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第七章 真犯人
真犯人6
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ミナミは美術室内を見回し、青山先生に訊ねた。
「池沢くんもここで絵を描いてたんですよね。池沢くんの絵ってありますか?」
話題が呪いから離れたことで、青山先生は少しほっとしたようだった。
「ああ、それならこれだよ。ばたばたしてて池沢くんの家族に渡しそびれていたものだ。夏休みもときどきここに来て描いていた。……結局、永遠の未完成品となってしまったけれどね」
青山先生が壁際に置かれてあるイーゼルに近付き、向きを変えて絵を僕らのほうに向けた。
そこには美しい風景が描かれていた。青い空にそびえるのはまだ雪を頭に乗せた峻険な山。下には透き通るような水が流れ、真ん中には橋が架かっている。心が洗われるような風景である。大胆な筆遣いが迫るような迫力で、圧倒されるようだった。しかし、まだ一部塗り足りてない部分があり、未完成であることがわかる。
「長野の上高地ですね。よく描けているわ」
「僕も絵のことはよくわからないですけど、すごい絵だと思います」
「昨年お母さんと旅行に行ったらしいね。彼らしい大胆な筆遣いで、僕もとても良い絵だと思うよ。彼、油彩は初めてだって言っていたけど、なかなかどうして、才能があるよ」
「でももう、その才能は失われてしまったんですよね」
ミナミがそうつぶやくように言った。僕たちはしばらく池沢くんの絵を黙って眺めていた。もう完成することのない絵。池沢くんがこの絵に向かっていた光景が目に浮かぶ。彼の筆がキャンバスを踊り、山や川に命を吹き込む。
彼は楽しんでいただろう。絵を描くとき、旅行に行った思い出を振り返り、その清らかな空気を思い出していただろう。
「……っ」
ふいに、嗚咽のような声が聞こえてきた。そちらのほうを振り返ると、僕の視線の先で青山先生が涙を流していた。
「先生……?」
僕が声をかけると、青山先生は慌てて手で涙を拭った。
「ああ、ごめん。……なんでもないんだ」
ミナミがそう言う青山先生の顔を、悲しげに見つめていた。
「先生は池沢くんのこと、なにか知ってるんですね。お願いです。そろそろ本当のことを教えてもらえませんか? ……池沢くんのためにも」
青山先生は、目を伏せ、しばらく黙っていた。なにかを悩んでいるように見えた。僕とミナミは待った。ただ、待っていた。
それから少し経って、決心がついたのだろう。青山先生は目を開き、静かに話し始めた。
「苦しかったんだ……。言い訳にしかきっと聞こえないだろうけど、本当に苦しかったんだ。僕が三年生のクラスの担任を受け持つなんて、無理だったんだよ……」
青山先生は本当に苦しそうだった。こんな先生の姿を見るのは初めてだった。
「なにが、あったんですか……?」
「ねえ、きみたち。学校の授業で一番必要のない授業ってなんだと思う?」
青山先生がなにを言いたいのかわからなかった。
「美術だよ。そうさ。美術なんてなんの役にも立たない。保護者たちだってそう思っているんだ。生徒たちもほとんどそう思っているに違いない。きみたちも見たことないかい? ドブに捨てられたブロンズ粘土の手。ゴミ箱に捨てられた水彩画。無惨にやぶり捨てられた作品たち。ああいうのを見る度に、身が引きちぎられそうになる」
僕も見たことがある。終業式の帰りや、卒業式の終わった生徒が焼却炉に自分の作品を投げ捨てていく姿。どうしてそんなことをするのかと思った。
「興味のない生徒にとっては、作品もただのゴミにしか思えないのかもしれない。入賞しなきゃ価値がないと思ってしまうのかもしれない。でも、あんまり悲しいじゃないか。時間をかけて作った作品が、ただのゴミにしか思えないなんて。僕のような美術教師に意味はあるんだろうかと、ずっと悩んでいた」
青山先生は絞り出すように言葉を続ける。
「でも、あのクラスの担任になって初めての授業で、みんなに写生してもらったとき、そうじゃないかもしれないと、ほんの少し思えたんだ。きみたちも見ただろう。あの二つの桜の絵。僕はあれを見て心が震えたよ。美術はいらない授業なんかじゃない。心の表現を養うために必要なものなんだって、そう思えた」
青山先生は握り締めた右の拳を胸に当て、真剣な目で、目の前にあった絵を見つめていた。
「だけど、そんな思いはすぐに踏み潰された。美術の時間に数学や英語の教科書を見る生徒たち。数分で描いたであろうデッサンの課題。僕が担任になったせいで、他の教科のテストの成績が下がったと保護者や生徒から苦情がきたこともあった。受験には関係ない。それはわかっている。だけど、たった週1時間の授業がそこまで受験に影響するのか? ほんの少しでいいんだ。僕はみなに、美術の楽しさを教えたいだけなんだ!」
青山先生の声が美術室に反響した。美術を限りなく愛すからこその、限りなく悲しい叫びだった。
「……でも、そのことと池沢くんのことと、どういう関係があるんですか?」
僕がそう訊ねると、青山先生はごくりと唾を飲み込んだ。それから小さく深呼吸をしてから再び口を開けた。
「呪いの噂を流したのは、僕なんだ」
青山先生の言った言葉が頭に入ってこなかった。
なんだって?
