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Misty Rain
《5》
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と、ドアが急に開いた。俺は扉の方を向く。
「邪魔をするつもりはなかったんだが、良いかな?」
ドクターが顔を覗かせて立っていた。片手にコーヒーカップを持っている。
「あぁ。そろそろ出ようと思っていたところですから」
彼女の頭を撫でて「また来るよ」と別れを告げるとドアを出た。
出入口は俺が出るとすぐに閉まり、来た階段とは別の階段を上る。その途中に彼の部屋があった。ドアを開けるとおやつの準備が整っていた。六畳ほどの空間の半分は学術書やファイルが散らかっていて、残りの半分は不思議と片付いていた。その空間の中央にテーブルが置かれそこにティーカップが二つ、コーヒーを入れた状態でスタンバイしている。お皿が出ていて、そこにはクッキーが置いてあった。俺の好みをよく分かっている。シュガーポットの辺りとか。
「何の話ですか?」
いつもの定位置に着くと話を振る。これがお決まりのスタイルだ。
「いやぁ、ね、今日、君を呼んだのは魔法陣の色が急に変わったからだ。彼女の発作と同時に今までとは違う光を発したのだ。すぐに消えたがね。彼女の発作も普段のと大差ないから気にすることはないと思ったんだが、教えておくべきかと。イヲリ君に魔法陣の光の説明も受けていて、引っ掛かりを覚えた」
彼はコーヒーに何も入れずに一口啜った。眼鏡が湯気で少し曇る。俺は砂糖を多めに入れて飲む。苦みと甘さのこの加減は自分でしか作れないと思っている。
それは兎に角、彼が用心のためとはいえ呼び出すのはめずらしいことだ。イヲリの説明というのも気になる。
「何が引っ掛かるんです?」
クッキーを一枚もらう。ちなみに俺はかなりの甘党だ。
「あの魔法陣の特性として、色の変化は外部からの干渉を受けたときに現れるらしい。同じ様なタイプの能力遣いじゃないと容易に干渉なんてできないこと前提だけどね。今まで光の強弱はあれど、顕著な色の変化は初めてで」
「今は淡いナトリウムオレンジですよね? あれが何色に?」
「紫だったな。青っぽい紫」
俺はその言葉に息を呑んだ。青紫の炎が思い出される。見たことのある恐怖の色だ。
「どうした?」
彼に声を掛けられるまで、手が震えてカップががちゃがちゃと言っていたことに気付かなかった。
「顔色が悪いぞ。カウンセリングは続けているのか?」
彼は自分のカップを置いて俺の顔を覗き込む。冷や汗が流れていた。
「えぇ……それはもちろん」
俺は嘘をついた。
カウンセリングは初日に行ったきりで通っていない。このことを他人に話すなんてできなかったのだ。だから目の前にいるドクターにさえ事件の全貌は伝えていない。任務にしくじって彼女に怪我をさせてしまったとしか言っていないのだ。
「じゃあ何故回復しない? ハルさんとはうまくやっているのか? 彼女になんとかしてもらえないのかね」
彼が言っているのは、ハルの能力である記憶操作のことだ。彼女の力を持ってすればこんな記憶など簡単に葬り去ることができる。そうしないのはミヤコを忘れたくないからだ。彼女のことを俺が忘れてしまったら、一体誰が彼女を護るというのだろう。俺以外に誰が……。
「彼女に迷惑はかけられません」
「どっちが迷惑かな? このまま心の傷を放置していると、いつかそこをつついてくる敵がいるかも知れないぞ」
ぽんと肩に手を載せて彼は言う。俺はその台詞にどきりとした。宿敵、アキルの最後の笑みを思い出す。
あいつは死んではいない。そんなタマではないのだ。
俺をいたぶることを楽しむあいつ、あの存在を野放しにしている今は気を抜けない。
「そうですね……。忠告ありがとうございます」
「君の特殊能力や身体能力は優れているよ。でも、過信してはいけない。護るべきものが君にはあるんだ。その存在を忘れるな」
ドクターは真っ直ぐ俺を見て釘をさすと、定位置に戻りコーヒーを飲み干した。彼は甘いものが苦手で、こうしてお菓子を用意してくれるのは俺ができるだけリラックスできるようにとの配慮らしい。
「俺が背負うには大きすぎる気がします」
「一人で背負う必要はないさ。イヲリ君もカヅミ君も、ハルさんも、そして僕も、君に協力するよ。今も、これからも」
軽くウインクする。こういうお茶目なところが憎めない良いキャラなのだ。
「そうですね……」
俺は一人じゃない。いろいろな人間に支えられてやっと一人前の存在だ。そして、誰かを支えてもいるのだろう。だから、存在できる。
