観賞少年

一花カナウ

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Misty Rain

《4》

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 外は霧雨だった。傘をさしていても意味がない様子だったので、閉じたまま俺は病院に急いだ。タクシーを拾って向かっても良かったが、抜け道を知っていたのでそちらが早いと判断した。
 公園を突っ切り、フェンスを軽く飛び越える。そこはもう病院の裏手だ。
 病院の裏手に回った理由は、たんにそっちが家から近いからというわけではない。俺の用事は正面玄関からでは済ますことができないからだ。
 裏口まで歩いて行き、携帯しているカードキーを通す。ドアのロックがはずれ、すっと開いた。開いている時間はごくわずかで、一人しか通さない。中に入るとすぐにドアは閉まり、廊下の電灯が静かに点いた。
 行くべき場所は一ヶ所だけだ。もう道順は把握している。たとえ失明したとしても、その場所に辿り着く自信はあった。
 早足で内部を進む。この廊下には窓は一切ない。それどころか地下に向かってやや傾斜している。しばらく行ったところで道は行き止まりになっているが、それはトラップだ。その手前の壁に細工が施してあって、そこである動作をすると道が開けるようになっている。ここで詳しいことは説明しないが、開けた道は地下に繋がっていた。
 薄暗い地下にのびる階段はナトリウムランプに照らされて、オレンジ色の独特の光の中にある。階段のスペースに入ると、これまた丁寧に入り口は閉まった。それを気にすることなく、俺は地下に進む。
 地下二階ぐらいの深度まで来ると、急に視界が開けた。八畳ほどのスペースに、入口が一つと別の方向に上っていく階段が見える。その入口の前に男が立っていた。よく知っている人物だ。

「早かったね」

 白衣を纏った男はにこやかに言った。
 長いプラチナブロンドの髪を三つ編みにしているところが目立っている。大きめのレンズが入った眼鏡もこの病院内では目立つこと受け合いだ。しかし彼はこの病院の職員ではない。

「ドクター、わかっていてその言い方はないんじゃないですか?」

 苦笑いをして俺は答える。彼は医者であり、科学者だ。俺が最も信頼する、ミヤコの主治医。昔の仕事経由で知り合いになった人物である。いわば、裏専門の医者だ。

「君の愛は純粋で良いね。こっちが照れるよ」

 始終にこやかな男。いつものことだ。

「社交辞令は結構です。彼女は今どうしているんです?」

 冷静を装っているものの、鼓動が早くなっているのはどうにもコントロールできない。生きている証だが、どうにかならないものか。

「なんとか落ち着いてきているよ。一時はどうなるかと思ったけどね。対面していくだろう?」

 ドアの隣についているキーボードにパスワードを入力する。この施設のセキュリティーは並みのものではなかった。こうしたこと専用の施設なのだ、ここは。

「もちろんです」

 ドアが静かに開く。俺は促されるままに中に入った。中はほぼ真っ暗だ。床に描かれた模様が蛍光塗料で光っている。幾何学模様は魔法陣だ。友人のイヲリに頼んで描いてもらったもので、この中にいる人間の気配を消す作用を持つ。この魔法陣の中央にベッドが置かれ、そこに静かに横たわる女性がいる。左腕に点滴がついている他は眠っているようにしか見えない。女性は顔色も良く、程良く赤みを帯びている。色素の薄い髪は肩より少し長く、緩やかにウエーブがかかっている。細い肢体に豊かな胸、くびれたウエストの先にはしっかりとした腰がある。その身体のラインは薄いシーツに隠れることなく、くっきりと曲線を描いている。
 眠れる森の美女、本当にいたのだとしたらこんな感じだったのではなかろうか。

「じゃ、僕は下がっていることにしよう。あとは自由にしてくれたまえ。何か異変があれば呼ぶんだな」

 彼はそう言って部屋を出てドアを閉めた。これもいつものことだ。

「ミヤコ」

 彼女に声を掛ける。返事など期待していない。彼女は何も答えない。反応はない。
 目の前に横たわる女性、ミヤコはその生い立ちが政府のトップシークレットだ。
 裏社会に属する人間で、俺とはひょんなことから出会った。彼女は自分が所属していた世界から逃れるために俺を頼り、政府から追われる身となった。俺は彼女を自分の家に匿った。玄関に近い、今は鍵を掛けて封印してしまった部屋に彼女を住まわせ、ささやかながらも平和で幸せな日々を過ごした。

