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始まりの合図
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全ては、一本の電話から始まった。
同じ会社の友人が、動揺した様子で電話をしてきた。
「竹内、落ち着いて聞けよ?お前と仲の良い営業の櫻井さんが、事故に遭ったらしい。オレも詳しいことはわからないが、階段から落ちたって噂だ」
彼の名前を聞いた瞬間、全身の血が凍り付いた気がした。
電話をくれた友人は、オレが彼と仲の良い友人だと思っている。
でも、実際は違う。
オレと彼は……恋人同士だ。
そんな彼が、階段から転落し、入院しているということを、今、初めて知った。
オレは二週間前から、出張で福岡に来ていた。
九州初出店の新店に伴い、社員であるオレが研修と準備をするためだ。
初日のオープンまで、あと数日。
スタッフ総出でこれから頑張ろうって言ってた矢先だった。
今、ここを離れるわけにはいかない。
大丈夫。彼は……大丈夫な、はず。
オレの様子がおかしいのを察してくれた同僚が、気を利かせて急きょ休みを融通してくれた。
「櫻井さんのこと、俺にも電話が来た。竹内、行ってこい」
両肩を叩かれた衝撃で、自分が普通じゃない状況だったのに気づいた。
それから、着の身着のまま、新幹線に飛び乗って大阪まで帰ってきた。
新幹線内で、彼がどこに入院しているのかを友人から聞き出し、原因を根掘り葉掘り問いただす。
でも、詳しい原因も怪我の状態もわからなかった。
友人から聞き出した病院は、意外にもオレの家の近所にある病院だった。
オレも彼も、よく前を通る病院。
駅から少し離れているが、大きな総合病院だ。
知っている場所で少しだけホッとする。
駅に到着した瞬間、よく通った道を全速力で病院に向かって走った。
大ケガをしてたらどうしよう……
意識がなかったら……
どうしてこんなことに?彼に、琥太郎に何かあったらどうしよう……
心臓がバクバクする。
走って来たからとかじゃなくて、琥太郎の状況がわからなくて、怖くてドキドキする。
重症だったらどうしよう……
新店のみんなには悪いけど、オレの代わりのスタッフを手配してもらわないと……
でも、友人関係としか言ってないオレが、彼のことでこんなお願いをしたら怪しまれるかな……
でも、琥太郎が大変なときに、そばに居られないなんて嫌だ!
軽症なら……明日までは一緒に居れるから着替えとか持って行ってやらないと。
琥太郎のご両親は、オレの家、知らないし……
琥太郎の家にも着替えとかはあるだろうけど、引っ越しの準備、始めてたはずだから……
考えることが多すぎて、頭の中がグルグルする。
大丈夫だって自分に言い聞かせていても、不安が取り除けない。
どうしよう……早く、早く……琥太郎に会いたい。
「琥太郎!大丈夫!?」
病院の受付で教えてもらった病室は、他の患者さんもいる大部屋だった。
他にも患者さんがいるってわかっていたのに、窓際のベッドにいた彼を見た瞬間、居ても立ってもいられずつい大きな声を出してしまった。
彼の頭には真新しい包帯がグルグル巻きに巻かれていたが、顔色は良いように見える。
どこかボーっとした感じで、ベッドの背に身体を預けるように座っている姿を見て安堵した。
「はぁぁぁ……よかった。琥太郎が階段から落ちたって聞いて、心臓が止まるかと思った」
彼の顔を見て、やっと安心することが出来た。
その瞬間、全身から力が抜けてしまい、その場に座り込んでしまう。
「でも、ホント、無事でよかったぁ……」
オレは目の端に涙をいっぱい溜めて、安堵の息を吐き出しながら呟いた。
「……あの、どなた様ですか?」
和やかな空気だったはずなのに、彼の冷たい声にピシリと空気が凍り付く。
「え?は……?」
何を言われたのか理解できず、安心して緩みきっていた表情が一気に強張る。
彼の顔を見ると、不快感を露わにした表情で、オレを冷たく睨み付けていた。
「じょ、冗談はよせよ。オレだよ?琥太郎の恋人の……朝陽だよ?」
声が震えてしまう。
困惑しすぎて、上手く笑えない。
引きつった頬が震え、笑っているのか泣きそうになっているのか、自分でもわからない。
「な、なぁ……琥太郎、バカなこと言うなよ。恋人であるオレのこと、忘れたって言うのか?」
心臓が、さっきからバクバクうるさい。
ドラマとか漫画で聞くようなセリフを言われるなんて思っていなかった。
オレのこと、驚かせようと思って言ってる?
