと異なり、人間が受けることを一切想定していないポリエチレンをはじめとした固い素材でおおわれている。
つまり、球を打たれれば音速で合儀肺助の死は決す。
(これが、おれの限界……このままじゃ、ノツルは!)
ナイススイング正隆の呪術により、肺助は目を閉じる動作すら封じられ、自身の顔面にゴルフボールが飛んでくることを待った。
「あーあ、やっぱり苦戦してる」
そんな様子を、阿賀谷戸命香は遠目から見ていたが、いよいよ彼の限界を察し、一枚の呪符と、鼬や狐、鹿の角、狼の牙、ムクロジの実で構成された念珠を取り出した。
(まったく、あれだけ意気込んでても、対呪術師の戦い方がなってない)
命香はそんなことを考えながら、呪符の表面を刀印の指の形でもってするするとなぞる。
阿賀谷戸命香は、呪禁だけでなく、各種呪術にも精通している。例えば、式神を扱うなども自在である。
こうして、十二神将に謂れのある呪符と、依り代となる獣の一部を用意し、言葉を唱えればよい。
大きく深呼吸し、大気を全身に取り込む。血を巡らせ、太極をわがものとして、命香は頬を引き締めた。
(『お母さん』見てて。これからわたしは、わたしの思う呪術師の姿をやり直す!)
「急急如律……!」命香が呪符を大きく掲げた、その時であった。
9、9、2、6、2、6!
(ん?)
「急急如律令!」
それは、命香の声ではない。溌剌とした少女の声と姿が風と共に駆け抜けていく。同時、爽やかであるが、激しい運動の思い出も想起させる、制汗剤の匂いが命香の鼻腔をくすぐった。
彼女のことを、阿賀谷戸命香は知っている!
「あの子は、瀬路原ノツル!」
そして、ナイススイング正隆へ猛然と走る彼女の脇には、不気味に輝く、命香も見たことがない恐ろしい式神が疾駆していた。
ゴルフ場ではないが、芝生の生えた広い敷地が特徴で、休日になればボール遊びや犬を連れた家族がよく訪れる公園である。
時刻は午後三時半。やや日は傾いているが、まだ明るい。しかして、少子高齢化の波を受けているこの土地において、今はこの公園を楽しむ人影はなかった。
肺助はナイススイング正隆のゴルフカートの後部座席から降りると、空になったタピオカミルクティーのカップを置いた。
「さあ、記念すべきわたし達のワンホール目を楽しもう!」
ジャケットを脱ぎ捨てたナイススイング正隆なる呪術師は、仕立てのいいシャツとベストという出で立ちに変わる。そして、ゴルフバッグの中から一本のゴルフクラブ、長距離を飛ばすための〈ドライバー〉を抜き放った。拳大の合金の塊が備わったそれが、一メートルと少しの棒の先端についている。
対して、合儀肺助はすでに、左手に独鈷杵を握り、右手は人差し指と中指を立てて刀印の形をとり、臨兵闘者皆陣烈在前、と口早に唱えて縦横に格子を書くように刀印を切った。
「ナイススイング正隆のゴルフを禁じる」
「ひどくないかね!」ナイススイング正隆は思わず叫んだ。
「ここは公園だ! そんなところでゴルフボールをぶっ飛ばすのは危ないだろ!」
すでに、肺助は戦闘態勢に入っていた。すなわち、禁歌流の『呪殺』の様相である。
――本来、呪術における呪殺とは、卜占で定めた日時と場所で、ひたすらに呪文を唱え儀式を行い、時に舞いを踊るものだが、呪禁においては、たった一言で済む。
『命を禁ずる』
しかして、健康体の人間どころかある程度深刻な怪我人病人相手でもこの呪禁の効果は一秒も持たない。つまり、一瞬動きを止めることはあっても、人を殺すことはできないのだ。呪術の中でも力の弱い禁歌において、呪殺とは困難である。
では、どうすればいいか。答えは単純である。
(命が禁じられるまで、相手を滅茶苦茶に痛めつける!)
