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第五章 身勝手な人
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大橋が鼻の下を伸ばしていたころ、麻紀は無意識のうちに英語科研究室を指さしていた。
模範演技を終えた詩織のもとに駆け寄る。そこへ、ちょうど文彦が通りがかったのだ。
「誰かが撮影してるみたいなんですけど……」
確かに、スマホのようなものが覗いている。
文彦は詩織と麻紀の方に顔を戻すと、務めて冷静に言い聞かせた。
「はっきりしたことが分かるまで、このことは黙っててほしい」
「分かりました」
詩織は不安そうな麻紀の肩を抱きながら、文彦に全てを任せることにした。
「西巻先生、何か分かったら教えてください」
「もちろん。さ、今は何食わぬ顔で練習を続けて。そうすれば相手も油断するだろう。僕は研究室を覗いてくる」
「はい」
詩織は麻紀を元の位置に戻るよう促し、部員に声をかけた。
「じゃあ、最初からもう一回ね」
文彦は怒りを抑えきれなかった。あんな卑劣なことするのは大橋先生しかいないはずだ……。
中庭を突っ切り、大きく迂回して教員棟に戻ると、英語科研究室の前に立った。
音を立てないようにドアを開け、中の様子を伺う。誰もいないのを確認して、室内に潜り込んだ。ここにいないとなると、あとは図書資料倉庫か。
細心の注意を払ってドアノブを下ろす。スーッと身を滑らすと、書棚を隠れ蓑にして窓側に目をやった。
案の定、大橋が立っていた。
ちょうどカーテンの隙間に立ち、スマホの画面を覗き込んでいる。
文彦はもうためらわなかった。足音も気にせず一気に近付くと、「大橋先生、何やってるんですか」と一喝した。
「ヒィィィィ」
情けない声とともに、ガチャン、とスマホが落ちる音が響いた。
文彦は素早くそれを拾い上げると、キッと睨みつける。
「何撮ってたんですか」
ようやく状況が飲み込めたのか、大橋はいつもの上から目線で文彦を威圧してきた。
「西巻先生、人を脅かすもんじゃないよ。さあ、それ返しなさい」
「ダメです。あなたがここで何をしていたのか、大事な証拠ですから」
「おい、目上の人間に向かって、あなた呼ばわりは失礼だろ。それに私は君の上司だぞ」
「大橋先生、ご自分で何をなさってたのかお分かりですか。盗撮は立派な犯罪行為ですよ。それも自分の勤務先で……。恥ずかしいと思わないんですか」
文彦はまだ録画が続いているスマホを突き付けた。
「これで小野塚先生を隠し撮りしてたんじゃないんですか」
大橋の返事を待たず、画面を操作すると、最初からデータを再生した。
「やっぱり……」
股間をアップにしようと電動ズームを近寄っている。興奮しているのか、映像がブレブレなのが滑稽だ。
「こんなの撮ってどうしようとしてたんですか、大橋先生」
「どうしようと私の勝手だろ。それより早くそれを返したまえ」
スマホを奪い取ろうとした大橋が、バランスを崩して転倒した。
「うぅぅぅ」
頭を床にしたたかぶつけたらしい。
文彦はその隙に、カメラロールを開いて確認する。そこには、大量の動画が保存されていた。その一つを試しに再生してみる。なんだ、この動画は……。
二本の脚が映っている。スカートの奥に白い下着が見えた。しばらくすると、詩織の声が聞こえてきた。
「大橋先生、これで大丈夫でしょうか」
「ん、ああ。それでいいよ」
どうやら、机の下にスマホをセットして撮ったもののようだ。
横たわっていた大橋が、頭を押さえながら立ち上がった。
「大橋先生、今日だけじゃなく、ずっと小野塚先生を盗撮してたんですね」
文彦は畳みかける。
「これが学校にバレたら、あなた、クビですよ」
クビ、という言葉を聞いて、大橋は急に現実を認識したようだった。
「……このことは西巻先生の胸の内だけにとどめておいてくれんか」
さっきまでの威圧的な態度はすっかり影を潜め、懇願する声も弱々しい。
文彦は逡巡した。
校長に報告すれば、大橋が処分されるのは間違いない。恐らく懲戒解雇だろう。ただ、人の口には戸は立てられない。そうなれば、いずれ詩織が盗撮されてたことも学内に知れ渡ってしまう。詩織の将来も考えると、それは避けたい。
