蒼き翅の乙女

一花カナウ

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記憶喪失の少女

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 自由に使ってよいと言われた、通りに面した二階の部屋。そこはサンドラが目覚めたときにいた部屋で、客室として利用しているのだとキースは説明した。

(男性の一人暮らしだと言うにしては、ちゃんとあたしが着られるようなものもあったり、調度品があったりして妙なのよね……)

 サンドラのために用意した服。それは大きめではあったが女性用のもので、麻でできたゆったりとしたワンピースだった。外を眺める限りでは、似たような衣裳の女性が行き来しているので、この地域では一般的な格好なのだろう。

 部屋に置かれた小物に目を向ける。

 紗幕は茜色をしていて、窓の外に見えた屋根の色に似ている。敷布も同じ茜色だ。色は好みにも依るだろうから男女でどうこう言うことはできまい。しかし、扉の近くに置かれた姿見や綴れ織壁掛けは男性が使用するものとは思えない。

(母親かお姉さんが使っていた部屋なのかしら……?)

 サンドラは窓際から扉に移動する。扉の横に掛けられた綴れ織壁掛けを間近で見る。

(それにしても、この綴れ織壁掛けは大した物よね)

 とても手の込んだ織物だ。大きさは並ぶように置かれた姿見と同程度。蒼い蝶の意匠が特徴的な作品だ。

(朱色の大地に舞う蒼い蝶の乙女、か……)

 遠くから見れば蒼い蝶が大地の上を舞っているように見えるのだが、よく見ればその胴は人の形をしているのだった。

「んっ?! ……いたたっ」

 頭痛を伴って、一瞬何かが脳裏を過ぎる。誰かの影であったような気がしたが、鮮明ではなく判別できない。痛みが引くにつれてその姿も霞んで消えていく。

 この綴れ織壁掛けが閉じられた記憶に引っかかったらしい。サンドラは手をこめかみに当てたまま再び視線を向けるが、結局何も思い出せなかった。

(なに、今の……)

 綴れ織壁掛けと向き合っていると、扉が軽く叩かれる。

「食事、できましたけど、着替え終わりましたか?」

「え、あっ、はいっ!」

 声の主はキースだった。着替えを渡したっきり階下に行っていたようだが、様子を見に戻ってきたらしい。サンドラは返事をすると扉を開ける。

「あぁ、やっぱり少々大きかったようですね」

 スカートの裾が足首にまで届いているのを見てキースは言う。

「小さいよりは良いですよ。とても助かります」

 微笑んで答えると、視線を綴れ織壁掛けに向ける。

「この綴れ織壁掛け、素敵ですね。蝶々の少女の意匠がとても絵になっていて」

「おや? この街では一般的な題材ですよ。ご存知ないのですか?」

「えぇ」

 頷くサンドラに、キースは意外そうな顔をする。そして部屋に入り、彼も綴れ織壁掛けに目をやった。

「この蝶の乙女、プシュケっていうんですよ。魂の化身だそうで。この街では、死んだ者の魂がプシュケとなって残された者に会いに来ると伝えられているんです」

「へぇ……ところで、男性でも少女の姿なんですかね?」

 ふとした疑問を口にしたサンドラに、キースは小さく噴き出す。

「くくくっ……あなた、面白いですね」

「ま、また、あたしのこと笑ってっ……!」

 むっとしてキースを睨むが、彼は笑いをこらえるのに必死のようで腹に手を当てて身をよじっていた。

(そこまで笑うことないのにっ……!)

 からかわれているみたいで腹立たしいが、これ以上何を言っても深みにはまるような気がしてサンドラは堪える。ただ顔を真っ赤にしてじっと睨み続けた。

「くくくっ……えっと、少女の姿をしているのは、ですね。きっとそのほうが絵になるからですよ。少女の方が清らかで美しく見えますから。魂の純潔を示すのにもちょうど良いのでしょう」

 笑いを抑えて説明するキースの台詞に、サンドラはふむふむと頷く。

「あぁ、なるほど。確かにごついオジサンの蝶々は見たくないですものね」

 少女の幼い肢体のほうが絵に映える。それはこの綴れ織壁掛けを見ればわかることだ。

「……あなた、天然ですね」

「えっと……それ、あたしのことをけなしていますよね?」

「いえ、褒めていますよ。あなたのような発想、僕には到底及びませんから」

「あたし、普通のつもりなんですけど……」

 とても真面目に考えていたつもりだのに笑われて、サンドラは今ひとつ承服しかねる。小さく膨れていじける彼女に、キースは優しく微笑んだ。

「怒らないでくださいよ。せっかくの可愛い顔が台無しですよ?」

「ご機嫌取りをしようっていったってそうはいきませんよ」

「でしょうね」

「?」

 すぐに引いたキースに、やはり調子を崩されてサンドラは首をひねる。

 問う前に、キースが続けた。

「久し振りなんですよ、こんなに笑うの。接客業ですからさすがに仕事として人に接することはありますけど、そんなに笑えることってありませんからね」

「…………」

 寂しげな微笑みにそんな台詞を付け足されては何も言えない。噛み付いてやりたい衝動は萎え、サンドラは黙り込む。

「――さぁ、食事が冷える前にどうぞ。お腹が空いているのではありませんか? 苛々されるのも、空腹が原因では?」

 言われて、サンドラは自分の腹部に手を当てる。ちょうどいい具合にぐぅと鳴った。

「サンドラさんのお腹は正直でよろしいですね」

 口元に手を当てて笑いを飲み込みながら言うキース。一挙手一投足、その言動すべてが笑われているみたいで気に喰わないが、キースを楽しませているのならそれでいいか、とサンドラは自分に強く言い聞かせる。

「……お腹だけじゃなく、あたし自身も素直で正直者のつもりですけど?」

「天然さんな部分も含めて、ですけどね」

「き、キースさんっ!」

「行きましょうか。案内します」

 顔を真っ赤にして怒鳴るサンドラをいなし、キースは部屋を先に出たのだった。


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