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募る想いとうらはらに
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窓の外を見れば、宝石箱をひっくり返したような星の光が目に入る。今日は新月。キースに拾われたのが満月の沈む朝であったから、半月ほど経ったことがわかる。
(――あれからちっとも思い出せないなぁ)
窓際で外を眺めていたサンドラはため息をつく。
(仕事も慣れてきたし、キースさんと一緒にいるのは楽しいけど、いつまでもそういうわけにもいかないし……)
キースの作る美味しい夕食をいっぱい食べたせいか少し眠い。サンドラは寝台に横たわる。
(あたしの家族、心配してるだろうな。半月も行方不明なんだし、そろそろ何か連絡があってもいいんじゃないかと思うんだけど)
ついこの前のことになるが、キースは買い物帰りに町役場に寄り、記憶喪失の少女を保護していると報告してくれたそうだ。彼も彼なりにサンドラの身を案じてくれているということだろう。
(とにかく、キースさんに迷惑がられないうちにちゃんと思い出さなくちゃ。ずっと一緒にいられるわけがないんだし――)
そう考えた瞬間、心の奥が軋むのを感じる。サンドラは胸に手を当てた。動悸がする。
(このまま思い出さなかったら……どうなるんだろう……)
ずっとそばに置いてくれるだろうか。
ふと湧いた疑問。サンドラは頭を激しく横に振り、枕に顔を埋める。
(ありえない。あたしは彼の寂しさに付け込んで上がりこんでいるだけなんだもの。キースさんは、あたしのことなんてそんなふうに思っちゃくれないわ)
否定。そして、サンドラの脳裏に店で働き始めた初日のことが過ぎる。
――お仕置きです。しばらくじっとしてなさい。
彼の声とは思えない棘があるが優しい響き。倒れたまま抱き締められたあの感覚は脳裏に焼き付いている。突然でなんの構えもしていなかったことと、彼らしからぬ雰囲気の所為で記憶にこびりついているのだとばかり思っていたが、果たしてそれだけだろうか。
(……あれは単なる気まぐれ。あたしを落ち着かせるためにそうしただけ)
以降、キースはサンドラに触れてはいない。あれほど密着したのはその日だけだ。
うつ伏せになっていたからだろう。服に染み付いた塗料や香の匂い、耳に残る鼓動、温かな体温――あのときのことが鮮明に思い出される。
(や、やだっ、あたしったらっ!)
全身がのぼせ上がり、サンドラはがばっと起き上がる。自分の鼓動が聞こえてきそうなくらいドキドキしている。
(な、なに意識しちゃってるのよ)
当てた手のひらから頬の熱さが伝わってくる。
(キースさんはいい人だけど、あたしが困っているのを放っておけなくて面倒を見てくれているだけ。役場に聞きに行ってくれたのも、あたしを助けようとしてくれたからでしょ。勘違いにもほどがあるわ。何も持たないあたしなんか、彼のそばにいる資格すらないんだから)
何度も何度も強く言い聞かせる。しかし、そのはずなのに想いは消えない。募るばかりだ。
(あぁっ、もうっ。目が冴えてきちゃったじゃない)
サンドラは寝台から下りて、木製の本棚の前に移動する。眠れないときは読書が一番だ。角灯の明かりだけでは少々薄暗いが、読めないわけではない。気持ちが落ち着くまで、いや、気が紛れて眠くなるまで本を読んでいよう、サンドラは並ぶ背表紙の一つ一つに視線を走らせる。
(どの辺まで読んだっけな……)
部屋に置かれていた本はプシュケの伝承にまつわる物語だったり、綴れ織壁掛けの技法や意匠についての学術書であったりした。キースが仕事のために学んだ本なのだろう。
(よし、今日はこの本にしよう)
サンドラは本棚の一番端にあった銅色の本を手に取る。題名の部分には『プシュケの意匠に込められた想い』と書かれている。今まで手に取った本の中でも古いものなのだろう。表紙の端が傷んでいるのに気がついた。
(想い、か……)
ふと、部屋に掛けられている綴れ織壁掛けに目をやる。角灯の光に照らし出されたそれは、昼間に見るときや明け方に見るものとまた違う。特殊な染色剤が使われているのか、暗がりで見ると背景の青い空の部分が淡く光って感じられるのだ。
(店で見たどの柄よりも、この綴れ織壁掛けの絵の方が素敵に感じられるよなぁ……)
キースの店でも綴れ織壁掛けは多数扱っている。同じプシュケを題材としながら大きさも意匠も千差万別であり、それを興味深く思っていたサンドラだったが、そのいずれの作品よりも、この部屋に置かれた蒼い翅の乙女の綴れ織壁掛けに心を動かされた。
(気に入っているからこそ、店には出さないで飾っているのかしら?)
そんなことを思いながら、サンドラは表紙をめくる。その途端、中から紙がひらりと落ちた。
「わわっ?!」
使い込まれた本だ。頁が抜け落ちたのではないかと驚き、本を閉じるとサンドラは慌てて拾い上げる。
(……ん?)
拾った一枚の紙切れは、しかし、本の紙とは肌触りが違った。サンドラは薄暗い室内で紙切れを凝視する。
(……手紙?)
