ミズカガミ ノ シンエン

一花カナウ

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水鏡の深淵

燻るカラダを慰めて 2

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 空腹で目が覚めた。

「あ……」

 激しめに体を重ねたものだから、疲労で寝たのだと理解する。ここはベッドの中だ。

「龍ちゃん?」

 隣に彼の気配はない。探すために体を起こすと、ドアの方から音がした。龍司が顔を出す。彼は服を着替えたらしかった。袋をさげている。

「起きたのか」
「ついさっき」
「腹、減ってるだろ? 適当に買ってきた」

 テーブルにコンビニで買ってきただろうおにぎりが並んだ。ペットボトルの飲料が二つ置かれる。

「外で食べてもよかったが、動けないだろう?」
「ありがとう。助かるよ」

 のそっとベットから出る。全裸なのでどうしたものかと思ったら、ガウンを渡された。湯上がりに袖を通したかったが、空腹のままではシャワーも浴びられない。私はそれを着て、龍司の前に座る。

「さっきの話だが」
「うん?」
「一緒に暮らさないか?」

 ペットボトルのお茶を飲んだところで、私は龍司を見る。

「プロポーズ?」
「いや、同棲の意だ」
「詳しく」

 鮭おにぎりを開封して口に運ぶ。美味しい。
 龍司もおにぎりを手に取る。彼はいつもどおりに梅干しを選んだ。

「互いに社会人になったら、今以上に会う時間が減ると思うんだ」
「業種によるだろうけど、そうでしょうね」
「幸菜は独り立ちできるようになりたいと言ったが、実家を出て女の一人暮らしにするのは心配だ。セキュリティの面もあるし、体調を崩しても気づいてもらえなかったらと思うと気が気でない」

 龍司の案じる言葉に、私は小さく笑った。

「心配しすぎでしょ」
「兄貴も同じ意見だ」
「そんなに信用ない?」

 昇太も同じ意見だと言われると心外である。じっと龍司を見れば、彼は真面目な顔をしていた。

「幸菜は自分を過小評価している。俺たちがいなかったら、君は」
「そういう過保護なところが気になるから、家を出て実績を作りたかったんだよ」
「幸菜が傷ついてからじゃ遅い。兄貴に恨まれたくないんだ」
「む……」

 確かに、私の身に何かあったとなったら昇太は一生恨みそうだ。
 私は次のおにぎりを食べる前にお茶をひと口飲む。濃い目の緑茶は私の好みで、龍司はよく把握しているなと感心する。龍司は麦茶派なのだ。

「女性向けの物件を探して住むよりも、俺と二人暮らしの方が都合がいい」
「調べたの?」
「兄貴が、な。結婚を機に引っ越しをしただろう、ファミリータイプのマンション。そのときにいろいろ調べたから、最新情報を出すのはそんなに苦労しなかったらしい」

 昇太の話題が出て、そういえば瞳子は女性向け物件で一人暮らしをしていたのだと聞いたのを思い出した。あの二人は私と比べたら物件に詳しいのだろう。

「なるほど」
「お互いに実家暮らしだと、その、したいときはホテルに行くことになるだろう? 俺が家を出て幸菜が通うなら、もう一緒に暮らしてしまったほうがいいんじゃないか、と」

 急な思いつきで同棲しようと言い出したわけじゃないことは理解した。提案するなりに下調べは済んでいるようだ。
 だが、問題はそういうことだけではない。

「私、家事は得意じゃないよ?」
「俺がする。兄貴ほどじゃないが、料理もできる」
「整理整頓も苦手なの、知ってるよね?」
「結婚するなら、どうしたら散らからずに済むのかは検討項目だろう。同棲は大事だ」
「私はそれでいいけど、龍ちゃんは負担だと思わないの?」
「幸菜を感じられるならそれで充分だ」
「……考えさせて」

 展開が早すぎる。見落としがありそうで、私は返事を先延ばしにした。
 私が前向きに検討する気配を出したからか、龍司はやわらかく笑った。

「構わない。幸菜が慎重になるのはわかる」
「即決を求められなくて安心したよ。疲れさせたところで畳み掛けるのって、もう洗脳じゃん」
「うんと言ってくれればいいのではあるが、な」

 龍司はもう一つ梅干しのおにぎりを口に運ぶ。
 彼が梅干しを選ぶのは、小さかった頃に傷んだおにぎりにあたって散々な目に遭ったことがあるからだ。以降、龍司は警戒して梅干しを選ぶ。

「いろいろ考えてくれていたんだね、私のために。忙しいんでしょ?」
「研究ばかりに意識を向けていたら、周りが見えなくなる。ときどきは自分のいる場所を確認しないといけないと思ってな。研究をすることだけが俺のしたいことじゃない。俺が俺らしく生きるために必要なことは見失ってはいけない」

 そう告げて、龍司は私に微笑んだ。

「恩着せがましく、幸菜のために動いただなんて言わないさ。俺は俺がそうしたいから、そのように動いた。それだけだ」
「やっぱりすごいよ、龍ちゃんは」

 龍司のことを恋人だと思っているはずなのに、将来のことなんて大して考えていなかった。独り立ちしたい思いだけ強くても、行動が伴わなければ意味がない。
 そこがやはり、私と彼らとの大きな違いで隔たりなのだろう。追いつきたい一心で追いかけた高校時代までの私たちとは違うのだ。

「すごいだろうか」
「龍ちゃんは私の自慢だよ」

 私にはもったいないくらい、私にとって都合の良い男だ。だからこそ、不安になる。龍司にとって、私はなんなのだろう。抱ければいい相手というだけではなさそうなので、そこはなんとなくこそばゆい気持ちになるのだけど。

「幸菜だって、自慢の恋人だ」
「ふふ、ありがと」

 これは私にとって、間違いなくとても幸福な時間だった。
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