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黒曜石は鋭さを増して
*9* 10月7日月曜日、放課後
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十月七日月曜日。
宝杖学院高等部はいつもの賑やかさを取り戻していた。修学旅行先から二年生が帰ってきたのだ。
放課後。美術室でクロッキー帳に石膏像のデッサンをしていると、紅の視界に音もなく見知った顔が割り込んだ。
「紅ちゃん、ただいま」
「お帰りなさい、白浪先輩」
紅は遊輝に微笑んだ。そろそろやってくる頃だろうと構えていたので、唐突に姿を現してきても落ち着いたものだ。
「いい子にして待っていてくれたかい?」
その問いに対する返事の代わりに、デッサン用の濃い鉛筆を置いて立ち上がる。
「ここで世間話をするには周りに迷惑が掛かります。ちょっといいですか?」
誘うと、遊輝は訝しげな顔を一瞬して、しかしすぐに笑顔を作った。
「オーケイ。紅ちゃんに合わせるよ」
遊輝の返事を聞いて、紅は廊下に出た。そのまま最上階に向かい、屋上に出る。風が吹き抜け、紅のセミロングの髪を揺らした。
夏の名残がある陽射しがコンクリートの床に降り注ぎ、思ったより暑い。そのお陰が、他の生徒の姿はなかった。
「――珍しいね。紅ちゃんからひと気のない場所に誘ってくるなんてさ。行くとすれば食堂かと思ったんだけど」
「誰かに見られたくなかったんですよ」
言って、先行していた紅は遊輝と向かい合う。
「聞かれたくない、じゃなくて?」
「えぇ」
「何かあったの?」
「――ちょっと実験させて下さい」
返事を待たずに、紅は訝しげな顔をする遊輝に抱き付いた。肩の辺りに額を預けて、腕にそっと力を込める。
「え? あのっ、何? 明日は台風でも来るのっ!?」
今までにない状況だったからか、遊輝は狼狽えているようだった。その証拠に、彼は腕を回そうともしない。
「……良かった。大丈夫そうで」
ほっと安心すると、紅は遊輝を解放して二歩下がる。
「どういう趣向なのかよくわからないんだけど……」
攻めるのは好きだが、攻められるのは苦手――紅はそんな遊輝の趣味を理解している。自分に主導権がないと対処できなくなってしまうところは、似ているとさえ感じていた。
「白浪先輩に急に触れられたときに、うっかり《浄化の炎》を使いたくないですから」
その返事で察したところがあるらしい。遊輝は真面目な顔を作った。
「……また、襲われたのかい?」
紅は静かに頷く。顔が強張っているのを実感して、彼に背を向けた。
「あまり思い出したくないんで、申し訳ないですが、詳細は星章先輩に訊いていただけますか?」
「了解。君には訊かないよ。よっぽど恐い思いをしたんだなってことは、今の紅ちゃんを見ていればわかるから」
見ていればわかる――指摘されて、紅は自分が震えてしまっていることに気付いた。時間が経っていても、全くやわらがない。男子トイレに閉じ込められたあの日のことが一番の恐怖ではあるが、加えて蒼衣に大怪我を負わせてしまったことも堪えている。まだ当分の間は癒えそうにない。
「思った通り、白浪先輩は察しが良いですね。あれこれ言わずに済むのは本当に助かりますよ」
「ふふっ、それは誉めてくれているって解釈でいいのかな?」
社交辞令だと思われたくなくて、紅は肩越しに遊輝を見る。そして出来る限りの笑顔を作った。
「えぇ、もちろんです」
「……どうしよう、嬉しすぎて反応に困るよ。たった一週間会わなかっただけなのに、君の顔を見たくてしょうがなかったからかな?」
珍しく、遊輝が頬を赤く染めていた。照れているようだ。
――白浪先輩もこういう反応をするのね。明日は本当に台風でも来るのかしら?
