カフェ・コン・レーチェ

こうらい ゆあ

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1.ブラック珈琲

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 彼が店に入ってくると、扉のベルが小さく鳴り、僕の視線は自然と扉の方へと吸い寄せられる。
「すみません、今日もひとりなんですが……」
 スーツ姿の彼が、少し困ったような笑みを浮かべて聞いてくる。
 180cmは軽く超えてるのに、なぜかいつも肩をすぼめている彼。
 大きな身体を小さく見せようとするその仕草が、まるで「ココに居てもいいですか?」と許可を求めるようだった。
 半年くらい前からほぼ毎日来てくれる彼のそんな姿に、内心キュンッと胸が締め付けられる。
「いらっしゃいませ。いつものカウンターの席、空いてますよ」

 カウンターの一番奥にある席が彼の指定席だ。
 
最初は広いテーブル席を勧めたんだけど、「俺はこの席がいい」って頑なに言ってくるから、今では彼が来るこの時間は、彼だけの特別席になった。
「この席が、一番珈琲の良い匂いを感じるような気がして、特別美味しく感じるんだ」って言われたとき、正直驚いた。
 だってマスターが珈琲を淹れる場所からここは一番遠い席になってしまう。
 それに、照明の配置関係で光も届きにくく、少し薄暗い場所になってしまうから……
 それでも彼は、他の席ではなく、必ずこのカウンターの一番奥の席を好んで座っていた。

 でも、僕はすぐに気づいたんだ……
 あの席は店内で一番薄暗いけど、僕がカウンター内で作業をするときに一番近い場所だって……
 店内の誰にも邪魔されずに、彼と目が合わせやすいってこと。
 目が合っても、すぐに逸らされちゃうけど、微かに耳が赤くなっているのを僕は知っている。
 だから、彼があの席に座ってくれると、自然と彼と話しができるような気がした。

「ブラック、ですよね」
 彼は決まって僕が淹れた珈琲を注文してくれる。
 決まった席で、いつも僕の淹れた珈琲を飲んでくれる彼。

 ひと口飲むと同時に、ほんの少しだけ眉が寄って、それでもすぐに柔らかな笑みを浮かべる彼。
「……うん、やっぱり君の淹れてくれた珈琲が一番美味しい」と言って褒めてくれる。
 彼の言葉が嬉しくて、僕はそっと微笑む。
 でも、本当は知ってるんだよ?
 苦いの、苦手なんでしょ?
 それがわかっているから、僕は毎回、豆の挽き目を少し粗目にしたり、湯温を少し低めにしている。
 彼が少しでも飲みやすいように、こっそり調整してる。
 もちろん、彼には内緒だ。

 カウンター奥の照明は淡くて、彼の顔を半分だけ照らす。
 頬骨の影が深くて、睫毛が長くて、目を伏せるたびに少しドキドキする。
 豆を挽く音が響くたび、彼がカップをソーサーに置いて僕のほうをチラッと見たあと、すぐに視線を逸らす。
 時々だけど、僕と彼の視線が一瞬だけ絡まるときがある。
 そのときは、なんだか恥ずかしくて、僕も誤魔化すように笑みを浮かべてしまうんだ。

 喫茶 音雫の制服は、クラシックウェイター姿だ。
 黒のベストに白い長袖シャツ、深緑のクロスタイに膝まで届く長い黒色のエプロン。
「この店は珈琲の味だけじゃなく、佇まいも売りのひとつなんです」って言うのが、マスターの口癖だ。
 だから僕は今日も、袖口のカフスボタンをきちんと留め、ネクタイをぴんと伸ばして、彼の前に立つ。
 彼に、少しでも似合ってると思って欲しくて……

 そんな彼は、僕だけに見える場所に座ってくれる。
 僕も、誰にも邪魔されない距離で、彼だけをこっそりと横目で見てしまう。
 カウンターを隔てたこの距離が――近すぎず、遠すぎず、ちょうどいい距離なんだと思う。
 あの席は、彼を他のお客さんからもほんの少しだけ隠してくれる場所。
 背が高くてカッコいいけど、いつも自信なさげな彼を隠してくれる、特別席。
 あの席に座る彼が見えるのは、僕だけ。
 だから今日も、彼のために。
 一番丁寧に、一番気持ちを込めて、珈琲を淹れる。
 苦い珈琲の苦手な彼が、眉を寄せないように。
 彼が笑ってくれるように。
 特別な一杯を君に……
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