いやいや、この状況じゃ笑えないって。
ねぇ、なんで……?なんで、そんな目で、オレのこと……見るの……?
「俺の恋人は、アナタの後ろにいる彼です。アナタのことなんて、これっぽっちも知りません。……もしかして、アンタが俺のストーカーなのか?」
訝しそうな表情を浮かべ、さっきよりも鋭い視線で睨み付けてくる。
こんな顔、知らない。
ストーカー?え?オレが……?
彼の言葉に血の気が引く。
「琥太郎」
不意にオレの横をスルリとすり抜け、彼に抱き付く青年。
淡い栗毛色の髪に大きな瞳が印象的な、可愛らしい人が彼にしがみ付きながらオレをキッと睨み付けてきた。
「大丈夫?何もされてない?」
彼の頬を白魚のような細く綺麗な指が撫でる。
「アイツがこんなところまで来ると思ってなかったから、看護師さんに言ってなかった。ごめんね」
心から心配そうな青年を、彼は愛おしげに見つめている。
「守、ありがとう。大丈夫だ。守が先に教えてくれていたから、アイツがストーカーだってわかったんだ」
愛し合う恋人のように、ふたりは見つめ合い、抱きしめ合っている。
「ねぇ、ストーカーさん。いつまでここにいるつもり?琥太郎はボクの恋人だよ。さっさと諦めてよ」
彼に抱きしめられたまま、オレを睨み付けてくる栗毛の青年。
青年のこめかみに愛おしげに口付けを落としつつも、オレを嫌悪した眼差しで見つめてくる彼。
「……は?え?どういう、こと……?」
ふたりの言ってることが理解できず、親密にふるまうふたりの顔を交互に見つめてしまう。
「さっさと出て行ってよ。警察呼ばれたいの?これからはボクが琥太郎を守るからね。アンタは二度と彼の前に現れないでよね」
ふたりの言葉を聞くたび、心臓がバクバクと跳ねる。
呼吸が荒くなり、頭がキーンと痛む。
意味が、わからない……
彼が、琥太郎の恋人?
オレじゃ、なくて……?
恋人だとずっと思っていた彼からの冷たい視線に涙が溢れ落ちる。
「う、そだ……。な、んで……」
言葉にしたけど、震えて今にも消え入りそうな声しか出なかった。
『ひよ、愛してる』
オレの部屋で何度も愛を囁いて、愛し気に見つめてきた彼の顔が脳裏に浮かぶと同時に、今、目の前にいる嫌悪感を露わにした表情と被る。
「さっさと出て行ってくれ。そして、もう二度と来るな。お前の顔なんて、一生見たくない」
今まで一度だって言われたことのない言葉。
彼の、琥太郎の冷たい声に身体が震えてしまう。
これは……本当にオレの知っている彼なんだろうか……
オレの大好きな、大切な……恋人じゃ、ないの?