小野塚先生のためには、どっちがいいんだ……。
沈黙に耐えられなくなったのか、大橋が先に口を開いた。
「なあ、西巻先生、もうこんなことはせんよ。約束する。だから、ここはひとつ、内密にして収めてくれんか」
「……分かりました」
ホッとしたような顔をする大橋に、文彦は三つの条件を突き付けた。
「それが守れない場合は、すぐ校長に報告します」
まず一つは、今後二度と盗撮など犯罪行為と受け取られる行動はしないと誓約書を書くこと。
二つ目は、詩織の指導教員を自分と代わること。
最後に、動画が入ったスマホは証拠のため預からせてもらうこと。
「誓約書は今、書いてもらいますよ」
「ホントにその三つを守れば、黙っててくれるんだな」
「守ってくれるなら、こちらも約束は破りませんよ」
大橋は無言で頷くと、文彦の言う文言を万年筆でそのまま書いていく。
「これで、いいかね」
最後に印鑑が押されると、文彦は誓約書をひったくるように奪い取った。
「それじゃ、スマホとこれは私が預からせていただきます。それと、指導教員の交代は今度の職員会議で皆さんに周知してください」
研究室を後にする直前、文彦は吐き捨てるように言い残した。
「それから、小野塚先生をジロジロ見るのもやめてください。大橋先生の視線がセクハラみたいで気持ち悪いって言ってます」
大橋は椅子に座り込んだまま動けなかった。
文彦の最後の言葉が頭から離れない。
視線が気持ち悪い……。
人一倍、いや三倍は高いプライドは完全にへし折られた。
西巻、このままじゃ済まさんぞ、俺に恥をかかせよって。スマホはもう一台あるんだ。動画はすべてコピーしてあるから痛くも痒くもない。どうせ小野塚くんとは不倫してるんだろ。お前ばかりいい思いはさせんぞ。いつか弱みを握って痛い目に遭わせてやる--。
こんな日は、風俗にでも行かなければむしゃくしゃした気持ちは収まらない。イメクラでチアリーダーコスプレさせた嬢を責め立てるのが、このところのお気に入りだ。
内線電話を教頭につないだ。
「大橋です。新年度のリスニング教材の件で業者と打ち合わせがありますので、昼前に出ます」
中庭では、チアダンス部の黄色い声が響いていた。
模範演技を終えた詩織のもとに駆け寄る。そこへ、ちょうど文彦が通りがかったのだ。
「誰かが撮影してるみたいなんですけど……」
確かに、スマホのようなものが覗いている。
文彦は詩織と麻紀の方に顔を戻すと、務めて冷静に言い聞かせた。
「はっきりしたことが分かるまで、このことは黙っててほしい」
「分かりました」
詩織は不安そうな麻紀の肩を抱きながら、文彦に全てを任せることにした。
「西巻先生、何か分かったら教えてください」
「もちろん。さ、今は何食わぬ顔で練習を続けて。そうすれば相手も油断するだろう。僕は研究室を覗いてくる」
「はい」
詩織は麻紀を元の位置に戻るよう促し、部員に声をかけた。
「じゃあ、最初からもう一回ね」
文彦は怒りを抑えきれなかった。あんな卑劣なことするのは大橋先生しかいないはずだ……。
中庭を突っ切り、大きく迂回して教員棟に戻ると、英語科研究室の前に立った。
音を立てないようにドアを開け、中の様子を伺う。誰もいないのを確認して、室内に潜り込んだ。ここにいないとなると、あとは図書資料倉庫か。
細心の注意を払ってドアノブを下ろす。スーッと身を滑らすと、書棚を隠れ蓑にして窓側に目をやった。
案の定、大橋が立っていた。
ちょうどカーテンの隙間に立ち、スマホの画面を覗き込んでいる。
文彦はもうためらわなかった。足音も気にせず一気に近付くと、「大橋先生、何やってるんですか」と一喝した。
「ヒィィィィ」
情けない声とともに、ガチャン、とスマホが落ちる音が響いた。
文彦は素早くそれを拾い上げると、キッと睨みつける。
「何撮ってたんですか」
ようやく状況が飲み込めたのか、大橋はいつもの上から目線で文彦を威圧してきた。
「西巻先生、人を脅かすもんじゃないよ。さあ、それ返しなさい」
「ダメです。あなたがここで何をしていたのか、大事な証拠ですから」
