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【序章】始まらずに終わった話、或いは終わりが始まる話
11. かくして終わりが始まる、のかもしれない
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三月十九日――私立有斐丘学園高等部では修了式が執り行われた。
かといって、何かしら特別な感慨を覚えるわけでもない。
他の学校ならばいざ知らず、学年制と単位制のハイブリッドを実施する有斐丘学園において、〝クラス〟という概念はそこまで重要視されていないだからだ。
いちおう進級に不可欠の必修科目は、名簿上で振り分けられているクラス単位で時間割が組まれているし、各クラスには〝担任の先生〟に当たるチューターも配置されている。
言い換えれば、クラスメイトと顔を合わせるのは必修科目の授業くらいで、チューターに至っては特別用事がない限りは顔を合わすことなく一ヶ月を終えることもあるくらいだ。
ともあれ、校内には普段と何ら違わない空気が流れ続けていた。――ごく一部を除いては。
式を終えて自由解散になった時のことだった。
「あれ? おかん、何でここに?」
「それはこっちの台詞だな、伊恵理。どうしてお前が〈校編室〉に来てるんだ。この後、風紀委は年度末の定例会議があるんじゃないのか?」
敢介が中央図書館内の第一小会議室に向かうと、まだ鍵が開いていない部屋の前で、伊恵理が例によってそわそわとした様子で敢介を待ち受けていた。
ちなみに例のお手伝い攻勢は三日ほどで鳴りを潜め、四日目以降は遠目に敢介の様子を見守るという戦術に切り替えてきた。何かあればすぐに飛び出すつもりだったのだろうが、生憎とその〝何か〟をそう簡単に引き起こさせる敢介ではなかった。
「あ、うん。確かにそうなんだけど……」
伊恵理はもじもじと指を突き合わせていたが、ええい、ままよ、と意を決した様子で敢介に向き直る。
「おっ、おかん!」
「お、おう……図書館では静かにな」
図らずも出鼻を挫く形になってしまったが、伊恵理はすぐに気を取り直してくれたようだった。話が早く進みそうで助かる。
「おかん、今日のお昼、どうするの?」
「どうするって……ちゃんと弁当渡しただろ」
「私のじゃなくて! ほら、今日だよ?」
「何がだよ」
話が全く噛み合わない。次第に伊恵理の方も「あれ?」と首を傾げ始めた。
が、そこまで来て、ようやく敢介も思い出した。いや、忘れたわけではなかったのだが、既に解決したことだったので、咄嗟に想像が結びつかなかった。
「ああ、ラブレターの件か。あれなら、とっくの昔にちゃんと断りの返事をしてきたぞ」
「いつの間に!?」
伊恵理の叫びに、たまたま近くを通りかかった司書教諭が「図書館では静かにね」と、にっこりと笑いながら言い置いていった。あの表情は何か誤解しているような気がする。
すると伊恵理が、小声で話せるようにと敢介に詰め寄ってくる。
「き、聞いてないよっ。いつの間に返事してたの? ……ってか誰だったの? 私の知ってる子?」
「翌日にはもう話を付けてた。それ以外は全部秘密だ。相手のプライバシーにも関わるからな」
むぅ、と伊恵理は唇を尖らせる。
「それならそれで、私にも知らせてくれればよかったのに……」
「いや、まさかお前がそこまで気にしてるとは思わなくて――」
実は、玲壱の方には、相手の名前は伏せた上で、事の顛末を既に話していた。だからそのまま伊恵理にも話した気になってしまっていたのかもしれない。
伊恵理は、拗ねたように目を伏せると、
「気になるよぉ。おかんが……おかんも、このまま私を置いて行っちゃうんじゃないかって」
おかんも、と来たか。敢介は内心ひやりとする。
伊恵理が敢介に誰を重ねたかなど想像に難くない。彼女の母親が、もう手の届かないところへと旅立ってしまってから、敢介は〝お敢〟でなく〝おかん〟になったのだから――。
大丈夫だよ、と敢介は微笑しながら伊恵理の頭をポンポンと叩いた。
上目遣いに敢介を見上げてきた伊恵理に、
「俺はお前のおかんだからな。安心しろ、黙ってにどこかに行ったりはしない」
「……私、おかんにたくさん迷惑かけてるよ?」
「自覚があるだけマシだ」
「そこは『俺は全然気にしないぜ』くらいのことを言って欲しかったなぁ」
「調子に乗るな」
伊恵理のニキビ一つない額にデコピンすると、あだっ、と可愛らしい悲鳴が漏れた。
と、そこでふと、敢介は金曜日の昼間に累と話したことを思い出した。もしも伊恵理が累に何かを吹き込まれたのだとすれば、それはラブレター絡みのことだったのかもしれない。
「そういやお前、俺があのラブレターをもらった日、篠倉の奴に何か言われたのか?」
「にゃ!? べ、べべべ別に何でもないよ?」
「何でもなくはないだろう。語るに落ちたってくらいに挙動不審だぞ」
