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記憶喪失の少女
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しおりを挟む「おはようございます、サンドラさん」
「おはようございます。キースさん」
部屋に入ると、朝食を食卓に並べているキースと目が合った。笑顔を交わしながら挨拶をする。
湯気を立てているふんわりとしたパン、色とりどりの生野菜、炒めた卵。美味しそうな香りが鼻腔をくすぐる。すでにそれぞれが皿の上に盛り付けられ、食卓で待ち構えていた。サンドラは思わず小走りで食卓に近付いて大きく息を吸う。
「わぁ。おいしそう! お料理、本当に上手なんですね!」
昨日用意してもらった昼食も夕食も、短時間でできたとは思えない量と品数があった。それはどうみても普段から自炊していることを示しており、その味もなかなか美味。少なくとも彼は料理に慣れている。
「作ってくれる人がいないだけですよ。出せるものも大したものじゃない」
「そうですか? 充分すぎるくらいですけど」
昨日座った椅子を引き、サンドラは早速腰を下ろす。匙も肉叉もすでに食卓に並んでいる。食器を並べることくらいは手伝いたいと思っていたサンドラだったが、見ての通り出遅れたようだ。
「あなたのように美味しそうにいっぱい食べてくださる方がいると、気合が入るものです」
言って、キースはサンドラの前に、芋を裏漉しして作った汁物を置く。
「決して大喰らいではないと思うんですけど……」
口では否定したが、昨日のことを思い出すとあながち否定しきれない。昼食では空腹だったこともあって目いっぱい食べてしまったが、夕食もまた、出された品はすべてきれいにお腹に納めていた。「その細い身体によく入りますね」と皮肉じみたことを言われてしまったことが鮮明に思い出せる。
(客なのに遠慮がなさすぎるって思われているかしら……)
キースの申し出にすっかり甘えてしまっているが、いつまでもそうしていられるわけでもないだろう。お金も払わず、だからと言って手伝うこともせず。そんな人間が部屋を借りて食事をするなどずうずうしいにもほどがある。
「あぁ、気にしなくていいんですよ? どうぞたくさん食べてください。残して無駄になるくらいなら、食べ切ってくださったほうが食材も浮かばれます」
自分の席の前に同じ汁物を置き、ようやくキースは椅子に座った。
「お待たせしました。どうぞ召し上がってください」
「いただきますっ!」
手を合わせ、糧となる動物や植物たちに感謝する。短い黙祷を捧げて、サンドラは匙を手に取り汁物を啜った。
「あぁっ、美味しいっ!」
「口にあったようで光栄です」
サンドラが満面の笑みで感想を伝えると、楽しそうに微笑んでキースが返す。昨日と同じやり取りだ。
「あぁ、幸せっ。助けてくださった方がキースさんで良かったわ! こんなに美味しいご飯が食べられるなら、未来のお嫁さんはきっと幸せですね」
何も考えずにそう言ってみて、サンドラははたと手を止める。キースの表情がわずかに曇ったのを見逃さなかった。
(……な、なんかまずいこと言っちゃった?)
「――そ、そういえばキースさん。あたしみたいな女の子を家においたりして、彼女さんが焼かないんですか?」
それとなく女性関係を訊ねるつもりで問う。彼くらいの年齢なら、婚約者や、将来そのつもりで付き合っている女性がいてもおかしくはない。そんな青年の家に少女が寝泊りしているのはいただけないだろう。
「ご心配なく。あいにく交際している女性はいませんよ」
作られた笑顔に、サンドラは何か引っかかるものを覚えた。
「小さな商店の店主に想いを寄せる奇特な女性がいてくれれば、それなりに嬉しいものなんですが」
そう告げて向けられたキースの瞳が微かに揺れる。
(今はいないけど、昔はいた、みたいに聞こえるんだけど……)
大人には大人の事情があるのかもしれない、そう考えたサンドラはこれ以上深く訊くのはやめることにした。
「それはもったいないですね。あたしなら、キースさんのような条件の男性だったら歓迎しますけど?」
持ち上げるつもりで冗談めかして言ってやると、キースは目をぱちぱちと瞬かせた。
「おや、僕を口説いていますか?」
「あら、キースさんはあたしみたいなどこの馬の骨とも知れない女の子でもよろしいですの?」
想定内の反応だったので、サンドラはにこっと微笑んで返してやる。一晩やり取りをしてみて、キースがどんな思考の持ち主なのかだんだんわかるようになっていた。
「サンドラさんは自分の価値をわかっていらっしゃらないようですね」
一生懸命に背伸びをしているとわかるサンドラの台詞に、キースは食事を続けながらさらりと告げる。
(えっと……どういう意味だろう?)
自分の価値がわかっていない、そう指摘されてもなんのことだかサンドラにはわからない。
(うーん……身元不明で地位も名誉もその欠片もないあたしの価値といったら……若さ?)
導いた結論に、サンドラは自分の身体に目をやる。そして頬を赤く染めた。
「えっと……どうしてあなたの思考はそっちに向かうんですか?」
黙って俯いていたサンドラに、戸惑いながらキースが問う。
「あ、いえ……。あ、あたし、何も持っていないもんですから」
そう告げてぱっと思いつき、顔を上げる。
「そうだ。キースさん。あたしにお手伝いできることはありませんか?」
「え? 急にどうしたんですか?」
自分の胸に手を当てて乗り出すように問うサンドラに、目を丸くしてキースは不思議がる。
「おいしい食事のおかげもあって、もう体調は万全です。部屋でじっとしているには申し訳ないですし、記憶を取り戻すためにも刺激があったほうがいいと思うのです! あたしに手伝えることがあるなら、やらせてください!」
身体しかないのだ。そんな自分にできることは、その資本を有効活用することくらいだ。大したことはできないかもしれない。それでもキースのためになるなら――サンドラは思っていることをぶつける。
「なるほど、そうですね……確かに家にこもっているよりは良いかも知れません」
記憶を取り戻すため――思いつきで付け足した理由であったが奏功したようだ。キースは真面目な顔で思案し、サンドラに目を向けた。
「読み書きはできるんですよね?」
「はい」
少なくとも文字は読める。それは部屋にあった本を読んでいたのだから確実だ。
「ならば、店をちょっとだけ手伝ってもらいましょうか」
「ちょっとだなんて言わず、こき使ってくださって構いませんよ?」
張り切るサンドラに、キースはやんわりと微笑む。
「いえ。そんなにお客も来ない小さな店なので、仕事らしい仕事がないんです。まぁ、やってみればわかりますよ。食事が終わったら案内しましょう」
「はい!」
どんなお店なのだろう。サンドラはとてもわくわくしていた。
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