2 / 6
1.ブラック珈琲
しおりを挟む
彼が店に入ってくると、扉のベルが小さく鳴り、僕の視線は自然と扉の方へと吸い寄せられる。
「すみません、今日もひとりなんですが……」
スーツ姿の彼が、少し困ったような笑みを浮かべて聞いてくる。
180cmは軽く超えてるのに、なぜかいつも肩をすぼめている彼。
大きな身体を小さく見せようとするその仕草が、まるで「ココに居てもいいですか?」と許可を求めるようだった。
半年くらい前からほぼ毎日来てくれる彼のそんな姿に、内心キュンッと胸が締め付けられる。
「いらっしゃいませ。いつものカウンターの席、空いてますよ」
カウンターの一番奥にある席が彼の指定席だ。
最初は広いテーブル席を勧めたんだけど、「俺はこの席がいい」って頑なに言ってくるから、今では彼が来るこの時間は、彼だけの特別席になった。
「この席が、一番珈琲の良い匂いを感じるような気がして、特別美味しく感じるんだ」って言われたとき、正直驚いた。
だってマスターが珈琲を淹れる場所からここは一番遠い席になってしまう。
それに、照明の配置関係で光も届きにくく、少し薄暗い場所になってしまうから……
それでも彼は、他の席ではなく、必ずこのカウンターの一番奥の席を好んで座っていた。
でも、僕はすぐに気づいたんだ……
あの席は店内で一番薄暗いけど、僕がカウンター内で作業をするときに一番近い場所だって……
店内の誰にも邪魔されずに、彼と目が合わせやすいってこと。
目が合っても、すぐに逸らされちゃうけど、微かに耳が赤くなっているのを僕は知っている。
だから、彼があの席に座ってくれると、自然と彼と話しができるような気がした。
「ブラック、ですよね」
彼は決まって僕が淹れた珈琲を注文してくれる。
決まった席で、いつも僕の淹れた珈琲を飲んでくれる彼。
ひと口飲むと同時に、ほんの少しだけ眉が寄って、それでもすぐに柔らかな笑みを浮かべる彼。
「……うん、やっぱり君の淹れてくれた珈琲が一番美味しい」と言って褒めてくれる。
彼の言葉が嬉しくて、僕はそっと微笑む。
でも、本当は知ってるんだよ?
苦いの、苦手なんでしょ?
それがわかっているから、僕は毎回、豆の挽き目を少し粗目にしたり、湯温を少し低めにしている。
彼が少しでも飲みやすいように、こっそり調整してる。
もちろん、彼には内緒だ。
カウンター奥の照明は淡くて、彼の顔を半分だけ照らす。
頬骨の影が深くて、睫毛が長くて、目を伏せるたびに少しドキドキする。
豆を挽く音が響くたび、彼がカップをソーサーに置いて僕のほうをチラッと見たあと、すぐに視線を逸らす。
時々だけど、僕と彼の視線が一瞬だけ絡まるときがある。
そのときは、なんだか恥ずかしくて、僕も誤魔化すように笑みを浮かべてしまうんだ。
喫茶 音雫の制服は、クラシックウェイター姿だ。
黒のベストに白い長袖シャツ、深緑のクロスタイに膝まで届く長い黒色のエプロン。
「この店は珈琲の味だけじゃなく、佇まいも売りのひとつなんです」って言うのが、マスターの口癖だ。
だから僕は今日も、袖口のカフスボタンをきちんと留め、ネクタイをぴんと伸ばして、彼の前に立つ。
彼に、少しでも似合ってると思って欲しくて……
そんな彼は、僕だけに見える場所に座ってくれる。
僕も、誰にも邪魔されない距離で、彼だけをこっそりと横目で見てしまう。
カウンターを隔てたこの距離が――近すぎず、遠すぎず、ちょうどいい距離なんだと思う。
あの席は、彼を他のお客さんからもほんの少しだけ隠してくれる場所。
背が高くてカッコいいけど、いつも自信なさげな彼を隠してくれる、特別席。
あの席に座る彼が見えるのは、僕だけ。
だから今日も、彼のために。
一番丁寧に、一番気持ちを込めて、珈琲を淹れる。
苦い珈琲の苦手な彼が、眉を寄せないように。
彼が笑ってくれるように。
特別な一杯を君に……
「すみません、今日もひとりなんですが……」
スーツ姿の彼が、少し困ったような笑みを浮かべて聞いてくる。
180cmは軽く超えてるのに、なぜかいつも肩をすぼめている彼。
大きな身体を小さく見せようとするその仕草が、まるで「ココに居てもいいですか?」と許可を求めるようだった。
半年くらい前からほぼ毎日来てくれる彼のそんな姿に、内心キュンッと胸が締め付けられる。
「いらっしゃいませ。いつものカウンターの席、空いてますよ」
カウンターの一番奥にある席が彼の指定席だ。
最初は広いテーブル席を勧めたんだけど、「俺はこの席がいい」って頑なに言ってくるから、今では彼が来るこの時間は、彼だけの特別席になった。
「この席が、一番珈琲の良い匂いを感じるような気がして、特別美味しく感じるんだ」って言われたとき、正直驚いた。
だってマスターが珈琲を淹れる場所からここは一番遠い席になってしまう。
それに、照明の配置関係で光も届きにくく、少し薄暗い場所になってしまうから……
それでも彼は、他の席ではなく、必ずこのカウンターの一番奥の席を好んで座っていた。
でも、僕はすぐに気づいたんだ……
あの席は店内で一番薄暗いけど、僕がカウンター内で作業をするときに一番近い場所だって……
店内の誰にも邪魔されずに、彼と目が合わせやすいってこと。
目が合っても、すぐに逸らされちゃうけど、微かに耳が赤くなっているのを僕は知っている。
だから、彼があの席に座ってくれると、自然と彼と話しができるような気がした。
「ブラック、ですよね」
彼は決まって僕が淹れた珈琲を注文してくれる。
決まった席で、いつも僕の淹れた珈琲を飲んでくれる彼。
ひと口飲むと同時に、ほんの少しだけ眉が寄って、それでもすぐに柔らかな笑みを浮かべる彼。
「……うん、やっぱり君の淹れてくれた珈琲が一番美味しい」と言って褒めてくれる。
彼の言葉が嬉しくて、僕はそっと微笑む。
でも、本当は知ってるんだよ?