鼻の奥がツーンと痛み、涙が零れ落ちそうになる。
でも、今は泣くわけにはいかない。
これ以上、彼のあんな顔、見たくない。
「ご、めん……。琥太郎……ッ、ごめんっ!」
オレは、その場から逃げた。
これ以上、ふたりの仲睦まじい姿を見たくなくて、逃げた。
琥太郎の殺意に満ちた視線に耐えられなくて、逃げた。
今の状況を……真実を、理解したくなくて……逃げた。
病院の外は、いつの間にか雨が降っていて、冷たい滴が身体を濡らしていく。
「ウソ……だよね。きっと、ドッキリか、なんか……だよね?」
現状を受け入れられなくて、心の中も、頭の中もごちゃごちゃで、動けなくなってしまった。
街灯の明かりが雨で滲み、人けのない道で、オレはその場に崩れ落ちた。
雨足が強くなってきて、全身ずぶ濡れになりながら声を上げて泣いた。
雨のおかげと、遅い時間だったから人通りは全然なくて、誰にも見られずに泣き続けた。
どれくらい泣き続けたのかはわからない。
声も涙も枯れるくらい泣いて、心にポッカリ穴が開いたような気持ちになって……
それでも、思い出すたびに涙が溢れ出してくる。
「こ……コタぁ……」
震える声で、彼の愛称を口にする。
オレだけが……オレだけが呼ぶ、彼の愛称。
いつもなら、オレが呼んだらすぐに抱きしめてくれたのに、今は誰もしてくれない。
雨ですっかり冷え切ってしまった身体がカタカタと震え、じっとりと濡れた服が肌に張り付く。
雨粒が頬を伝い、首筋を冷たく滑り落ちる感触が、まるで心の空白を強調するように不快だった。
地面に膝をつき、泥混じりの水がズボンに染み込むのを感じながら、息を吐くたびに肩が震えた。
「は、はぁ……戻ら、なきゃ……。明日も、仕事……だし、戻らなきゃ……」
吐き出した吐息が震える。
気を抜けば、また声を上げて泣いてしまいそうになる。
こんなところで、オレなんかが泣いてもしかたないのに……
なんとか気力を振り絞り、大阪にある自分の家に帰ることができた。
病院から歩いて帰れる場所にあったのが幸いだった。
こんなずぶ濡れで、電車やタクシーに乗ることなんてできないから……
何より、少し歩いて冷静になることができた。
マンションの一室である自分の家の扉を開けようと、鍵をドアノブに挿そうとしたけど、凍えて震える手のせいでなかなか上手くいかなかった。
やっと開けることに成功したオレは、二週間ぶりに自室の電気を付ける。
出張前に出たときと変わらない部屋を見て、ホッと息をつく。
ひとり暮らしには、ちょっとだけ大きめの部屋。
寝室とは別にもう一部屋あるけど、そこの間仕切りとしての扉を外して、ダイニングとリビングをくっつけた感じにした部屋。
二人掛けのふわふわのソファーに、ローテーブル。
クッションは多めに置いてある。
家から本社も職場も近いから、結構便利な場所にあるオレの家。
琥太郎の家は、ここから数駅離れてるから、よく泊りに来てたっけ……
というか、泊まりに来る回数が多すぎて、半同棲に近かったと思う。
だから……この家には、彼の生活用品がほとんど揃っている。
お揃いで買ったマグカップ。彼用の歯ブラシに洗顔。彼用の下着とか服とかは、彼専用のボックスに詰められている。
そんな、彼の存在をありありと感じる部屋を見て、オレは無意識に呟く。
「……これ、全部……オレの、勘違い……だったのかな?オレ、コタの……」
言葉にすると、また涙があふれ出してくる。
胸が締め付けられたみたいに痛い。
痛くて、苦しくて、泣き叫びたいのに、怒りたいのに……何もできない。
「なんで……?なんで、本当に……忘れちゃったの?オレは、覚えてるのに……。こんなに、覚えているのに……」
オレの今回の出張が終わったら、一緒に暮らす部屋を新しく見に行こうって約束をしていた。
年内はこの部屋で暮らして、年明けに広い部屋に引っ越そうって……
情報誌にチェックや付箋を貼って、休みの日に内見に行こうって……
ふたりで部屋の間取りを見ながら、夢を膨らませていた。
『ここ、いいな。この部屋は俺とひよの寝室な。ここで毎晩、ひよをいっぱい抱くから……』
低く嗄れた彼の声が耳元で響き、オレの耳の後ろに口付けを落とす。
イタズラっぽく触れてくる彼の手がくすぐったくて、クスクス笑いながら抵抗したっけ……
何度も『愛してる』って言い合って、たくさんキスもして……
オレの身体を隅々まで愛してくれたのは彼だったのに……
「全部、忘れちゃったのかな……」
テレビの横に置いてあるチェストの上には、ふたりで旅行に行ったときに撮った写真が、今も飾ってある。
あの日、彼が改めて告白してくれた。
『ずっと、ひよの側にいたい。一生、お前を守ってやる。ひよのこと、世界で一番愛している』