「なんかしんみりしてきたなぁ。何か明るい話題ってない?」
話題を変えようと提案されるが、少し考えても何もない。
「これと言ってないですね」
「生活の変化は?」
「うーん……」
あると言えばある。
ユウという新しい家族が増えたこと。しかし彼を紹介するには、まだ踏まねばならない手順がある。一足飛びにとはいかないのだ。ルールがある以上。
「じゃあ仕事は?」
「俺がこうだから特には」
肩を竦めて答える。気持ちが落ち着いてきた。俺は話を振る。
「それより、ドクターはどうなんです? こんな部屋に閉じこもったままでしょう?」
「うーん。そうだね。白さに磨きがかかったね。このコスチュームは定番だから良いとして、肌が白く抜けていくのは面白いものだ。白色個体に近付くかな?」
おどけて答える。
注として加えて置くが、彼はごく普通の人間だ。『観賞少年』サイドの人間ではあるが一般人だ。しかし目立つプラチナブロンドは染めたものではなく生まれつきで、隔世遺伝らしい。こういった研究にも彼は長けている。本当の専門は薬物だ。
「それも研究の一環ですか?」
冗談を返す。彼は笑った。
「面白いね。ついでにやろうかな?」
くすくすと笑い合う。彼は穏やかな表情になった。
「アキラ君。君はもう少し気晴らしをした方がいいよ。雨の街に縛られる必要はないんだからさ」
「それは、俺が人間の証明書を持っているからですか?」
彼は慌てて首を横に振った。
「そんなつもりで言ったんじゃないよ。ただ、過去を気にしすぎている様子があるから、思い出さない遠い場所に移った方がいいんじゃないかってそう言う話で」
「冗談ですよ」
ドクターが本気で焦っていたので俺はすごく可笑しかった。思っていた以上の反応だったからだ。
「あぁびっくりした」
大袈裟に言うとパソコンに目を向けた。壁に掛けてあるディスプレーに小さくメールの表示がある。
「おや、メールのようだ。鑑定の依頼かな?」
俺はそれに合わせてコーヒーを飲み干す。
「じゃあ俺はこの辺で失礼します。魔法陣の話、イヲリには通っているんですか?」
「あぁ。暗号化してメールで送っておいた。そのうち集まって話すとしよう」
すまないね、と言う表情をする。俺は身支度を整えた。
「そうですね。ではまた何かあったら連絡ください。すぐに伺います」
軽くお辞儀をする。
「また君の愛を確かめさせてもらうよ」
茶化してドクターは言う。
俺は手を振る彼を見ながら部屋を出て、来た道をそのまま辿っていった。
「邪魔をするつもりはなかったんだが、良いかな?」
ドクターが顔を覗かせて立っていた。片手にコーヒーカップを持っている。
「あぁ。そろそろ出ようと思っていたところですから」
彼女の頭を撫でて「また来るよ」と別れを告げるとドアを出た。
出入口は俺が出るとすぐに閉まり、来た階段とは別の階段を上る。その途中に彼の部屋があった。ドアを開けるとおやつの準備が整っていた。六畳ほどの空間の半分は学術書やファイルが散らかっていて、残りの半分は不思議と片付いていた。その空間の中央にテーブルが置かれそこにティーカップが二つ、コーヒーを入れた状態でスタンバイしている。お皿が出ていて、そこにはクッキーが置いてあった。俺の好みをよく分かっている。シュガーポットの辺りとか。
「何の話ですか?」
いつもの定位置に着くと話を振る。これがお決まりのスタイルだ。
「いやぁ、ね、今日、君を呼んだのは魔法陣の色が急に変わったからだ。彼女の発作と同時に今までとは違う光を発したのだ。すぐに消えたがね。彼女の発作も普段のと大差ないから気にすることはないと思ったんだが、教えておくべきかと。イヲリ君に魔法陣の光の説明も受けていて、引っ掛かりを覚えた」
彼はコーヒーに何も入れずに一口啜った。眼鏡が湯気で少し曇る。俺は砂糖を多めに入れて飲む。苦みと甘さのこの加減は自分でしか作れないと思っている。
それは兎に角、彼が用心のためとはいえ呼び出すのはめずらしいことだ。イヲリの説明というのも気になる。
「何が引っ掛かるんです?」
クッキーを一枚もらう。ちなみに俺はかなりの甘党だ。
「あの魔法陣の特性として、色の変化は外部からの干渉を受けたときに現れるらしい。同じ様なタイプの能力遣いじゃないと容易に干渉なんてできないこと前提だけどね。今まで光の強弱はあれど、顕著な色の変化は初めてで」
「今は淡いナトリウムオレンジですよね? あれが何色に?」
「紫だったな。青っぽい紫」
俺はその言葉に息を呑んだ。青紫の炎が思い出される。見たことのある恐怖の色だ。
「どうした?」
彼に声を掛けられるまで、手が震えてカップががちゃがちゃと言っていたことに気付かなかった。