苦いの、苦手なんでしょ?
それがわかっているから、僕は毎回、豆の挽き目を少し粗目にしたり、湯温を少し低めにしている。
彼が少しでも飲みやすいように、こっそり調整してる。
もちろん、彼には内緒だ。
カウンター奥の照明は淡くて、彼の顔を半分だけ照らす。
頬骨の影が深くて、睫毛が長くて、目を伏せるたびに少しドキドキする。
豆を挽く音が響くたび、彼がカップをソーサーに置いて僕のほうをチラッと見たあと、すぐに視線を逸らす。
時々だけど、僕と彼の視線が一瞬だけ絡まるときがある。
そのときは、なんだか恥ずかしくて、僕も誤魔化すように笑みを浮かべてしまうんだ。
喫茶 音雫の制服は、クラシックウェイター姿だ。
黒のベストに白い長袖シャツ、深緑のクロスタイに膝まで届く長い黒色のエプロン。
「この店は珈琲の味だけじゃなく、佇まいも売りのひとつなんです」って言うのが、マスターの口癖だ。
だから僕は今日も、袖口のカフスボタンをきちんと留め、ネクタイをぴんと伸ばして、彼の前に立つ。
彼に、少しでも似合ってると思って欲しくて……
そんな彼は、僕だけに見える場所に座ってくれる。
僕も、誰にも邪魔されない距離で、彼だけをこっそりと横目で見てしまう。
カウンターを隔てたこの距離が――近すぎず、遠すぎず、ちょうどいい距離なんだと思う。
あの席は、彼を他のお客さんからもほんの少しだけ隠してくれる場所。
背が高くてカッコいいけど、いつも自信なさげな彼を隠してくれる、特別席。
あの席に座る彼が見えるのは、僕だけ。
だから今日も、彼のために。
一番丁寧に、一番気持ちを込めて、珈琲を淹れる。
苦い珈琲の苦手な彼が、眉を寄せないように。
彼が笑ってくれるように。
特別な一杯を君に……
50
あなたにおすすめの小説
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
行き場を失った恋の終わらせ方
当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」
自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。
避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。
しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……
恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。
※他のサイトにも重複投稿しています。
冷たい王妃の生活
柴田はつみ
恋愛
大国セイラン王国と公爵領ファルネーゼ家の同盟のため、21歳の令嬢リディアは冷徹と噂される若き国王アレクシスと政略結婚する。
三年間、王妃として宮廷に仕えるも、愛されている実感は一度もなかった。
王の傍らには、いつも美貌の女魔導師ミレーネの姿があり、宮廷中では「王の愛妾」と囁かれていた。
孤独と誤解に耐え切れなくなったリディアは、ついに離縁を願い出る。
「わかった」――王は一言だけ告げ、三年の婚姻生活はあっけなく幕を閉じた。
自由の身となったリディアは、旅先で騎士や魔導師と交流し、少しずつ自分の世界を広げていくが、心の奥底で忘れられないのは初恋の相手であるアレクシス。
やがて王都で再会した二人は、宮廷の陰謀と誤解に再び翻弄される。
嫉妬、すれ違い、噂――三年越しの愛は果たして誓いとなるのか。
【書籍化】番の身代わり婚約者を辞めることにしたら、冷酷な龍神王太子の様子がおかしくなりました
降魔 鬼灯
恋愛
コミカライズ化決定しました。
ユリアンナは王太子ルードヴィッヒの婚約者。
幼い頃は仲良しの2人だったのに、最近では全く会話がない。
月一度の砂時計で時間を計られた義務の様なお茶会もルードヴィッヒはこちらを睨みつけるだけで、なんの会話もない。
お茶会が終わったあとに義務的に届く手紙や花束。義務的に届くドレスやアクセサリー。
しまいには「ずっと番と一緒にいたい」なんて言葉も聞いてしまって。
よし分かった、もう無理、婚約破棄しよう!
誤解から婚約破棄を申し出て自制していた番を怒らせ、執着溺愛のブーメランを食らうユリアンナの運命は?
全十話。一日2回更新 完結済
コミカライズ化に伴いタイトルを『憂鬱なお茶会〜殿下、お茶会を止めて番探しをされては?え?義務?彼女は自分が殿下の番であることを知らない。溺愛まであと半年〜』から『番の身代わり婚約者を辞めることにしたら、冷酷な龍神王太子の様子がおかしくなりました』に変更しています。
すべてはあなたの為だった~狂愛~
矢野りと
恋愛
膨大な魔力を有する魔術師アレクサンダーは政略結婚で娶った妻をいつしか愛するようになっていた。だが三年経っても子に恵まれない夫妻に周りは離縁するようにと圧力を掛けてくる。
愛しているのは君だけ…。
大切なのも君だけ…。
『何があってもどんなことをしても君だけは離さない』
※設定はゆるいです。
※お話が合わないときは、そっと閉じてくださいませ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる