俺はお前のおかんだからな

亜銅鑼

文字の大きさ
11 / 11
【序章】始まらずに終わった話、或いは終わりが始まる話

11. かくして終わりが始まる、のかもしれない

しおりを挟む
 三月十九日――私立有斐丘学園高等部では修了式が執り行われた。

 かといって、何かしら特別な感慨を覚えるわけでもない。
 他の学校ならばいざ知らず、学年制と単位制のハイブリッドを実施する有斐丘学園において、〝クラス〟という概念はそこまで重要視されていないだからだ。

 いちおう進級に不可欠の必修科目は、名簿上で振り分けられているクラス単位で時間割が組まれているし、各クラスには〝担任の先生〟に当たるチューターも配置されている。
 言い換えれば、クラスメイトと顔を合わせるのは必修科目の授業くらいで、チューターに至っては特別用事がない限りは顔を合わすことなく一ヶ月を終えることもあるくらいだ。

 ともあれ、校内には普段と何ら違わない空気が流れ続けていた。――ごく一部を除いては。

 式を終えて自由解散になった時のことだった。

「あれ? おかん、何でここに?」
「それはこっちの台詞だな、伊恵理。どうしてお前が〈校編室〉に来てるんだ。この後、風紀委は年度末の定例会議があるんじゃないのか?」

 敢介が中央図書館内の第一小会議室に向かうと、まだ鍵が開いていない部屋の前で、伊恵理が例によってそわそわとした様子で敢介を待ち受けていた。
 ちなみに例のお手伝い攻勢は三日ほどで鳴りを潜め、四日目以降は遠目に敢介の様子を見守るという戦術に切り替えてきた。何かあればすぐに飛び出すつもりだったのだろうが、生憎とその〝何か〟をそう簡単に引き起こさせる敢介ではなかった。

「あ、うん。確かにそうなんだけど……」

 伊恵理はもじもじと指を突き合わせていたが、ええい、ままよ、と意を決した様子で敢介に向き直る。

「おっ、おかん!」
「お、おう……図書館では静かにな」

 図らずも出鼻を挫く形になってしまったが、伊恵理はすぐに気を取り直してくれたようだった。話が早く進みそうで助かる。

「おかん、今日のお昼、どうするの?」
「どうするって……ちゃんと弁当渡しただろ」
「私のじゃなくて! ほら、今日だよ?」
「何がだよ」

 話が全く噛み合わない。次第に伊恵理の方も「あれ?」と首を傾げ始めた。
 が、そこまで来て、ようやく敢介も思い出した。いや、忘れたわけではなかったのだが、既に解決したことだったので、咄嗟に想像が結びつかなかった。

「ああ、ラブレターの件か。あれなら、とっくの昔にちゃんと断りの返事をしてきたぞ」
「いつの間に!?」

 伊恵理の叫びに、たまたま近くを通りかかった司書教諭が「図書館では静かにね」と、にっこりと笑いながら言い置いていった。あの表情は何か誤解しているような気がする。

 すると伊恵理が、小声で話せるようにと敢介に詰め寄ってくる。

「き、聞いてないよっ。いつの間に返事してたの? ……ってか誰だったの? 私の知ってる子?」
「翌日にはもう話を付けてた。それ以外は全部秘密だ。相手のプライバシーにも関わるからな」

 むぅ、と伊恵理は唇を尖らせる。

「それならそれで、私にも知らせてくれればよかったのに……」
「いや、まさかお前がそこまで気にしてるとは思わなくて――」

 実は、玲壱の方には、相手の名前は伏せた上で、事の顛末を既に話していた。だからそのまま伊恵理にも話した気になってしまっていたのかもしれない。

 伊恵理は、拗ねたように目を伏せると、

「気になるよぉ。おかんが……おかんも、このまま私を置いて行っちゃうんじゃないかって」

 おかん、と来たか。敢介は内心ひやりとする。

 伊恵理が敢介に誰を重ねたかなど想像に難くない。彼女の母親が、もう手の届かないところへと旅立ってしまってから、敢介は〝お敢〟でなく〝おかん〟になったのだから――。

 大丈夫だよ、と敢介は微笑しながら伊恵理の頭をポンポンと叩いた。
 上目遣いに敢介を見上げてきた伊恵理に、

「俺はお前のおかんだからな。安心しろ、黙ってにどこかに行ったりはしない」
「……私、おかんにたくさん迷惑かけてるよ?」
「自覚があるだけマシだ」
「そこは『俺は全然気にしないぜ』くらいのことを言って欲しかったなぁ」
「調子に乗るな」

 伊恵理のニキビ一つない額にデコピンすると、あだっ、と可愛らしい悲鳴が漏れた。
 と、そこでふと、敢介は金曜日の昼間に累と話したことを思い出した。もしも伊恵理が累に何かを吹き込まれたのだとすれば、それはラブレター絡みのことだったのかもしれない。

「そういやお前、俺があのラブレターをもらった日、篠倉の奴に何か言われたのか?」
「にゃ!? べ、べべべ別に何でもないよ?」
「何でもなくはないだろう。語るに落ちたってくらいに挙動不審だぞ」
「何でもなくなくないのっ、もう済んだことなの!」

 じゃあ私、委員会があるからっ、と伊恵理は敢介に背を向けて足早に去って行ってしまった。
 結局、最近の伊恵理の奇行の原因が何であったのかを確かめることはできなかった。

 ――いや、その気になれば、もっと突っ込んで訊くこともできたはずだ。
 しかし今はそれをする気になれなかった。なまじ伊恵理の様子がおかしかった所為で、敢介もまた、ここ数日、彼女との距離感を掴み損ねてしまっていたのだ。