照れくさい台詞を当然のように言ってくる彼に、オレは真っ赤になりながらも頷いたんだっけ……
でも、本当はアレも嘘だったのかも。
オレは……本当は、琥太郎の恋人じゃなかったのかも……
だって、彼も言ってたじゃん。
オレは、迷惑なストーカーだって。
本当の恋人は、あの可愛い栗毛色をした髪の彼だったんだって……
ホント、オレって……琥太郎のなんだったんだろ……
これ以上、彼との過去を思い出したくなくて、オレはそっと写真立てを伏せた。
同じ会社の友人が、動揺した様子で電話をしてきた。
「竹内、落ち着いて聞けよ?お前と仲の良い営業の櫻井さんが、事故に遭ったらしい。オレも詳しいことはわからないが、階段から落ちたって噂だ」
彼の名前を聞いた瞬間、全身の血が凍り付いた気がした。
電話をくれた友人は、オレが彼と仲の良い友人だと思っている。
でも、実際は違う。
オレと彼は……恋人同士だ。
そんな彼が、階段から転落し、入院しているということを、今、初めて知った。
オレは二週間前から、出張で福岡に来ていた。
九州初出店の新店に伴い、社員であるオレが研修と準備をするためだ。
初日のオープンまで、あと数日。
スタッフ総出でこれから頑張ろうって言ってた矢先だった。
今、ここを離れるわけにはいかない。
大丈夫。彼は……大丈夫な、はず。
オレの様子がおかしいのを察してくれた同僚が、気を利かせて急きょ休みを融通してくれた。
「櫻井さんのこと、俺にも電話が来た。竹内、行ってこい」
両肩を叩かれた衝撃で、自分が普通じゃない状況だったのに気づいた。
それから、着の身着のまま、新幹線に飛び乗って大阪まで帰ってきた。
新幹線内で、彼がどこに入院しているのかを友人から聞き出し、原因を根掘り葉掘り問いただす。
でも、詳しい原因も怪我の状態もわからなかった。
友人から聞き出した病院は、意外にもオレの家の近所にある病院だった。
オレも彼も、よく前を通る病院。
駅から少し離れているが、大きな総合病院だ。
知っている場所で少しだけホッとする。
駅に到着した瞬間、よく通った道を全速力で病院に向かって走った。
大ケガをしてたらどうしよう……
意識がなかったら……
どうしてこんなことに?彼に、琥太郎に何かあったらどうしよう……
心臓がバクバクする。
走って来たからとかじゃなくて、琥太郎の状況がわからなくて、怖くてドキドキする。
重症だったらどうしよう……
新店のみんなには悪いけど、オレの代わりのスタッフを手配してもらわないと……
でも、友人関係としか言ってないオレが、彼のことでこんなお願いをしたら怪しまれるかな……
でも、琥太郎が大変なときに、そばに居られないなんて嫌だ!
軽症なら……明日までは一緒に居れるから着替えとか持って行ってやらないと。
琥太郎のご両親は、オレの家、知らないし……
琥太郎の家にも着替えとかはあるだろうけど、引っ越しの準備、始めてたはずだから……
考えることが多すぎて、頭の中がグルグルする。
大丈夫だって自分に言い聞かせていても、不安が取り除けない。
どうしよう……早く、早く……琥太郎に会いたい。
「琥太郎!大丈夫!?」
病院の受付で教えてもらった病室は、他の患者さんもいる大部屋だった。
他にも患者さんがいるってわかっていたのに、窓際のベッドにいた彼を見た瞬間、居ても立ってもいられずつい大きな声を出してしまった。
彼の頭には真新しい包帯がグルグル巻きに巻かれていたが、顔色は良いように見える。
どこかボーっとした感じで、ベッドの背に身体を預けるように座っている姿を見て安堵した。
「はぁぁぁ……よかった。琥太郎が階段から落ちたって聞いて、心臓が止まるかと思った」
彼の顔を見て、やっと安心することが出来た。
その瞬間、全身から力が抜けてしまい、その場に座り込んでしまう。
「でも、ホント、無事でよかったぁ……」
オレは目の端に涙をいっぱい溜めて、安堵の息を吐き出しながら呟いた。
「……あの、どなた様ですか?」
和やかな空気だったはずなのに、彼の冷たい声にピシリと空気が凍り付く。
「え?は……?」
何を言われたのか理解できず、安心して緩みきっていた表情が一気に強張る。
彼の顔を見ると、不快感を露わにした表情で、オレを冷たく睨み付けていた。
「じょ、冗談はよせよ。オレだよ?琥太郎の恋人の……朝陽だよ?」
声が震えてしまう。
困惑しすぎて、上手く笑えない。
引きつった頬が震え、笑っているのか泣きそうになっているのか、自分でもわからない。
「な、なぁ……琥太郎、バカなこと言うなよ。恋人であるオレのこと、忘れたって言うのか?」
心臓が、さっきからバクバクうるさい。
ドラマとか漫画で聞くようなセリフを言われるなんて思っていなかった。
オレのこと、驚かせようと思って言ってる?