「僕が池沢くんに噂を広めるよう、仕向けたんだ」
意外な人から意外な事実を聞かされ、頭が混乱しそうだった。青山先生がなにかを隠しているのはわかっていた。しかし、ここまでのことだとは予想していなかった。
ミナミに目を向けると、それほど驚いた様子はない。まさか、ミナミはこのことをわかっていたのだろうか。
「最初は本当にただのよくある噂を、僕と池沢が話題にしていただけだったんだ。池沢はオカルトめいた話が好きで、よく部活の時間に僕とそんな話をしていた」
「先生は池沢くんと仲が良かったんですね」
「そう……だね。池沢は僕をとても慕ってくれていた。それなのに、僕は取り返しのつかないことをしてしまった」
青山先生は俯き、つらそうに眉間に皺を寄せていた。握った拳は小刻みに震えている。
「池沢くんもここで絵を描いてたんですよね。池沢くんの絵ってありますか?」
話題が呪いから離れたことで、青山先生は少しほっとしたようだった。
「ああ、それならこれだよ。ばたばたしてて池沢くんの家族に渡しそびれていたものだ。夏休みもときどきここに来て描いていた。……結局、永遠の未完成品となってしまったけれどね」
青山先生が壁際に置かれてあるイーゼルに近付き、向きを変えて絵を僕らのほうに向けた。
そこには美しい風景が描かれていた。青い空にそびえるのはまだ雪を頭に乗せた峻険な山。下には透き通るような水が流れ、真ん中には橋が架かっている。心が洗われるような風景である。大胆な筆遣いが迫るような迫力で、圧倒されるようだった。しかし、まだ一部塗り足りてない部分があり、未完成であることがわかる。
「長野の上高地ですね。よく描けているわ」
「僕も絵のことはよくわからないですけど、すごい絵だと思います」
「昨年お母さんと旅行に行ったらしいね。彼らしい大胆な筆遣いで、僕もとても良い絵だと思うよ。彼、油彩は初めてだって言っていたけど、なかなかどうして、才能があるよ」
「でももう、その才能は失われてしまったんですよね」
ミナミがそうつぶやくように言った。僕たちはしばらく池沢くんの絵を黙って眺めていた。もう完成することのない絵。池沢くんがこの絵に向かっていた光景が目に浮かぶ。彼の筆がキャンバスを踊り、山や川に命を吹き込む。
彼は楽しんでいただろう。絵を描くとき、旅行に行った思い出を振り返り、その清らかな空気を思い出していただろう。
「……っ」
ふいに、嗚咽のような声が聞こえてきた。そちらのほうを振り返ると、僕の視線の先で青山先生が涙を流していた。
「先生……?」
僕が声をかけると、青山先生は慌てて手で涙を拭った。
「ああ、ごめん。……なんでもないんだ」
ミナミがそう言う青山先生の顔を、悲しげに見つめていた。
「先生は池沢くんのこと、なにか知ってるんですね。お願いです。そろそろ本当のことを教えてもらえませんか? ……池沢くんのためにも」
青山先生は、目を伏せ、しばらく黙っていた。なにかを悩んでいるように見えた。僕とミナミは待った。ただ、待っていた。
それから少し経って、決心がついたのだろう。青山先生は目を開き、静かに話し始めた。
「苦しかったんだ……。言い訳にしかきっと聞こえないだろうけど、本当に苦しかったんだ。僕が三年生のクラスの担任を受け持つなんて、無理だったんだよ……」
青山先生は本当に苦しそうだった。こんな先生の姿を見るのは初めてだった。
「なにが、あったんですか……?」
「ねえ、きみたち。学校の授業で一番必要のない授業ってなんだと思う?」
青山先生がなにを言いたいのかわからなかった。
「美術だよ。そうさ。美術なんてなんの役にも立たない。保護者たちだってそう思っているんだ。生徒たちもほとんどそう思っているに違いない。きみたちも見たことないかい? ドブに捨てられたブロンズ粘土の手。ゴミ箱に捨てられた水彩画。無惨にやぶり捨てられた作品たち。ああいうのを見る度に、身が引きちぎられそうになる」
僕も見たことがある。終業式の帰りや、卒業式の終わった生徒が焼却炉に自分の作品を投げ捨てていく姿。どうしてそんなことをするのかと思った。
「興味のない生徒にとっては、作品もただのゴミにしか思えないのかもしれない。入賞しなきゃ価値がないと思ってしまうのかもしれない。でも、あんまり悲しいじゃないか。時間をかけて作った作品が、ただのゴミにしか思えないなんて。僕のような美術教師に意味はあるんだろうかと、ずっと悩んでいた」
青山先生は絞り出すように言葉を続ける。
「でも、あのクラスの担任になって初めての授業で、みんなに写生してもらったとき、そうじゃないかもしれないと、ほんの少し思えたんだ。きみたちも見ただろう。あの二つの桜の絵。僕はあれを見て心が震えたよ。美術はいらない授業なんかじゃない。心の表現を養うために必要なものなんだって、そう思えた」
青山先生は握り締めた右の拳を胸に当て、真剣な目で、目の前にあった絵を見つめていた。
「だけど、そんな思いはすぐに踏み潰された。美術の時間に数学や英語の教科書を見る生徒たち。数分で描いたであろうデッサンの課題。僕が担任になったせいで、他の教科のテストの成績が下がったと保護者や生徒から苦情がきたこともあった。受験には関係ない。それはわかっている。だけど、たった週1時間の授業がそこまで受験に影響するのか? ほんの少しでいいんだ。僕はみなに、美術の楽しさを教えたいだけなんだ!」
青山先生の声が美術室に反響した。美術を限りなく愛すからこその、限りなく悲しい叫びだった。
「……でも、そのことと池沢くんのことと、どういう関係があるんですか?」
僕がそう訊ねると、青山先生はごくりと唾を飲み込んだ。それから小さく深呼吸をしてから再び口を開けた。
「呪いの噂を流したのは、僕なんだ」
青山先生の言った言葉が頭に入ってこなかった。
なんだって?
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