 というのも、元はと言えば、それは毬藻の仕業によるものと言えなくもなく――。

「……ったく、どうしてウチの寮は厄介な人間ばかり集まってくるのか」

 四月から入ってくる新しい寮生は、まだ手の掛からない子あればいいなと、敢介はどこにいるとも知れない神様に祈りたい気分だった。


          ◆


 ――かの十三日の金曜日は、敢介と毬藻が寮の門前に差し掛かろうという頃合いのことだった。
 毬藻は急にはっとした表情を浮かべたかと思えば、敢介を引き留めるように足を止めた。

「そうだ! ラブレターのことで、肝心なことを伝えるのを忘れていた」
「雰囲気台無しだな。この話は終わりって言ったのは先輩の方ですよ」
「まあまあ。……そう、これは所謂〝動機〟というものだよ。気にならないかい? なぜやったのかホワイダニツト――私が玉砕覚悟で君に告白した理由」
「怖そうなので聞きたくないです」
「そう言わずに。……いや、ね。これは偉大なる毬藻先輩からの、卒業記念の置き土産のつもりなのですよ。オーケイ?」
「知らんがな」

 徹底抗戦を試みる敢介だったが、毬藻もまた手段を選ばず吶喊してきた。

「ずばり言おう。……もどかしいからだよ!」

 くわっと刮目しながら毬藻が吼えた。

「一体何なのさ、君と伊恵理ちゃんは!? ……おかんと娘? いや高校生の男女でしょうが!? 思春期真っ盛りのお年頃でしょうがッ!? ――兎にも角にも、外野として引っかき回したくなるんだよっ、君ら二人を見ていると!!」
「完全無欠に余計なお世話じゃねえか!?」
「まぁ、そういう事情もあって、卒業生の私が民意を代表してアクションを起こした次第なのでありました。下駄箱に手紙を仕込んでおけば、きっと伊恵理ちゃんの目にも留まるだろうと見越した上でね」

 こほん、と毬藻は咳払いすると、敢介の無表情を真似たかのような仏頂面で、粛々と告げた。

「――とゆーわけで、君たちの関係に終わりが始まることを、私は切に願う」
「…………」

 この瞬間、敢介は確信していた。
 やはりあの手紙は、ラブレターの名を借りた不幸の手紙だったに違いない――と。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

罰ゲームから始まった、五人のヒロインと僕の隣の物語

ノン・タロー
恋愛
高校2年の夏……友達同士で行った小テストの点を競う勝負に負けた僕、御堂 彼方(みどう かなた)は、罰ゲームとしてクラスで人気のある女子・風原 亜希(かざはら あき)に告白する。 だが亜希は、彼方が特に好みでもなく、それをあっさりと振る。 それで終わるはずだった――なのに。 ひょんな事情で、彼方は亜希と共に"同居”することに。 さらに新しく出来た、甘えん坊な義妹・由奈(ゆな)。 そして教室では静かに恋を仕掛けてくる寡黙なクラス委員長の柊 澪(ひいらぎ みお)、特に接点の無かった早乙女 瀬玲奈(さおとめ せれな)、おまけに生徒会長の如月(きさらぎ)先輩まで現れて、彼方の周囲は急速に騒がしくなっていく。 由奈は「お兄ちゃん!」と懐き、澪は「一緒に帰らない……?」と静かに距離を詰める。 一方の瀬玲奈は友達感覚で、如月先輩は不器用ながらも接してくる。 そんな中、亜希は「別に好きじゃないし」と言いながら、彼方が誰かと仲良くするたびに心がざわついていく。 罰ゲームから始まった関係は、日常の中で少しずつ形を変えていく。 ツンデレな同居人、甘えたがりな義妹、寡黙な同クラ女子、恋愛に不器用な生徒会長、ギャル気質な同クラ女子……。 そして、無自覚に優しい彼方が、彼女たちの心を少しずつほどいていく。 これは、恋と居場所と感情の距離をめぐる、ちょっと不器用で、でも確かな青春の物語。

月弥総合病院

僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

隣に住んでいる後輩の『彼女』面がガチすぎて、オレの知ってるラブコメとはかなり違う気がする

夕姫
青春
【『白石夏帆』こいつには何を言っても無駄なようだ……】 主人公の神原秋人は、高校二年生。特別なことなど何もない、静かな一人暮らしを愛する少年だった。東京の私立高校に通い、誰とも深く関わらずただ平凡に過ごす日々。 そんな彼の日常は、ある春の日、突如現れた隣人によって塗り替えられる。後輩の白石夏帆。そしてとんでもないことを言い出したのだ。 「え?私たち、付き合ってますよね?」 なぜ?どうして?全く身に覚えのない主張に秋人は混乱し激しく否定する。だが、夏帆はまるで聞いていないかのように、秋人に猛烈に迫ってくる。何を言っても、どんな態度をとっても、その鋼のような意思は揺るがない。 「付き合っている」という謎の確信を持つ夏帆と、彼女に振り回されながらも憎めない(?)と思ってしまう秋人。これは、一人の後輩による一方的な「好き」が、平凡な先輩の日常を侵略する、予測不能な押しかけラブコメディ。

彼女に振られた俺の転生先が高校生だった。それはいいけどなんで元カノ達まで居るんだろう。

遊。
青春
主人公、三澄悠太35才。 彼女にフラれ、現実にうんざりしていた彼は、事故にあって転生。 ……した先はまるで俺がこうだったら良かったと思っていた世界を絵に書いたような学生時代。 でも何故か俺をフッた筈の元カノ達も居て!? もう恋愛したくないリベンジ主人公❌そんな主人公がどこか気になる元カノ、他多数のドタバタラブコメディー! ちょっとずつちょっとずつの更新になります!(主に土日。) 略称はフラれろう(色とりどりのラブコメに精一杯の呪いを添えて、、笑)

処理中です...