「きっとそうですよ」
他愛のないやり取りで平常心を取り戻す。紅は美術室に戻るべく、身体の向きを変える。
「戻りましょうか」
「あ、ちょっと待って」
片手で制すると、遊輝はポケットから小さな小箱を取り出した。
「手を出してごらん」
言われたとおりに右手を出すと、一歩だけ近付いて遊輝は紅の手のひらに小箱を置いた。
「これ、お土産ね」
紅は視線を手元に移す。透明なケース越しに見えたのは濃青に緑色が美しく点在するブラックオパールだった。親指の爪ほどの大きさで、楕円形のカボションカットに整えられたキーホルダーだ。
にこにこした顔で、遊輝は紅に続ける。
「お土産選んでいたらスティールハートがうるさくってさ、魔性石になっちゃった。必要なら浄化して。悪いエナジーではないから、紅ちゃんの力にはなってくれると思う」
そう言われてみると、受け取った石からは不思議な気配が感じ取れた。この気配が魔性石の力なのだろう。
「オパールには『不幸を招く』だなんて迷信があるけど、それは小説の影響なんだ。実際は幸運を呼び込む力が強いんだよ。紅ちゃんのトラブルが減りますようにっていうおまじない」
告げて、顔を上げた紅にウインクをする。そういう仕草が遊輝にはとっても似合う。一対一でされたら、心を奪われる女の子も多いのだろう――そう考えられる程度には、紅は慣れていた。
「ありがとうございます。常に持ち歩くようにしますね」
「次にオパールを贈るときは、ファイアーオパールにするね。紅ちゃんには赤みが強い色石の方が似合うと思うし」
その台詞を聞いて、抜折羅と初めてまともに話したときのことを思い出す。校門で待ち伏せされて、赤い傘をもらったのは梅雨の始めの六月のことだったはずだ。
「抜折羅もあたしには赤が似合うって言ってましたよ。星章先輩が選んでくれるドレスはいつも赤いですし。フレイムブラッドの影響ですかね」
「どうだろうね。まぁ、僕ら〝石憑き〟には、そう感じられる何かはあるのかも」
ちょっぴり面白くなさそうな態度を示しているのは、引き合いに抜折羅と蒼衣の名前を出したからだろう。実にわかりやすい。
「あたし、〝石憑き〟になって日が浅いからか、あまりそういう感覚がないんですけど」
「浄化系は、その性質から禍々しいエナジーを感知するのが得意ってだけで、他の魔性石に反応しにくいのかもね」
「反応しにくい――で思い出しましたけど、〝氷雪の精霊〟探しが暗礁に乗り上げたままなんですよ。星章先輩とあたしじゃ限界があります。また助けていただけないでしょうか?」
依頼すると、遊輝は何かを思い付いたらしく、不敵に笑んだ。
「見返りは期待して良いの?」
「さっきのが前払いです」
爽やかな笑顔を作って返す。
紅の素早い返しに、遊輝はがっかりしたような態度をとった。
「うーん、ちょっと損した気分だけど、それでオーケイってことにしてあげる。そばにいられるだけでも、いくらか安心できるし」
「じゃあ、早速お願いします。クロッキー帳、片付けてきますね」
遊輝の了解を得ると、紅はわざと楽しげに振る舞って階段に向かったのだった。
宝杖学院高等部はいつもの賑やかさを取り戻していた。修学旅行先から二年生が帰ってきたのだ。
放課後。美術室でクロッキー帳に石膏像のデッサンをしていると、紅の視界に音もなく見知った顔が割り込んだ。
「紅ちゃん、ただいま」
「お帰りなさい、白浪先輩」
紅は遊輝に微笑んだ。そろそろやってくる頃だろうと構えていたので、唐突に姿を現してきても落ち着いたものだ。
「いい子にして待っていてくれたかい?」
その問いに対する返事の代わりに、デッサン用の濃い鉛筆を置いて立ち上がる。
「ここで世間話をするには周りに迷惑が掛かります。ちょっといいですか?」
誘うと、遊輝は訝しげな顔を一瞬して、しかしすぐに笑顔を作った。
「オーケイ。紅ちゃんに合わせるよ」
遊輝の返事を聞いて、紅は廊下に出た。そのまま最上階に向かい、屋上に出る。風が吹き抜け、紅のセミロングの髪を揺らした。
夏の名残がある陽射しがコンクリートの床に降り注ぎ、思ったより暑い。そのお陰が、他の生徒の姿はなかった。
「――珍しいね。紅ちゃんからひと気のない場所に誘ってくるなんてさ。行くとすれば食堂かと思ったんだけど」
「誰かに見られたくなかったんですよ」
言って、先行していた紅は遊輝と向かい合う。
「聞かれたくない、じゃなくて?」
「えぇ」
「何かあったの?」
「――ちょっと実験させて下さい」
返事を待たずに、紅は訝しげな顔をする遊輝に抱き付いた。肩の辺りに額を預けて、腕にそっと力を込める。
「え? あのっ、何? 明日は台風でも来るのっ!?」
今までにない状況だったからか、遊輝は狼狽えているようだった。その証拠に、彼は腕を回そうともしない。
「……良かった。大丈夫そうで」