 そして、あの日が来た。

 政府の手ではなく、全くの別件で彼女は永い眠りにつくことになる。彼女は脳死の状態ではない。植物人間に近い状態だ。運動神経はどれも正常であり、栄養を点滴から摂取する以外は眠っているだけに等しい。傷はすべて消えたし、あとは目覚めるだけなのだが、なかなかそうはいかなかった。

「君は君の未来が見えないんだったね。俺に、目覚める日を教えて欲しいが無理なのかな?」

 手をそっと額に当てて撫でる。うんともすんとも言わない。温かい人形のようだ。

「どうして、君は目覚めないのかい?」

 こんなに俺は君がまた昔のように微笑み掛けてくれる日を待っているのに。
 頬に触れ、その柔らかさを確かめる。彼女は生きている。それだけでも喜ばなくてはいけない。それ以上を望むのは贅沢なのだろうか。
 キスをしようとして、俺は諦めた。

 フラッシュバック。

 あの日が思い出されたからだ。

「……意気地なし、か」

 ふぅっと溜息をついてその場に腰を下ろす。
 彼女には特殊能力がある。それは未来を予言する力だ。正確には、その未来が起こる条件を提示しているに過ぎない。それを知らなくても自然とやってしまう行動をいちいち説明し、これから起こることに繋げてしまうだけの能力だと俺は思っていた。――あの事件が起こる前は。

 彼女の予言には二つのパターンがある。一つはしなければいけない事柄を言うもの、もう一つはしてはいけない事柄を言うものだ。前者はどこそこで何々をしろというものであり、後者はどこそこに近付いてはいけない、というものが主だ。
 俺は彼女の予言を信じていたが、どうしてもそれを実行できなかったのだ。ある条件が行動を規制したためである。彼女はそれさえも予言し、巻き添えになってしまった。俺が彼女を巻き込むまいとしていたのも知っていた様子だった。ミヤコの予言には俺が知らない何らかの因果が働いているようだ。
 この予言を、政府が利用していたと知ったのは彼女に出会ってすぐのことで、その予言法はまだ幼かった俺にとって衝撃的なものだった。

「未来を知るってことは、絶望的なことか?」

 彼女は答えない。

「君は、この世界に帰ってこようと思わないのかい?」

 俺は立ち上がって彼女の顔をじっと見つめた。あのときから何ら変わっていない。そのままの姿。

「未来を……教えてくれ」

 意を決して唇を重ねる。その瞬間にヴィジョンが浮かぶ。
 これが予言の形態の一つ。体液を交えた相手の未来をともに見せる能力だ。キスは未来を映すには同調時間が短いらしく、すぐに映像は消えた。眠った状態でもこの能力は発動するのだから、今の無防備な彼女を政府が見つけたらいいように扱うに違いない。だから俺はこの秘密の場所に彼女を幽閉したのだ。誰からも見つけられないように、何重にもセキュリティーをかけて。

 ヴィジョンは霧雨の中の薄暗い路地だった。人間が三人ほどいて何かしている。一人はプロトタイプという『観賞少年』の前に作られたアンドロイドで、非常に身体能力が優れているが荒っぽく、現在は回収・処分されている。まれに主人の手から離れて問題を起こすものがいるので、それを取り締まる団体さえある。そんなものが何故【見えた】のかよく分からない。霧雨が降っていたから、これから近い未来で遭遇することなのだろうか。

「君のコメントはないの?」

 彼女の表情に変化はない。この状態になって、まれに変化が見られるのだが今日はないようだ。大したことではないと言うことか。
 ちなみに前回のおつとめの日に見たヴィジョンは暴風雨の中に倒れているユウの姿で、彼女はうっすらと微笑んでいたのだ。ほっとするかのような、安心するかのような優しい微笑みだった。

「そう。じゃあそんなに心配することはないってことかな?」

 彼女はやっぱり返事をしなかった。
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