疲れたあなたの背中をそっと押すサプリ、あるいはプラセボ

しかまさ

文字の大きさ
29 / 61
2010年作品

運命!?

しおりを挟む

 昨日、あいつに振られた。

「お前は俺のことを運命だと思っていたのかも知れないが、俺はお前に運命なんて、ちっとも感じたことはない!」

 私の赤い糸は、その一言でプツリと切られた。
 あいつが言うように、出会ったときから『これは運命だわ! いつか、あいつと結ばれる』と、固く信じてきたのに……
 私、その場で呆然として、あいつが去っていく後姿を見送ることしか出来なかった。



 そんなことを思い出しながら、今朝も何事もなかったかのように、駅への道をたどる。
 朝のひんやりとした爽やかな空気。少し湿っていて、肌にしっとりとなじむ。途中の公園に咲いている花の気品のある匂いもかぐわしい。
 その落ち着いた清々しい空気のように、会社へと向かう私の心の中も、不思議と穏やかだった。
 昨日、運命だったはずのあいつに振られたばかりだというのに……

 でも、なんなのよ! いくら振るにしても、あんな言い方しなくても!

 私がずっと運命だと信じてきていたことを、これまで何度も口にしたし、あいつもそのことを十分に知っているはずなのに!
 あんなにはっきりと、残酷なまでにはっきりと突きつけないでも、ほかに振り方だって、いろいろあるでしょう?
 ちょっと、心の片隅になにか黒いガサガサしたものがある。



 いつものように道を急いでいると、先の電柱の横に空き缶が一本立てて置かれていた。
 だれかが飲んで、捨て置いていったのだろう。
 まるで、小さな電柱のようなその細長いシルエット。
 ヒールをコツコツと鳴らしながら、近づいていく私。
 なにも考えることなく、なにも思うこともなく、ただ、体が自然に反応した。

 カンッ!

 私のキックに弾かれて、空中をとぶ空き缶。クルクルと回転し、思った以上の高度まで跳ね上がり、そして、落下した。

「うぉっ!」

 運悪く、前を歩いていた男性の頭部に……

「わっ! わっ! わっ! だ、大丈夫ですか? お怪我ないですか?」

 後頭部を抑えて、そのまましゃがみこんだ、男性のもとへ、私、慌てて、駆けていった。

「ああ、大丈夫、大丈夫…… 突然、なにかぶつかってきたんで、びっくりしただけだから」
「す、すみません。なんか、空き缶蹴ったら、その……」

 ちらっと、その人、近くに転がっている空き缶の方に眼をやった。

「ああ、あれ」
「ホント、すみません」

 ぺこりと頭を下げた。

「ああ、いいですよ。大丈夫だから。怪我もないし、ホント、ただビックリしただけだから」

 そういって、爽やかに笑った。朝の空気にふさわしい清々しい笑顔。

――あら、素敵!

 なんて、思って、後頭部をスリスリさすっている手を見たら、朝日を反射して、キラリと光るものがあった。

 ちょっと残念!



 会社について、同僚たちとミーティング。
 なにか手違いがあったとかで、先週、発注した商品に、トラブルが見つかっていた。
 早速、担当の同僚と私で、その相手先に、クレームをつけにいくのと、善後策の協議に出かけた。

「まあ、この手のトラブルは、しょっちゅうのことだし、それで実際になにか大きな問題が起こっているってわけでもないから、別にいいんだけどね」

 なんて、同僚はお気楽な口調で車を運転しているけど。そんな態度でいるから、相手になめられて、いい加減な商品を発送されちゃうって、考えないのかしら?
 で、相手方の会社に着いて、会議室に通され、担当課長とかいう人と話し合いに入った。

「すいませんねぇ~ この件を担当していた上田が、先週、急に倒れちゃったので、十分な引継ぎも出来ずに、こんなご迷惑をおかけして」
「いえいえ。上田さん、まだ意識不明なんですか?」
「ええ、こちらとしても、心配しているんですが、なかなか……」
「大変ですね。上田さんとこ、お子さんが生まれたばかりだったでしょう?」
「ええ。上田も、子供が出来たし、がんばらなきゃって、張り切ってたんですけどねぇ~」

 なんて、お気楽な者同士、私の隣で、和やかに茶飲み話をしているけれど、時間が流れるばかりで、全然、今後の話に入らない。
 一体、私たちは、何をしに来たのか。相手のお気楽課長さんとお茶しに来たのではないはずなんだけど……
 痺れを切らし、私が口を開こうとしたそのとき。

 カチャッ

 会議室のドアが開いた。

「課長。今、上田さん、病院で意識がもどったって奥さんから連絡が」
「おお、そうか! それはよかった」

 課長さん、同僚の方へ向き直り、

「ああ、紹介します。彼が上田の後を引き継いで、担当になった篠原です」

 そうか、彼が、今回のトラブルの原因か。なんて、一瞬、思ったけど。その彼が会議室に入ってきた途端、頭の中が真っ白になった。

「あっ」
「あっ」

 挨拶も忘れて、お互い見つめあったままだった。
 そう、朝、空き缶をぶつけた男性だった。



 結局、私たちは、クレームをつけに来たはずなのに、茶飲み話をしに来ただけだった。
 私は、ソファに腰掛けて、真っ赤になって小さくなっているしかない。篠原さんも、最初に私へニコリと笑顔を向けただけで、あとは、全然なにも言わず。課長さんに任せきりだった。
 それでも、のんびり似たもの同士の同僚と課長さんとで、話はまとまり、正午前には、私たちは、その場を後にすることができた。
 結局、どんな風に話がまとまったのか。私の記憶は曖昧。なにか、適当に相槌を打っていただけ。これで、またなにか問題がおきなければいいのだけど……