いやいや、この状況じゃ笑えないって。
ねぇ、なんで……?なんで、そんな目で、オレのこと……見るの……?
「俺の恋人は、アナタの後ろにいる彼です。アナタのことなんて、これっぽっちも知りません。……もしかして、アンタが俺のストーカーなのか?」
訝しそうな表情を浮かべ、さっきよりも鋭い視線で睨み付けてくる。
こんな顔、知らない。
ストーカー?え?オレが……?
彼の言葉に血の気が引く。
「琥太郎」
不意にオレの横をスルリとすり抜け、彼に抱き付く青年。
淡い栗毛色の髪に大きな瞳が印象的な、可愛らしい人が彼にしがみ付きながらオレをキッと睨み付けてきた。
「大丈夫?何もされてない?」
彼の頬を白魚のような細く綺麗な指が撫でる。
「アイツがこんなところまで来ると思ってなかったから、看護師さんに言ってなかった。ごめんね」
心から心配そうな青年を、彼は愛おしげに見つめている。
「守、ありがとう。大丈夫だ。守が先に教えてくれていたから、アイツがストーカーだってわかったんだ」
愛し合う恋人のように、ふたりは見つめ合い、抱きしめ合っている。
「ねぇ、ストーカーさん。いつまでここにいるつもり?琥太郎はボクの恋人だよ。さっさと諦めてよ」
彼に抱きしめられたまま、オレを睨み付けてくる栗毛の青年。
青年のこめかみに愛おしげに口付けを落としつつも、オレを嫌悪した眼差しで見つめてくる彼。
「……は?え?どういう、こと……?」
ふたりの言ってることが理解できず、親密にふるまうふたりの顔を交互に見つめてしまう。
「さっさと出て行ってよ。警察呼ばれたいの?これからはボクが琥太郎を守るからね。アンタは二度と彼の前に現れないでよね」
ふたりの言葉を聞くたび、心臓がバクバクと跳ねる。
呼吸が荒くなり、頭がキーンと痛む。
意味が、わからない……
彼が、琥太郎の恋人?
オレじゃ、なくて……?
恋人だとずっと思っていた彼からの冷たい視線に涙が溢れ落ちる。
「う、そだ……。な、んで……」
言葉にしたけど、震えて今にも消え入りそうな声しか出なかった。
『ひよ、愛してる』
オレの部屋で何度も愛を囁いて、愛し気に見つめてきた彼の顔が脳裏に浮かぶと同時に、今、目の前にいる嫌悪感を露わにした表情と被る。
「さっさと出て行ってくれ。そして、もう二度と来るな。お前の顔なんて、一生見たくない」
今まで一度だって言われたことのない言葉。
彼の、琥太郎の冷たい声に身体が震えてしまう。
これは……本当にオレの知っている彼なんだろうか……
オレの大好きな、大切な……恋人じゃ、ないの?