「何でもなくなくないのっ、もう済んだことなの!」
じゃあ私、委員会があるからっ、と伊恵理は敢介に背を向けて足早に去って行ってしまった。
結局、最近の伊恵理の奇行の原因が何であったのかを確かめることはできなかった。
――いや、その気になれば、もっと突っ込んで訊くこともできたはずだ。
しかし今はそれをする気になれなかった。なまじ伊恵理の様子がおかしかった所為で、敢介もまた、ここ数日、彼女との距離感を掴み損ねてしまっていたのだ。
というのも、元はと言えば、それは毬藻の仕業によるものと言えなくもなく――。
「……ったく、どうしてウチの寮は厄介な人間ばかり集まってくるのか」
四月から入ってくる新しい寮生は、まだ手の掛からない子あればいいなと、敢介はどこにいるとも知れない神様に祈りたい気分だった。
◆
――かの十三日の金曜日は、敢介と毬藻が寮の門前に差し掛かろうという頃合いのことだった。
毬藻は急にはっとした表情を浮かべたかと思えば、敢介を引き留めるように足を止めた。
「そうだ! ラブレターのことで、肝心なことを伝えるのを忘れていた」
「雰囲気台無しだな。この話は終わりって言ったのは先輩の方ですよ」
「まあまあ。……そう、これは所謂〝動機〟というものだよ。気にならないかい? なぜやったのか――私が玉砕覚悟で君に告白した理由」
「怖そうなので聞きたくないです」
「そう言わずに。……いや、ね。これは偉大なる毬藻先輩からの、卒業記念の置き土産のつもりなのですよ。オーケイ?」
「知らんがな」
徹底抗戦を試みる敢介だったが、毬藻もまた手段を選ばず吶喊してきた。
「ずばり言おう。……もどかしいからだよ!」
くわっと刮目しながら毬藻が吼えた。
「一体何なのさ、君と伊恵理ちゃんは!? ……おかんと娘? いや高校生の男女でしょうが!? 思春期真っ盛りのお年頃でしょうがッ!? ――兎にも角にも、外野として引っかき回したくなるんだよっ、君ら二人を見ていると!!」
「完全無欠に余計なお世話じゃねえか!?」
「まぁ、そういう事情もあって、卒業生の私が民意を代表してアクションを起こした次第なのでありました。下駄箱に手紙を仕込んでおけば、きっと伊恵理ちゃんの目にも留まるだろうと見越した上でね」
こほん、と毬藻は咳払いすると、敢介の無表情を真似たかのような仏頂面で、粛々と告げた。
「――とゆーわけで、君たちの今の関係に終わりが始まることを、私は切に願う」
「…………」
この瞬間、敢介は確信していた。
やはりあの手紙は、ラブレターの名を借りた不幸の手紙だったに違いない――と。
かといって、何かしら特別な感慨を覚えるわけでもない。
他の学校ならばいざ知らず、学年制と単位制のハイブリッドを実施する有斐丘学園において、〝クラス〟という概念はそこまで重要視されていないだからだ。
いちおう進級に不可欠の必修科目は、名簿上で振り分けられているクラス単位で時間割が組まれているし、各クラスには〝担任の先生〟に当たるチューターも配置されている。
言い換えれば、クラスメイトと顔を合わせるのは必修科目の授業くらいで、チューターに至っては特別用事がない限りは顔を合わすことなく一ヶ月を終えることもあるくらいだ。
ともあれ、校内には普段と何ら違わない空気が流れ続けていた。――ごく一部を除いては。
式を終えて自由解散になった時のことだった。
「あれ? おかん、何でここに?」
「それはこっちの台詞だな、伊恵理。どうしてお前が〈校編室〉に来てるんだ。この後、風紀委は年度末の定例会議があるんじゃないのか?」
敢介が中央図書館内の第一小会議室に向かうと、まだ鍵が開いていない部屋の前で、伊恵理が例によってそわそわとした様子で敢介を待ち受けていた。
ちなみに例のお手伝い攻勢は三日ほどで鳴りを潜め、四日目以降は遠目に敢介の様子を見守るという戦術に切り替えてきた。何かあればすぐに飛び出すつもりだったのだろうが、生憎とその〝何か〟をそう簡単に引き起こさせる敢介ではなかった。
「あ、うん。確かにそうなんだけど……」
伊恵理はもじもじと指を突き合わせていたが、ええい、ままよ、と意を決した様子で敢介に向き直る。
「おっ、おかん!」
「お、おう……図書館では静かにな」
図らずも出鼻を挫く形になってしまったが、伊恵理はすぐに気を取り直してくれたようだった。話が早く進みそうで助かる。
「おかん、今日のお昼、どうするの?」
「どうするって……ちゃんと弁当渡しただろ」
「私のじゃなくて! ほら、今日だよ?」
「何がだよ」
話が全く噛み合わない。次第に伊恵理の方も「あれ?」と首を傾げ始めた。
が、そこまで来て、ようやく敢介も思い出した。いや、忘れたわけではなかったのだが、既に解決したことだったので、咄嗟に想像が結びつかなかった。
「ああ、ラブレターの件か。あれなら、とっくの昔にちゃんと断りの返事をしてきたぞ」