挟まっていたその紙切れに、いつの間にかサンドラは引き付けられていた。
(――あれからちっとも思い出せないなぁ)
窓際で外を眺めていたサンドラはため息をつく。
(仕事も慣れてきたし、キースさんと一緒にいるのは楽しいけど、いつまでもそういうわけにもいかないし……)
キースの作る美味しい夕食をいっぱい食べたせいか少し眠い。サンドラは寝台に横たわる。
(あたしの家族、心配してるだろうな。半月も行方不明なんだし、そろそろ何か連絡があってもいいんじゃないかと思うんだけど)
ついこの前のことになるが、キースは買い物帰りに町役場に寄り、記憶喪失の少女を保護していると報告してくれたそうだ。彼も彼なりにサンドラの身を案じてくれているということだろう。
(とにかく、キースさんに迷惑がられないうちにちゃんと思い出さなくちゃ。ずっと一緒にいられるわけがないんだし――)
そう考えた瞬間、心の奥が軋むのを感じる。サンドラは胸に手を当てた。動悸がする。
(このまま思い出さなかったら……どうなるんだろう……)
ずっとそばに置いてくれるだろうか。
ふと湧いた疑問。サンドラは頭を激しく横に振り、枕に顔を埋める。
(ありえない。あたしは彼の寂しさに付け込んで上がりこんでいるだけなんだもの。キースさんは、あたしのことなんてそんなふうに思っちゃくれないわ)
否定。そして、サンドラの脳裏に店で働き始めた初日のことが過ぎる。
――お仕置きです。しばらくじっとしてなさい。
彼の声とは思えない棘があるが優しい響き。倒れたまま抱き締められたあの感覚は脳裏に焼き付いている。突然でなんの構えもしていなかったことと、彼らしからぬ雰囲気の所為で記憶にこびりついているのだとばかり思っていたが、果たしてそれだけだろうか。
(……あれは単なる気まぐれ。あたしを落ち着かせるためにそうしただけ)
以降、キースはサンドラに触れてはいない。あれほど密着したのはその日だけだ。
うつ伏せになっていたからだろう。服に染み付いた塗料や香の匂い、耳に残る鼓動、温かな体温――あのときのことが鮮明に思い出される。
(や、やだっ、あたしったらっ!)
全身がのぼせ上がり、サンドラはがばっと起き上がる。自分の鼓動が聞こえてきそうなくらいドキドキしている。
(な、なに意識しちゃってるのよ)
当てた手のひらから頬の熱さが伝わってくる。
(キースさんはいい人だけど、あたしが困っているのを放っておけなくて面倒を見てくれているだけ。役場に聞きに行ってくれたのも、あたしを助けようとしてくれたからでしょ。勘違いにもほどがあるわ。何も持たないあたしなんか、彼のそばにいる資格すらないんだから)
何度も何度も強く言い聞かせる。しかし、そのはずなのに想いは消えない。募るばかりだ。
(あぁっ、もうっ。目が冴えてきちゃったじゃない)
サンドラは寝台から下りて、木製の本棚の前に移動する。眠れないときは読書が一番だ。角灯の明かりだけでは少々薄暗いが、読めないわけではない。気持ちが落ち着くまで、いや、気が紛れて眠くなるまで本を読んでいよう、サンドラは並ぶ背表紙の一つ一つに視線を走らせる。
(どの辺まで読んだっけな……)
部屋に置かれていた本はプシュケの伝承にまつわる物語だったり、綴れ織壁掛けの技法や意匠についての学術書であったりした。キースが仕事のために学んだ本なのだろう。
(よし、今日はこの本にしよう)
サンドラは本棚の一番端にあった銅色の本を手に取る。題名の部分には『プシュケの意匠に込められた想い』と書かれている。今まで手に取った本の中でも古いものなのだろう。表紙の端が傷んでいるのに気がついた。
(想い、か……)
ふと、部屋に掛けられている綴れ織壁掛けに目をやる。角灯の光に照らし出されたそれは、昼間に見るときや明け方に見るものとまた違う。特殊な染色剤が使われているのか、暗がりで見ると背景の青い空の部分が淡く光って感じられるのだ。
(店で見たどの柄よりも、この綴れ織壁掛けの絵の方が素敵に感じられるよなぁ……)
キースの店でも綴れ織壁掛けは多数扱っている。同じプシュケを題材としながら大きさも意匠も千差万別であり、それを興味深く思っていたサンドラだったが、そのいずれの作品よりも、この部屋に置かれた蒼い翅の乙女の綴れ織壁掛けに心を動かされた。
(気に入っているからこそ、店には出さないで飾っているのかしら?)
そんなことを思いながら、サンドラは表紙をめくる。その途端、中から紙がひらりと落ちた。
「わわっ?!」
使い込まれた本だ。頁が抜け落ちたのではないかと驚き、本を閉じるとサンドラは慌てて拾い上げる。
(……ん?)
拾った一枚の紙切れは、しかし、本の紙とは肌触りが違った。サンドラは薄暗い室内で紙切れを凝視する。
(……手紙?)
挟まっていたその紙切れに、いつの間にかサンドラは引き付けられていた。
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