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蒼き翅の乙女
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しおりを挟む夕暮れで赤く染まる町並みを横手に、サンドラは左の薬指にはめられた指輪を見ながらグレイスワーズ商店に向けて歩いていた。
(ふふっ……幸せだなぁ)
褒美としてキースからねだった物は指輪だった。木製で、蝶の模様が彫り込まれたものだ。右手の薬指に合わせて見繕ったものを、サンドラはわざと左手にはめていた。
「とても満足そうですね……」
少し呆れ気味にキースが言う。サンドラの弾む足取りを見ての台詞だ。
「だって、とっても嬉しいんですもの。おそろいですよ、おそろい」
その指輪をつけていたのはサンドラだけではなかった。その指輪を購入する際にサンドラは自分の稼ぎで同じ物が欲しいとねだり、キースの左手の薬指に合う同じ指輪を手に入れたのだ。
「まったく……あなたが何を考えているのかわからない」
「嫌ですか? でも、今だけでいいんですから。ね? 約束してくれたでしょ?」
店に着くまでは指輪をしていて欲しいとのサンドラの願いに根負けして、キースはしぶしぶ指輪をはめてくれている。
「せめて右手にして欲しかったですけどね」
「あたしと夫婦ごっこするのは嫌だってことですか?」
小さく膨れた顔をキースに向ける。彼はあからさまに困った顔をした。
「嫌というものとは違うのですが……」
(キースさんは、あたしのこと、好きじゃないのかな……。やっぱり、寂しさを紛らわすためだけにあたしのこと……)
「いーです、いーですよっ! 今だけ、限定でっ! それで満足することにしますから!」
不機嫌に足を鳴らして、サンドラはグレイスワーズ商店に続く坂道を先行してとことこと歩く。手を繋ぐ気にもなれなかった。
「サンドラさん」
「今さらご機嫌を取ろうとしても遅いですよーっだ」
声をかけてきたキースに、サンドラは見向きもせずにすたすたと前を歩く。やがて人通りも減ってきて、いよいよ居住地域に入ろうかというところでサンドラは頭痛を覚えた。
(ここ……)
薄暗くなった通り。二股に分かれたその場所。家も街灯もなくここは林ばかりだ。上に続く道はグレイスワーズ商店のある住宅街へと抜ける道、下に続く道は丘を回るように抜ける林道だ。
サンドラは痛む頭を押さえて立ち止まる。
(見覚えがある……)
その記憶は、今日の昼間のものではない。この薄暗さと共に何かが引っかかっている。
「どうかしましたか?」
キースが追いついたらしい。立ち止まったサンドラの様子を窺いながら問い掛けた。
「あたし……この場所を知ってる……」
「昼間も通りましたからね。左がグレイスワーズ商店ですよ。右が――」
「丘を回るように続いていて、その先は行き止まり、ですよね?」
台詞を遮られて続けられたその答えに、キースが驚きで目をわずかに大きく開く。
「この道を、ご存知で?」
「だって……あたしはここを毎日――」
断片的な映像。目まぐるしく切り替わる記憶の欠片。情報がサンドラの中に流れてくる。
「痛い……」
あまりの頭痛に、サンドラはその場に身をかがめる。キースは慌てて彼女を抱えると、通りの脇へと移動する。
「だ、大丈夫ですか?」
「あぁっ!!」
何度も何度もこの通りを行き来していた記憶。
日中は両手にたくさんの織物を提げて。それはお仕事で、雇い主に命じられて。自分や仲間たちで作った綴れ織壁掛けを商店に届けるために。
夜は自分の荷物や食料を抱えて。この道を毎晩のように通っていたのは、その商店の主人に会うため。焦げ茶色の短髪、紺碧の瞳、日焼けした肌、塗料と香の混じる匂いの彼に。
(そうか……あたしが……)
痛みが増してくる。思い出したくはない、でも思い出さねばならない忌まわしき記憶。
その夜は新月で、星の明かりがまぶしい晩だった。彼の誕生日のお祝いに作っていた蒼き翅の乙女の綴れ織壁掛けの最終作業に手間取ってしまい、いつもよりも遅くにこの道を通ったときのことだ。
誕生日に間に合った綴れ織壁掛けを抱えてこの坂道を駆けていたときに、見知らぬ男たちに声をかけられた。林の手前、二股に分かれるこの場所。町役場への行き方を訊ねられ、道を教えた。そこまで連れて行って欲しいと言われたが、急ぎの用事があるからと丁寧に断った。彼と約束した時間はとうに過ぎている。早く行かねば、彼が心配していることだろう。
だが、男たちは引かない。頭を下げて足早に去ろうとしたところで、男の一人が刃物を取り出した。恐くなって走った。暗がりをがむしゃらに。そして――。
「……ごめんなさい、キース。あたし……あなたの誕生日を祝うことができなかった……」
「サンドラさん……!? ……サンドラっ?」
サンドラの瞳から涙がこぼれる。次から次へと、それは止まることを知らない。
「あたしが……サンドラだったんですね……」
「サンドラ、記憶が……っ」
「どうせなら、あなたとの幸せな記憶だけ戻ってきてくれたら良かったのに……どうして、あんなことに……」
両手で顔を覆うサンドラを、キースはぎゅっと抱き締めて頭を撫でる。
「嫌なことは忘れてしまえばいい。無理に思い出すことはないよ」
(あぁ……だから彼は記憶が戻らなくてもと……なのにあたしは……)
涙が溢れて仕方がない。視界の端に映る空にはまん丸の月が浮かぶ。
「神様は、残酷なことをしてくれるな……どうせなら、最後まで忘れさせてくれていたら良かったのに」
「最後……あぁ、お迎えが来てしまったのね」
サンドラが視線を動かして示すと、薄暗かったはずの周辺が明るく照らされている。たくさんの光の蝶が周囲に集まっているのだ。
最後の時が刻々と近付いていた。永遠の別れとなる、その瞬間が――。
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