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惹かれ合う魂
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しおりを挟むいつもならそこにいるはずの彼は、今日に限っていなかった。
町役場で訊ねれば、グレイスワーズ商店に向かったはずだ、会わなかったのかと逆に聞かれてしまう。キースはそれを聞いてすぐに店に向かった。
(あいつ、僕が墓参りに行くことをわかっていて店に行きやがったな……一体何をたくらんでいる?)
アルベルトは特別な用事があるときしかグレイスワーズ商店には顔を出さない。しかも、そうするときは人気の少ない時間を見計らって、である。それなのに、一番客が出入する昼下がりの時間に店に向かった理由には別の思惑があると考えてほぼ間違いない。
(とにかく、ちゃんと聞かないと――)
店が見えてきた。汗が頬を伝う。それを軽く拭って店の扉を開けた。カランカランと鐘が鳴る。
そして、キースの目に驚くべき光景が映った。
押さえつけられたサンドラが、アルベルトに唇を奪われていた。
「――アルベルト、お前、なにしてるっ!?」
怒鳴り声が店内に響き、彼女の見開かれた胡桃色の瞳とキースの目が合った。アルベルトの長い髪の間から覗かせた瞳に悲しげな色を滲ませ、その場に彼女は崩れる。
「あらら。早いお帰りだったんですね、キース君」
おどけた調子で告げてアルベルトは顔を向ける。顔には相手をおちょくるような色が浮かんでいたが、それが自身の動揺を隠すための仮面であるとキースは見抜いていた。しかし、冷静にそう分析している自分を持ちながらも、アルベルトに対する怒りが収まらない。
「お前……よく僕にそんな態度を取れるな」
足音に怒気が含まれてる。強く踏み出される一歩は、足元に転がる商品を無視して突き進む。
「殴るつもりかな? キース君。領主の息子たる俺を、寂れた店の商人が殴れるものかい? 冷静に考えるべきじゃないかな?」
挑発。しかしこれも演技だとわかってしまう自分を、キースは呪ってやりたくなる。彼が親友だと言ってくれることの意味にこんなときに気付かされて、とても苦しい。
(なんでお前は、そんな演技をする? 何の意図があってそんなことをするんだ? アルベルト……)
唇をきゅっと噛み締めて、キースはアルベルトの上着の襟をぐっと掴み、持ち上げる。
「殴れば、処分されるぞ? ここで店を開いていられなくなるがいいのかな?」
「――お前が黙っていれば、なんら問題ないだろう?」
思いを隠すために告げたその声は、自分の声ではないみたいに低かった。そして、次の瞬間、キースはアルベルトの頬を殴った。
(それはサンドラを傷つけた代償だ)
アルベルトは吹き飛ばされ、商品が転がり落ちた床に突っ伏した。そしてゆっくりと立ち上がる。
「ず……ずいぶんと熱を上げているようじゃないか、キース君」
殴られた左頬に手を添えている。かなり痛かったはずだ。だのに、アルベルトの瞳には殴られたことに対する怒りや恨みの色はなく、それでよかったのだと褒めるかのような不思議な感情が映っていた。黙り続けるキースに、アルベルトは続ける。
「だが、いつまでもこの状態が続くと思うな。俺が間に入らなくても、いつかは壊れるもろいものだ」
続いて、アルベルトは床に座り込んだサンドラに目を向けた。
「サンドラ。死んだ昔の恋人のことが知りたければ町役場に来いよ。説明してやるぜ」
「うせろ、アルベルト。この店に顔を出すな」
見ていられなかった。キースはアルベルトから視線を外すと、いつになく低い声で告げる。
「へいへい。もう帰りますよ」
アルベルトは頬をさすりながらキースを一瞥し、サンドラの返事を聞かずに店を出た。甲高い鐘の音が店内をこだまする。
「――大丈夫ですか? サンドラさん」
キースはサンドラに駆け寄り、しゃがんで視線を合わせようとする。しかし、彼女は顔を向けてくれない。悔しそうに唇を噛み、やがて開いた。
「す、すみませんでした……あたしがどんくさいばかりに……店番もまともにできなくって……」
涙で声がかすれている。
「サンドラさんのせいではありませんよ。元はといえば、僕が店番を頼んだのが原因で――」
「留守番なら、今までも何度もしたことがあります……キースさんは……悪くない」
アルベルトの行動を予想できなかった自分を恨みながら慰めようとしたのを、サンドラは割り込んでまで否定してきた。彼女のつらさが伝わってくる。だのに適当な言葉が、気の効いた台詞が、全く浮かばない。
「サンドラさん……」
彼女を泣かせてしまったことが胸の奥をきりきりと痛ませる。見たくない泣き顔をさせてしまう自分を心底呪いたくなる。
「ごめんなさい……あたしの心配なんかさせてしまって……ゆっくり、サンドラさんとお話がしたかったでしょうに……」
予想外の台詞。
「!? 何言って――」
頭を殴られたかのような衝撃。その一瞬のキースの戸惑いが、彼女を抱き締めるにいたれなかった。
「すみません……やっぱりあたし、部屋で休みます。迷惑かけてばかりで、本当にすみません……」
伸ばされたキースの手はむなしく虚空を掴む。サンドラは自分の部屋に駆けていってしまった。その小さな背中を見送ってしまったことを、キースは再び悔やむ。
(どうして……)
慰めたい気持ちはあるのに行動できない。どうしたらいいのかわからない。
途方にくれた表情で部屋の奥を見つめていたキースの耳に、扉に取り付けられた鐘の音が聞こえてきた。
「――アルベルト。もう一発殴られに来たのか?」
自分のものとは思えないぞっとする声。店の中に入ってきたのはアルベルトだった。
「それで君の気が済むなら、おとなしく殴られてやるよ」
「それで僕の気が晴れると、本気で思っているのか?」
キースは扉の方は見ずに淡々と告げる。
「――サンドラの唇を奪ったことは謝るよ。君が大事にしていたものを壊したのは事実だ。弁解の余地がない」
「あぁ、それは許すことが絶対にできそうにない」
心の底から詫びていることがわかる。おそらく、アルベルトもそこまでするつもりはなかったのだろう。不運な事故だったに違いない。そう感じているのに、キースの口からは思いとは別の言葉かついて出る。
「だが、お前は僕に黙っていることが他にもあるんじゃないか?」
「……何のことだ?」
微妙な間。それだけで、キースには自身に思い当たる節があるのだと直感した。しかし、それを問い質すだけの勇気が出ない。
「――もう帰れ、アルベルト。お前とは話をしたくない」
聞きたいことはたくさんある。おそらく自分が知りたいと思っていることはすべて彼が答えられるものばかりだろう。それでも、しばらくは口をききたくなかった。顔を合わせたらまた殴ってしまいそうで、自分を抑え込む自信がキースにはなかった。
「……そうだな。そうさせてもらうよ」
アルベルトは店を出ようと扉に手を置き、そこで立ち止まる。不自然な行動。キースは耳だけを彼に向けた。
「――君にその気があるのなら、町役場に来ると良い。サンドラを連れて。きっと、君が手に入れたい真相を俺の顔を見ずに手に入れることができる」
独り言を呟くように言うと、アルベルトは出て行ってしまう。
(やっぱり、そうなのか……)
噴水のある広場に響くアルベルトの歌声を思い出す。彼の奏でる旋律はこの町に古くから伝わるもの。彼が紡ぐ歌はこの町に残る伝承――つまり、プシュケの物語。
キースはその場で膝を抱えて気持ちが落ち着くのをひたすら待った。
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