「いつの間に!?」
伊恵理の叫びに、たまたま近くを通りかかった司書教諭が「図書館では静かにね」と、にっこりと笑いながら言い置いていった。あの表情は何か誤解しているような気がする。
すると伊恵理が、小声で話せるようにと敢介に詰め寄ってくる。
「き、聞いてないよっ。いつの間に返事してたの? ……ってか誰だったの? 私の知ってる子?」
「翌日にはもう話を付けてた。それ以外は全部秘密だ。相手のプライバシーにも関わるからな」
むぅ、と伊恵理は唇を尖らせる。
「それならそれで、私にも知らせてくれればよかったのに……」
「いや、まさかお前がそこまで気にしてるとは思わなくて――」
実は、玲壱の方には、相手の名前は伏せた上で、事の顛末を既に話していた。だからそのまま伊恵理にも話した気になってしまっていたのかもしれない。
伊恵理は、拗ねたように目を伏せると、
「気になるよぉ。おかんが……おかんも、このまま私を置いて行っちゃうんじゃないかって」
おかんも、と来たか。敢介は内心ひやりとする。
伊恵理が敢介に誰を重ねたかなど想像に難くない。彼女の母親が、もう手の届かないところへと旅立ってしまってから、敢介は〝お敢〟でなく〝おかん〟になったのだから――。
大丈夫だよ、と敢介は微笑しながら伊恵理の頭をポンポンと叩いた。
上目遣いに敢介を見上げてきた伊恵理に、
「俺はお前のおかんだからな。安心しろ、黙ってにどこかに行ったりはしない」
「……私、おかんにたくさん迷惑かけてるよ?」
「自覚があるだけマシだ」
「そこは『俺は全然気にしないぜ』くらいのことを言って欲しかったなぁ」
「調子に乗るな」
伊恵理のニキビ一つない額にデコピンすると、あだっ、と可愛らしい悲鳴が漏れた。
と、そこでふと、敢介は金曜日の昼間に累と話したことを思い出した。もしも伊恵理が累に何かを吹き込まれたのだとすれば、それはラブレター絡みのことだったのかもしれない。
「そういやお前、俺があのラブレターをもらった日、篠倉の奴に何か言われたのか?」
「にゃ!? べ、べべべ別に何でもないよ?」
「何でもなくはないだろう。語るに落ちたってくらいに挙動不審だぞ」
「何でもなくなくないのっ、もう済んだことなの!」
じゃあ私、委員会があるからっ、と伊恵理は敢介に背を向けて足早に去って行ってしまった。
結局、最近の伊恵理の奇行の原因が何であったのかを確かめることはできなかった。
――いや、その気になれば、もっと突っ込んで訊くこともできたはずだ。
しかし今はそれをする気になれなかった。なまじ伊恵理の様子がおかしかった所為で、敢介もまた、ここ数日、彼女との距離感を掴み損ねてしまっていたのだ。
というのも、元はと言えば、それは毬藻の仕業によるものと言えなくもなく――。
「……ったく、どうしてウチの寮は厄介な人間ばかり集まってくるのか」
四月から入ってくる新しい寮生は、まだ手の掛からない子あればいいなと、敢介はどこにいるとも知れない神様に祈りたい気分だった。
◆
――かの十三日の金曜日は、敢介と毬藻が寮の門前に差し掛かろうという頃合いのことだった。
毬藻は急にはっとした表情を浮かべたかと思えば、敢介を引き留めるように足を止めた。
「そうだ! ラブレターのことで、肝心なことを伝えるのを忘れていた」
「雰囲気台無しだな。この話は終わりって言ったのは先輩の方ですよ」
「まあまあ。……そう、これは所謂〝動機〟というものだよ。気にならないかい? なぜやったのか――私が玉砕覚悟で君に告白した理由」
「怖そうなので聞きたくないです」
「そう言わずに。……いや、ね。これは偉大なる毬藻先輩からの、卒業記念の置き土産のつもりなのですよ。オーケイ?」
「知らんがな」
徹底抗戦を試みる敢介だったが、毬藻もまた手段を選ばず吶喊してきた。
「ずばり言おう。……もどかしいからだよ!」
くわっと刮目しながら毬藻が吼えた。
「一体何なのさ、君と伊恵理ちゃんは!? ……おかんと娘? いや高校生の男女でしょうが!? 思春期真っ盛りのお年頃でしょうがッ!? ――兎にも角にも、外野として引っかき回したくなるんだよっ、君ら二人を見ていると!!」
「完全無欠に余計なお世話じゃねえか!?」
「まぁ、そういう事情もあって、卒業生の私が民意を代表してアクションを起こした次第なのでありました。下駄箱に手紙を仕込んでおけば、きっと伊恵理ちゃんの目にも留まるだろうと見越した上でね」
こほん、と毬藻は咳払いすると、敢介の無表情を真似たかのような仏頂面で、粛々と告げた。
「――とゆーわけで、君たちの今の関係に終わりが始まることを、私は切に願う」
「…………」
この瞬間、敢介は確信していた。
やはりあの手紙は、ラブレターの名を借りた不幸の手紙だったに違いない――と。
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