アルケミストの恋愛事情

ねんねこ

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10話 出張! シルベリア!

07.エジェリー

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 更に進んでみると、急に足下の感触が変わった。ふわっとした、柔らかい感触へだ。ギョッとして足下に視線を下ろすと、薄汚れた絨毯が視界に入る。何度も土足で踏み荒らされたのだろう、泥が付着しているのが見て取れた。

 そして、ここまで来れば、流石のメイヴィスもその音をハッキリと聞き取る事に成功する。水が絶えず滴っているような音だ。

「音、聞こえますね。アロイスさん……」
「ああ。どこかへ繋がっているのかもしれないな」

 臆すること無く突き進むアロイスの背にぴったりと寄り添う。何が出て来るか分からないし、背後から魔物に襲われようものなら一溜まりも無い。
 しかし、そんな心配は杞憂に終わった。
 すぐ突き当たりに出たからだ。光球が照らし出す光景に、一瞬だけ言葉を失う。

 それは洞窟構造を利用して作られた檻だった。頑丈そうな鉄格子が嵌め込まれ、人が通れる扉が付いている。水の音は、その檻内部だけ水が満ちていたからだ。海水のような匂いのそれは恐らく、湖の水を引いてきているに違い無い。
 驚くべき事に、その檻の中には人――らしきものが居る。
 らしきもの、と言うのには理由があって、彼女の腰から下。それは音に聞く人魚のような尾となっていたからだ。

「あ、あ、アロイスさん、これ……!!」
「まさか本当に人魚、か? ともあれ、人道的な扱いは受けていないようだが」

 水に顔を半分程浸して、突っ伏していた彼女が不意に身動ぎした。上げかけた悲鳴を押さえ込む。
 が、メイヴィスが怯えている間にもアロイスは果敢に彼女へと声を掛ける。

「おい、無事か?」

 人魚が起き上がった。絹糸のような金色の髪がさらりと流れる。顔を上げた彼女は成る程確かに美しい目鼻立ちをしていた。海のように深い深い藍色の瞳、優しげで物憂げな表情。華奢な体付き。

 そんな彼女は煌びやかな容姿に似合わない、怯えてはいないが疲れ切った声で言葉を紡いだ。

「貴方達は……村の人間じゃないようね……」
「そうだな、観光客、と言ったところか。その、お前は……所謂、人魚、とでもいう存在なのか?」
「そうね。お伽話の中に居る、人魚そのものと言って良いのかもしれない。尤も、あれらの物語には……そう、貴方達の主観が、随分と入っているようだけれど」

 人魚と公にそう言った彼女は憂いに満ちた貌をした。それは若い女性には似合わない、酷く老獪な表情だと言えるだろう。明らかに時間軸が人間とは違う、全く別の生物である事を頭の隅で理解する。
 少しだけ現状に慣れてきたメイヴィスは、失礼に当たらない程度に人魚の全容を盗み見た。所々土に塗れてはいるが、目立った外傷は無い。勇気を振り絞り、恐る恐る声を掛けてみた。

「あの、名前は? 私は、メイヴィス・イルドレシアって言いますけど……」
「私はエジェリー。人間のような姓は持たないの」
「えぇっと、エジェリーさんはどうしてここに幽閉されているんですか?」

 可哀相になってくるので、出来れば村の方々に掛けあって海に放してやりたいものだ。尤も、人魚が本来海に住む種なのか否かは知らないのだが。

 問いに対し、エジェリーはどこか自嘲めいた笑みを浮かべる。

「優しいお伽話の方しか、知らないの? 私はね、メイヴィス。この村に住んでいる人間の寿命を支える為に、ここに居るのよ」
「え? それは……」

 何故、と聞こうとして不意にある仮説が脳裏を過ぎった。それはあまりにも人道外れた行為で、そうであるが故に正常な思考回路をしていると自負するメイヴィスには思い付かなかった答えだ。

 ――人魚の肉を食うと、不老不死になれる。
 誰が言い出したのかも分からない、そんな伝承。永遠に何の意味があるのか、さっぱり分からないがそれらを望む人々が一定数存在するのは確かだ。一方で、人魚の存在は定かではない訳だが。

 うふふ、とエジェリーは嗤った。顔色の変わったメイヴィスを見て、真相に辿り付いた事を誉めるように。

「人魚の血肉を食らえば、”若返る”のは本当の事。ただ、人魚と違って人間は不老不死になどなれはしないわ。手に入れた異常な回復力と若さは――何れ、消えてしまうものなの」
「成る程。では、その効果が消えないように村の連中はお前を幽閉し、その肉を搾取し続けているのか」
「察しが良いのね」

 ――どうしよう、分かってないのは私だけだ。
 3分の2が話を理解している今、自分だけ分からないと言って質問するのは憚られたが、このまま分かっている体で話を進められても困る。仕方なく、メイヴィスは理解を優先して恥を捨てた。

「いやあの、血肉って。そんなもの取られ続けたら、エジェリーさん死んじゃいますよ?」
「素直な良い子なのね、メイヴィス……。残念ながら、私は死ねないの。不老不死なのだから」
「あっ……」

 彼女が『死なない』として。だとすると、行われている行為は更に残虐と言わざるを得ない。死なない生物から、血と肉を搾取し続けるなど正気の沙汰ではないだろう。背筋に悪寒が奔るのを確かに感じながら、息を呑む。凄惨な、肉を削り出す場面を想像して。
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