「顔色が悪いぞ。カウンセリングは続けているのか?」
彼は自分のカップを置いて俺の顔を覗き込む。冷や汗が流れていた。
「えぇ……それはもちろん」
俺は嘘をついた。
カウンセリングは初日に行ったきりで通っていない。このことを他人に話すなんてできなかったのだ。だから目の前にいるドクターにさえ事件の全貌は伝えていない。任務にしくじって彼女に怪我をさせてしまったとしか言っていないのだ。
「じゃあ何故回復しない? ハルさんとはうまくやっているのか? 彼女になんとかしてもらえないのかね」
彼が言っているのは、ハルの能力である記憶操作のことだ。彼女の力を持ってすればこんな記憶など簡単に葬り去ることができる。そうしないのはミヤコを忘れたくないからだ。彼女のことを俺が忘れてしまったら、一体誰が彼女を護るというのだろう。俺以外に誰が……。
「彼女に迷惑はかけられません」
「どっちが迷惑かな? このまま心の傷を放置していると、いつかそこをつついてくる敵がいるかも知れないぞ」
ぽんと肩に手を載せて彼は言う。俺はその台詞にどきりとした。宿敵、アキルの最後の笑みを思い出す。
あいつは死んではいない。そんなタマではないのだ。
俺をいたぶることを楽しむあいつ、あの存在を野放しにしている今は気を抜けない。
「そうですね……。忠告ありがとうございます」
「君の特殊能力や身体能力は優れているよ。でも、過信してはいけない。護るべきものが君にはあるんだ。その存在を忘れるな」
ドクターは真っ直ぐ俺を見て釘をさすと、定位置に戻りコーヒーを飲み干した。彼は甘いものが苦手で、こうしてお菓子を用意してくれるのは俺ができるだけリラックスできるようにとの配慮らしい。
「俺が背負うには大きすぎる気がします」
「一人で背負う必要はないさ。イヲリ君もカヅミ君も、ハルさんも、そして僕も、君に協力するよ。今も、これからも」
軽くウインクする。こういうお茶目なところが憎めない良いキャラなのだ。
「そうですね……」
俺は一人じゃない。いろいろな人間に支えられてやっと一人前の存在だ。そして、誰かを支えてもいるのだろう。だから、存在できる。
「なんかしんみりしてきたなぁ。何か明るい話題ってない?」
話題を変えようと提案されるが、少し考えても何もない。
「これと言ってないですね」
「生活の変化は?」
「うーん……」
あると言えばある。
ユウという新しい家族が増えたこと。しかし彼を紹介するには、まだ踏まねばならない手順がある。一足飛びにとはいかないのだ。ルールがある以上。
「じゃあ仕事は?」
「俺がこうだから特には」
肩を竦めて答える。気持ちが落ち着いてきた。俺は話を振る。
「それより、ドクターはどうなんです? こんな部屋に閉じこもったままでしょう?」
「うーん。そうだね。白さに磨きがかかったね。このコスチュームは定番だから良いとして、肌が白く抜けていくのは面白いものだ。白色個体に近付くかな?」
おどけて答える。
注として加えて置くが、彼はごく普通の人間だ。『観賞少年』サイドの人間ではあるが一般人だ。しかし目立つプラチナブロンドは染めたものではなく生まれつきで、隔世遺伝らしい。こういった研究にも彼は長けている。本当の専門は薬物だ。
「それも研究の一環ですか?」
冗談を返す。彼は笑った。
「面白いね。ついでにやろうかな?」
くすくすと笑い合う。彼は穏やかな表情になった。
「アキラ君。君はもう少し気晴らしをした方がいいよ。雨の街に縛られる必要はないんだからさ」
「それは、俺が人間の証明書を持っているからですか?」
彼は慌てて首を横に振った。
「そんなつもりで言ったんじゃないよ。ただ、過去を気にしすぎている様子があるから、思い出さない遠い場所に移った方がいいんじゃないかってそう言う話で」
「冗談ですよ」
ドクターが本気で焦っていたので俺はすごく可笑しかった。思っていた以上の反応だったからだ。
「あぁびっくりした」
大袈裟に言うとパソコンに目を向けた。壁に掛けてあるディスプレーに小さくメールの表示がある。
「おや、メールのようだ。鑑定の依頼かな?」
俺はそれに合わせてコーヒーを飲み干す。
「じゃあ俺はこの辺で失礼します。魔法陣の話、イヲリには通っているんですか?」
「あぁ。暗号化してメールで送っておいた。そのうち集まって話すとしよう」
すまないね、と言う表情をする。俺は身支度を整えた。
「そうですね。ではまた何かあったら連絡ください。すぐに伺います」
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