「おい、目上の人間に向かって、あなた呼ばわりは失礼だろ。それに私は君の上司だぞ」
「大橋先生、ご自分で何をなさってたのかお分かりですか。盗撮は立派な犯罪行為ですよ。それも自分の勤務先で……。恥ずかしいと思わないんですか」
文彦はまだ録画が続いているスマホを突き付けた。
「これで小野塚先生を隠し撮りしてたんじゃないんですか」
大橋の返事を待たず、画面を操作すると、最初からデータを再生した。
「やっぱり……」
股間をアップにしようと電動ズームを近寄っている。興奮しているのか、映像がブレブレなのが滑稽だ。
「こんなの撮ってどうしようとしてたんですか、大橋先生」
「どうしようと私の勝手だろ。それより早くそれを返したまえ」
スマホを奪い取ろうとした大橋が、バランスを崩して転倒した。
「うぅぅぅ」
頭を床にしたたかぶつけたらしい。
文彦はその隙に、カメラロールを開いて確認する。そこには、大量の動画が保存されていた。その一つを試しに再生してみる。なんだ、この動画は……。
二本の脚が映っている。スカートの奥に白い下着が見えた。しばらくすると、詩織の声が聞こえてきた。
「大橋先生、これで大丈夫でしょうか」
「ん、ああ。それでいいよ」
どうやら、机の下にスマホをセットして撮ったもののようだ。
横たわっていた大橋が、頭を押さえながら立ち上がった。
「大橋先生、今日だけじゃなく、ずっと小野塚先生を盗撮してたんですね」
文彦は畳みかける。
「これが学校にバレたら、あなた、クビですよ」
クビ、という言葉を聞いて、大橋は急に現実を認識したようだった。
「……このことは西巻先生の胸の内だけにとどめておいてくれんか」
さっきまでの威圧的な態度はすっかり影を潜め、懇願する声も弱々しい。
文彦は逡巡した。
校長に報告すれば、大橋が処分されるのは間違いない。恐らく懲戒解雇だろう。ただ、人の口には戸は立てられない。そうなれば、いずれ詩織が盗撮されてたことも学内に知れ渡ってしまう。詩織の将来も考えると、それは避けたい。
小野塚先生のためには、どっちがいいんだ……。
沈黙に耐えられなくなったのか、大橋が先に口を開いた。
「なあ、西巻先生、もうこんなことはせんよ。約束する。だから、ここはひとつ、内密にして収めてくれんか」
「……分かりました」
ホッとしたような顔をする大橋に、文彦は三つの条件を突き付けた。
「それが守れない場合は、すぐ校長に報告します」
まず一つは、今後二度と盗撮など犯罪行為と受け取られる行動はしないと誓約書を書くこと。
二つ目は、詩織の指導教員を自分と代わること。
最後に、動画が入ったスマホは証拠のため預からせてもらうこと。
「誓約書は今、書いてもらいますよ」
「ホントにその三つを守れば、黙っててくれるんだな」
「守ってくれるなら、こちらも約束は破りませんよ」
大橋は無言で頷くと、文彦の言う文言を万年筆でそのまま書いていく。
「これで、いいかね」
最後に印鑑が押されると、文彦は誓約書をひったくるように奪い取った。
「それじゃ、スマホとこれは私が預からせていただきます。それと、指導教員の交代は今度の職員会議で皆さんに周知してください」
研究室を後にする直前、文彦は吐き捨てるように言い残した。
「それから、小野塚先生をジロジロ見るのもやめてください。大橋先生の視線がセクハラみたいで気持ち悪いって言ってます」
大橋は椅子に座り込んだまま動けなかった。
文彦の最後の言葉が頭から離れない。
視線が気持ち悪い……。
人一倍、いや三倍は高いプライドは完全にへし折られた。
西巻、このままじゃ済まさんぞ、俺に恥をかかせよって。スマホはもう一台あるんだ。動画はすべてコピーしてあるから痛くも痒くもない。どうせ小野塚くんとは不倫してるんだろ。お前ばかりいい思いはさせんぞ。いつか弱みを握って痛い目に遭わせてやる--。
こんな日は、風俗にでも行かなければむしゃくしゃした気持ちは収まらない。イメクラでチアリーダーコスプレさせた嬢を責め立てるのが、このところのお気に入りだ。
内線電話を教頭につないだ。
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