すなわち、家長の強権という呪いにも時間が必要で、突然の婚姻が成立するのにも偽の写真や結婚指輪が必要なのと同じく、絶命もまた、同じく『準備』すればよいのである。
「やめろ! ゴルフは紳士のスポーツだ!」
「なにが紳士だ!」
独鈷杵とは、(特に合儀家で扱うそれは)拳で握れる程度の長さの柄の両端から、剣に似た突起の生えた法具である。あくまでも煩悩を砕く、邪悪なものを退けるなどという、象徴的道具であるのだが、このとき合儀肺助がそれをふるうということは別の意味を持つ。
即ち、鈍器である。ぎょう、と宙を裂いて独鈷杵がナイススイング正隆に迫る。
「やめろ! それはそういう道具じゃないだろう!」
危なくそれを躱してナイススイング正隆は叫んだ。そして、ゴルフクラブを振りあげ、ついに肺助を殴りつける構えを取ろうとした。しかし。
「足を禁じる!」
肺助は両足で地面を突っ張った状態で、ナイススイング正隆は備えもなく、不安定な姿勢だった。その言葉に、あっさりと正隆は地面に伏せた。
「芝でも食ってろ」
肺助は早々にドライバーを握るその手を踏みつけ、正隆の脳天目掛け、独鈷所を振り下ろす。
「ファアアアアアアア!」
しかし、突然、気でも触れたかのような大声で正隆が叫ぶ。すると。
ひょん、と風を切ってゴルフボールが肺助の頭をかすめた。間一髪、肺助は違和感を覚えて頭を下げていた。それがなければ、今頃頭蓋をゴルフボールで打ち抜かれ、脳漿をぶちまけていたに違いない。
「こいつ!」
「あ、残念池ポチャだ」
ふと、ナイススイング正隆の指す方向に導かれて肺助は視線を落とす。足元に、いつの間にかタピオカミルクティーがこぼれていた。それにうっかり足を乗せていた肺助は、そのままずるりと足を滑らせて転倒した。
その隙に、正隆は次のように唱えた。
「オン・ゴルフ・ギャーテイ・ソワカ」
「オン・ドラコン・ギャーテイ・ソワカ」
「オン・パーオン・ギャーテイ・ソワカ」
「完全オリジナルの真言?」
それは、肺助も知らない真言。そして、手印……否、ゴルフクラブを両手できちんと握り、片膝をついた姿勢。直後、素早く立ち上がった正隆は、転倒したままの肺助の頭へ猛然とゴルフクラブを振るう。
「こいつ!」
『池ポチャ』に転んだままだった肺助は、おのれの背筋や両足の全身運動で踊るように体を持ち上げてゴルフクラブを避ける。ひょう、と頭の後ろでクラブが唸った。
(接近戦は不利か)
肺助は慌てて距離を空けようとする。しかし、それを許す正隆ではない。
「ファアアアアアアア!」
「しまっ……」
肺助は身を屈める。だが、ゴルフボールは来ない。
(ブラフ!)
「さあ、第一ホール、最初のショット!」
動きが止まった肺助へ、ナイススイング正隆はドライバーを振り上げる。いつの間にか彼の足元にはゴルフボールが設置されている。それを打ち抜き肺助に『当てる』つもりだ。
「ゴルフを……」
肺助は再び、ゴルフを禁じようと呪禁を口にしたが、対してふと、正隆は人差し指を口に添え、次のように囁いた。
「ショットの時は、『お静かに』」
「!」
途端、肺助は言葉どころか、体の自由を失い硬直した。
――ゴルフとは、高度なメンタルスポーツともいわれる。プレイヤーがゴルフクラブを振り上げ、ボールを打つ瞬間、観客は静かにその瞬間を見守るのが通例である。
(まさか、あの完全オリジナルの真言と手印が原因か?)
対して、ナイススイング正隆はゴルフボールへ目掛け、クラブを振って体を大きく引き絞る。その軌道はまさに三日月。北辰を指すようにアイアンは天上に至る。
肺助は、もう固唾を飲んでスイングに至るナイススイング正隆を見つめることしかできなかった。
『この土地も、周囲の人たちも、全部おれが守る。それだけだ』
(何が、守るだ! こんなふざけた口ひげ呪術師相手に、おれは手も足も出ないじゃないか……)
肺助はもう、呼吸すらできなかった。男子プロゴルファーの放つゴルフボールの初速は時速三百キロメートルを超える。また、その表面は様々な球技で用いられるそれと異なり、人間が受けることを一切想定していないポリエチレンをはじめとした固い素材でおおわれている。
つまり、球を打たれれば音速で合儀肺助の死は決す。
(これが、おれの限界……このままじゃ、ノツルは!)
ナイススイング正隆の呪術により、肺助は目を閉じる動作すら封じられ、自身の顔面にゴルフボールが飛んでくることを待った。
「あーあ、やっぱり苦戦してる」
そんな様子を、阿賀谷戸命香は遠目から見ていたが、いよいよ彼の限界を察し、一枚の呪符と、鼬や狐、鹿の角、狼の牙、ムクロジの実で構成された念珠を取り出した。
(まったく、あれだけ意気込んでても、対呪術師の戦い方がなってない)
命香はそんなことを考えながら、呪符の表面を刀印の指の形でもってするするとなぞる。
阿賀谷戸命香は、呪禁だけでなく、各種呪術にも精通している。例えば、式神を扱うなども自在である。
こうして、十二神将に謂れのある呪符と、依り代となる獣の一部を用意し、言葉を唱えればよい。
大きく深呼吸し、大気を全身に取り込む。血を巡らせ、太極をわがものとして、命香は頬を引き締めた。
(『お母さん』見てて。これからわたしは、わたしの思う呪術師の姿をやり直す!)
「急急如律……!」命香が呪符を大きく掲げた、その時であった。
9、9、2、6、2、6!
(ん?)
「急急如律令!」
それは、命香の声ではない。溌剌とした少女の声と姿が風と共に駆け抜けていく。同時、爽やかであるが、激しい運動の思い出も想起させる、制汗剤の匂いが命香の鼻腔をくすぐった。
彼女のことを、阿賀谷戸命香は知っている!
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そして、ナイススイング正隆へ猛然と走る彼女の脇には、不気味に輝く、命香も見たことがない恐ろしい式神が疾駆していた。
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