ほっと安心すると、紅は遊輝を解放して二歩下がる。
「どういう趣向なのかよくわからないんだけど……」
攻めるのは好きだが、攻められるのは苦手――紅はそんな遊輝の趣味を理解している。自分に主導権がないと対処できなくなってしまうところは、似ているとさえ感じていた。
「白浪先輩に急に触れられたときに、うっかり《浄化の炎》を使いたくないですから」
その返事で察したところがあるらしい。遊輝は真面目な顔を作った。
「……また、襲われたのかい?」
紅は静かに頷く。顔が強張っているのを実感して、彼に背を向けた。
「あまり思い出したくないんで、申し訳ないですが、詳細は星章先輩に訊いていただけますか?」
「了解。君には訊かないよ。よっぽど恐い思いをしたんだなってことは、今の紅ちゃんを見ていればわかるから」
見ていればわかる――指摘されて、紅は自分が震えてしまっていることに気付いた。時間が経っていても、全くやわらがない。男子トイレに閉じ込められたあの日のことが一番の恐怖ではあるが、加えて蒼衣に大怪我を負わせてしまったことも堪えている。まだ当分の間は癒えそうにない。
「思った通り、白浪先輩は察しが良いですね。あれこれ言わずに済むのは本当に助かりますよ」
「ふふっ、それは誉めてくれているって解釈でいいのかな?」
社交辞令だと思われたくなくて、紅は肩越しに遊輝を見る。そして出来る限りの笑顔を作った。
「えぇ、もちろんです」
「……どうしよう、嬉しすぎて反応に困るよ。たった一週間会わなかっただけなのに、君の顔を見たくてしょうがなかったからかな?」
珍しく、遊輝が頬を赤く染めていた。照れているようだ。
――白浪先輩もこういう反応をするのね。明日は本当に台風でも来るのかしら?
「きっとそうですよ」
他愛のないやり取りで平常心を取り戻す。紅は美術室に戻るべく、身体の向きを変える。
「戻りましょうか」
「あ、ちょっと待って」
片手で制すると、遊輝はポケットから小さな小箱を取り出した。
「手を出してごらん」
言われたとおりに右手を出すと、一歩だけ近付いて遊輝は紅の手のひらに小箱を置いた。
「これ、お土産ね」
紅は視線を手元に移す。透明なケース越しに見えたのは濃青に緑色が美しく点在するブラックオパールだった。親指の爪ほどの大きさで、楕円形のカボションカットに整えられたキーホルダーだ。
にこにこした顔で、遊輝は紅に続ける。
「お土産選んでいたらスティールハートがうるさくってさ、魔性石になっちゃった。必要なら浄化して。悪いエナジーではないから、紅ちゃんの力にはなってくれると思う」
そう言われてみると、受け取った石からは不思議な気配が感じ取れた。この気配が魔性石の力なのだろう。
「オパールには『不幸を招く』だなんて迷信があるけど、それは小説の影響なんだ。実際は幸運を呼び込む力が強いんだよ。紅ちゃんのトラブルが減りますようにっていうおまじない」
告げて、顔を上げた紅にウインクをする。そういう仕草が遊輝にはとっても似合う。一対一でされたら、心を奪われる女の子も多いのだろう――そう考えられる程度には、紅は慣れていた。
「ありがとうございます。常に持ち歩くようにしますね」
「次にオパールを贈るときは、ファイアーオパールにするね。紅ちゃんには赤みが強い色石の方が似合うと思うし」
その台詞を聞いて、抜折羅と初めてまともに話したときのことを思い出す。校門で待ち伏せされて、赤い傘をもらったのは梅雨の始めの六月のことだったはずだ。
「抜折羅もあたしには赤が似合うって言ってましたよ。星章先輩が選んでくれるドレスはいつも赤いですし。フレイムブラッドの影響ですかね」
「どうだろうね。まぁ、僕ら〝石憑き〟には、そう感じられる何かはあるのかも」
ちょっぴり面白くなさそうな態度を示しているのは、引き合いに抜折羅と蒼衣の名前を出したからだろう。実にわかりやすい。
「あたし、〝石憑き〟になって日が浅いからか、あまりそういう感覚がないんですけど」
「浄化系は、その性質から禍々しいエナジーを感知するのが得意ってだけで、他の魔性石に反応しにくいのかもね」
「反応しにくい――で思い出しましたけど、〝氷雪の精霊〟探しが暗礁に乗り上げたままなんですよ。星章先輩とあたしじゃ限界があります。また助けていただけないでしょうか?」
依頼すると、遊輝は何かを思い付いたらしく、不敵に笑んだ。
「見返りは期待して良いの?」
「さっきのが前払いです」
爽やかな笑顔を作って返す。
紅の素早い返しに、遊輝はがっかりしたような態度をとった。
「うーん、ちょっと損した気分だけど、それでオーケイってことにしてあげる。そばにいられるだけでも、いくらか安心できるし」
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