 昼、その近くに美味しいラーメン店があるって、同僚が言い出した。
 いつもなら、昼頃になると行列が出来て、入れないけど。まだ正午前。きっと今ならまだ空いているハズだから食べに行こうって話になった。
 早速、スマホで道順を調べ。その店に着くと、すでに行列は出来始めていたが、十分に少ない人数。私たちは行列に並ぶことにした。
 やがて、店の入り口前。
 と、何か見つけた同僚が道の反対側に向かって、急に手を振り出した。

「あ、おーい!」

 その声に振り返った人をみれば、さっきのお気楽課長さんと篠原さん。
 そのまま、四人で店に入ることになった。
 ラーメン屋さんは、とんこつベースの博多風ラーメン。
 濃厚な脂と腰のある麺の味がマッチして、本当ならすごく美味しいはずなのだけど。残念ながら、私は、その味をあまりよく覚えていない。
 もちろん、篠原さんと一緒だったから。



 会社に帰り、デスクワークをしていると、あっという間に終業時間。
 今日は週一回のフラダンス教室の日。
 私は、電車に乗って、隣町の駅で降り、教室へ向かった。
 一時間ほど踊り。汗を流して、同じ教室の生徒の満江さんと近所の喫茶店に入った。

「うん、それは絶対、運命よ! 今日一日だけで、三度も同じ人と出会うなんて、普通ならありえないわ! きっと、その人とは、運命の赤い糸でつながっているのだわ! 指輪なんて気にしてないで、どんどんアタックしちゃいなさい! ううん! むしろ、奥さんからその人を奪っちゃいなさい!」

 篠原さんのことを、もちろん名前を伏せて話したら、妙に興奮して、叩きつけてくれる。

 専業主婦にとっては、この手の話って、すごく楽しいのだろうなぁ?

 家事や育児に追われるだけの退屈な日常に、一風変わったうるおいをもたらす、そんな話題なんだろうなぁ。
 なんて思いながら、コーヒーをすすりつつ、満江さんの生き生きとした表情を見つめていた。



 フラダンス教室で、私たち意気投合した。いろいろと世間話をしているうちに、私たちの帰る方向が同じだって気がついた。そこで、今日は旦那さんに車で迎えに来てもらうので、送って行ってあげるなんて話になって、一緒に喫茶店に入ったのだけど。
 今朝からのことを話して、なんだか胸のつかえが取れた気分。
 きっと、私はだれかに今日あったことを話したかったのね。
 だれかに、聞いてもらって、それは運命よって言ってほしかったのね。
 そして、満江さんにそういってもらえて、本当に、心の底から満足している自分に気がついた。

「満江さんに話せて、本当によかったわ」

 私、そうつぶやいていた。



 しばらくして、喫茶店の窓から、前の通りに車が止まるのが見えた。

「あら、お迎えがやっと来たようね」

 私たち、席を立ち、レジで会計を済ませて、店の外へ出た。
 日が沈んだばかりだけど、まだまだ辺りの景色は明るい。
 そんな風景の中、通りにでた私。でも、次の瞬間には、眼をまん丸にして、その場に立ち尽くしているだけだった。
 目の前の男の人も。



 車の中は妙に静まり返ったままだった。
 ときどき、バックミラー越しに、後部座席に座っている私が見られているのを感じていた。
 やがて、私のマンションの近くで車が止められ、逃げるようにして、外へ出る。

「どうも、送っていただいて、ありがとうございます」

 私の声は乾いたような声だった。そして、顔を引きつらせながら、満江さんが、「いえいえ、お気になさらずに」とかなんとか、口の中でもごもご言っていた。
 私がドアを閉めると、すぐに車は出発したのだけど、五メートルも進まないうちに止まった。
 そして、車から、満江さんが飛び出してきた。
 私に駆け寄ると、小声で。

「あんなのは、運命でもなんでもないわ。ただの偶然よ! そんなことは、よくあることなの。変な風に誤解しないでね」

 そう、強く言って、車へ戻っていった。



 マンションに帰りついても、私、混乱したままだった。
 ショルダーバックをそこらに投げ出し、ぺたんとその場でお尻をついた。
 カーペットはふかふかで、窓の外は、すでに真っ暗。
 部屋の電気もついていない。
 と、不意に、満江さんの必死な表情が目の前に浮かんだ。
 自分自身の運命を信じる女。他人に、自分の運命を邪魔されたくはないという意思に溢れた決然とした声。
 その姿を思い出したとたん、なにか胸が震えるのを感じた。
 その震えがのどへ伝わり、さらに上へひろがり……

「クッ、クッ、クッ……ククク……フフフ……フフフフフ」

 肩が激しくゆれ、お腹が痛くなった。
 すごくすごくおかしかった。すごくすごく滑稽だった。
 いつまでも、いつまでも私、笑っていた。



 どれぐらい、そうやって、私、笑っていたのだろう?
 目尻に涙を浮かべ、お腹を押さえ、肩を震わす。
 ようやく、落ち着き、目じりの涙を指先でぬぐう仕草をしたとたん、急に目元が熱くなった。
 その途端、大きな暖かいものを指に感じた。
 それは、いくつもいくつも私の指先をかすめ、下に落ちていく。
 眼の端から、いくつもいくつも、ボロボロと……

――そうか、私、泣いているんだ。

 そう気がついて、思い出した。
 私、昨日、あいつに振られたのだっけ。
 振られて、その後、呆然としてばかりで、全然泣いてなんかいなかった。
 そして、私は、今、ようやく泣くことが出来た。
 たぶん、これで、明日もがんばれるわ。
 そう、私は確信した。

 運命の赤い糸を捜して。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく… なお、スピンオフもございます。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

離婚すると夫に告げる

tartan321
恋愛
タイトル通りです

処理中です...