鼻の奥がツーンと痛み、涙が零れ落ちそうになる。
でも、今は泣くわけにはいかない。
これ以上、彼のあんな顔、見たくない。
「ご、めん……。琥太郎……ッ、ごめんっ!」
オレは、その場から逃げた。
これ以上、ふたりの仲睦まじい姿を見たくなくて、逃げた。
琥太郎の殺意に満ちた視線に耐えられなくて、逃げた。
今の状況を……真実を、理解したくなくて……逃げた。
病院の外は、いつの間にか雨が降っていて、冷たい滴が身体を濡らしていく。
「ウソ……だよね。きっと、ドッキリか、なんか……だよね?」
現状を受け入れられなくて、心の中も、頭の中もごちゃごちゃで、動けなくなってしまった。
街灯の明かりが雨で滲み、人けのない道で、オレはその場に崩れ落ちた。
雨足が強くなってきて、全身ずぶ濡れになりながら声を上げて泣いた。
雨のおかげと、遅い時間だったから人通りは全然なくて、誰にも見られずに泣き続けた。
どれくらい泣き続けたのかはわからない。
声も涙も枯れるくらい泣いて、心にポッカリ穴が開いたような気持ちになって……
それでも、思い出すたびに涙が溢れ出してくる。
「こ……コタぁ……」
震える声で、彼の愛称を口にする。
オレだけが……オレだけが呼ぶ、彼の愛称。
いつもなら、オレが呼んだらすぐに抱きしめてくれたのに、今は誰もしてくれない。
雨ですっかり冷え切ってしまった身体がカタカタと震え、じっとりと濡れた服が肌に張り付く。
雨粒が頬を伝い、首筋を冷たく滑り落ちる感触が、まるで心の空白を強調するように不快だった。
地面に膝をつき、泥混じりの水がズボンに染み込むのを感じながら、息を吐くたびに肩が震えた。
「は、はぁ……戻ら、なきゃ……。明日も、仕事……だし、戻らなきゃ……」
吐き出した吐息が震える。
気を抜けば、また声を上げて泣いてしまいそうになる。
こんなところで、オレなんかが泣いてもしかたないのに……
なんとか気力を振り絞り、大阪にある自分の家に帰ることができた。
病院から歩いて帰れる場所にあったのが幸いだった。
こんなずぶ濡れで、電車やタクシーに乗ることなんてできないから……
何より、少し歩いて冷静になることができた。
マンションの一室である自分の家の扉を開けようと、鍵をドアノブに挿そうとしたけど、凍えて震える手のせいでなかなか上手くいかなかった。
やっと開けることに成功したオレは、二週間ぶりに自室の電気を付ける。
出張前に出たときと変わらない部屋を見て、ホッと息をつく。
ひとり暮らしには、ちょっとだけ大きめの部屋。
寝室とは別にもう一部屋あるけど、そこの間仕切りとしての扉を外して、ダイニングとリビングをくっつけた感じにした部屋。
二人掛けのふわふわのソファーに、ローテーブル。
クッションは多めに置いてある。
家から本社も職場も近いから、結構便利な場所にあるオレの家。
琥太郎の家は、ここから数駅離れてるから、よく泊りに来てたっけ……
というか、泊まりに来る回数が多すぎて、半同棲に近かったと思う。
だから……この家には、彼の生活用品がほとんど揃っている。
お揃いで買ったマグカップ。彼用の歯ブラシに洗顔。彼用の下着とか服とかは、彼専用のボックスに詰められている。
そんな、彼の存在をありありと感じる部屋を見て、オレは無意識に呟く。
「……これ、全部……オレの、勘違い……だったのかな?オレ、コタの……」
言葉にすると、また涙があふれ出してくる。
胸が締め付けられたみたいに痛い。
痛くて、苦しくて、泣き叫びたいのに、怒りたいのに……何もできない。
「なんで……?なんで、本当に……忘れちゃったの?オレは、覚えてるのに……。こんなに、覚えているのに……」
オレの今回の出張が終わったら、一緒に暮らす部屋を新しく見に行こうって約束をしていた。
年内はこの部屋で暮らして、年明けに広い部屋に引っ越そうって……
情報誌にチェックや付箋を貼って、休みの日に内見に行こうって……
ふたりで部屋の間取りを見ながら、夢を膨らませていた。
『ここ、いいな。この部屋は俺とひよの寝室な。ここで毎晩、ひよをいっぱい抱くから……』
低く嗄れた彼の声が耳元で響き、オレの耳の後ろに口付けを落とす。
イタズラっぽく触れてくる彼の手がくすぐったくて、クスクス笑いながら抵抗したっけ……
何度も『愛してる』って言い合って、たくさんキスもして……
オレの身体を隅々まで愛してくれたのは彼だったのに……
「全部、忘れちゃったのかな……」
テレビの横に置いてあるチェストの上には、ふたりで旅行に行ったときに撮った写真が、今も飾ってある。
あの日、彼が改めて告白してくれた。
『ずっと、ひよの側にいたい。一生、お前を守ってやる。ひよのこと、世界で一番愛している』
照れくさい台詞を当然のように言ってくる彼に、オレは真っ赤になりながらも頷いたんだっけ……
でも、本当はアレも嘘だったのかも。
オレは……本当は、琥太郎の恋人じゃなかったのかも……
だって、彼も言ってたじゃん。
オレは、迷惑なストーカーだって。
本当の恋人は、あの可愛い栗毛色をした髪の彼だったんだって……
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